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浦和(埼玉第一)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年12月訪問、2019/2/17更新  

無題5.png
撮影年月日1944/09/28(891 C2 66) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


 
埼玉県さいたま市、志木市にあった「浦和(埼玉第一)飛行場」。

防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」

の中に、当飛行場の情報がありました。

以下一部引用させて頂きます。

浦和飛行場
埼玉県入間郡宗岡村荒川河川敷(志木町の北東方約2.5粁)

着陸場の状況
高さ 平均水面上約3米。
広さ及形状 本飛行場は長さ南北約600米、幅東西約300米の不規則なる
半円形地区(総面積約15,8萬平方米)なり・着陸地域は荒川右岸概ね図示の
如き長さ約400米、幅約200米の台形地区なり(付図参照)。
地表の土質 砂混り粘土。
地面の状況 本場は秋ヶ瀬と称する河原に在り荒川右岸砂洲の発達せる河
川敷にして昭和12年4月重さ約4屯の「ローラー」を以て転圧整地し飛行場
とせしものなり・場内の滑走路は舗装を施しあらざるも一帯に堅硬平坦にして
起伏なし但し東方部に稍軟弱なる箇所あり・大出水氾濫の際は場全面浸水し之
が為土砂堆積又は陥凹地を生ずることあり・場内一面に芝、雑草類密生す・排
水施設としては西側道路に沿い南北に簡単なる粗朶式暗渠を埋没し場内の雨水
を排水する設備あるも地表は多少東側に下り傾斜あり却って西側の水田の水浸
透し地盤低き西側部分は常に湿地又は凸凹地をなす場内の傾斜少く排水良好な
らず・炎天続くときは地表乾燥し粘土部分は高度を増し却って好結果を興う・
降雨後は地表軟弱と為り多少凸凹をなす箇所あるも着陸には支障を来たす程度
にあらず又冬季霜解の際は稍泥濘と為るも砂地は土質の関係上変化せず・毎年
二三回荒川出水氾濫し本河原一帯浸水することあるも減水後地面の状況は大な
る変化なし。
場内の障碍物 着陸区域内の東方に凸凹あり。
適当なる離着陸方向 北北西又は南東。
着陸上注意すべき点 場内の東側及西側道路付近は不整地なり又降雨に際
しては場内処々に水溜りを生ずることあり・付近に護岸堤防の設けあるを以て
着陸の際注意を要す。

施設 格納庫1(高さ約8米、間口約7米、奥行約14米)、宿舎(高さ約
8米、間口約4米、奥行約14米)、事務室兼休息室(高さ約2米、間口約6米、
奥行約4米)、国旗掲揚柱兼吹流柱(高さ約13米)・場の略中央付近東より西
に向い地名標識「サイタマ1」(白色コンクリート文字板)と記名標示す。

其の他
本飛行場は昭和12年7月非公共用陸上飛行場として設置せられたるものにし
て埼玉県北足立郡志木町埼玉義勇飛行会(役場内)の経営なるも近く帝国飛行
協会に移管せられ諸施設の整備に努むる計画あり・設置期間は昭和12年2月
至同17年2月5箇年間となり・目下埼玉県中等学校総合「グライダー」練習
場にして格納庫内に滑空機3機あり・埼玉県当局は飛行場設置の際施設費とし
て金2,000円を補助せり・昭和13年6月所沢陸軍飛行連隊此地に於て演習を
行い飛行機本場に着陸せしも損傷なかりしと言う。
 

防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」

の中に「浦和飛行場」の地図がありました。

それによれば、現存する「宗岡第二号横提」の丁度上(先頭の航空写真A地点)に吹き流しが、

そして横提の下流側(B地点)に格納庫、宿舎、事務所兼休息所、炊事場がありました。

「横提」とは耳慣れない言葉ですが、川の流れに対して、通常とは異なり直角に築く堤防のことです。

この上に諸施設が建設されましたので、余程の洪水にならない限り、流されることはなかったはず。

沿革にもまとめましたが、

昭和12年に埼玉義勇飛行会の「埼玉第一飛行場」として設置許可、

後に帝国飛行協会に経営者変更となり、その後「浦和飛行場」に名称変更しました。

水路部作成の地図には、三日月型の河川敷内が飛行場として示されています。

そして河川敷内に特に「飛行適地」の線が引かれており、上のマップはその通りの線を引いてみました。

川の流れが変わってしまい、現在飛行場跡地はほとんど川底ですね。

飛行場の敷地は最大でも500m程度で、ここを拡張して首都北部の防空用飛行場とする構想があったのですが、

戦局の悪化により実現しませんでした。

志木市発行の資料、「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」の中で当飛行場のことが取り上げられており、

「秋ヶ瀬飛行場で細田学園生徒による勤労奉仕(昭和19年)」という写真と共に、

「現在の秋ヶ瀬取水堰近くに秋ヶ瀬飛行場があり、主に入隊前の訓練生がグライダーの訓練を行っていました。今も残されている荒川の横提を背に、格納庫などが作られ、その南側に飛行場が広がっていたといいます。」

と記されていました。

記事中にある通り、地元では「秋ヶ瀬飛行場」、「秋ヶ瀬浦和飛行場」とも呼ばれていたようです。

DSC_0019.jpg

右岸側から。

最初は飛行場敷地で現在も河川敷が残っている左岸から撮ろうと思ったのですが、

造成中でダンプが行き交っており、近づけませんでした。


     埼玉県・浦和(埼玉第一)飛行場跡地      

浦和(埼玉第一)飛行場 データ
設置管理者:埼玉義勇飛行会→帝国飛行協会
空港種別:非公共用
飛行場:600mx300m半円形地区
面 積:15.8ha
着陸場:400mx200m台形地区
所在地:埼玉県入間郡宗岡村荒川河川敷(現・埼玉県志木市宗岡、さいたま市桜区下大久保)
座 標:N139°36′14″E36°14′78″
標 高:3m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1937年04月 4屯ローラーで転圧整地し飛行場とする
    07月 30日 埼玉義勇飛行会の埼玉第一飛行場として逓信省より設置許可
1938年06月 所沢陸軍飛行連隊の演習で当飛行場に着陸
1939年03月 15日 財団法人帝国飛行協会に経営者変更
1940年01月 12日 浦和飛行場に名称変更

関連サイト:
首都圏における飛行場と都市計画(pdf) 
Wiki/浦和飛行場  
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この記事の資料:
「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」
防衛研究所収蔵資料:「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場 水路部」
防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」


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