So-net無料ブログ作成

山口県・大平山 [├場所]

  2013年4月 訪問 

D20_0129.jpg

山口県‎防府市にある「大平山」展望広場より。

ロープウェイがあり、山頂近くに広々とした駐車場も整備されています。

「山口県の航空史あれこれ」によりますと、1940年にここの山頂からグライダーか飛んでいます。

パイロット:堀川勲氏

午前11:20離陸

午後7:40着陸

滞空時間8時間20分(夜間飛行2時間33分含)

最高高度2,220m

当時は灯火管制が敷かれており、着陸時にはライトの点滅で合図し、それを見て着陸地点に明かりをつけたのだそうです。

本の中ではここからグライダーを飛ばすことが如何に困難であったかを強調していました。

 

実はここを飛行場の1つとしてカウントしてよいものかどうか随分悩みました。

「本格的なグライダーがここから飛んだ」という事実に変わりないのですが、

検索しても太平山からの飛行はこの一回きりだったようで、ここはカウントしないことにしました。

どこまで飛行場に含めるべきか、時々迷うことがあります。

資料を見つけることが出来なかったのですが、気になるのはその飛ばし方です。

ある程度の速度まで加速しなければならないわけですが、

当時の文献にしばしば登場するゴム索によるパチンコ方式なのでしょうか。

 

D20_0131.jpg

 

D20_0134.jpg

 

D20_0136.jpg

各種アンテナが林立しています。

小さな登山道を上ってみることに。

 

D20_0144.jpg

 

D20_0151.jpg

あと2.7mでスカイツリーと同じ高さですね。

そう考えるとスカイツリーって高いんだな~。

 

D20_0155.jpg

国土地理院様にはいつも大変お世話になっております。m(_ _)m

 

D20_0156.jpg

さっきまでいた展望台があんなに下に。

 

大平山:map  


      山口県・大平山      

大平山 データ

空港種別:滑空場
所在地:山口県‎防府市‎牟礼‎
座 標:N34°04′25″E131°37′47″
標 高:631m
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1940年12月8日 グライダー滑空

関連サイト:
国土地理院 1947年5月当時の写真(USA M318-2 25) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
ブログ内関連記事       


コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 8

ジョルノ飛曹長

おおっ! ここは空を飛んでいる高さですね。^^
次回も岩国で建築の案件がありそうなので、撮影に行く予定です。
私もここに行ってみようと思います。^^
by ジョルノ飛曹長 (2013-06-28 12:47) 

miffy

なぜ大平山?って思ってました。
グライダーが飛んだという記録があるのですね。
小学生の頃、遠足で行ったことがあります。
その頃はこんなに家がたくさんなくてずっと遠くまで見えたと思います。
by miffy (2013-06-28 23:15) 

an-kazu

つつじの時期は綺麗でしょうね!

上洗川ダムが気になる・・・
村山貯水池のようにアースダムが上下にあるようですが、
ググってもヒットせず(´ε`;)ウーン…
by an-kazu (2013-06-28 23:26) 

me-co

アンテナの下あたり・・・丁度良い斜面ですねぇ^^;
ワタクシであれば、グライダーではなく、違うものですねー間違いなく。
丁度ロープウェーはあるし、雪は降らないから足拭きマットを敷きつめて、と・・・どうかなぁ?(<アホ)
by me-co (2013-06-29 00:01) 

鹿児島のこういち

燈火管制されていたのなら、その時設備があったということですよね。終戦直後飛行場を造っても飛行機が飛ばないってところもあったわけだから、確かにカウントするかどうか悩みますね。
by 鹿児島のこういち (2013-06-29 08:12) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■ジョルノ飛曹長さん
確かに飛んでいる高さですね^^
ジョルノ飛曹長さんがどんな撮り方をされるのか、勉強させて頂きます。

■miffyさん
おお、遠足で行きましたか!
確かにそういう場所ですよね^^
平日にお邪魔したのですが、屋台のおぢさんがヒマそうにしてました。

■an-kazuさん
流石目の付け所が違いますね~(o ̄∇ ̄o)

■me-coさん
その発想はなかったです。
やっぱり同じ場所でも人によって見え方は千差万別ですね~^^

■鹿児島のこういちさん
本当にいろんな"飛行場"があってアタマを悩ませますね~^^;
by とり (2013-07-01 06:25) 

アギラ

うーくいの日にまた失礼します。
飛行場のところを中心に拝見していましたのでここは気が付きませんでした。
ですが「大平山」は記憶にありました。
それは「滑翔の灯 滑空史保存協会」さんのところで拝見したからです。
http://www.vsha.jp/page17.php
そこには
★昭和15年「11月29日から12月9日まで」山陽帆走飛行クラブでは防府市外の大平山でソアリングの練習をした。この間12月1日、同クラブの指導者、一級滑空士、平松時善氏は旭航式峯風1型ソアラーで大平山(標高630m)からスタートし、12m/秒の強風中を4時間14分の滞空をし、続いて12月8日、同クラブの堀川勲二級滑空士が同じく峯風1型ソアラーに乗り、午前11時20分、12m/秒の北西風をついて離陸し、烈しい寒さと戦いつつ午後7時40分まで8時間20分飛びつづけ、最高々度2,000mまで上昇した。終りの1時間半は完全な夜間飛行で、地上の焚火を頼りにして飛んだ。これは日本での夜間ソアリングの新記録であった。、、、、、(後略)
ご存知かもしれませんが、これ以外にもグライダーの興味深い事柄や場所が多く出てきますのでを少し抜き出してみました。
★明治42年(1909)複葉グライダーを作り、12月26日に「上野不忍池端」で自動車曳航で試飛行をした。ル中尉が乗って約20m滑空し、続いて相原大尉が乗り出発したが、離陸直後、Y索の片側が切れて池の中に飛び込み機体を壊した。これが日本でグライダーが作られて、とにかくジャンプした最初であった。
★明治43年(1910)伊賀氏広男爵は自作の単葉グライダーで、自動車曳航で1米の高度を約15m飛んだとのことである「東京板橋競馬場」
★大正5年(1916)「仙台」の田中省己氏は自作の単葉グライダーで何回か滑空を試みたようである。
★小野氏は進藤鈔氏などの協力のもとに1台のプライマリー機を作り昭和3年(1928)大阪「木津川尻飛行場」で乾将顕飛行士が試飛行。(飛行場名に尻が付いていたので抜き出しました)
★昭和15年(1940)2月17、8日、結氷1尺の「諏訪湖上」で、上諏訪グライダー研究会の氷上練習が、プラ1、セコ1機を使って行われた。昨年もここで同じ催しがあり、それが日本で初めての氷上グライダー練習だった。
★昭和15年10月2日、(駒鳥型プライマリー完成)福岡市の前田航研工業KKに依頼して試作中だったが、この程完成したので10月2日、福岡市外の「香椎滑空場」で公式テストを行った。ところ、好成績を示し関係者一同を喜ばした。本機の設計製作に大変尽力した航空局の駒林榮太郎航空官にちなんで「駒鳥型」と名をつけた。本機の模型風洞実験は航空試験所で行い、性能、構造の諸計算は九大の佐藤博教授が行った。
★昭和15年3月20日から4月20日まで、1ヵ月間、飛行協会は、「東京深川飛行場」の同協会格納庫で、グライダー製作講習会を開いた。受講者は、各地方から集まった14名の二級滑空士で、プライマリーの製作、修理、管理の技術を講習した。
★昭和15年3月30日、飛行協会では、ドイツから購入したオリンピア・マイゼの初飛行を「東京洲崎の深川飛行場」で、関係者を招いて行った。
★昭和15年8月10日から15日まで6日間、「冨士宝永山」(2600m)をスタート点としオリンピア機によって日本最初の距離競技を行う
★昭和15年8月27日、「豊橋市外高師原」で滑空訓練をしていた愛知県の西尾中学の先生は自動車曳航中、索が離脱しなかったため墜落死亡した。
(また長くなってしまいました。 尚、文章内の「」は私が付けました。)
by アギラ (2014-08-10 13:35) 

とり

■アギラさん
情報の抽出、感謝ですm(_ _)m
戦前から盛んにグライダーを飛ばしていたことがわかりますね。
以前お邪魔した滑空場で責任者の方が、
「戦前の日本はグライダー先進国だったんだけどねぇ…」
と非常に残念そうに仰っていたことがありました。
最後の項目、こんな痛ましい事故があるのですね。
by とり (2014-08-10 20:18) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0