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群馬県・中島知久平邸 [├場所]

  2016年4月 訪問 

中島邸には2009年6月に一度お邪魔して無人の邸宅を外から眺めた のですが、

2014年6月に「太田市中島知久平邸地域交流センター」として建物の一部が公開されたため、

今回お邪魔したのでした。

内部、外部共に撮影OKでした。

 

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瓦の破片がたくさん引っ掛かっていたのですが、キレイになってました。

 

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現在入ることができるのは、玄関入ってすぐの広間と、それに続く応接間1、応接間2です。

 

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邸内から尾島飛行場方向。

飛行場は利根川河川敷内にあり、土手の向こう側なので滑走路を目視することはできないのですが、

格納庫、事務所等飛行場建物は土手のこちら側にあり(ここから620m先)、

飛び交うヒコーキは無論のこと、土手を越えて滑走路~格納庫間を行き交うヒコーキはここから見えたはずです。

 

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客間、次の間、両親居間、仏間は屋外から見学できるようになっています。

 

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      群馬県・中島知久平邸     

中島知久平邸 データ

所在地:群馬県太田市押切町1417
利用時間:9時~17時(入場は16:30まで)
休館日:月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)
      年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:無料

沿革
1926年 設計図案、平面図作成
1929年 10月12日 地鎮祭
1930年 4月17日 主屋上棟
1931年 4月29日 正門上棟式
1946年 2月25日 GHQが将校クラブとして接収。知久平の妹ら6月頃まで居住
1947年 9月15日 カスリン台風による床上浸水
1952年 サンフランシスコ条約調印後、日本政府が借り上げ米軍に提供
1953年 6月 米軍から返還。その後1年程空き家に
1954年 進駐軍家族に賃貸(当初は5家族、最後は1家族)
1958年 春ごろ空き家に
1968年 知久平の妹ら入居
1999年 6月 空き家に
2009年 3月 土地買収、建物寄付により、太田市の所有物となる
       5月20日 太田市重要文化財指定
2014年 6月14日 太田市中島知久平邸地域交流センターオープン

関連サイト:
太田市公式サイト    
太田市/中島知久平邸   
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