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鹿児島県・笠野原飛行場の川東掩体壕 [├場所]

  2016年5月 訪問 

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1947年1月当時の写真(USA M11 78) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



鹿児島県鹿屋市にある「鹿児島県・笠野原飛行場の川東掩体壕」。

 

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2016年6月現在のグーグルマップでは掩体壕周辺は未舗装なのですが、

現地はキレイに舗装され、駐車場、案内板があります。

グーグルマップの画像取得日は2014年11月15日なので、比較的最近整備したようです。

沿革に記しましたが、2015年6月に鹿屋市文化遺産指定されていますので、もしかしたらこの頃整備したのかもしれません。

案内板:笠野原基地について(全文)笠野原飛行場は、40haの敷地が農家から借り上げられ、在郷軍人や青年たちの奉仕作業により、大正11年(1922年)大刀洗陸軍飛行場(福岡県)の離着陸用の民間飛行場として誕生しました。その後、格納庫・整備工場・兵舎などの施設が増築され、敷地は120haまで拡張されました。真珠湾攻撃に参加した第2航空戦隊艦爆撃隊も、この飛行場を使用していたとされています。昭和20年(1945年)1月時点では零戦72機が配置されていましたが、同年3月18日以降に行われた米軍の集中爆撃により、格納庫をはじめとする基地施設が壊滅的な被害を受けました。東西・南北の滑走路を含めた基地施設は、終戦後に払い下げられたため、現在は農地や住宅地となっています。

掩体壕について(全文)掩体壕とは、戦時中に航空機や物資などを敵の攻撃や爆風から護るために作られた施設です。土をコの字型に盛ったもの(無蓋掩体壕)からコンクリート製のもの(有蓋掩体壕)まで、たくさんの掩体壕が基地周辺に建設されました。この掩体壕づくりには大人から子どもまで多くの人々が動員されました。この川東掩体壕は、笠野原基地で使用されていたもので唯一現存するものです。この中には零式艦上戦闘機(零戦)が入れられていたと言われています。戦時中の鉄筋不足を補うためか、アーチ状のコンクリートには玉石が混ぜられています。戦争の記憶を後世に伝える貴重な遺跡です。

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1947年1月当時の写真(USA M11 78) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

赤の矢印が現存する川東掩体壕なのですが、それ以外にも無蓋、有蓋らしきものがたくさん見えますね。

 

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      鹿児島県・笠野原飛行場の川東掩体壕     

笠野原飛行場の川東掩体壕 データ

所在地:鹿児島県鹿屋市川東町8206-1
座 標:N31°22′20″E130°53′28″
標 高:37m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
2015年6月26日 鹿屋市文化遺産指定

関連サイト:
文化遺産オンライン/海軍航空隊笠野原基地跡の川東掩体壕    
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コメント 2

an-kazu

撮影時間帯のおかげで、物悲しさを感じますね〜

掩体壕の戦争末期クオリティは、
全国ほぼ似たようなレベルなのも
泣けてきます(泣)


by an-kazu (2016-07-11 21:47) 

とり

■an-kazuさん
確かに物悲しい感じしますね~。
今回の九州旅行では、掩体壕をたくさん見てきました。
この後もボロボロな掩体壕が続々登場します。
by とり (2016-07-12 04:44) 

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