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厚木(銀紙)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2014年6月訪問 2019/2/19更新  

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「厚木飛行場」といってもあの飛行場ではなく、

同じ神奈川県‎厚木市でも相模川右岸河川敷にあった「厚木(銀紙)飛行場」。

昭和9年10月に設立された民間の「大日本義勇飛行会」が、

全国の子供たちに呼びかけて集めた資金を基に作られた飛行場でした。

子供たちはタバコの内装に使用していた銀紙1万4千貫を集めて資金を作りました。

また、厚木市の芸者さんたちをはじめ、旅館や料理屋さんも協力し、

自分たちやお客さんのタバコの銀紙や練り歯磨きのチューブを集めたのだそうです。

こうしたことから、ここは「銀紙飛行場」とも呼ばれました。

集められた資金で軍や新聞社から「小学生義勇号」・「羽衣号」と名づけられた複葉機3機を購入したのでした。

3万の観衆と県下有力者、飛行関係者等2千の来賓により華々しく飛行場落成式が行われたのですが、

河川敷にあったため度重なる水害により飛行場はやがて使用不能となったそうで、今ではその面影は残っていません。

水路部発行の 「S14.10 航空路資料 第3 其の3 関東地方飛行場及不時着陸場」に当飛行場が出ており、

この資料を米軍が英訳したものがアジ歴で閲覧できます(下記リンク参照)。

上図も米軍資料内の地図を参考に作図したもので、・B地点にはハンガーとウインドソックスが書き込まれています。

資料の中の極一部ですが、オイラのアヤシイ訳でかいつまんでご紹介します。

着陸場の記述
標高:20m
大きさと形:この滑空場は長さ600m、幅80m~150mの区画であり、その中で着陸可能なのは、おおよそ長方形の長さ430m、最大幅100mの範囲である
・滑走路面:砂質土に砂利が混ざっている
・地勢:滑空場は相模川右岸流域の一部にある。金田新河原と呼ばれており、主流の相模川と中津川で形成された三角州に位置している。滑空場の表面は区画の東側を流れる相模川の氾濫でおそらく変えられている。格納庫の前は砂地であり、やや柔らかい。

この滑空場は大日本義勇飛行会により運営され、地元では厚木飛行場と呼ばれている。1934年10月に開設、1935年5月から中学生の滑空訓練に使用された。現時点で35人の訓練生がいる。川の流れは常に変わり、相模川が氾濫すると、敷地は使用不能になる。1938年1月、1機の海軍機が当飛行場にて緊急着陸を成功させたと報告している。

 

アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、厚木中學校グライダー部が、神奈川縣愛甲郡依知村金田新河原で滑空していたという記録があります。滑空場名は記されていないものの、当滑空場のことではないかと思います。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m
 

D20_0054.jpg

・A地点。

現在は草ぼーぼー。

 

神奈川県・厚木(銀紙)飛行場跡地厚木滑空場跡地 map   


      神奈川県・厚木(銀紙)飛行場跡地     

厚木(銀紙)飛行場 データ

設置管理者:大日本義勇飛行会
空港種別:滑空場
所在地:神奈川県‎厚木市‎金田‎
座 標:N35°27′10″E139°22′16″
標 高:20m
飛行場:600mx80-150m
着陸帯:430m×100m
方 位:04/22
(座標、方位はグーグルアースより)

沿革
1934年10月 飛行場落成式

関連サイト:
まちかどレポート歴史・民俗編-厚木市 (PDF:3340KB)
米軍資料(39-45)    
国土地理院 1946年3月当時の写真(USA M68-A-6-1 26) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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