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北楢岡飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  



1913a.png 1929.png
左:測量年 1913(大2) 61-12-1 大曲 おおまがり 
右:測量年 1929(昭4) 61-12-3 大曲 おおまがり 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成。2枚とも)

秋田県大仙市にあった「北楢岡飛行場」。

郷土の英雄、佐藤章氏縁の「六郷飛行場」の北西約19kmに位置しており、

佐藤氏が郷土訪問飛行を行った翌年の大正9年に陸軍の演習が行われた際、

ここに臨時飛行場を造ったのだそうです。

この情報は、美郷町民さんから頂きましたm(_ _)m

美郷町民さん、どうもありがとうございました

現在、神岡野球場の前に「北楢岡飛行場跡」の標柱が立っています(グーグルマップ青マーカー)。





「北楢岡飛行場跡」標柱:写真はこちらから利用させて頂きました 


上に2枚の地図を並べましたが、左が飛行場建設の7年前、右が飛行場建設の9年後。

印は、標柱の位置です。

【使用前】【使用後】で、標柱の周辺は大きく変わってないですね。

ちょうど標柱の位置に大きめの道路が斜めに走っていますが、

そのどちら側も飛行には支障なさそうに見えます(つまりドッチが飛行場が分からない)。

では、この道路のどちら側に飛行場があったのか。ですが、

残念ながら現在のところこれ以上の情報がなく、不明です。


地図で見ると、標柱から南東方向に広大な土地が広がっているため、

飛行場はこっち方向(現在の野球場側)にあったのだろうか。と思ってしまうのですが、

現地に建つ標柱は球場敷地ではなく、球場向いにある畑側にあり、

「北楢岡飛行場跡」と大きく記してある面を正面に見て立つと(未だ行ってないけど)、

野球場に背を向ける恰好になり、目の前には広々とした畑が広がります。

(ストリートビューでも標柱とその周辺見れます)

当時の地図上でも、標柱は道路の北西側にあります。


この標柱を建てた方がそいうい意図を持っておられたのかどうかは知る由もないのですが、

このことからすると、飛行場はX印の北西方向(野球場じゃなく畑側)だったのかもしれません。

X印の北西方向の地割は、野球場側と比べて狭いんですが、

狭いといっても500m四方のスペースは余裕であり、飛行場として使用するには充分だったかと。

果たしてドッチだったんでしょうか。。。




     秋田県・北楢岡飛行場跡地         


北楢岡飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍?
種 別:陸上飛行場
所在地:秋田県大仙市北楢岡向堀野
座 標:N39°29′49″E140°23′33″
標 高:17.2m
(座標、標高は国土地理院から)

沿革
1920年 陸軍演習のため臨時飛行場建設

関連サイト:
ふるさと!-秋田仙北平野を歩く- 
佐藤章飛行士発着地 
六郷飛行場跡地 

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室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問) 2019/6/22更新  



無題0.png
撮影年月日1944/10/22(91Q32 C8 124) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「北海道室蘭市に戦前戦中あった飛行場」といえばそのスジの方は、

室蘭環状線(道道107号線)の西側に現在も地割が残っている1,000m超の「室蘭飛行場(八丁平飛行場)」

を思い浮かべると思いますが、先頭のグーグルマップ、航空写真をご覧の通り、

当記事の主役は、その「八丁平飛行場」ではありません。

当記事の主役は、室蘭環状線(道道107号線)をはさんで八丁平飛行場の向い側にあった

「室蘭市(室蘭市知利別)飛行場」です。


防衛研究所収蔵資料:「航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場」水路部 の中に、

「室蘭市飛行場」の資料と地図があり、先頭のグーグルマップはそこから作図しました。

この資料は昭和15年8月調べのもので、資料にも地図にも「室蘭市飛行場」と大書きされていて、

室蘭市に複数の飛行場があったなどとは思いもしなかったオイラは、

当然、件の「八丁平飛行場」を扱ったものなんだろうと思っていたんですが、全くの別物でしたΣ(゚Д゚;)

改めてググってみたんですが、「八丁平飛行場」についてはたくさんのサイトがある一方で、

室蘭に八丁平以外の飛行場があったことを匂わせる情報は、現在のところネット上では見つかっておりません。

(地元の長老の方々にとっては言わずもがなでしょうけれども)

同資料ではこの小さな飛行場の名称を「室蘭市飛行場」、若しくは「室蘭市知利別飛行場」と記しています。

それで区別し易くするため、当ブログでは便宜上、

有名な八丁平の長い方の飛行場を「八丁平(はっちょうだいら)飛行場」、

この記事の主役である小さい方を「知利別(ちりべつ)飛行場」、

として以下話を進めさせて頂きます。


昭和15年の地図でも、そして上に貼った昭和19年の航空写真でも、

「知利別飛行場」の辺りは現在の「室蘭環状線」(道道107号線)とピッタリ同じ位置を南北方向に走る道路があります。

そして昭和15年の地図ではこの道路から丁字路で東側に分岐し、

滑走路北端に繋がるアクセス道路っぽいものが描かれていました。

これらの道路を先頭のグーグルマップに黄色線で示してあります。

上に貼った航空写真(昭和19年撮影)には、

地図で知利別飛行場が示されている辺りに、いかにも「飛行場がありました」という白っぽい地割が映ってます。

が、ドコからドコまで飛行場だったのか、境界がハッキリしません。

実は当飛行場敷地の東側は高低差数十メートルの崖が迫っています。

それで、崖とは逆方向(西側)に向かって、それからアクセス道路っぽいものから南に向かって、

資料通り300mx100mの線を引いています。

基準点がアバウトなので、作図もおおよそこんな感じという程度のものですのでご了承くださいませ。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

室蘭市飛行場(昭和15年8月調)
室蘭市知利別町(東室蘭駅の北方約3粁)
所管 室蘭市役所。
着陸場の状況
高さ 平均水面上約155米。
広さ及形状 本飛行場は東室蘭駅の北方約3粁、標高約155米の台地にし
て着陸地域は概ね図示の長さ南北約300米、幅東西約100米の短形地区(3萬
平方米)なり(付図参照)。
地表の土質 褐色壌土。
地面の状況 本場は森林地帯を伐採し開墾整地せしものにして起伏なき殆
ど平坦なる禿地なり・着陸区域は概して堅硬地なるも南東部に稍軟弱なる箇所
あり、南方に向い緩除なる下り勾配を成す・高台なるを以て排水良好なるも降
雨続きの際は地面軟化し盛上り気味なり・冬季結霜期及雪解の際は泥濘甚し・
夏季炎天続きの際は地面に亀裂を生ずることあり。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし。
着陸上注意すべき点 着陸場は地域狭小にして且周囲に山稜を控うるを以
て離着陸の際注意を要す。

周囲の状況
山岳及丘陵 本場の外周一帯は高丘起伏連互し地表一般に不齊なり・北方
約1粁に天神山(215)、其の北方約3粁に(三角点記号)462高地及北東方5粁に(三角点記号)750高
地あり、750高地の西方約2.5粁室蘭市と札幌郡との境界に火山岩より成る鷲
別嶽(911)は最も顕著なり。
適当なる離着陸方向 北西-南東。
樹林 本場付近一帯は濶葉樹林にして四季を通じ繁茂す、高さ約6米なり。
水源地 場の東方約500米に日本製鉄株式会社水源池あり。
河川 場の東方約400米及西方約100米に小流あり

其の他
本飛行場は室蘭市知利別飛行場と呼称せらるるも飛行場と認めらるる程度のも
のに非ずして其の位置山稜高地に在りて地域狭小単なる不時着陸場に過ぎざる
を以て使用上特に注意を要す・本場は周囲との交通不便にして且拡張の余裕な
き為将来計画としては他に適当なる地域を選定する方針なりと言う。

「其の他」の項目は結びとして、

「拡張の余裕なき為将来計画としては他に適当なる地域を選定する方針なりと言う。」

とあります。

当飛行場の資料が作成された昭和15年8月の段階では、

「ここ狭いからもっと適当な場所にしよう」という方針だけ決まっているという状態だったんですね。
 

…と、ここまでが昭和15年調べの水路部資料を元にした「知利別飛行場」についての情報です。

前述の通り、ネット検索すると「八丁平飛行場」についての記事はかなり多いのですが、

実はコピペしたかのように同じ内容がとても多く(オイラも人のこと言えないけど)、

そして上記水路部資料とは、ちょっと食い違う点があります。

混乱を避けるため、ここまでネット情報は意図的に除外したのですが、

ここからは、水路部資料とネット情報の食い違いについて書いてみます。


ネット上に出てくる「八丁平飛行場」についての説明は-

昭和10年3月18日、室蘭市議会にて「市営飛行場」の建設提案を可決
同年7月1日、着工。場所は八丁平の市有牧場内
同年9月30日、「市営飛行場」完成。300mx11.5m
昭和18年 陸軍が拡張工事。550mx20m
最終的に滑走路の延長は1,300mに達した

文脈からすると、

「昭和10年に建設した小さな市営の飛行場が、終戦時にはこんなに大きな陸軍飛行場になりました」

という感じ。

サイトによっては、「八丁平飛行場」の航空写真が添付されているものもあり、

どの写真も、1,000m超級まで拡張された滑走路を南西側から撮った同一のものです。

総務省のサイトによりますと、この写真は、「丸」昭和52年12月特大号より。と説明がありました。

(滑走路表面、周辺の様子からすると、1944~1947年の間に撮ったっぽい)



一方水路部資料の説明は-

「昭和15年現在、知利別町に市営飛行場がある。もっと広い場所探して移る予定」

だいたいこんな感じ。

そしてネット情報と水路部情報を額面通りに受け取ると、不自然と思われる点が多々出てきます。


1.「八丁平飛行場」の項目がない

水路部資料は、「北海道地方飛行場及不時着陸場」と題する冊子本になっていて、

この当時道内にあった地方飛行場と不時着陸場を、

1ヵ所につき数ページを割いて詳細な情報と付図を付けて取り上げる形式です。

上に引用したのは、当「知利別飛行場」の項目に記された情報のホンの一部であり、

実際はこの数倍のボリュームがあります(周辺の地勢、気象に関するデータ等が凄い)。

そしてこの冊子本には、「八丁平飛行場」についての項目はありません。

昭和15年当時、室蘭市に2つの市営飛行場があったとしたら、

知利別だけ取り上げ、お隣八丁平は取り上げていないのはヘンです。


2.「知利別飛行場」の項目にも一切出てこない

ネット情報によれば、「八丁平飛行場」が完成したのは昭和10年。

水路部の資料に「知利別飛行所」が取り上げられたのは昭和15年。

つまり昭和15年の時点では、室蘭市営の飛行場が2つあったことになります。

水路部資料では、近隣にある飛行場について触れることがしばしばあります。

なのに、最短で300m先にあったはずの同じ市営飛行場については一切触れられていません。

また、同資料「知利別飛行場」の付図には、「知利別飛行場」が真ん中に描かれていて、

1,000m超級の「八丁平飛行場」滑走路の北側約1/3に相当する範囲まで含んでいるんですが、

そこに滑走路や飛行場を匂わせるものは影も形もなく、

南北方向に走る真っ直ぐな道路の他は、「荒地」と「樹木(に似ている)」の地図記号の表示のみです。

まあこれは、もしかしたら付図では見切れている南西側2/3の部分に、まだ短い頃の「八丁平飛行場」があった。

とも考えられるんですが、同付図には、室蘭市のほぼ全域を含む「一般図」もワイプで加えられており、

ここにも「知利別飛行場」しか描かれていません。

5年前に完成していたはずの八丁平飛行場のことが水路部資料に一切出てこないのはなぜでしょう?


3.そもそも2つ必要?

ネット情報によれば「八丁平飛行場」は、

東京~札幌間の定期航空路の要衝にあるため開設されたものの、

地ならしをしただけの簡易なもので、1機も飛ぶことなく昭和18年の拡張工事に至った。

とあります。

使用実績が皆無の市営飛行場を同時期に2つ造る理由って何でしょうか。

今なら「税金の無駄遣い!」とか騒がれそうな気がするんですが。。。


このように、水路部資料とネット情報を突き合わせると、なんとも不自然な感じになってしまいます。

この2つの情報を無理やり両立させようとすると、こんな感じになると思います。

昭和10年 室蘭市は八丁平(のできるだけ南東側)に市営飛行場建設
昭和15年 この年までに室蘭市は知利別町に2つ目の市営飛行場建設済み。知利別の方は将来移転を計画
昭和16年 水路部資料刊行。知利別飛行場のみ取りあげられる。
      八丁平飛行場はうんと南東側にあるため付図の範囲にかからず、資料内でもなぜか一切触れられない
昭和18年 陸軍が八丁平飛行場の拡張工事。550mx20m
最終的に八丁平の滑走路の延長は1300mに達した
知利別飛行場は結局そのまま?


ネット情報だけなら、「昭和10年建設の八丁平飛行場が終戦までに拡張された」と、

非常にスッキリ収まるんですが、ここに水路部の情報が入った途端、

こんなギクシャクした話になってしまいます。

では、水路部資料の信ぴょう性ってどうなんでしょうか。


1.改変の必要がない

水路部資料は、海軍が海軍のために作ったマル秘情報であり、外部にこの情報が漏れたりしませんから、

戦時改描等、おかしな改変をする必要がありません。


2.間違った情報だと身内が困る

民間のこんなに小さな飛行場までわざわざ取り上げて詳細な情報を海軍資料に載せるのは、

海軍機が被弾、故障等で緊急着陸の必要が生じた際の不時着地を事前に把握するためである他、

新規航空基地建設/接収のための場所選定の際、貴重な基礎資料とすることが考えられます。

水路部資料に取り上げられる飛行場資料には、前述の通り必ず地勢、過去10年間の風向風速、

天候の非常に詳細なデータが含まれます。

これらは飛行場建設の際、必要不可欠なものです。

「出向先の様子を事前に把握するため、早速水路部に向かった」。的な海軍軍人の手記もあります。

先程、「外部に漏れる心配がないから戦時改描の必要がない」と書きましたが、

こうした使い方を考えると、「改変の必要がない」どころか、

おかしな改変をしたら、間違った情報を元に各種作戦が実施されることになり、大変なことになってしまいます。

身内のための重要な情報源におかしな改変など、あり得ないはずです。


3.個人の感想

これまで水路部資料を8冊程記事化させていただいたのですが、地図に多少のズレはあるものの、

あるはずの飛行場を無いことにしたり、無いはずの飛行場を在るとしたり的な、

根本的な誤りは、オイラの知る限りただの一度もありませんでした。


ということで、ネット上では「知利別飛行場」に関する情報が皆無なのですが、

それでもオイラとしては、水路部資料を疑う気にはなれません。


少々蛇足になってしまうんですが、室蘭港は天然の良港で、古くから軍艦や海軍飛行艇の出入りがあり、

日鋼、日鉄等の超々重要施設もあることから、防空重要都市に指定されており、

陸海軍の高射砲、高角砲等防空陣地が市内各所に作られました。

そして、小規模な市営飛行場が、末期には結構な規模の陸軍飛行場に拡張されました。

そんな重要拠点にあって、水路部資料が作成された昭和15年当時、

八丁平は将来拡張可能な市営飛行場、片や知利別は拡張の余地なしとして移転先を探している市営飛行場。

当時は着陸場の広さとしては大差ないとしても、知利別は滑走路ギリギリに崖が迫っており、不時着するとしたら、

八丁平の方がまだマシなはず。

将来航空基地建設の候補地を選定するとしても、適地はどちらか明らかです。

もしネット情報にある通り、昭和15年当時八丁平に市営飛行場があったとしたら、

水路部資料で八丁平が完全にスルーされるというのがオイラにはどうしても解せません。


ということで、以下水路部資料を全面的に信用しているオイラの仮説です。

昭和10年 室蘭市は八丁平ではなく、知利別町に市営飛行場建設
昭和15年 この時点で室蘭市には、まだ知利別飛行場しか存在しない。移転計画あり
昭和16年 水路部資料刊行。室蘭市唯一の知利別飛行場のみ取りあげられる
昭和18年 この頃までに室蘭市は市営飛行場を知利別から八丁平に移転していた
      陸軍が八丁平飛行場の拡張工事。550mx20m
最終的に八丁平の滑走路の延長は1300mに達した

こんな感じ。

前述の通り、ネット情報では、昭和10年に市営の「八丁平飛行場」が建設され、

これが終戦までに1,000m超級の陸軍飛行場に拡張された。

という内容で統一されています。

オイラ個人としましては、この定説を否定してしまう形になるんですが、

こちらの方が自然なのではないかと。

オイラの壮大な勘違いである可能性もあるんですが、

拙記事がきっかけで室蘭の飛行場の情報が一つでも明らかになれば、

こうして妄想を晒すカイがあるというものです(o ̄∇ ̄o)フフ


繰り返しになりますが、ネット情報を時系列で並べるとこんな感じ。

昭和10年3月 室蘭市議会、「市営飛行場」建設を可決
 同年7月 着工
 同年9月 完成(300mx11.5m)
昭和18年 陸軍転用工事開始
昭和19年 9月完成

オイラはこれまで、「室蘭市に飛行場は1つしかなかった」と思い込んでいたため、

昭和10年の情報も含めて、全て「八丁平飛行場」のことを扱っているのだと考えていました。

しかし前述の通り、昭和15年の時点で「八丁平飛行場」は未だ存在せず、「知利別飛行場」しかなかったとすると、

この「市営飛行場の建設可決→着工→完成」という昭和10年の一連の出来事は、

「八丁平飛行場」ではなく、「知利別飛行場」について書いていることになります。


ちょっと気になるのが滑走路のサイズで、

ネット情報と水路部の資料とで幅の数字が異なっているんですが、

昭和10年に300mx11.5mで完成後、昭和15年までに300mx100mに拡幅工事を行った。

ということかもしれません。
 

ネット情報では続けて「昭和18年 陸軍転用工事開始 昭和19年9月完成」とあります。

上に貼った航空写真は昭和19年10月に撮影されたものなので、

「八丁平飛行場の陸軍転用工事」完成の翌月に撮られたものなんですね。

出来たてほやほやの「陸軍・八丁平飛行場」と、「市営・知利別飛行場」の地割が仲良く並んで映っています。

陸軍の「八丁平飛行場」と、市営の「知利別飛行場」。

移転後の知利別飛行場はどうなったんでしょうか。

「八丁平飛行場」は陸軍の飛行場になりましたから、知利別は改めて市の運用が続いたんでしょうか。

もしかしたら、移転後はすぐ廃止となったせいで、ネットではこんなに忘れられた存在になったのかも。


当記事を作るにあたり、どんなにググっても、「知利別飛行場」のちの字も出てこないため、

地元室蘭市の図書館に「知利別飛行場について何か情報がないでしょうか」と問い合わせをしたところ、

恐縮してしまうほどあちこち調査をしてくださったのですが、

「知利別に市営飛行場があったことを示す正式な資料はありません」。とのご回答でした。


ただし地元の古老の方の回想として、

「知利別212に飛行場があった」という情報と、手書きの地図が残っているとのことでした。

この「知利別212」は現在の天神町17-11(先頭のグーグルマップ赤マーカー)に当り、

「当地は栗林商会が経営する栗林農場があった場所」とのことでした。

知利別212(現・天神町17-11)は水路部の付図に描かれている飛行場の位置とは大分離れてしまうのですが、

「知利別212 という位置情報が絶対確実なものかどうかについては確認がとれない」とのことでした。

(実は室蘭市の第三の飛行場だったりして)

問合せの結果、情報が個人の回想という形で、しかも位置が微妙に違うんですが、

「知利別に飛行場があった」とする情報がかろうじて残っていることが分かりました。

室蘭市立図書館様、その節は大変お世話になりました。ありがとうございましたm(_ _)m


結論として、

・水路部付図の示す位置、そして資料通りの大きさの地割が当時の航空写真で確認できる
・地元図書館でも僅かながら記録が残っている

以上の点から、「知利別飛行場」は確かにあったのだと思います。



無題.png
測量年 1969(昭44)(5000 11-QF-05 11) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

余談:八丁平のナゾ

「八丁平飛行場」があった周辺、そして「知利別飛行場」があった場所も含め、

現在は広く「室蘭市八丁平」なんですが、

水路部の昭和15年の付図には、「知利別飛行場」のあった場所は「知利別町」と記されています。

室蘭市知利別町にあった飛行場ですから、「知利別飛行場」。

一方、「八丁平飛行場」のあった場所は同付図では「高平町」とあります。

上に貼ったのは、終戦から24年後の「八丁平飛行場跡地」周辺図。

飛行場の地割がハッキリ残り、一部自動車学校になっています。

この地図に「八丁平」という地名は見当たらず、飛行場跡地は赤矢印の通り、「高平町」になってます。

八丁平ドコいった??

という感じなんですが、

「八丁平」という地名、「八丁平飛行場」という名称は、昭和30年発行の室蘭市史にも普通に出ていました。

当時の「八丁平」とは、厳密な住所ではなく、広くこの地域を指す名称的なものなんでしょうか??




     北海道・室蘭市(室蘭市知利別)飛行場跡地         


室蘭市(室蘭市知利別)飛行場 データ
所 轄:室蘭市
種 別:陸上飛行場(不時着陸場)
所在地:北海道室蘭市知利別町(現・室蘭市八丁平3丁目)
座 標:N42°22′20″E141°01′08″
標 高:155m
滑走路:300mx100m
方 位:15/33
(座標、方位はグーグルアースから)

沿 革
1935年03月 18日 室蘭市議会、「市営飛行場」建設を可決?
1935年07月 1日 市営飛行場(知利別飛行場)として着工?
1935年09月 30日 完成(300mx11.5m)?
1940年08月 水路部資料では「知利別300mx100m」とあり。拡幅工事したのかも
(1943年 陸軍転用工事開始)

関連サイト:
総務省/1-2,3室蘭飛行場   
室蘭(八丁平)飛行場跡地 


この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場
新編室蘭市史 昭和30年発行
新室蘭市史第四巻 昭和62年発行


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弟子屈不時着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  



無題6.png
撮影年月日1947/10/31(USA M643-1 95)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

北海道川上郡弟子屈町には、1955年~2009年まで「弟子屈飛行場」がありましたが、

その「弟子屈飛行場」の北約3.6kmに1940年当時、「弟子屈不時着陸場」がありました。

防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部

の中に当不時着陸場の付図があり、先頭のグーグルマップは、そこから作図しました。

上に貼った航空写真、ほぼ正方形の地割を白矢印で囲ってありますが、

付図でも同じ地割があり、この正方形の中に、

ちょっと東側の辺が斜めになってる「着陸可能地区」が描かれていました。

同資料から以下引用させて頂きます。


弟子屈不時着陸場(昭和15年8月調)
川上郡弟子屈村大字屈斜路村字美留和原野(弟子屈駅の北方約3.5粁)

所管 弟子屈村役場
着陸場の状況

高さ 平均水面上約120米。
広さ及形状 着陸可能区域は美留和原野の南方釧路川の左岸に沿う図示の
如き長さ北西-南東約450米、幅北東-南西約400米の四辺形地区なり(付図
参照)。
地表の土質 礫土にして火山灰を含む。
地面の状況 着陸地域及其の隣接地区一帯の地表は火山灰にして北部の一
部は耕地なるも殆んど全部に牧草密生す・北西部に稍傾斜あるも概ね凸凹起伏
なき平坦且堅硬地なり・排水は傾斜地なるを以て良好なり・夏季炎天続きの際
も冬季霜解の時にも地面の状況には変化なしと言う。
場内の障碍物 着陸区域内にはなし・北側の電信線は障碍物となる。

周囲の状況
一般 本場は千島山脈南方斜面の高原地を流るる釧路川右岸に位し、周囲
概ね平坦なるも其の外方約4粁付近より丘陵性台地を成し急に隆起して東、西、
北の3面は恰も屏風を建て回したる如く峻嶺相連る。
山岳及丘陵 其の主なる山岳を列記すれば次の如し、北西方約20粁北見
の国境に「サマッケヌプリ」岳(974)あり、夫より右回りに順次「コトニヌ
プリ」岳(950)、「サマッカヌツプリ」岳(974)あり、其の東麓に屈斜路湖を
展べ又藻琴山は両山系の間に屈斜路湖を抱擁し此の山系の北側に位し釧路、北
見の国境を成す・場の北方約10粁川湯駅付近の「マクワンチサプ」山(574)、
「アトサヌプリ」山(510)は数箇所に噴火口あり常に白煙濛々として異様の音
響を発し壮観を呈す、北東方約10粁の「カムイヌップリ」岳(摩周岳)(858)
は鋸の歯の如き形状を呈し頂に舊噴火口あり其の南西中腹に陥落湖たる著名の
摩周湖存す、場の北方約4粁に美留和(401)及南西方約4粁に美羅尾山(554)
あり。
平野 外方は上記の如く峻嶺高原を以て圍繞せらるるも場の付近は平野展
開す、即ち釧路川、当別川、屈斜路沿岸の平野是にして南方は熊牛、仁多、当
別、北方は美留和、路佐登、屈斜路の諸平野なり・前記平野外縁付近は所々に
緩波状をなせる高原地なり・平野丘陵地共一般に牧畜に適す。
樹林 本場付近は平坦なる草地にして外囲に柏、雁皮類の稚樹疎生す。
河川 場の西側を流るる釧路川は源を屈斜路湖に発し、屈斜路、弟子屈、
熊牛の原野を北西より南東に貫き当別川、モエリ別川、秋田川、仁多川、ル
イラレ川、美留和川等の多数の枝流を合せたる上標茶、釧路両村を経て太平洋
に注ぐ・小渓流の一つは場周北側に沿い釧路川に注ぐ。
湖沼 本場の北方約10粁諸山の間に屈斜路湖あり、噴火太湖にして周囲
約50粁、水深平均125米なり、諸峯より発する渓流は悉く注ぎ常に碧水湛々
たり、湖中に島ありて樹木欝茂し、周囲は断崖壁立す、湖の南岸は釧路川の水
源たり・屈斜路湖の東方摩周岳の中腹に摩周湖あり、周囲約25粁の大陥落湖
にして水深208米と称せらる、湖の周囲は宛ら擂鉢の内面の如く絶壁にして湖
心碧澄を呈し虹別川と美留和川の源泉をなす、共に風光明媚を以て近時世に知
らる。
建築物 場の北方及西方に民家数屋あり。
電線 本場の北東側着陸場の東辺に平行し南方に走る普通電線あり。
着目標 屈斜路湖、摩周湖、釧路川、釧網本線、弟子屈村。

地方の状況
航空隊 美幌海軍航空隊(網走郡美幌町)北西方約47粁。
憲兵隊 釧路憲兵分駐所(釧路市浦見町)南方約65粁。
警察署 釧路警察署(釧路市幣舞町)南方約65粁。
駐在所 弟子屈巡査部長派出所及同巡査駐在所(弟子屈村)南方約3.5粁。
役場 同上。
病院 弟子屈村に病院2(長谷川、白川)あり。
宿泊 弟子屈村に「ホテル」1(収容員数計約50)、旅館約5(収容員数計
約300)あり。
清水 本場付近に湧出水あり水量豊富水質良好。
応急修理 弟子屈村内に石原、林、高梨の3鉄工所あり一時的応急修理程
度ならば可能。
航空需品 弟子屈村にて「ガソリン」「モビル」油等少量ならば補給し得。

交通運及輸通信(←原文ママ)
鐡道 弟子屈駅(釧網線)南方約3.5粁・美留和駅(釧網線)北方約5粁。
乗合自動車 弟子屈より川湯を経て美幌町に至る畑江乗合自動車の便あ
り、随所に停車す。
道路 本場の東方約800米に南北に走る釧路、網走間地方費道路(幅約7
米)及北側を東西に走る弟子屈美幌間準地方費道路(幅約4米)あり何れも自
動車類の運航可能。
車馬及運送店 乗用自動車は畑江自動車部(弟子屈村)外数箇所に於て相
当数雇傭することを得・弟子屈村に貨物自動車5、荷馬車5あり・駅前に(〇の中に通)運
送店あり。
電信及電話 弟子屈郵便局(弟子屈村)南方約3.5粁、電信及電話を取扱う。

気象
測候所 釧路測候所(釧路市幣舞町)南方約6.5粁。
地方風 冬季は北風、秋季は北西風、春及夏季は南東風なり。
天候 1月至6月間は天候概して良好、7、8月は不良なり。7、8月頃は多
雨なり。本場の南方約30粁にある標茶地方に於ける昭和4年至同7年4箇年
間の統計次の如し。

(以下、月別の快晴日数、曇天日数、降水日数、霧日数 省略)

地方天気豫察の俚諺 本場の西方約2.5粁の美羅尾山(554)の頂が雲に
蔽わるる時は降雨又は雪の前兆なり。

其の他
本場は北海道庁の牧草試作地にして付近一帯は牛馬の遊牧場をなし上空よりの
発見稍困難なり又牧草刈取の上一時堆積し置くことあり着陸の際特に注意を要す。

道の牧草試作地を使用した不時着陸場なんですね。

いかにも北海道って感じ。



     北海道・弟子屈不時着陸場跡地         
弟子屈不時着陸場 データ
所 轄:弟子屈村役場
種 別:不時着陸場
所在地:北海道川上郡弟子屈村大字屈斜路村字美留和原野(現・川上郡弟子屈町弟子屈原野 )
座 標:N43°30′44″E144°25′54″
標 高:120m
着陸可能地域:450mx400m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1940年 この頃不時着陸場があった

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年(1941年)3月刊行 水路部


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富浦不時着陸場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   (未訪問)  



無題4.png
1947年10月(USA M591 127) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

北海道島牧郡に昭和15年当時あった「富浦不時着陸場」。

防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

の中に、当不時着陸場の付図があり、先頭のグーグルマップは、そこから作図しました。

同資料から以下引用させて頂きます。

富浦不時着陸場(昭和15年8月調) 
島牧郡東島牧村字富浦(弁慶岬の南西方約6粁)

所管 東島牧村役場。
着陸場の状況
高さ 平均水面上約35米。
広さ及形状 本場は海岸波打際内方道路(江刺、岩内線)と丘陵地との間
の細長き平坦地にして着陸に利用し得る地域は概ね図示の如く長さ南北約800
米、幅東西約150米の南北方向に細長き平行四辺形地区なり(付図参照)。
地表の土質 沙及粘土地にして多少の礫石を混ず。
地面の状況 概ね平坦堅硬地にして北東より南西方海岸に向い約1/20の緩
除なる下り傾斜あり排水は良好なり、地表に熊笹及雑草密生す・現在牛馬の遊
牧場なるを以て中央部に稍凸凹部あり・晴雨及季節に因る地面の影響なく雪解
期にも泥濘となることなし。
場内の障碍物 場の東側及南側に隣接し南北方向に走る高さ約6米の電信
線あり。
適当なる離着陸方向 海岸線に平行(北東-南西)。
離着陸上注意すべき点 本場は地域狭小なるを以て離着陸の際注意を要す。

周囲の状況
一般 本場の東側は台地性丘陵を成し又西方は狭小なる平地を隔てて日本
海に面する開豁なる海岸なり・干満差少し。
海岸 北方約7粁より南西方約25粁間の岸線は弓形を成し、屈曲極めて少
く急深岸にして付近に岩礁沿布し浜岸に漁舎相連なり背後は直ちに高陸を成す。
山岳丘陵 着陸場至近は一帯に平坦地なるも其の東側は丘陵地を成し又東
方約4粁寿都郡界に月越山脈あり、南北に連互し約5粁を隔てて母衣月山(50
4)高く聳ゆ・南西方は西島牧村の山地を控え南東方は寿都郡楢岸村字湯別原
野に接続す。

樹林 場の東方山麓及北方約300米に高さ約5-8米の「ポプラ」樹林あり
又南方の寺院、神社墓地等の周囲に高さ約4米の「ポプラ」樹林あるも着陸場
より低位に在りて離着陸の支障とならず。
河川 場の南方を流るる歌島川、太平川、折川等の諸川あり、其の源を東
部山中に発し北及北西流して海に注ぐ、流域に狭小なる平野を存す。
建築物 場の南西側山の中腹に龍巌寺(高さ約6米)、歌島神社(高さ約
4米)、歌島小学校、歌島郵便局等あるも何れも着陸場より低位に在り離着陸の
支障とならず・神社至近に高さ約8米の火の見櫓あり。
電線 本場の東側に隣接し南北に架する電信線及場の南方約250米より歌
島郵便局に通ずる約6米の電信線あり。
着目標 寿都町、弁慶岬、寺院、学校、火防線(幅約10米)。

地方の状況
警察署 寿都警察署(寿都郡寿都町字渡島町)北東方約10粁。
駐在所 本目巡査部長派出所(東島牧村字本目)南西方約5粁・歌島駐在
所(東島牧村字歌島)南西方約2粁。
役場 東島牧村役場(東島牧村字本目)南西方約5粁。
醫療 東島牧村字木目に村醫相島醫院あり。
宿泊 本目に旅館1(坂本)(収容員数約10)、歌島に旅館2(収容員数計
約10)あり・寿都町に旅館5(収容員数計約200)あり。
清水 付近各民家に水質良好水量豊富なる井戸あり。
応急修理 寿都町に平野鉄工所あり、応急修理程度ならば可能。
航空需品 本場付近にては補給能力なし。

交通運輸及通信
鐡道 寿都駅(寿都線)北東方約10粁・寿都線は省線(函館本線)黒松
内駅より起り朱太川に沿いて北西方に走り寿都潟岸に出でて寿都町に通ず。
乗合自動車 寿都町至原歌村間に札幌自動車会社の定期自動車便(1日2
囘)あり、寿都より本場迄の所要時間約45分、随所に停車す・冬季間は馬橇

冬期は馬そりなんですね(@Д@)




     北海道・富浦不時着陸場跡地         


富浦不時着陸場 データ
設置管理者:東島牧村役場
種 別:不時着場
所在地:北海道島牧郡東島牧村字富浦(現・島牧郡島牧村冨浦、歌島)
座 標:N42°46′54″E140°9′22″
標 高:35m
着陸場:800mx150m
方 位:02/20
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1940年 この頃不時着陸場があった

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:航空路資料 第11 北海道地方飛行場及不時着陸場 昭和16年3月刊行 水路部

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