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A380生産終了・6 メーカーの話(下) [├雑談]

大型機開発前夜
世界初のジェット旅客機コメットが登場するまで、
「ジェット旅客機なんて、燃料喰い過ぎて商売にならない」と思われていたのに、
いざコメットがデビューすると、燃費は意外と悪くないし、速いし揺れないしで、
乗客からも航空会社からも受け入れられ、たちまち人気に火が付いたのでした。

その後、B707、DC-8、B727、B737といった100席クラスのジェット旅客機が大ヒット。
好景気に支えられた航空需要の爆発的な伸びに対応しようと、
B707やDC-8は胴体をどんどんストレッチして200席前後の型を出すのですが、
もうこれ以上伸ばせないところまでくると、
より経済的で強力なターボファンエンジン開発の目途がついたこともあり、
「よーし、次はバスのようにいつでも気軽に乗れる大型ジェット旅客機の時代だ!」
として、通路が2列の大型機開発の機運が欧米で高まったのでした。

ここまで連戦連勝で資金力、工業力のある米国メーカーは、ボーイングの747、
マクドネル・ダグラスのDC-10、そしてロッキードのトライスターと、
いきなり3機種の大型機開発を開始。

一方欧州の方は、開発しても開発しても、ちっとも売れない。
という状況が戦後約20年続いてしまいました(つД⊂;)
もしも当時ネットがあったら、【悲報VFW614爆死】【メルキュール売れ過ぎwwww】
みたいに散々叩かれていたのかも。
どうして欧州の旅客機がこんなに売れないのかについては、
「そんなの造ってたら、そりゃあたくさんは売れないでしょうよ。。。」
と言いたくなる自爆も多々あり、これについて書いていたらまた記事が長くなるので割愛しますが、
欧州機が売れない自爆以外の要因として、
大戦中自国領土に直接大きな被害があったため、
欧州はそもそもスタートから圧倒的に不利だったのが大きいです。
余談ですがプロペラ機部門では、アメリカのダグラスとロッキードの覇権争いが世界を席巻していました。
ジェット旅客機の開発競争ではロッキードがボーイングにすり替わっただけで、
どちらにしても「アメリカ一強」という構図は変わりません。


A300/A310の開発
旅客機開発には莫大な予算が必要な訳ですが、欧州各国政府は
多額の助成金を出すのが当たり前の状況で、それで失敗を繰り返したため、
メーカーはおろか国力まですっかり余裕がなくなってしまいました。
しかも、「A300を造るぞ!」と正式に決めた1969年は、予算が当初の3倍以上に膨らみ、
英仏両政府が湯水のように開発費を注ぎまくったコンコルド初飛行の年でした
(そしてこれが20機で生産終了という。。。)。
「コンコルドの誤謬」「コンコルド効果」なんて不名誉な言葉を生む程に、
コンコルドにまつわるお金の話はまだまだ悲惨な続きがあるんですが、
ともかくこれから新たに開発する大型エンジンと、
これまで造ったことのない規模の大型旅客機開発ともなると、
もはや1国で開発するのは余りに危険過ぎ、欧州で力を合わせて1機種造ることに
(その間、ドイツとフランスは件の小型機開発はしてる。12機しか売れなかったけど)。
747のみならず、モロにキャラ被りしてるDC-10とトライスターまで造れちゃう米国とは対照的ですね。

因みにA300用エンジン開発は当初ロールスロイス社の担当でした。
欧州で力を合わせて造るんですから、エンジンがイギリス製というのは至極当然と思うのですが、
その後、ロールスロイス社はトライスター用の大型エンジンを受注し、
こちらの開発を優先します(なんたって大成功が約束されているアメリカ様のヒコーキだし)。
ところがこれが困難を極め、倒産してしまいます(XДX)
実はボーイングも747の開発に想像以上に手こずり、倒産寸前まで追い込まれました。

未知の大型機開発が如何にギャンブルかを示す事例ですが、
もしかしたらエアバスにとっては、開発ハードルの低い双発だったのが幸いしたのかも
(エンジンが増えるだけですごく複雑になるらしい)。
仮にA300でコケてたら、今エアバス社って存在していたんでしょうか?
存在していたとして、果たして今の姿だったんでしょうか?
時々思い出したように売れないヒコーキ作っては、
「おお、そういえばエアバスって未だあったんだ。。。」
なんて状態だったとしても、不思議はないのかも。
後がない欧州は、747、DC-10、L-1011の開発状況を睨みながら、
慎重に仕様を決めることにしたのでした。

アメリカのメーカーが大型機の仕様を検討していた際、
一部航空会社からは「双発にして欲しい」という要望もあったのですが、
大型機に使用できるクラスのエンジンは当時未知数でしたし、
例の120分ルールができた1985年は遥か先のことで、
双発旅客機は、まだまだ信頼性が低いと見られており、
双発機は米国の航空法で悪天候下の運用に制限がついていました。
アメリカの大型機が4発と3発になった背景には、
当時のそうした双発機の制約や信頼性の低さも関係したと思われます。

一方のA300は、ヨーロッパ域内を飛び回れば十分の中短距離機と割り切り、双発としました。
加えてキャビン下の貨物室には、米国の大型機と同じ規格のコンテナを
入れられるようにすることが早い段階で決まっていました。
これは、欧州のフラッグキャリアが国際線用に747とDC-10の発注を決めたためです。
世界各国から欧州に到着した747とDC-10から、
乗客はA300に乗り換えて最終目的地に向かうのですが、
貨物の方も同様に747とDC-10からA300にスムーズに積み替えができるように。
と配慮してのことです。

花形の国際線には747とDC-10を使用し、
A300は欧州の地方空港へとチョコマカ飛び回る役割に徹するという、
同じ「大型機」というカテゴリーの旅客機を開発しているはずなのに、
航空先進国を自負する誇り高き欧州、そして現在のエアバス社からは
想像もつかない裏方振りですが、
ナローボディのジェット旅客機で16%のシェア(オイラ調べ)しかとれない当時としては、
仕方のない判断だったのかもしれません。
(当時のアメリカにとってA300は、「欧州の弱小寄せ集めメーカーが造る
、欧州専用機」という捉え方で、眼中なかったらしい)

こんな感じでA300は、当時デビューしていたB727、B737、DC-9といった
100席クラスのナローボディ機よりはずっと大きいんですが、
三発のDC-10、L-1011よりは小さく、4発の747より更に小さいという、
連戦連勝向かうところ敵なしのアメリカ様との正面衝突をとことん避けた
隙間狙いの仕様となったのでした。

こうして慎重にも慎重を期して仕様を決めたはずなのに、
いや却ってそれが災いしたのか、イザ完成して初飛行の段になっても、
受注数はたったの13機でしたつД`)・゚・。・゚゚・*:.。
それでもここから各種改修と、非常に粘り強い(強引ともいう)セールスで
少しずつ販売数を伸ばしていったのでした。
なんとしてでもアメリカの航空会社様に買ってもらうため、
米イースタン航空には4機を半年間無料貸し出し、
「A300はちょっと大き過ぎるんだよね」と難色を示されると、
200席機を導入した場合の運航費との差額を4年間補填するという
破格の条件までをつけたのでした。

極めつけは、イースタンのドル箱路線であるラガーディア空港の改修費用
50万$を拠出するという大盤振る舞い(☆Д☆)
欧州の航空機メーカーが米国の空港の滑走路改修費用を出すという、
ちょっとあり得ないような措置なんですが、
こうした営業努力が実り、アメリカでの橋頭保を確保。
エアバス社のサポート体制も十分なもので、アメリカ航空会社ビッグ4の一つ、
イースタン航空の高評価はその後のセールスに繋がりました。

その頃世界的な景気減速があり、A300はじめ旅客機の売れ行きが鈍ったんですが、
それまでは「エッ! 大型機なのにエンジンたった2つなの?」
と、双発であることが短所としてあんなに頼りなく見られたのに、
徐々に景気が回復してくると、その見方が一転、「双発なのにたくさん乗れる」
と、双発であることが経済性に優れた長所と見なされることに。
胴体短縮型のA310と合わせて、最終的に816機もの受注を得ることができました。
一方アメリカの三発機はというと、
L-1011 250機、DC-10 446機、MD-11 200機の計896機でした。
A300大善戦です\(^o^)/
1950年代や1960年代の、「採算分岐点上回ったら大成功!!!」からすると、隔世の感ですね。

これは完全に蛇足で、オイラの妄想話なんですが。
A300開発当時、ジェット旅客機で「双発」というのは、既に散々造られ、
別に珍しくもなんともなかったんですが、
ワイドボディで「双発」というのは、A300が世界初でした。
当時の航空会社からも「双発にしてよ」という要望はありましたし、
いずれ大型機でも双発が登場するのは必然だったのでしょうが、
前述の通り当時は双発の信頼性が低く、「エ? 大型なのに双発? 大丈夫?」
的な反応が一般的でした。

ところがその後航空王国アメリカでもA300の運航が始まると、
優れた実績(イースタン航空就航初期の定時出発率98.4%)を示し、
信頼を勝ち得ていったのでした。
開発当時の欧州は諸々の厳しい事情を抱えていた故に、3発4発ではなく
双発機を開発せざるを得なかった。
というのが実情だと思うんですが、それでも結果的にA300は、
経済性、信頼性を実証することで、「双発の大型化」の流れを確実に速めました。

747に遠慮して仕様を定め、エアバス社が初めて世に送り出したA300。
「双発の大型化」というA300の生み出した流れは、徐々に旅客機の奔流となりました。
時を経て「打倒747」を目指し、エアバスが開発した世界最大の旅客機が、
よもやその奔流に飲み込まれようとは、本当に皮肉なことです(別にこじつけてない)。


A320
1974年の初飛行から10年でA300の受注は259機に達し、
まだまだ受注の見込める状況が続いていました。
アメリカの三発機とも互角の勝負ができるまでに地歩を固めたエアバスが次に目指したのが、
1950年代1960年代、アメリカにコテンパンにやられた100席クラス機のリベンジでした。
絶対に失敗の許されないA300では、アメリカ様とぶつかってしまわないよう
おっかなびっくりだったのと対照的に、
今回は世界中を席巻していたB737、DC-9(と後継のMDシリーズ)に真っ向から勝負を挑み、
1988年にデビューしたのがA320でした。
B737とDC-9は、どちらも初飛行が1960年代なんですが、
この2機がまるで化石に見える程のハイテクを装備したA320は、
アメリカを含む世界中の航空会社から支持を集め、今日に至るまで生産が続いています。
現在のところB737のデリバリー数が10,533機に対し、
20年遅れで登場したA320は8,281機まできています。
しかも受注残はA320の方が多く、B737は現在暗雲垂れこめている状況です(2019/4現在)。


A330/A340
250~300席クラスのA300、100席クラスのA320ときて、
次にエアバスが開発を進めたのが、1970年代のA300では
アメリカ様に遠慮して造れなかった300~400席クラスのA330とA340でした。
1970年代はA300一機種の開発がやっとだったのに、
今度はそれより大きいヒコーキを同時に二機種開発ですからすごい躍進です。

ここまでA300をちょいちょい「大型機」と称してきたんですが、
これは1960年代の100席クラスしかない時代の、「もっと大型機を造ろう」
から来た便宜上のもので、中型機に分類されるB787より、A300って
一回り小さいんですよね。
実は「大型機」「中型機」「小型機」という分類には、
「何席以上は大型機」みたいに統一された決まりがある訳ではなく、
A330を大型機とする記事もあれば、中型機とする記事もあります
(エアバスは公式サイト内で「中型機」と表現してます)。

話を戻します。
ということで、150席クラスのA320から、400席クラスのA340まで
一応のラインナップを揃えた1990年代末、
アメリカの旅客機メーカーはボーイング一社のみとなり、それ以降、
エアバスは受注数、デリバリー数でボーイングと互角、若しくはそれ以上にまでなったのでした。


A380
ところが、唯一エアバスが持っておらず、
ボーイングがほくほく顔で殿様商売を続けるカテゴリーが最後に残りました。
超大型機部門です。
各カテゴリーでボーイングと互角に勝負できるまでになったのに、
ここだけがポッカリ抜けているせいで、美味しいところを完全にさらわれています。

双発のA330と4発のA340開発を正式決定したのは1987年のことで、
それから2年後の1989年にエアバスは747への対抗機の開発作業を本格化させています。
どうしてA340がわざわざ4発でなければならないのかについては、
ちゃんともっとも(らしい)な説明があるんですが、オイラにはどうしても
「超大型機開発~747に想いを寄せて~」の布石に思えてなりません。

前記事にも書きましたが、1990年代は747が最も売れた絶頂期で、
毎年のように50機超えのデリバリーが続き、
ついに1,000機の大台を突破して尚も受注がどんどん続いている状況でした。
1993年の通算1,000号機ロールアウトの際は華やかなセレモニーが行われ、
シンガポールエアに引き渡された機体の機首部分には、
当時デカデカと”1000th”というマーキングが入っていました。

この情景、きっとエアバス関係者はハンカチを噛み締め、
「ぐぬぬ。。。」と引っ張りながら見ていたはずです。
これからますます航空需要は伸び続け、
ハブ&スポークで超大型機の需要もすごい増えるはず。
となると、一通りラインナップが揃った今、
ここだけをボーイングに明け渡すなどあり得ません。

「エアバスも結構頑張ってるけどさあ、でもなんだかんだ言って世界一の旅客機を造っているのはボーイングだよね」
というイメージもついて回ります(個人の感想です)。
実際、受注数、納入数でエアバスと抜きつ抜かれつになってくると、ボーイングは
「エアバスは小型機で数字稼いでるだけですから(笑)。
エアバスがつくれない超大型機も作ってる我が社の方が、金額ベースでは~」
的なことを公言してました。

お膝元の大西洋路線でハブ&スポークが定着していないこと
航空会社が強く求めているのは、一貫して経済性に優れた双発であること
燃料費が上昇基調にあり、それが今後も続くと見られること
等々、今から新たに超大型機を開発することのリスクは十分分かり切っていたはず。

そうしたリスクを承知の上で、「どうしてエアバスはA380を造ったのか」と
専門家に問いかければ、様々な答えが返ってくるはずです。
輸送形態についての未来予測、若しくはイデオロギー対決という観点では、
「ハブ&スポーク構築のためにA380開発が必要」ということになり、
「A380 vs B787」という構図となるのでしょうが、
こうして戦後始まったジェット旅客機の欧米の対決という歴史的観点で見ると、
A300が軌道に乗るまでの、欧州航空産業全体の存亡の危機まで追いつめられた
当時の経験者にとっては、特に熱い思いがあったんじゃないでしょうか
(A380の記事なのに、1950年代のコメットから長々と書いたのは、これが言いたかった)。
各カテゴリーで互角かそれ以上の勝負ができているエアバスにとって、
ラインナップを揃えなければ。というのは自然な流れだったと思うのです。


存在意義
旅客機の評価は時代と共に変わることが多いです。
例えば、世界初のジェット旅客機、デ・ハビランド コメット。
プロペラ機で世界を席巻していたアメリカのメーカーは、
まさかジェット旅客機が航空会社に受け入れられるとは夢にも考えておらず、
プロペラ機の一方の雄ダグラス社は、「ジェット機は1960年代に入ってから」
と公言していました。
ところがコメットが1952年にデビューするや、熱狂的に受け入れられ、
ダグラスとボーイングは、いつまでもレシプロ機開発にしのぎを削っている場合ではないと、
大慌てでジェット機開発を行ったのでした。

しかしコメット人気もつかの間、ナゾの墜落が続くと、
「空飛ぶ棺桶」などと悪評を立てられ、
きちんと改修が施されたにもかかわらず、その後のセールスは散々でした。
すっかり失敗機の烙印が押されたコメットですが、
今後は間違いなくジェット旅客機の時代であるという方向性を明確に示したこと、
ジェットエンジンを使った新たな旅客機の安全技術の向上に寄与したこと等、
その後のジェット化という航空界の潮流にもたらした恩恵は
計り知れないものがあるとの評価が後年定着してゆきました。

デビュー後に悪評が高まっていったコンコルドは、
超音速というロマンだけでは商売が成り立たないことを明確にしました。
このところ日本を含め、各国で再び超音速旅客機の開発熱が高まっていますが、
現在進められている研究/開発は、コンコルドが明確にした問題点
(経済性、衝撃波、航続距離、オゾン層等)を一つ一つ技術的に解決する方向で
進められています。
現在の超音速機開発についての各種論文で、コンコルドはベンチマークとなっており、
コンコルドの様々な問題点が数値化され、盛んに登場します。
開発者たちは、「(コンコルドの)この数値を大幅に改善できなければ、
超音速旅客機の復活など夢のまた夢」というスタンスです。
将来超音速旅客機が復活するとしたら、
それはコメット同様にコンコルドが身をもって問題点を浮かび上がらせてくれたからこそ。
という評価になるはずです。

A380はかつて「欧州の夢」「強い経済の象徴」と称されました。
今【A380】でググると、
「10年余で期待を裏切った」「ステータスシンボルから凋落」「欧州の夢はなぜ失速したか」
みたいな言葉が並んでます。
それでも、造れど造れど惨敗続きだったA300以前とは、状況がまるで違います。
A320と A350には、7,000機余もの受注残があります。

デリバリー開始から僅か14年で生産中止が決まってしまったA380の存在に
何か意義があるとしたら、何でしょうか。
10年後、20年後、改めて振り返って見てみたら、
A380ってどんな位置付けになってるんでしょうか。
「A380が生産中止したのは平成である。〇か×か」とか、
「A380と747、ドッチが先に生産中止した?」なんて、カルトクイズになってたりして。
(違うそうじゃない)


長々とお付き合いありがとうございました。
(もう続かない)



A380生産終了・1(胴体の話) 
A380生産終了・2(主翼の話) 
A380生産終了・3(エンジンの話) 
A380生産終了・4(航空会社の話) 
A380生産終了・5(メーカーの話・上) 

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