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アメリカ・ポートグラハム空港 [├海外の空港、飛行場]

   2017/08 作成:(情報は作成時のものです。ご了承くださいませ)   



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skyvector.com

アラスカ州ポートグラハムにある「ポートグラハム空港」。

1959年6月開設の州立の公共用空港です。

2005年には950便の運航があり、その内訳は、エアタクシー79%、ゼネアビ21%でした。




     アメリカ・ポートグラハム空港      


ポートグラハム空港 データ
設置管理者:Alaska DOT&PF - Central Region
空港種別:Public
3レター:PGM
標 高:93 ft / 28 m
標 点:59°20′54″N 151°49′54″W
滑走路:(磁方位、長さ フィート、メートル、表面、状態)
12/30     1,975     602     Gravel/Dirt  fair condition


関連サイト:
Wiki/Port Graham Airport  


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アメリカ・ワイルダー/ナットウィックLLC空港 [├海外の空港、飛行場]

   2017/08 作成:(情報は作成時のものです。ご了承くださいませ)   



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skyvector.com(二つある[レジスタードトレードマーク]のうち、下の方)

アラスカ州にある「ワイルダー/ナットウィックLLC空港」。

前記事の「ポートアルズワース空港」から僅か400m南側にあり、こちらもプライベート空港です。

まるで2本の平行滑走路を有している1つの空港のように見えるのですが、れっきとした別の空港です。

2002年11月開設なので、こちらが後輩です。

「ポートアルズワース空港」がWikiに記事があり、グーグルマップでも検索すれば一発で連れていってくれるのに対し、

こちらはどちらもなくて、超マイナーな空港。

滑走路の磁方位はどちらも5/23で同じですが、長さと幅は若干こちらのが大きいです。

10機の単発機が当空港を定置場にしており、年間31機の運航がありました。

なんでわざわざ二つ作るのか。。。




   アメリカ・ワイルダー/ナットウィックLLC空港   


ワイルダー/ナットウィックLLC空港 データ
空港種別:Private
標 高:288 ft (87.8 m)
標 点:N60°11.92' / W154°19.48'
滑走路:(磁方位、長さ フィート、メートル、表面)
5/23? 4200 x 100 ft. / 1280 x 30 m? gravel


関連サイト:
AirNav/Wilder/Natwick LLC Airport


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アメリカ・ポートアルズワース空港 [├海外の空港、飛行場]

   2017/08 作成:(情報は作成時のものです。ご了承くださいませ)   



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skyvector.com([レジスタードトレードマーク]が二つありますが、上の方)

アラスカ州ポートアルズワースにある「ポートアルズワース空港 」。

1947年8月開設の私有空港です。

2008年に1,938人の搭乗がありました。




    アメリカ・ポートアルズワース空港    


ポートアルズワース空港  データ
設置管理者:Glen Alsworth, Sr.
空港種別:Private
3レター:PTA
4レター:PALJ
標 高:280 ft / 85 m
標 点:60°12′16″N 154°19′08″W
滑走路:(磁方位、長さ フィート、メートル、表面)
6L/24R 3000 x 100 ft. / 914 x 30 m  Dirt/Gravel


関連サイト:
Wiki/Port Alsworth Airport  


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アメリカ・ポイントレイLRRS空港 [├海外の空港、飛行場]

   2017/08 作成:(情報は作成時のものです。ご了承くださいませ)   



無題.png
skyvector.com

アラスカ州ノーススロープボロー、ポイントレイにある「ポイントレイLRRS空港」。

1960年3月開設の国立の軍民共用空港です。

2005年の運行は120機で、内訳は、エアタクシー42%、軍用42%、ゼネアビ16%でした。

この空港は元々、当地のレーダーステーションを支援するため、1957年に建設されたものです。

航空会社 / 行先
Ravn Alaska / Barrow, Point Hope




     アメリカ・ポイントレイLRRS空港      


ポイントレイLRRS空港 データ
設置管理者:U.S. Government 11 TCW/LGO Elmendorf
空港種別:Public / Military
3レター:PIZ
4レター:PPIZ
標 高:25 ft / 8 m
標 点:69°43′56″N 163°00′40″W
滑走路:(磁方位、長さ フィート、メートル、表面、状態)
5/23     3,519     1,073     Gravel  good condition


関連サイト:
Wiki/Point Lay LRRS Airport  


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アメリカ・ポイントホープ空港 [├海外の空港、飛行場]

   2017/08 作成:(情報は作成時のものです。ご了承くださいませ)   



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アラスカ州ポイントホープにある「ポイントホープ空港」。

リスバーン半島にある州立の公共用空港で、1958年7月に開設しました。

2005年に4,580名の搭乗があり、2006年には4,900便の運航がありました。


航空会社 / 行先
Bering Air / Cape Lisburne, Kotzebue
Ravn Alaska / Kivalina, Kotzebue, Point Lay




     アメリカ・アラスカ州ポイントホープ空港       


ポイントホープ空港  データ
設置管理者:State of Alaska DOT&PF - Northern Region
空港種別:Public
3レター:PHO
4レター:PAPO
標 高:12 ft / 4 m
標 点:68°20′56″N 166°47′58″W
滑走路:(磁方位、長さ フィート、メートル、表面、状態)
1/19     4,000     1,219     Asphalt    fair condition


関連サイト:
Wiki/Point Hope Airport  


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那覇空港第二滑走路 [├雑談]



那覇空港の利用者数はこのところ右肩上がりを続けています。

それも沖縄総合事務局と大阪航空局の予測を遥かに上回るペースで。

2010年度に那覇空港の利用者数は約1,423万人でした。

この年度を起点として、利用者数は2030年に1,605万~1,928万人と予測していたのですが、

なんと2016年度に2,003万人と、早々に2,000万人を突破してしまいました。

1本の滑走路で運用する国内の空港として利用者数一位は、超過密の福岡空港で、

那覇空港はそれに次ぐ数字になっております。

LCCの就航拡大と観光客数の増加、そして国際線利用客が大幅に伸びたことが、

予測を遥かに上回る増加につながりました。

貨物も順調です。

(ただし那覇を貨物ハブに設定しているANAは、今後効率化を図り、那覇を縮小する意向と最近発表しています)


福岡空港は2024年に第二滑走路完成予定であり、

拙ブログでも以前ちょっと書きましたが、那覇空港は現在沖合にもう一本滑走路を建設中です。

2020年3月供用開始予定の第二滑走路で、2,700mx60mの平行滑走路です。

2本の滑走路は1,310m離れており、独立して運用可能な「オープンパラレル方式」となっています。

琉球新報2017年7月2日付によれば、15年度の発着回数は約157,000回でした。

国土交通省大阪航空局の算定によれば、第2滑走路完成後の処理容量は年間で約185,000回。

倍増どころか、それに遠く及ばないたった17.8%しか増えません。

独立して運用可能な滑走路がもう一本増えるのに、なんでこんな微増に留まるのかについて航空局曰く、

(1)那覇空港の北側に米軍嘉手納飛行場への進入経路が重なる空域の問題でオープンパラレルが採用できない
(2)旅客ターミナルと第2滑走路を行き来するには、陸側滑走路の離着陸を止めて横断しなければならない
(3)自衛隊機の使用が増えている

なのだそうです。

これではせっかくの海上滑走路が完成しても、空港の過密状態は解消できません。

「アジアの貨物ハブ」等、那覇空港の立地故の活用プランも現在の過密状態が解消されてこそなんですが。。。

なんとかならないものなんでしょうか。

現行滑走路の東側(陸側)には陸自、空自の広大な用地があり、民間空港用地がウナギの寝床みたいになってるんですが、

ここまできたら、いっそ両方の滑走路の間も埋立ててしまって、自衛隊の機能はそちらに移す。

なんてダメですかね~。

あちこちから怒られちゃうかしらん。

朝鮮強化月間終了 [├雑談]


今回朝鮮関連記事を作っている過程で、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 航空(4-191)「京城日報」

という新聞記事を見つけました  

この記事が紙面に掲載されたのは、1937.5.26-1937.5.29 (昭和12年)。

韓国併合が1910年(明治43年)ですから、統治が始まって27年後に当たります。

著者は、日本航空輸送株式会社京城支店長 神津幸右衛門氏。

「半島民間航空の将来は如何に進むべきか (その一)」

という記事です。

記事について詳しくは直接リンク先をご覧いただくとして、その内容は、

台湾との比較で朝鮮航空事情が如何に立ち遅れているかを憂い(台湾統治は朝鮮より15年早く始まっている)、

「鮮内居住の官民よ、航空開発に全力を傾注すべく、今すぐ立ち上がれ!」とする檄文です。

具体的にこんな数字が挙げられていました。


  面積 人口 定期航路 飛行場
朝鮮 220,741坪 20,791,000人 670km 軍用:2 民間:5
台湾 35,974坪 5,061,000人 464km 軍用:2 民間:5


神津氏によれば、台湾との比較で朝鮮は面積で6倍、人口で4倍も多いのに対し、

航空の実情はまったくお粗末で、遺憾の極みである。としています。

続けて、今後どうすべきかについて氏の提言が熱く語られていました。

こんな記事が紙面に載る時代があった。

今からでは考えられないことですが、統治時代の一面ですね。

今後どうすれば良いかについての氏の提言は要約すれば、

「朝鮮内の定期航空網、飛行場、諸施設を直ちに充実させよ!」 ということで、

定期航空網の運航に当たるのは、幹線は我が日本航空輸送、

そしてローカル線に関しては総督直轄の義勇飛行隊を組織し、これに当たらせるべし。

としています。


この神津氏の提言が掲載されたのが前述の通り1937年(昭和12年)のことで、話が前後してしまうのですが、

1925(大正14)年に朝鮮で最初に登録された民間航空事業団体である「朝鮮航空研究所」が設立されました。

創立者は日本陸軍予備役大尉の西尾三郎氏で、朝鮮内の航空路開設を模索する動きもあったのですが、

残念ながら経営が成り立たず、この研究所は事業中止となってしまいます。

1929年(昭和4年)、慎鏞頊(シン・ヨングウク)氏が「朝鮮飛行学校」を設立し、西尾氏の後を引き継ぎます。

慎氏は千葉県の東亜飛行専門学校で操縦を学んでおり、

朝鮮の航空を発展させたいという願いを持つ人物だったのだそうです。

紙面に熱い提言を記した神津氏の思惑とは少々異なるのですが、

この慎鏞頊氏の「朝鮮飛行学校」は後に「朝鮮航空事業社」と改称し、

1936年(昭和11年)1月に京城~裡里間の週1往復の試験運航を開始。

1938年(昭和13年)5月からは週2往復で京城・裡里・光州間の定期運行を開始、

1939年(昭和14年)からは週3往復となり、朝鮮内の民間定期航空が運航されていたのでした。

一連の朝鮮内の14の飛行場記事の大元となった1943年(昭和18年)4月調べの水路部資料にも、

慎氏の「朝鮮航空事業社」がしばしば登場しており、当時実際に朝鮮内で運航していた様子を垣間見ることができます。


一方、翻って戦時中の内地の民間航空事情はといいますと-

1.大阪の日本航空輸送研究所
1922年(大正11年)開設。国内初の定期航空輸送開始するも、
1939年(昭和14年)、戦争遂行のため国策の大日本航空株式会社に吸収され閉鎖。

2.愛知の安藤飛行機研究所
1924年(大正13年)地元知多市海岸に安藤飛行機研究所を開設。民間パイロット養成に乗り出す。
1926年(大正15年)、名古屋―新宮、昭和3年名古屋―二見―蒲郡間に定期航路を始める。
Wikiによれば、大日本航空設立に合わせ、航空輸送停止。

3.東京航空輸送社
1928年(昭和3年)設立。1929年(昭和4年)から東京-下田間の定期航空営業をおこなった。
1931年(昭和6年)にはエア・ガールの採用も実施した。
1939年(昭和14年)3月27日、国の方針により大日本航空に吸収合併。

4.兵庫の日本海航空株式会社
1931年(昭和6年)、兵庫県城崎町の町長が震災復興を目的としてに発足。
中国、関西方面に定期航空便を次々開設、5機の飛行機を運用するまでになったのですが、
国策統制が強くなった1936年(昭和11年)以降業績がかなり落ち込み、
1939年(昭和14年)末に一切の現品を大日本航空輸送株式会社に引渡し、翌年解散。

このように、国内で航空輸送を実施していた民間会社はいずれも同時期に運航停止を余儀なくされています。

前述の熱い提言をした神津氏は、「日本航空輸送」京城支店長だった訳ですが、

氏の提言が紙面に載った翌年の1938年(昭和13年)、

この「日本航空輸送」は、国策の「大日本航空」に改組されます。

そして内地、外地、および国際線の運航は、この「大日本航空」が一手に引き受けることとなり、

当時内地で航空輸送を行っていた四社は、航空輸送を停止したのでした。

また、定期航空輸送ではないのですが、滋賀の天虎水上飛行場のように、

逓信省から委託を受けてパイロット育成を行う民間飛行学校でさえ、

やはりすべての施設を大日本飛行協会に"寄付"したり、

民間の飛行場が末期には事実上軍のものになったという例はいくらでもあります。


慎氏の「朝鮮航空事業社」が終戦時にどうなっていたかは資料がみつからず不明なのですが、

内地では昭和14年に民間の航空輸送会社が消滅している一方で、

少なくとも昭和18年4月の水路部の資料では、一連の14の飛行場の中に、

逓信局、大日本航空等と並んで仲良く(?)慎氏の「朝鮮航空事業社」格納庫が建っている様子が示されています。

内地では、民間経営の航空会社、飛行学校、飛行場の運営が許されず、

次々と国策航空会社や軍に取りあげられてゆく一方、

朝鮮では、朝鮮人による国内定期航空会社が運航していたのです。

表面的にみればその政策は、内地の経営者には容赦なく、朝鮮の経営者には優しく見えます。

この事実を知ったオイラにとっては、内地と正反対のこの政策に一体どんな思惑があったか。というナゾが残りました。

昭和12年の神津氏の提言の中では、朝鮮内のローカル線は義勇飛行隊に当たらせるべし。

としていますから、少なくとも当時の神津氏には、日本航空輸送が運航するのは鮮内の幹線のみで、

ローカル線を運航する意図はなかった。

手を出すつもりのないローカル線を運航するのが「義勇飛行隊」か、「朝鮮航空事業社」か、という違いでしかなかったのか、

それとも傀儡に任せて鮮内の民衆の不満を抑えた方が日本にとって得策だという意図もあったんでしょうか。

尤も、この「朝鮮航空事業社」も終盤は座席の半分が軍に取りあげられ、

民間人の利用はほとんどできなくなっていたらしいのですが。

それでも、内地で戦時中国策により閉鎖を余儀なくされてしまった航空会社、飛行場の経営者が、

以後航空界からすっかり足を洗ってしまった例が多いのに対し(戦後日本を代表する航空会社の礎を築いた人もいる)、

慎氏は戦後の1946年に大韓国民航空社を設立し、変遷を経てこれが現在の大韓航空となります。

内地で自ら育てた航空会社、飛行場が取り上げられた人たちは当時このことをご存知だったでしょうか。

疑問は尽きません。


一連の朝鮮関連の記事を作る途中、県立図書館に立ち寄る機会があり、朝鮮コーナーに行きました。

そこには題名からして日本に対する怨嗟渦巻く本がたくさん並んでいます。

日本統治時代、そこで実際にどんなことが行われていたのか、

ネット掲示板の書き込み程度の情報しか知らぬオイラにとっては、

恨まれても仕方ない部分もあったのだろう。となんとなく考える程度でしかないのですが、

そんなオイラにとって、内地では民間航空会社、飛行学校、飛行場が次々取りあげられてゆく中、

「朝鮮人による朝鮮人の為の航空会社が末期の時期存在していた」という、

ちょっと考えるとアベコベのような現象は衝撃の事実だったのでした。
 

「朝鮮強化月間」はこれにて終了です(一ヶ月もたなかったけど)。

お付き合いいただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

韓国、北朝鮮の飛行場 [├雑談]

朝鮮の記事を作っていて、個人的に非常に印象的だなと思った飛行場マップを並べてみました。

マップを一杯貼ったので、すごく重いと思います。すみません。



北朝鮮の満浦飛行場

滑走路両端に2機1セットの無蓋掩体壕がズラリ。

北朝鮮の軍用飛行場は、こういうパターンが結構ありました。




北朝鮮の清津空港

日本も戦争終盤は隧道を設け、ヒコーキは飛行場近くの山裾等に移動する等、隠匿に努めましたが、

こんな感じだったんでしょうか。



北朝鮮のカンダリ飛行場

地下滑走路!

北朝鮮にはこうした地下滑走路が20程ある。とするサイトがありました。





北朝鮮の極洞飛行場

なんかねこ鍋っぽい





韓国済州島の済州島不時着陸場(通称アルトル飛行場)跡地

「1つの飛行場に現存する有蓋掩体壕」としては、国内では千葉県茂原、木更津と大分県宇佐の10基が最高で、

それに次ぐのが宮崎県赤江と高知県日章の7基(赤江は8基らしいけど未確認)だと思うのですが、

ここ済州島には、なんと19基の海軍型有蓋掩体壕が現存するのだそうです。


ストリートビューで見ると、畑地の中に、あっちにもこっちにも掩体壕。という風景。
(33.20997, 126.27844 で現地に飛べます) 
現地で見てみたい。。。

朝鮮の飛行場と識別符号 [└資料]



  民間 軍用/共用 代替 廃止 合計
北朝鮮 2 53 18 13 86
韓 国 9 22 2 18 51








前記事は日本統治時代の飛行場の一部でしたが、こちらは両国の現役の飛行場も含めたものです。

上のマップはザッとまとめただけなので、これで全部というわけではなく、まだまだ増えると思いますが、

現段階ということで以下話を進めます。

北朝鮮はやはりというか民間空港が2つと非常に少なく、その一方で軍用飛行場53と多く、

これは韓国の22の倍以上です。

一方韓国の方ですが、民間:9というのは純粋な民間空港/飛行場しか含めていません。

韓国は平行滑走路を有している立派な国際/国内空港でも軍との共用になっているケースが多く、

あの金浦国際空港でさえ共用空港のため、民間空港には含めていません。

また、長い直線道路を滑走路に転用する「代替飛行場」については、北朝鮮が18で、韓国と比較して非常に多いです。

ただし北朝鮮の軍用飛行場には、未舗装の小規模なものがかなり含まれているのが特徴となっています。

「廃止」の項目の中には、日本統治時代に建設され、朝鮮戦争で使用された後に使われなくなったものが多いです。

オイラの個人的な印象としては、「量の北朝鮮、質の韓国」と思いました。


それぞれの飛行場記事でもちょいちょい書きましたが、

朝鮮戦争当時、米軍は(北朝鮮も韓国も含めて)朝鮮全土の飛行場に、Kで始まる一連の識別番号を付しました。

"アコーディオン戦争"と称される程、戦線が激しく南北に移動し、

その度に飛行場が自陣内含まれたり、そうでなくなったりしましたから、

半島全土ひっくるめて飛行場に番号を付したのは合理的だったのではないでしょうか。

韓国の空港では、現在でもこの"K-〇〇"が通用するそうです。

ただし、これは朝鮮戦争時に付されたものですから、インチョン等戦後に新規建設された空港には勿論ついていません。

上のマップには、一応識別符号が付された全ての飛行場を含めていますが、

朝鮮戦争後に使用されなくなった飛行場の詳しい資料がみつからず、

場所が不確かなものが結構あります。

下の一覧表、本当は飛行場名を全て現地で使用されている漢字名で揃えたかったのですが、

調べがつかなかったり、地名に相当する漢字がない。というところもあって、かなり怪しげです。

ご了承くださいませ。

K-1 - 釜山飛行場(現・金海国際空港) (Gimhae Int'l Airport)
K-2 - 大邱国際空港 (Daegu Int'l Airport)
K-3 - 浦項空港 (Pohang Airport)
K-4 - 泗川空港 (Sachon Airport)
K-5 - 大田飛行場(Daejon Airdrome)
K-6 - 平沢飛行場 (Pyeong taek Airdrome)
K-7 - 光州飛行場(Gwangju Airdrome)
K-8 - 群山空港 (Gunsan Airport)
K-9 - 東釜山空軍基地 (East Busan Base)
K-10 - 鎮海空軍基地(Jinhae Air Base)
K-11 - 蔚山飛行場(Ulsan Airdrome)
K-12 - Marigun Airdrome
K-13 - 水原空軍基地 (Suwon Air Base)
K-14 - 金浦国際空港 (Gimpo Int'l Airport)
K-15 - 木浦空港 (Mokpo Airdrome)
K-16 - 汝矣島飛行場 (Yeouido Airport)
K-17 - 甕津飛行場(Ongjin Airdrome)
K-18 - 江陵飛行場 (Gangnung Air Base)
K-19 - 海州飛行場(Haeju Airdrome)
K-20 - 新幕飛行場(Sinmak Airdrome)
K-21 - 平安飛行場(Pyonggang Airdrome)
K-22 - オンジョンニ飛行場(Onjong Ni Airdrome)
K-23 - 平壌飛行場 (Pyongyang Airdrome)
K-24 - 東平壌飛行場(East Pyoungyang Airdrome)
K-25 - 元山空軍基地(Wonsan Air base)
K-26 - 宣徳飛行場(Songdok Airdrome)
K-27 - ヨンポ飛行場(Yonpo Airdrome)
K-28 - 咸興西?飛行場(Hamhung West Airdrome)
K-29 - Sinanju Airdome
K-30 - 新義州飛行場(Sinuiju Airdrome)
K-31 - 吉州飛行場(Gilju Airdrome)
K-32 - Oesichon Dong Airdrome(現・満浦飛行場)
K-33 - Hoemun Airdrome(現・清津空港。別名・漁郎飛行場)
K-34 - 清津飛行場(Cheongjin Airdrome)
K-35 - 会寧飛行場(Hoeryong Airdrome)
K-36 - 江界#2飛行場(Kanggye#2 Airdrome)
K-37 - 西大邱空軍基地(現・米陸軍キャンプウオーカーヘリポート)
K-38 - 原州飛行場(Wonju Airdrome)
K-39 - 済州国際空港 (Jeju Int'l Airport)
K-40 - 済州島不時着陸場 (Altr Airfield)
K-41 - 全州飛行場(Jeonju Airdrome)
K-42 - 醴泉飛行場 (Andong Airdrome)
K-43 - 慶州飛行場(Gyongju Airdrome)
K-44 - ジャンホウォンリ飛行場(Changhowon-Ni Airdrome)
K-45 - 驪州飛行場(Yoju Airdrome)
K-46 - 原州空港 (Wonju Airport)
K-47 - 春川飛行場(Chuncheon Airdrome)
K-48 - 裡里飛行場(Iksan Airdrome)
K-49 - 楊州里飛行場(East Seoul Airdrome)
K-50 - 束草市飛行場(Sokcho Ri Airdrome)
K-51 - 麟蹄飛行場(Inj​​e Airdrome)
K-52 - 楊口飛行場(Yanggu Airdrome)
K-53 - 滑走路が存在しないか造られていない飛行場
K-54 - 滑走路が存在しないか造られていない飛行場
K-55 - 烏山空軍基地 (Osan Air Base)
K-56 - 滑走路が存在しないか造られていない飛行場
K-57 - 光州空港 (Gwangju Airport)



参考にさせて頂いたサイト:

K-SITE  
WarBirds/韓国・朝鮮の飛行場  
Wiki/朝鮮民主主義人民共和国の空港の一覧  
Wiki/大韓民国の空港の一覧  
Wiki/代替滑走路  

日本統治時代の朝鮮の飛行場跡地 [└資料]




ということで、防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」 

の全14飛行場(+旧裡里飛行場跡地)をアップ致しました。

一連の朝鮮の飛行場記事の冒頭で書きましたが、この資料に載っているのは、

「朝鮮内の要塞地帯を除くという条件付きの民間飛行場と昭和18年時点で使用可能な不時着陸場」のみです。

つまりこの資料は当時に限っても朝鮮内の全ての飛行場を網羅している訳ではないのですが、

実は記事化作業の最終版で、アジ歴「飛行場記録 朝鮮の部」 という資料があることに気が付きましたΣ(゚Д゚;)

今回記事化した14の飛行場も一部カブっているのですが、朝鮮内の28の飛行場が載せられています。

この資料は作成日が不明なのですが、載せられている飛行場の一つ、清津飛行場の形状からすると、

昭和12年かそれ以前のものと思われます。

終戦の8年も前ですから、まだまだ飛行場は作られたはずで、

日本統治時代に限っても朝鮮内に一体どの位あったのか、今のオイラには想像もつきません。

戦史叢書19巻付図第三(終戦ごろ)、87巻付図第五(昭和19年2~3月)という、

朝鮮内の飛行場地図のコピーも一応持っているのですが、

どちらも上のグーグルマップみたいに、朝鮮全体図に飛行場位置を示したアバウトなもので、

示されている飛行場の数はそれぞれ、21と22で、全部を網羅したものではありません。

未だ本土内の記事化も終わっていないので、いつかこれらの資料も記事化したいと考えております。

だれかオイラの代わりに記事作ってくれてもいいですよ?(o ̄∇ ̄o)フフ

そんなわけで、これは"取り敢えずの中間報告"です。


この記事の資料:
「航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」

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