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千葉県を周った話 [■旅行記]


Ⓐ自宅→Ⓑ夢の島→Ⓒ習志野演習場→Ⓓ佐原→Ⓔ県営千葉県魚群探見飛行場跡地→Ⓕ大利根飛行場跡地→Ⓖ香取飛行場遺構→(式)→Ⓗ五井飛行場跡地→Ⓘ珍来→自宅


オイラの「上司」だったKさんは、親よりやや年の離れた方だったのですが、

直接接する機会の多かった二十代の約10年間、そしてKさんが千葉に引っ越されたその後も、

オイラにとっては精神的な支えであり、大樹のような存在だったのでした。

「Kさんが亡くなった」という知らせがあったのは、急に冷え込みが強くなった昨年10月末のことで、

すっかり疎遠になってしまっていたこともあり、まさに青天の霹靂。

11月に入り、追悼式の日程も決まり、

今年はもう飛行場跡地巡りはしないつもりだったのですが、千葉の外房にあるI市で行われる式に向かう道中、

来年行く予定にしていた千葉県内の飛行場跡地をあちこち周ることにしたのでした。


3:20 自宅発。気温7℃ 曇り

最初の目的地夢の島までは55km。

いつも跡地巡りの運転中は地元FMを聞くのが常なんですが、

今回は自宅を出てから式場に着くまでの10時間以上、ほとんど何も聞かず(ニュース、天気予報は聴いたけど)、

Kさんとのあれこれに思いを致すことに。

Kさんが千葉に引っ越され、直接接することがなくなって何年も経ってからのことなんですが、

オイラが大きな挫折を経験した際、どこから聞きつけたのかわざわざ電話を掛けてくださり、

その時Kさんのから頂いた言葉は、その声と共に今もハッキリ耳に残っているのですが、

よく考えたら、それがKさんと直接交わした最後の会話でした。

決して飾らない、偉ぶらない、素朴で、気さくで、繊細だったKさん。

それでも全身から放つ雰囲気に、猫背のオイラもいつしか姿勢を正される思いだったKさん。

そんなこんなをあれこれ思い返していたら、

こうして飛行場跡地を周ることとKさんとが密接に結びついていることに、はたと気が付いたのでした。

二十代初め頃までのオイラは、戦争をタブー視しており、戦争にまつわるあらゆるものを嫌い、

見ない、聞かない、考えないことにしていました。

(でも戦闘機は当時からカッコいいと思っていた)

Kさんは、戦争には絶対に加担しないことを信条とする方だったのですが、

それでも合間の雑談の際、第一次、第二次大戦の際の世界情勢とその中の日本の振る舞い等について

いろんな話をしてくれたのでした。

戦争に類するあらゆるものを感情的に忌避し、目を背けていたオイラとは極めて対照的に、

Kさんは己の信条とは決して矛盾することなく、どちらか一方に与することなく、

非常に理性的且つ論理的に戦争を捉えておられ、その相対し方はオイラにとって、

まさに目から鱗が落ちる思いだったのでした。

全国の空港巡りをオイラが始めたきっかけはまた別の人物の影響が大きいのですが、

Kさんとの出会いがなかったら、オイラは全国の民間空港を周るに留めていたはずで、

どうしても軍との関わりが深くなる飛行場跡地を周ろうなんて、考えに上ることもありませんでした。

オイラがこんなけったいな趣味に手を染めることになったのは、Kさんから受けた影響のせいだった。

今になって気が付いたことなので、当然こんなことKさんに伝えたことはないのですが、

Kさんがこのことを知ったらなんて思うのかしらん。

今にして思えば、Kさんと行動を共にし、直接話ができたのは、たったの10年弱。

許された時間内で、もっともっといろんな話を聞いておけば良かった。


5:15 夢の島着。

早朝の時間帯なら下道でもランドまで2時間ちょいで行けるのか~。

これからひたすら動き続けることになるので、コンビニでガッツリ系の弁当、パン、お握りなど購入。

夢の島の駐車場で撮影可能な明るさになるまでちょっと仮眠して、

あとはずっと動き続けたのでした。

ビキニ環礁の第五福竜丸って、夢の島に展示施設があったんですね。

13時頃、途中の道の駅で着替えをして、40分前に式場到着。

今日は朝からずっと曇天で、時折パラつく空模様だったんですが、

式の時間が近づくにつれて空を覆う雲が一段と黒くなり、そしていつしか本降りに。

式終了後、更にもう一か所立ち寄って、見学終了。

八潮の珍来で麻婆丼を食べて自宅に向かったのでした。

21:10 自宅着

走行距離:410.0km

(おしまい)


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