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続・根岸氏と水産試験場のこと [├雑談]

少し前に「根岸氏と水産試験場のこと」という長々とした記事を書きました  

繰り返しになりますが、静岡県立水産試験場は根岸氏の魚探飛行を頑として認めようとせず、

実際に飛行が始まってからも執拗に妨害を繰り返したと根岸氏の手記に出てきます。

ところが後年水産試験場は広報誌「碧水」で数回この魚探飛行について取り上げた際、

根岸氏を極力表に出さず、手柄だけ横取りするような書き方をしました。

オイラはこの「碧水」の取り上げ方に疑問を感じたのでした。

そしてもう一つ、拙記事に長々と書き連ねて疑問を呈したのは、

魚探を実施した場所と期間について、根岸氏の手記と「碧水」の内容が食い違っているように見える。ということでした。

 

「碧水」の中では、魚探飛行の期間と場所について、

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年と4年の半ばまでは、八丈島の飛行場を基地としていましたが、 昭和4年以降、三保を基地に調査が行われました」。

と記しています。

一方、根岸氏は自身の手記の中で、魚群探査を行った期間と場所について端的にこう記しています。

「2年、3年、4年と駿河湾はもちろん、八丈島を基地として伊豆七島の漁場で」

 

一見同じことを言っているように思えるのですが、いろいろ調べてみると、「碧水」の書き方は不自然に見えます。

例えば、根岸氏は「魚探のために」と三保に「根岸飛行場」を建設し、5年の粘り強い交渉期間を経て、

やっと魚探事業開始の運びとなりました。

ところが仮に「碧水」の通りだとすると、根岸氏は昭和3年の実用飛行開始の際、なぜか根岸飛行場ではなく、

八丈島の既存の飛行場を基地にして、魚探事業を始めるのです。

昭和4年いっぱいで根岸氏はこの魚探事業の主体から外され、その後は東京航空輸送社と水上機による事業となります。

漁期、残された活動記録からすると、根岸氏が「根岸飛行場」で魚探事業を実施したのは、

最大でも昭和4年7月途中~10月までのたった数ヶ月だけということになってしまいます。

長くなるので中身は割愛しますが、運用機、魚群探査の実態、それぞれの飛行場の位置関係から考えると、

三保と八丈島は気軽に行き来する距離ではなく、このことからも八丈島を基地にしている間は、

伊豆諸島近海の魚探に専念したと考えられ、根岸氏の手記とは異なる気がします。

 

結局のところ、「根岸氏と水産試験場のこと」でオイラが最も言いたかったことを一行にまとめると、

「『碧水』に書かれている魚探の場所、時期についての記述は不自然に見える」

ということです。

ただし、オイラの説を証明する明確な証拠はありません。

飽くまでオイラが「碧水」と根岸氏の手記をいろいろ見比べてみて、

「根岸飛行場」をたった数ヶ月しか使用しないとする「碧水」は不自然に「感じる」ということです。

 

で、ここからが本題なのですが、タカアシガニ1号さんという方から、「平木国男(1983)空駆けた人たち-静岡民間航空史」

という参考文献を挙げていただきまして、ポチッてみました。

この本に問題部分に関する非常に興味深い情報がありましたので、その点を記してみます。

先ず、「空駆けた人たち」の著者の平木国男氏について、かの木村秀政氏のオビ文で次のように紹介しています。

「著者は…航空大学校で民間航空史を講義している人だけに、正確無比といっていい内容を興味深く読ませてあきさせない」

同書文末の資料・写真・談話提供者には、根岸氏ご本人の名前が挙げられており、

「主な参考文献」には、「根岸錦蔵『錦蔵・思い出の空』(日本婦人航空協会の機関誌に連載中)が挙げられていました。

また発行者の石川浅雄氏については、NHK「静岡の昭和史・航空編」に根岸氏と共に出演、

静岡県民間航空研究家として紹介されたという人物です。

憶測のみで仮説を立てるオイラのヘッポコ記事など比較にならない信憑性がある本ですね。

 

この「空駆けた人たち」の中では、根岸氏の魚探への取り組みについて非常に詳しく記されており、

今まで不明だった時期についても様々情報が記されていました。

一例として、魚探事業の許可が下りた時期。

これまでは、単に「昭和2年」に許可が下り、この年は試験飛行を実施した。としか分からなかったので、

試験飛行に丸々1年も使ったのかしらん。と考えていました。

「空駆けた人たち」によれば、航空局、農林省、静岡県から魚探飛行の予算が計上された際のことをこう書いています。

「いよいよ魚群探査飛行開始のメドがついたのだ。昭和二年十月であった。もっとも試験飛行もあり、実際に開始されたのは翌三年六月からで(以下省略)」

と記されています。

昭和2年もかなり後になって動けるようになったのですね。

明けて昭和3年。「碧水」によれば、根岸氏はこの年から八丈島を基地にしたと繰り返し記述しているのですが、

「空駆けた人たち」には昭和3年の根岸氏の活動の様子について、一部要約ですがこう記しています。

 

「魚探飛行の効果で俄然漁獲高が上がり、三保飛行場のところは急に海が深いので海岸すれすれに大漁旗を掲げた船が

大声に有難度うと言っては魚を岸に投げて行く。私は嬉しかった。

伊豆や焼津へ帰る船もあるだろうが皆が喜んでくれている事がよく分かった。

漁の休みの日に一升持って礼に来る義理堅い漁師もあった。」

 

この短い記述で昭和3年、根岸氏がどこで魚探飛行をしていたかは明白です。

「碧水」によれば八丈島を基地としていたとありますが、

「空駆けた人たち」では、根岸飛行場を基地として駿河湾で魚探飛行を行っています。

因みに「空駆けた人たち」66p~67pの間に写真の頁が挟まれていて、

その中の一枚は魚探に使用した「白龍号」と根岸氏他数人の写真が掲載されており、

「昭和3年6月ごろ、根岸飛行場で」というキャプションがついています。

「碧水第98号」ではこの年八丈島を基地にしたとあり、示されているデータによれば、

この年の魚探飛行の期間は6月~8月までとなっているのですが。。。

 

「空駆けた人たち」90pで、根岸氏は昭和4年5月に八丈島に渡り、この年は八丈島を基地にして魚群探査飛行を続けたとあります。

またこの時の八丈島への飛行について、根岸飛行場から八丈島まで250kmの距離があり、

最大時速190kmの三菱式R1-2だから、無風時で2時間弱の飛行であること、

陸上機による2時間の洋上飛行というものは、

慣れない人にとってはいい気持ちのしない、特殊なものであることにも触れています。

 

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年と4年の半ばまでは、八丈島の飛行場を基地としていましたが、 昭和4年以降、三保を基地に調査が行われました」。

とする「碧水」

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年は根岸飛行場で、4年は八丈島の飛行場を基地とした」

とする「空駆けた人たち」

両者は、昭和3年に根岸氏がどこで魚探飛行を行ったかで食い違っています。

根岸氏の手記にある「2年、3年、4年と駿河湾はもちろん、八丈島を基地として伊豆七島の漁場で」

という表現にピッタリフィットするのは、「空駆けた人たち」の方だとオイラは思います。

水産試験場は広報誌で「昭和3年から八丈島を基地とした」と繰り返すことで、

根岸氏と根岸飛行場の活動を闇に葬り去ろうとしているようにオイラは思います。


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