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徳島県・民間航空発祥の地碑 [├場所]

  2014年06月 訪問 

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前記事の「徳島飛行場」跡地の南南東約9.6kmに小松島市「小松島ステーションパーク」があります。

このステーションパークのところに遊歩道があり、「民間航空発祥の地碑」があります。

碑は車道を向いており、道路からよく見えます。

 

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とても立派な碑です。

下部には使用したヒコーキとライセンスが掲示されています。

民間航空発祥の地碑(全文)
一、飛行日 大正二年十二月十五日
一、飛行   現在地より午後一時に日の峰山麓千代の松原へ向け発進す
一、着陸地 日開野町接待場
一、機種   カーチス式複葉機
一、操縦士 幾原知重氏金磯町出身
一、幾原知重氏略歴 明治三十七年十六才にて単身渡米 サンチャゴカーチス飛行学校に入学 世界で第二二四番にて万国飛行免状を得 大正二年八月飛行機購入の上帰国す 飛行時年令二十七才 小松島ロータリークラブ創立四十周年記念事業として之を建つ 平成六年五月

 

幾原氏が渡米したのは碑文によれば「明治三十七年 十六才」の時の事です。

明治三十七年(1904年)はライト兄弟による初飛行成功(1903年)の翌年ということになります。

同じく四国出身で、飛行器制作に携わった二宮忠八がライト兄弟初飛行の報に接した時期には諸説あり、

1907年か、1909年だろうと言われています。

碑文だけ見ると、幾原氏は飛行士になるため勇躍渡米したような印象なのですが、

ライト兄弟の初飛行の報はアメリカ本土でも扱いは非常に小さく、その翌年に、しかも極東の少年が。となると、

幾原氏は渡米の際、ヒコーキの存在すら知らなかったかもしれず、その目的は別にあったのではないかと思います。

また碑文には、

「単身渡米 サンチャゴカーチス飛行学校に入学 世界で第二二四番にて万国飛行免状を得」

とあります。

このカーチス飛行学校は、全米で最も早く設立した、また最もしっかりした飛行学校の1つなのですが、

それでも設立年は、ハッキリしないものの1910年のようです。

つまり、幾原氏が1904年に渡米してから1910年までの6年間は飛行学校そのものが無かった訳で、

「俺はパイロットになってやる! そのために、先ずはアメリカに渡って飛行学校入学だ!」

ということではないように思います。

オイラからしたら、あの当時16才でアメリカに渡るというだけで十分凄過ぎることですが。

 

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1913年7月16日付で免状が公布されています。

無事帰国した幾原氏は、京阪神で新聞社が主催する飛行会等で実際に飛行機を飛ばして雄姿を披露する日々を送っており、

兵庫県西宮市の鳴尾競馬場を観覧席に、十万人を超える観衆を集めた、とされているのだそうです。

その後、故郷の小松島でも飛行会を開催することになりました。

そして迎えた1913(大正2)年12月15日「小松島郷土飛行」当日。

実は前日にも飛行が予定されていたのですが、突風のためあえなく中止。

2日目も風が吹き天候が悪かったのですが、西は池田、南は海部から詰め掛けた大勢の観客を前に、

知重氏は意を決して離陸を決断したのでした。

大勢の観客の見守る中で飛行機は離陸し日ノ峰方面へ西に向かったのですが、

数分後に機体が不調となり近くの水田に墜落。 「竹とんぼのように回りながら、落ちていった」という証言が残っています。

幾原氏はこの事故で胸を強打し、それが原因となって大病を患い二十七歳で生涯を閉じのでした。

8月に帰国後、同じ年の12月に起きてしまった痛ましい事故。

別の資料の中では、「帰国後、ヒコーキを買うために再び渡米、10月に再帰国」とあります。

16才で単身異国の地に渡った少年がその後ヒコーキの免許をとる為、ヒコーキを入手するため、

想像もつかないような苦労があったに違いありません。

念願叶い、まさにこれから。という時に、本当に惜しいことをしたものです。

 

この碑についての特集が徳島新聞で組まれ(下記リンク参照)、

幾原氏が大叔父に当たる方の言葉が記事に載せられていました。

「自分の姓を知ると『飛行機の幾原さんで』と今でも言ってくれる人がいる。確かにその時の飛行がきっかけで命を落としたけど、古里のために飛んだことは、本人も後悔していないのではないでしょうか」。

 

民間航空発祥の地碑 map   


      徳島県・民間航空発祥の地碑     

碑の下部に掲示されたヒコーキとライセンスには、 「1995.05 幾原敏典 制作」と記されており、この方が新聞記事に登場した方です

民間航空発祥の地碑 データ
設置管理者:小松島ロータリークラブ
所在地:徳島県‎小松島市‎小松島町‎外開‎ 小松島ステーションパーク内
座 標:N34°05′28″E134°33′09″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1888年 03月07日 誕生 
1904年 渡米(16才)。(その後飛行学校入学)
1913年 07月16日 免状公布
       08月 帰国
       12月15日 小松島からカーチス式複葉機にて松原へ飛行(27才)
1994年 05月 碑建立

関連サイト:
徳島新聞/故郷の空飛んだ英雄    
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コメント 3

鹿児島のこういち

27歳は若すぎますね。生きていたら大活躍したでしょうに。
by 鹿児島のこういち (2014-08-20 08:51) 

an-kazu

>その目的は別にあったのではないか・・・

映画になりそうなエピソードですね!
(もしかしたら、もうあるのかな)
by an-kazu (2014-08-21 03:41) 

とり

■鹿児島のこういちさん
本当ですよね~。
残念なことです。
マルケス、連勝止まっちゃいましたね。
レース後のインタビューからすると、セットアップが詰め切れなかったということなのでしょうか??
鹿屋も応援してたんですが残念でした。

■an-kazuさん
どういう目的でアメリカに渡ったのか、なんて、オイラの余計な詮索なのかもしれないですけど、
あの当時16才の若者が単身渡米して9年間も生活していたのですから、
それだけで立派に映画になりそうですね。
あったらオイラも見たいです!
by とり (2014-08-21 06:01) 

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