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宮崎県・都城東飛行場跡地 [├場所]

  2013年10月 訪問 

無題8.png

宮崎県の都城東飛行場跡地には、2009年10月にお邪魔したのですが、その後様々なサイト様で情報を拝見して

またお邪魔したのでした。

上図は某書籍に出ていた滑走路の図から作らせて頂きました。

元となる資料が簡略化された略図で、実際の地図に落とすと矛盾が生じるため、おおよそのものです。

ここの滑走路については、1,800mx200mという資料があり、その通りに線を引いたとすると、こんな感じになります。

元々当飛行場は転圧式で、広大な滑走帯があったのだそうで、

当時の航空写真を見ても、確かに滑走路跡を判別することができません。

それでもおおよそ滑走する場所は決まっていたはずで、

このことも規模の割には滑走路跡がハッキリしないことにつながっているのかもしれません。

 

D20_0034.jpg

・A地点。

「家畜市場を南北に横切るように滑走路があった」とするサイトがありました。

周辺はどこまでも平らで、まさに飛行場向きの地形です。

 

D20_0032.jpg

・B地点にある「前目公園」。

園内奥に進むと、

 

D20_0031.jpg

大きな石碑があります。

前目公園(全文) かつて このあたりは一面の荒れ地であった。そこに祖先が鍬を入れ、肥沃の大地にした。戦時中、ここは、東洋一を誇る「東 飛行場」となり、戦運急を告げるや、大特攻基地として多くの若者が沖縄の空に散った。戦後、配分された荒れ地に再び開拓の鍬が振るわれ、現在に至った。この公園は、移り変わりを重ねた開拓の歴史を伝えるために先輩たちが残したものである。二〇〇一年三月吉日 前目自治公民館 前目開拓小組合

上図の通り、ここは滑走路の端に当たります。

特攻機が最後にエンジンを全開にしたか、地上を離れる瞬間に位置していることに。

 

D20_0036.jpg

・C地点にある「三原地区コミュニティセンター」。

右の石には「入植記念碑」と彫られており、左の杭には各面にそれぞれ、

戦後五十周年関連史跡
特別攻撃隊基地跡

特別攻撃隊基地は都城東飛行場の名で昭和十九年に建設された。
沖縄特攻の出撃基地として六十九名の若者が出撃して行った。

三股町教育委員会 平成九年三月

と記されています。


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コメント 10

再生おじさん

とりさん、こんばんは。

USA-M57-273 1946/04/19はご覧になりましたでしょうか?
薄らと滑走路らしき長方形の下半分?の痕跡が写っております。

また、USA-M57-271、272に写っている白い長方形って・・・・・
もしかして別な飛行場(滑走路?)でしょうか?

座標ですと 31°47'35.27"N、131° 4'7.02"E の辺りです。
by 再生おじさん (2013-10-23 21:41) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■再生おじさんさん
おはようございます。
USA-M57-273 初めて見ました。
「ここにあったであろう」という場所に写ってますね!
オイラが参照した資料に描かれていた地図とは位置、方向がズレてしまうのですが、
「家畜市場を南北に横切るように滑走路があった」という証言とは合致します。
後日記事修正します。
再生おじさんさんの探索能力には脱帽です。
ありがとうございましたm(_ _)m

>白い長方形
仰る通り別な飛行場です。
都城北(志和池)飛行場跡地と思います。
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/miyakonojyoukita-airfield
by とり (2013-10-24 05:39) 

NO NAME

日本航空機総集 川崎編を見ると。

 S17都城工場新設

 都城工場にも飛行場を建設。

 S19.4 都城工場を開設。

 S20.6 都城工場、空襲により破壊。
 
 S20.8 都城工場および宮崎分工場、爆撃により破壊された。


 
 
by NO NAME (2013-10-25 10:04) 

NO NAME

 なぜかajwfghで送信できません、数字なら私はうれしいです、これは私の気持ちです、また私のパソコンの気持ちでもあります。

 別件 館林飛行場は戦後しばらくは使われていたと思います、古い航空年鑑に記載されていたと思います。

by NO NAME (2013-10-25 13:23) 

とり

■NO NAMEさん
貴重な情報ありがとうございます。
館林飛行場の件はこれのことでしょうか?
http://1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp/2005-05-22-1
by とり (2013-10-27 18:10) 

NO NAME

 それが、古い昭和30年代?の航空年鑑の日本の飛行場一覧表に館林飛行場として記載されていたとおもいます。

 私が持っていた本ですが今はどこに置いているのか、それとも無くなったのかも不明。

 なつかしい飛行場もありました。急に思い出して本を捜していますが不明です。

 大西飛行場は館林飛行場の一番端を使用、りょう飛行場ともS41年度には記載なし。

 あれつと思ったのが栃木県今市市瀬尾に ”東武今市飛行場”1200×60
アスファルト 東武鉄道 工事中 と記載されていました・

 また、どこで見たのか不明ですが、古い航空情報?かもしれないですが、
明野飛行場に定期便と書いていたと思うのですが、その後どこにも出てこないので全く不明です。

 なお、高松の飛行場にも、長いこと踏切がありました。
 
 
by NO NAME (2013-10-28 10:14) 

とり

■NO NAMEさん
館林飛行場と大西飛行場両方存在した時代があったということでしょうか?
すごい話ですね。

東武今市飛行場については、「1962 5/1 今市市の飛行場使用開始」という記録が残っています。
東武線沿線住民で、地元図書館に「東武百年史」という分厚い社史がありますので、
今度調べてみます。

明野飛行場に定期便というのは初耳ですが、4レターがついていますからそんな時期があったかもしれないですね。

いつも貴重な情報ありがとうございます。
by とり (2013-10-29 05:38) 

NO NAME

 館林飛行場はは記憶ちがいで、なければ民間の電車会社の名前になっていたと思います、元飛行場のどの部分かは分かりません。

 S40頃には館林飛行場は航空年鑑に記載されていません。 完全に廃止されたと思います、その後、元飛行場の一部(端の部分を)大西氏が飛行場として復活ササたと思います。

 陸軍館林飛行場の格納庫のあたりは高校になっていると思います。
   
by NO NAME (2013-10-29 09:45) 

NO NAME

 館林飛行場はは記憶ちがいで、なければ民間の電車会社の名前になっていたと思います、元飛行場のどの部分かは分かりません。

 S40頃には館林飛行場は航空年鑑に記載されていません。 完全に廃止されたと思います、その後、元飛行場の一部(端の部分を)大西氏が飛行場として復活させたと思います。

 陸軍館林飛行場の格納庫のあたりは高校になっていると思います。
   
by NO NAME (2013-10-29 09:48) 

とり

■マー坊さん
貴重な情報ありがとうございます。
私は大西氏とは直接面識ないのですが、氏が自作飛行機を展示している科学館にお邪魔して
関係者の方から話を伺ったことがあります。
その時の話では、

1962年 跡地の一部を大西氏が買い取り飛行場建設
1964年 飛行場開設 
1971年 非公共用飛行場認可
 
とのことでした。
by とり (2013-11-02 05:36) 

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