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八丈島の飛行場・補足 [├雑談]

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上図A~Dの滑走路位置については、「八丈島の戦史」付図3を参考にさせて頂いたわけですが、

地図の上部には、「軍令部 昭和20年2月作製」、「軍極秘」「處理法 用済後焼却」といった物々しい文言が並んでおりました。

後日自宅に戻ってから八丈島町役場の教育課の方からお聞きしたこと、記事のコメント欄に頂いた情報をまとめてみました。

既に記事に含めましたが、まず教育課の方に教えて頂いたのは、実際に建設されたのはAとBの飛行場だけであるということ。

当時の軍が作成した地図に明示されているCとDの飛行場については、

「『ここがいいのではないか』と参謀が考えた候補地に過ぎない」ということでした。

また、当時の飛行場の掩体壕の基礎だけ現存しているのだそうで、

民家の畑にあり、地元でもあまり知られていないのだそうです。

A地点の三根飛行場は、1927年に開場式が行われ、非常に早い時期から使用していたのですが、

B地点の飛行場(現八丈島空港)は、戦争末期の時期に作られました。

(教育課の方はAを「旧飛行場」、Bを「新飛行場」と呼んでいた)

年表では、1944年3月 第20野戦飛行場設定隊が竹芝から船で八丈へやって来て、翌日から作業を開始し、

半年後には滑走路既成。

とあります。

1944年3月から半年後ですから、同年9月に完成したことになるはずなのですが、

教育課の方によりますと、1945年2月には完成しており、ここから特攻隊が飛んだのだそうです。

それからBの新飛行場については、途中で設計変更が行われたということも教えて頂きました。

1949年の写真では2本の滑走路がクッキリと見えています(下記リンク参照)。

現在の滑走路の方向が左下がりなのに対し、途中で建設を中断した滑走路はほぼ東西方向になっています。

2本の滑走路は東側で重なり合っていて、丁度8時45分みたいな感じに見えます。

また、完成した滑走路は東端から、そして中断した滑走路は北側から、それぞれ三根飛行場と誘導路で連絡しています。

どうして途中で造り直しをしたかについては、岩盤、風向きの等の問題が考えられるのだそうです。

以上が教育課の方から教えて頂いた情報でした。

突然の電話だったにもかかわらず、

「今具体的な資料は持ち合わせていないけれど」と言いながら、スラスラと教えて頂きました。

 

次は、「東京都・八丈島海軍(三根)飛行場跡地」記事にNO NAMEさんから頂いた情報です。

「第903空が昭和19年12月15日 八丈島に派遣隊

第一飛行場は1200×200と旧飛行場300×600
 
別記録には第一飛行場は1200×200とすぐ横に1500×100

第二飛行場は1500×200と1500×200

第三飛行場は300×500」

とコメント頂きました。

教育課の方と同じく「旧飛行場」が出てきますね。

「300×600」というサイズからして、これはAの三根飛行場のことだと思います。

そして、「別記録には第一飛行場は1200×200とすぐ横に1500×100」とあります。

「すぐ横に」ある飛行場というのは、Bの途中で設計変更した滑走路のことではないでしょうか。

オイラは記事の中で、某サイトに倣ってCの2本ある滑走路をそれぞれ「第二、第三」に分けたのですが、

NO NAMEさんから頂いたコメントでは、Cの2本の滑走路がひとまとめで「第二飛行場」となっているようです。

気になるのが最後の「第三飛行場は300×500」というもの。

これは上図のDに当たるのだと思うのですが、

「付図3」の通りに作図すると、約1,600mになるのですが、300×500だと滑走路というより滑走帯です。

いずれにせよ構想止まりだった訳ですが、もしかしたら、正規飛行場とするか、不時着用とするか等、

用途に差があったか、もしかしたら全然異なる場所に計画があったのかもしれないですね。

 

そして最後は、「東京都・第四八丈島航空基地候補地」に頂いたPUTINさんのコメント。

米軍が作成した八丈島の地図を閲覧できるサイトを教えて頂きました(下記リンク参照)。

この地図は、1945年2月16日に八丈島を攻撃した米空母艦載機の戦闘報告書の中に含まれていたものなのですが、

その地図では、Aを"Airstrip"、B、Cを"Possible Airstrips"と記載しています。

Cは実際に作っていないのですが、米軍から見てもこの場所は飛行場適地で怪しかったのでしょうね。

そしてBについては、前述の通り1944年3月に着工、半年後か遅くとも1945年2月には完成しています。

米軍がこの地図を作製したのはいつか不明なのですが、

実際に作られ、Aよりはるかに大きなBが "Possible Airstrips"となっているのが興味深いです。

そしてこの地図の中では、 「付図3」にも出てこなかった新たな飛行場が書き込まれていました。

それが上図Fです。

爆撃されないよう全国規模で飛行場を隠ぺいしようとした日本と、

「ここも飛行場かも」といろいろ考えていた米軍。

まさにイタチごっこですね。

NO NAMEさん、PUTINさん、情報ありがとうございましたm(_ _)m

 

2017/1/29追記:

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:第一八丈島 建設年:1943 飛行場長x幅 米:1500x100~200 
主要機隊数:小中型計3.0 主任務:作戦補給 掩体:中型有蓋2 中型無蓋4 小型有蓋 小型無蓋9 其ノ他記事:(記載なし) 

基地名:第二八丈島 建設年:1943 飛行場長x幅 米:(記載なし) 
主要機隊数:小型 主任務:分散置場 掩体:(記載なし) 其ノ他記事:路面不良ノ為不使用

基地名:第三八丈島 建設年:1938 飛行場長x幅 米:300x80芝 
主要機隊数:小型 主任務:同上 掩体:(記載なし) 其ノ他記事:不時着程度

建設年からすると、1938年に建設された「第三八丈島」=旧飛行場(三根)で、

「第一八丈島」=新飛行場(現空港)

ということだと思います。

で、問題なのが「第二八丈島」。

ここは飛行場の長さについての記載がなく、「路面不良ノ為不使用」とあることから、

Bの新飛行場の設計変更で途中放棄されたものかも。というのがオイラの予想です。

 

関連リンク:
1949年3月の八丈島新旧飛行場の写真(USA M1250 53) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
米軍作成の地図(4コマ目の添付地図参照)   


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