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鳥取県・酒井片桐飛行殉難碑 [├場所]

 2012年10月 訪問 

D20_0111.jpg

鳥取県‎東伯郡‎琴浦町の国道9号線「‎八橋‎駅前交差点」を南(駅方向)に進むと、すぐ右手にこんな道があります。

少し上ると、

 

D20_0105a.jpg

見づらくて申し訳ないのですが、酒井片桐飛行殉難碑があります。

碑文があります。

(全文) 昭和七年九月十五日新京ニ於テ日満議定書調印サレ、朝日新聞社ハ此調印式ノ写真ヲ迅速空輸ノ為メブスモス機ヲ特派シ此日一等飛行機操縦士酒井憲次郎操縦航空機関士片桐庄平同乗、午前十時十分新京発直線飛行ヲ以テ勇敢ナル最初ノ日本海横断ヲ決行セリ、然ルニ午後二時廿八分清津、同六時四十分隠岐島通過ノ後ノ難航ニ陥リ機ハ一旦陸岸ニ達シ山岳地帯ニ迫リシモ雲雨益晦冥如何トモスル能ハズ更ニ海上ニ轉廻シテ機ヲ窺ヒシモ風波彌険悪、遂ニ操縦ノ自由ヲ失ヒ壮烈職ニ殉ズルニ至レリ、酒井君ハ一九二八年度ノハーモントロフィーヲ贈ラレタル有数ノ熟練家ニシテ片桐君ハ大正十四年我社ヲ欧州訪問大飛行ニ参加セル四勇士ノ一人タリ、兩春ヲ以テシテ此不幸ニ會ス、當時ノ難航察スベク遺烈炳トシテ永ク世ニ照耀スルニ足ラン、茲ニ碑ヲ建テ両君ノ功績ヲ述ベテ以テ不朽ニ傳フト云爾 昭和八年九月十五日 朝日新聞社

「日満議定書調印」という広く世界にアピールすべき出来事を写真に納め、いち早く大阪の朝日新聞社に届けようとしたのですが、

同様のことを毎日新聞社も行いました。

毎日新聞がこのフィルム輸送に使用したのは当時国内最速のロッキード・アルテア機。

対する朝日新聞社は鈍足のデ・ハビランドDHプス・モス機。

毎日新聞のロッキード・アルテア機は朝日新聞のデ・ハビランドDHプス・モス機と比べて、

航続距離では2倍、速度は1.5倍という性能を誇りました。

ロッキード・アルテア機は朝鮮半島を経由する航路を取りましたが、鈍足のデ・ハビランドDHプス・モス機は

これに対抗する唯一の航路である日本海横断を決行したのでした。

asia_asia_kouiki_east_2.gif

図にするとこんな感じです。

碑文に出てくる「新京発直線飛行ヲ以テ勇敢ナル最初ノ日本海横断ヲ決行セリ」という一文の裏にはこんな事情がありました。

デ・ハビランドDHプス・モス機は新京飛行場を離陸。19時30分に大阪に到着する予定でした。

ところが予定時間を過ぎても大阪飛行場に到着せず、また本土飛行経路に飛行した様子もなかったため、

日本海上に不時着水したと判断され、舞鶴海軍要港部から駆逐艦が出動し航路海面を捜索する騒ぎとなりましたが、

結局何も発見することができませんでした。

そして9日後の24日午後、現在碑の建っている八橋沖で機体の一部が発見されたのだそうです。

因みに酒井飛行士は、新千歳空港開港のきっかけを作った人物でもあります(下記リンク参照)。

 

 D20_0107.jpg

碑のある丘から。

予定通りならこの上空を通過して一路大阪へ向かうはずだったのですが。。。

 

酒井片桐飛行殉難碑:map  


      鳥取県・酒井片桐飛行殉難碑      

酒井片桐飛行殉難碑 データ
設置管理者:朝日新聞社
所在地:鳥取県‎東伯郡‎琴浦町‎八橋‎
座 標:N35°30′12″E133°40′22″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1932年 9月15日 酒井片桐両士遭難
       24日 八橋沖で機体の一部が発見される
1933年 9月15日 碑建立

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