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陸軍米子飛行場(三柳飛行場)跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2012年10月訪問 2018/3/10更新  


無題.png
1947年10月(USA M515-6 19) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前記事の美保基地の東南東約8.8kmにある米子ゴルフ場と、国道431号線を挟んで南側にある陸上自衛隊米子駐屯地。

かつてここに陸軍米子飛行場(三柳飛行場)の滑走帯と養成所宿舎等施設がありました。

防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

に「米子飛行場要図」があり、先頭のグーグルマップはこの要図から作図しました。

当時と比べて、海岸線がやや後退したみたいですね。

終戦から2年余が経過した1947年撮影の航空写真では、

見ての通りで飛行地区の南側にある付帯施設が結構な大きさで目立っているんですが、

「要図」に描かれているのは、先頭のグーグルマップに示した通り、飛行地区(パープル)と、

南側にある「養成所宿舎」(グレー)のみで、しかも結構小さいです。

航空写真は直接閲覧できるので、ここは「要図」の方を優先して作図しました。

敷地境界線に見える地割が複数あり、どの線を拾ったものかと迷ったんですが、

「要図」には飛行場敷地の広さとして、 「南北900、東西1200」と記載があります。

最も怪しい線で作図したところ、南北方向はピッタリ900mでしたので、こんな感じではないかと。

(東西方向は40mの誤差がある)

同資料「米子飛行場記録」を以下引用させて頂きます。

判決 自重十五頓以下の飛行に適するも冬期降雪量大にして制限おうく

飛行地区
滑走地区 一〇〇〇x七〇 約一〇糎 粘土敷転圧
舗装路 なし
土質 粘土質 厚さ一〇糎
地表面の状況 表面張芝なるも表土少く粘土下砂地にして地耐力弱し
周辺障碍物の有無 東西に高さ一〇米の松林あり東南東二〇〇〇米の地点に高さ四五米の無線塔あり

付属地区
誘導路 なし
宿営 なし 乗員養成所の宿舎は爆砕しありて使用不可能なり
夜間着陸設備 飛行場限界灯及着陸照明設備あるも破損しあり且長期使用し非ず
動力線 有り 但修理を要す
電灯線 乗員養成所内にあるも修理を要す
給水 水道あり修理を要す 水質良好なるも良少し

其他
風向 四・五・六月東北東 七・八・九月東及西風 其他西風
冬期 冬季(自十一月至三月)降雨雪天多く使用を制限せらる積雪量八〇-一〇〇糎なり

終戦の頃の米子飛行場も多分に漏れずズタボロにされていたのですね。

米子駐屯地サイト内でも、「飛行場は米軍の空爆で荒れ放題、すこぶる危険な状態だった」とあります。

当時の苦労が偲ばれます。

2014/9/12追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、米子中學校グライダー部が「米子飛行場」を使用していたという記録が残されています。現在の米子空港は1943年10月に海軍航空基地として開設しました。米子中學校が滑空場として使用していたのは1940年ですから米子空港では計算が合いません。米子中學校が使用していたのは1938年開設の当飛行場のことだと思います。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m 

D20_0081.jpg

米子ゴルフ場。

隣接する弓ヶ浜公園から撮りました。


 

      陸軍米子飛行場(三柳飛行場)跡地      

陸軍米子飛行場(三柳飛行場) データ

設置管理者:逓信省→旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:鳥取県‎米子市‎両三柳‎
座 標:N35°27′42″E133°19′34″
着陸帯:1,200m×900m
(座標はグーグルアースから)

沿革
1938年 「米子飛行場」開設
     東京-京城(現在のソウル)-新京(現在の長春)を結ぶ国際線が燃料補給を主目的として飛来
     逓信省航空局乗員養成所開設。民間パイロットが養成された
1940年 この頃米子中學校グライダー部が当飛行場を使用していた
1941年 陸軍飛行場となる
1945年 特攻隊が編成され訓練が続く最中終戦
1950年 警察予備隊米子部隊発足

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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日 


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コメント 4

tooshiba

ゴルフ場に転用ってことですか?
軍施設の遊び場としては標準装備の代物ですが>ゴルフ場(国内にも米軍オンリーの施設がまだ残っています)
現在の米子駐屯地も合わせて米軍(GHQ)が接収→米軍(GHQ)がゴルフ場に転用→返還後もゴルフ場のまま
とかでしょうか。
by tooshiba (2012-12-20 15:22) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■tooshibaさん
跡地が戦後どうなったかについてですが、
「昭和25年8月、旧逓信省航空機乗員養成所跡地に米子市議会が警察予備隊の駐屯を要請」
という記録しか発見できませんでした。
終戦から5年間、ここがどうなっていたかが不明です。
戦後飛行場は米軍に接収されるケースが多い訳ですが、当跡地については接収されたという記録を見つけることができません。
少し前にtooshibaさんが、跡地に経った病院のサイトに「ここは昔飛行場であった」と詳しく書かれていることを教えてくれましたが、
当ゴルフ場公式サイトにはそうした点が触れられていません。
戦後はしばらくの間ほったらかしだったのかもしれないですね。
by とり (2012-12-21 05:21) 

鹿児島のこういち

警察予備隊を申請ですか?戦後の混乱期にほっておかれましたかね?(^^ゞ
by 鹿児島のこういち (2012-12-21 18:45) 

とり

■鹿児島のこういちさん
そうなのかもしれないですね。
返事が遅れてしまい申し訳ありません。
by とり (2015-04-20 18:21) 

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