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浦和(埼玉第一)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2016年12月訪問、2017/10/25:更新  

無題5.png
1944年9月当時の写真(891 C2 66) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


 
埼玉県さいたま市、志木市にあった「浦和(埼玉第一)飛行場」。

防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」

の中に「浦和飛行場」の地図がありました。

それによれば、現存する「宗岡第二号横提」の丁度上に吹き流し(先頭の航空写真A地点)が、

そして横提の下流側(B地点)に格納庫、宿舎、事務所兼休息所、炊事場がありました。

「横提」とは耳慣れない言葉ですが、川の流れに対して、通常とは異なり直角に築く堤防のことです。

河流側に諸施設が建設されましたので、余程の洪水にならない限り、流されることはなかったはず。

沿革にもまとめましたが、

昭和12年に埼玉義勇飛行会の「埼玉第一飛行場」として設置許可、

後に帝国飛行協会に経営者変更となり、その後「浦和飛行場」に名称変更しました。

水路部作成の地図には、三日月型の河川敷内が飛行場として示されています。

そして河川敷内に特に「飛行適地」の線が引かれており、上のマップはその通りの線を引いてみました。

川の流れが変わってしまい、現在飛行場跡地はほとんど川底ですね。

飛行場の敷地は最大でも500m程度でしたが、ここを拡張して首都北部の防空用飛行場とする構想があったのですが、

戦局の悪化により実現しませんでした。

志木市発行の資料、「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」の中で当飛行場のことが取り上げられており、

「秋ヶ瀬飛行場で細田学園生徒による勤労奉仕(昭和19年)」という写真と共に、

「現在の秋ヶ瀬取水堰近くに秋ヶ瀬飛行場があり、主に入隊前の訓練生がグライダーの訓練を行っていました。今も残されている荒川の横提を背に、格納庫などが作られ、その南側に飛行場が広がっていたといいます。」

と記されていました。

記事中にある通り、地元では「秋ヶ瀬飛行場」、「秋ヶ瀬浦和飛行場」とも呼ばれていたようです。

DSC_0019.jpg

右岸側から。

最初は飛行場敷地で現在も河川敷が残っている左岸から撮ろうと思ったのですが、

造成中でダンプが行き交っており、近づけませんでした。


     埼玉県・浦和(埼玉第一)飛行場跡地      

浦和(埼玉第一)飛行場 データ
設置管理者:埼玉義勇飛行会→帝国飛行協会
空港種別:非公共用
所在地:埼玉県志木市宗岡、さいたま市桜区下大久保
座 標:N139°36′14″E36°14′78″
標 高:5m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1937年 7月30日 埼玉義勇飛行会の埼玉第一飛行場、逓信省より設置許可
1939年 3月15日 財団法人帝国飛行協会に経営者変更
1940年 1月12日 浦和飛行場に名称変更

関連サイト:
首都圏における飛行場と都市計画(pdf) 
Wiki/浦和飛行場  
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この記事の資料:
「Shiki ity 2015.8 戦後 70周年 平和への願い」
防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料 関東地方飛行場及不時着場 昭和18.8 」


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