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館林(大西)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年4月 訪問 

無題2.png 1947年11月当時の写真(USA R465-No1 178) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

群馬県館林市と邑楽町にまたがる「陸軍館林飛行場」跡地。

戦後進駐があり、館林飛行場は短い期間ではありますが「小蓋基地」になります。

1946年9月にはその基地も閉鎖され、引揚者の入植地として開放されました。

上の写真は1947年のもので、いかにも陸軍らしい方形の飛行場敷地内で既に入植が進んでいる様子が見てとれます。

また、敷地北東の角地には、基地への物資輸送に使用された引き込み線の曲線が微かに見えています。

 

無題3.png
1964年5月当時の写真(MKT649X C2 12) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

終戦から17年後の1962年、館林飛行場跡地の一部を大西氏が買い取り、「大西飛行場」を建設します。

上の写真は建設から2年後の写真。

本当にギリギリですが、滑走路は館林飛行場敷地内にあります。

 

無題4.png
1973年5月当時の写真(MKT731X C11 15) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

1969年の写真まで、滑走路はずっと1本なのですが、次に閲覧可能な1973年の写真では、

滑走路すぐ北側に新たな平行滑走路ができています。

大西飛行場名物のあの「滑走路を横断する道路」も映ってますね。

 

無題5.png
1975年1月当時の写真(CKT7418 C62 18) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

R/W26エンド拡大。

旧滑走路にXのペイントが。

その後大西飛行場は、2003年12月に閉鎖してしまうのですが、滑走路は閉鎖後もしばらく残ります。

 

無題6.png
2009年4月当時の写真(CKT20091 C2 33) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

これが2016年現在閲覧可能な最新の写真です。

滑走路西側には巨大な建物がありますが、滑走路東側がまだ残ってますね。

旧滑走路もかろうじて残っているような。。。

で、ここまでの流れを踏まえた上で、現地にお邪魔してきました。

(陸軍時代の敷地を意識して写真撮ってないから撮っとこう。大西飛行場時代の一部残っている滑走路を今のうちに撮っておこう。)

そう思っていました。

 

このマップは、国土地理院の航空写真と共に、水路部発行の「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 」の中に

「館林陸軍飛行場」の詳しい地図と資料があり、それを参考に作りました。

「それを参考に」とは言っても実際には、現在でも地割に飛行場当時の敷地境界線がハッキリと残っており、

資料や航空写真なんか見なくても、(多分こんなだろう)という感じでササッと線が引けてしまい、

作図としては超簡単な部類に入るのですが、

資料、写真と比較しつつ実際に地図上に線を引いていくと、なんだか辻褄が合いません。

確認してみると、水路部の地図と航空写真とでは、線路に対する敷地の角度が時計回りに7.4°もズレています。

水路部は旧日本海軍内部で図誌を扱っていた部署なので、オイラにとっては、「海軍版国土地理院」のようなもの。

その水路部様発行の御地図は絶対的に正しいのだと信じて疑いませんでした。

(おかしいのはむしろ線路の方! 現在の地割の方!)

そう考えました。

軍の飛行場建設のために線路を移設した例としては、埼玉県の松山飛行場があり、

群馬県内でも、こちらの例は工場ですが、館林飛行場のすぐ近くに中島飛行機の工場建設のため、

完成からまだ1年しか経っていない線路を移設させたという例があります。

…って、コレ、館林飛行場付近の線路も含めてすべて東武鉄道なんですよね^^;

しかし、じっくり時間をかけて戦中~戦後の航空写真を何枚見比べても、

水路部の地図がおかしいか、もしくは線路を移設したり、飛行場境界線の道路を全体的に動かしたか、

そのどちらかでなければどうしても説明がつきません。

わざわざ線路を移設させた先の二例は、線路の一部が飛行場/工場にかかってしまうため、

その部分を移設して飛行場/工場を建設しました。

ところがここ館林に関しては、線路と飛行場敷地はまったくかかっておらず、

航空写真を何枚見ても線路を移設した形跡はなく、そうする必然性があったとも思えません。

更に、実際の地割がおかしいとするなら、先ず1,400mx1,400mの飛行場の地割を消し、

次いで微妙に角度を変えた1,400mx1,400m地割を新たに付け直さねばなりません。

あまりに非効率で、あり得ないことです。

そしてこの資料に描かれている基地をバイパスするために付けられたと見られる敷地北側の主要道の形が、

航空写真と比較してあからさまにヘンであることに気が付くに至りようやく、(水路部の地図がおかしい)と思い至ったのでした。

どうしてこうなるのかしらん。

戦時改描?? 海軍が陸軍の基地を作図したから??

水路部作成の地図は身内のための資料となるはずで、どうしてこんなことをするのか意味不明です。

それはともかく、以下実際にお邪魔した際の写真を並べてみます。

 

DSC_0038.jpg

飛行場北東の角部分。飛び出した形になっていますが、ここに分校の格納庫等施設がかたまっていました。

現在この周辺は、関東短期大学、関東学園大学付属高等学校になっています。

 

DSC_0040.jpg

飛行場北西の角部分。

現在でもしっかりと地割が残っています。

陸軍の境界杭が残ってないかしらん。とウロウロしたのですが、犬に吠えられるのみで何も見つけられませんでした。

 

無題7.png
2009年4月当時の写真(CKT20091 C2 33) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)  

大西飛行場当時名物だった、「滑走路を横断する踏切」。

ここに行ってみることに。

 

DSC_0034.jpg

・A地点

この道を進むとその先に踏切があったはずなのですが、なんと飛行場敷地に沿って運送会社の施設ができています。

滑走路を横断どころか、その道が完全に建物で分断されてしまいました。

こちら側に旧滑走路、そしてその奥に新滑走路があったはずなのですが、もう跡形もありません。

フェンスにぶつかったところで(本当はぶつかってないけど)右折し、格納庫があった場所に向かいました。

 

DSC_0031.jpg

格納庫があった辺り。

もうすっかり運送会社ですね。

次に、先程の踏切渡った向こう側に回り込んでみました。

 

DSC_0033.jpg

・B地点

……来るのが遅かった。遅すぎたんや。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

もしかしたら滑走路の一部は残っているのかもしれませんが、完全に会社敷地内になっており、フェンスで取り囲まれ、

もはや滑走路があった場所に近付くことも、視認することも(オイラが探した範囲では)できませんでした。 


      群馬県・館林(大西)飛行場     

館林(大西)飛行場 データ

設置管理者:陸軍→大西氏→㈱大洋航空
空港種別:軍用飛行場→非公共用飛行場
運用時間:大西飛行場当時:9:00~17:00(または日没まで)
所在地:群馬県館林市近藤町760
標 点:N36°13′57″E139°29′35″
標 高:65m
着陸帯:館林飛行場当時、芝張地区は950m×800mと記載あり
滑走路:600m×25m(大西飛行場当時。旧滑走路は630m位ありそうに見えるのですが。。。)
着陸帯:720mx60m
磁方位:08/26
航空管制周波数 129.9

沿革
1936年 群馬県館林市と邑楽町にまたがる農地を陸軍の飛行場として用地買収
1937年 陸軍館林飛行場完成。熊谷陸軍飛行学校館林分教場開設
1944年 陸軍航空士官学校 館林分教場として使用開始
1945年 2、3月 頻繁に爆撃を受け、士官学校本隊は満州へ移転。戦争末期に本土決戦用の特攻隊訓練基地となる
      終戦と共に12人が進駐。小蓋(こぶた)基地となる
1946年 9月 基地閉鎖。その後引揚者の入植地として開放される
1962年 跡地の一部を大西氏が買い取り飛行場を建設
1963年 館林航空KKの飛行場として発足
1964年 タテバヤシエアロと改称
1972年 借金が膨らみ、土地、経営権の一切を売却。「大西飛行場」の名前はそのまま残され、運用が続けられる
2003年 12月供用停止

*水路部作成の館林飛行場の資料の中にデータがありました。
面積 東西1,300米 南北1,300米
張芝地区ハ東西950米 南北800米
地面ノ状況
硬度ハ普通ナルモ降雨後ノ排水不良ニシテ特ニ南西隅ノ一部ハ地盤軟弱ト爲ル
格納設備 
格納庫 鐵造(80x50米)1棟、(40x50米)1棟
木造(40x30米)3棟
通信設備
館林郵便局(電信及電話取扱)東方約3粁
観測設備 陸軍象観測所アリ、航空気象ヲ観測ス
給油設備 アリ
修理設備 アリ
宿泊設備 兵舎アリ、館林町ニ旅館アリ
地方風 全年ヲ通ジテハ北北西風多シ
地方特殊ノ気象 夏季雷雨多シ
交通関係 館林駅(東武鉄道)東方約3粁
(昭和18年4月調)

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
群馬の戦争遺跡
21世紀へ伝える航空ストーリー 戦前戦後の飛行場・空港総ざらえ
「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 」


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