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洲崎飛行場跡地(父島) [├国内の空港、飛行場]

      ( 訪 問 困 難 ) 2018/2/18:更新   



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撮影年月日1968/12/20(昭43)   KT681YZ C1A 2

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測量年 1968(昭43) 14-GE-04
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・2枚とも)

アクセス

東京の南約1,000kmにある東京都‎小笠原村‎父島。

この島の洲崎に旧海軍の「洲崎飛行場」がありました。

同じく東京都江東区にも同名の飛行場があったため紛らわしいのですが、当記事は父島の飛行場の話です。

父島には現在使用可能な滑走路がなく、東京竹芝桟橋から小笠原海運のおがさわら丸(通称おがまる)で行きます。

所要時間は片道25時間30分。

東京10:00出港→翌日11:30父島着
父島14:00出港→翌日15:30東京着

というのがパターンになっているようです。

父島に入港したおがまるは、2時間半後にすぐ東京に向け出港するか、

そのまま父島に停泊し、3日後に出港するいずれかのことが多いようです。

運賃は片道29,310円(2014年7月現在)。 

これでも二等の金額です(往復割引制度は無し)。 

…結構しますね。

2018/2/18追記: 2016年10月に行きました!さんから情報頂きました。

2016年7月から新おがさわらまる就航により少しだけ早くなりました。

所要時間は片道24時間00分。
東京11:00出港→翌日11:00父島着
父島15:30出港→翌日15:30東京着

2016年10月に行きました!さんどうもありがとうございましたm(_ _)m

公式サイトを見てみると、従来は東京出港時刻が10:00だったため、鉄道、航空機の始発を利用しても、

同日出発可能エリアが秋田~鳥取、岡山辺りまでに限られ、それより遠方のエリアだと前泊が必要でした。

今回出港が1時間遅くなったことにより、同日出発可能エリアは、札幌~長崎、鹿児島まで大幅に広がりました。

また、2018年2月の二等和室の片道運賃は、大人23,560円でした。

仮にオイラが父島の飛行場を見に行こうとした場合、出発してから東京に戻ってくるまで最低でも6日間かかります。

私事になりますが、オイラは6日間休みをとることは出来るのですが、

それは「仕事に何事も問題がない場合」で、しかも「この日からこの日まで」と決まっており、

本当に6日間休めるかどうかは直前まで分かりません。

しかも何かあれば、すぐに戻らねばならない。という条件付きです。

次の記事で書きますが、おがまるの運航スケジュールを無視してすぐ本土に戻るためには、

無事見学が全て終了したところで本土の病院に緊急搬送しなければ命にかかわる重篤な病気か事故に遭う必要があり、

今の仕事をしている限り、オイラが父島に行くのは難しいです。

「大島、神津島強化月間」の後ということで、訪問の難しい東京島嶼の飛行場の記事をこの機会にアップしようと思いました。

滑走路の長さ 

前置きが長くなってしまいましたが、「洲崎飛行場」の話に移ります。

先頭のグーグルマップの滑走路は、1968年測量の地図を参考に作図しました。

滑走路の長さについては、資料により

500m、600m、700m、800m、1,000m、1,100m、1,500m と様々な数字が並ぶのですが、

地図通りに作図して測ってみると、ピッタリ500mでした。

上図のように滑走路の両端は海岸が迫っており、流石に800m以上は無理と思いますが、

後述する通り、この滑走路はあまりに短過ぎて事故が続出したため、計画では500mであるものの、

少しでも滑走路を延ばそうとする動きがあり、それで色んな数字が並ぶのかもしれません。

グーグルアースで当滑走路南端の標高がうまく表示されない(海面部分でも6mと表示される)ため、

高低差を考慮に入れる事が難しいのですが、650m位の長さはなんとかとれそうに見えます。

滑走路西側には、向きといい、太さといい、如何にも舗装された滑走路っぽいものが隣接しており、

作図前、これは滑走路跡かも。と思ったのですが、違いました。

これは多分自動車教習所だと思います。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:父島 建設年:1943 飛行場長x幅 米:1000x400 主要機隊数:小又ハ中型 主任務:補給 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 特ニ燃料置場多数アリ 掩体:施設アルモ数量不明 其ノ他記事:周囲ニ障害物アリ 不時着程度

 

農業試験地 

「小笠原戦跡一覧」の中で当飛行場の事が出ていました。

昭和7年、野羊山東側の干潟を埋め立てて海軍飛行場の建設が開始された。

昭和12年、工事完了。ワシントン条約の関係上、農業試験地の造成という名目で施工したという。

後に海軍航空隊洲崎飛行場として南方への中継基地として使用されるようになった。

戦時中には近傍の振分山北側麓に飛行機の格納庫が建設されたが途中で平射砲台などの用途に変更された。

現在は建設残土置き場と自動車教習場として使用されている。

 

対外的に海軍の飛行場ということは内緒にしていたのですね。

昭和10年測量の地図(下記リンク参照)で確認すると、飛行場のあった部分がゴッソリ白抜きになっています。

「農業試験地の造成」という名目で洲崎飛行場の建設が行われたのは昭和7年~12年。

測量は昭和10年ですから、名目を偽って建設していた時期と丁度重なります。

これがいわゆる「戦時改描(省略改描)」ということなのだと思います。

完成した飛行場は、東京府第1農場の名目で海軍の不時着陸場となりました。

最初に飛行場に降り立ったのは、父島出身のパイロットだったのだそうです。

 

父島の主役 

当飛行場について、「父島洲崎の変遷について(その2):洲崎飛行場と太平洋戦争」

という非常に詳しいサイト様(下記リンク参照)があります。

以下要約して記させて頂きます。

飛行場となった場所は、元々非常に美しい砂浜でした。

その景観を変えてしまう難工事の末に完成した飛行場なのですが、

滑走路が非常に短くて度々事故を起こしたため、あまり使われなかったようです。

そのせいでしょうが、父島に配備されたのは、

零式三座水上偵察機、二式水上戦闘機、九四式三座水上偵察機といった各水上機で、

1943年10月以降九七式艦上攻撃機が8機配備されています。

つまり父島に配備された海軍機は水上機が主ということです。

1944年6月、米機動部隊による硫黄島攻撃があり、父島も80機の艦載機から空襲を受けました。

洲崎飛行場被弾2、水上機基地では格納庫焼失1、21機炎上という被害記録が残っています。 

翌7月4日にも空襲があり、洲崎飛行場被弾2、水上機基地司令庁舎と機雷庫が破損、

艦船の多くが撃沈・大破と記録されています。

このように、陸上機のあまり配備されていなかった洲崎飛行場ではなく、水上機基地、艦船が主目標となりました。

 

米軍にとっての父島 

同年8月12日、サイパン基地から発進したB-24による攻撃を受けました。

これが父島への初の陸軍機による攻撃で、これを皮切りにサイパン、グアムから爆撃機がしばしば飛来するようになりました。

8月31日から9月2日にかけて、空母エンタープライズ、フランクリン、軽空母サン・ジャシントによる

小笠原諸島父島・母島・兄島への攻撃が実施されました(パパ・ ブッシュが父島の対空砲火で撃墜され、潜水艦に救助されたのは当作戦中)。

この作戦について、米側のこんな記録が記されています。

「(8月31日の攻撃は)すべては一回の攻撃で終わった。父島は太平洋のアメリカの作戦に対する大きな脅威ではなかった。洲崎飛行場には飛行機は一機もいなかったたし、二見港には大きな船舶がいなかった。(中略)この間、エンタープライズの古参の乗組員と航空群はぶつぶつと不平を漏らしていた。自分たちは二軍で野球をやらされている。戦いの中心から遙かに離れた、大して重要でない施設を攻撃させられている。(中略)2隻の空母(新空母のフランクリン、サン・ジャシント)には、実地訓練が必要だった。新しい航空群に比較的軽い抵抗で実践を経験させることが必要だった。」

輸送船団と父島への艦砲射撃についての戦闘記録では、レーダーの性能や運用に関するコメントが細かく記載されており、

父島が実戦訓練の場、新兵器の試験の場として利用されたのかもしれません。

 

硫黄島

翌1945年2月18日、21日、父島から硫黄島(父島の南南西270km)の米艦船に対し特攻が行われました。

これは硫黄島攻防戦での支援作戦の一環であり、洲崎飛行場は当作戦の中継基地となり、重要な役割を演じました。

小さな飛行場であり、陸上機があまり配備されていなかったため、アメリカ軍が重視していなかった洲崎飛行場ですが、

これを期に洲崎飛行場への攻撃が激しさを増すようになりました。

アメリカ軍は洲崎飛行場に対し、艦上機、陸軍機により集中的な攻撃を行いました。

前年1944年8月から始まった米陸軍機による父島攻撃もずっと続いていたのですが、

サイパンからの飛来は1945年2月が最後となりました。

以降サイパンはB-29による本土爆撃に専念したと思われます。

3月17日に硫黄島が陥落。 

そして早くもこの月から硫黄島を離陸したP-51が父島攻撃に飛来します。

これ以降、グアムからB-24が、硫黄島からP-51とP-61がやって来るようになったのでした。

話は一気に戦後になりますが、1953年に洲崎の飛行場が緊急着陸飛行場として米軍によって再整備され、 

同年3月9日に海軍の飛行機が利用したことも書かれており、その時の滑走長は750mで幅が210mという記録が残っています。

 

2017年7月27日に都庁にて小笠原航空路開設の検討が7年ぶりに開催されました。

これまで検討してきた複数の航空路案の中から、

世界自然遺産の区域に該当しない父島の洲崎地区に空港を建設し、

プロペラ機を活用する案を軸に具体的な検討を進めていくのだそうです。

運用機は定員50人規模のプロペラ機で所要時間はおよそ2時間半とし、1,200m滑走路を持つ空港案を示し、

今後は自然環境への影響、航空路の採算性などより詳細な検討を進めていくことになります。


      東京都・洲崎飛行場跡地(父島)     

洲崎飛行場(父島) データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:軍用飛行場
所在地:東京都‎小笠原村‎父島‎洲崎
座 標:N27°04′19″E142°11′28″
滑走路:500m
磁方位:02/20
*座標、磁方位、滑走路長はグーグルアースにて算出

沿革
1932年 着工
1937年 完成
1944年06月 艦載機から空襲を受ける
      07月 艦載機から空襲を受ける
      08月 機銃掃射、艦砲射撃を受ける。陸軍機による初爆撃を受ける
1945年02月 硫黄島の米艦船に対し特攻機出撃
      03月 硫黄島を離陸したP-51から攻撃を受ける
      08月 終戦。戦後はサンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の占領下、米軍施政となる
1946年10月 欧米系の旧島民のみ帰島が許可される
1953年     緊急着陸飛行場として米軍によって再整備される 
1968年06月 小笠原復帰協定により小笠原諸島が日本に返還
2017年 7月27日 小笠原空港、洲崎に空港を建設する案を軸に検討活発化へ
2018年 2月  小笠原村長、小池知事に対し、6月の返還50周年の式典までに計画の方向性を示すよう要望

関連サイト:
父島洲崎の変遷について(その2):洲崎飛行場と太平洋戦争 (pdf)   
国土地理院 1935年測量の地図(2.5万地形図 25000 145-2-2-2) (飛行場部分が白抜きになっている)  


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コメント 14

鹿児島のこういち

東京から1000kmというと、東京から鹿児島、枕崎くらいの距離になるのですかね?
船で25時間もかかれば疲れるのか、はたまた、のんびり、海を眺めながら船旅ができるのか(^O^)
by 鹿児島のこういち (2014-07-23 10:06) 

アノール

いまは教習所としては一切使われていません。また,何回も使われたわけではないようです。2~3年前に行ったとき,現地は草ぼうぼうの状態でした。草ぼうぼうになる前に走ったことがありますが,ちゃんと「踏切」もありました。
by アノール (2014-07-23 20:34) 

アギラ

今晩は、毎秋サンシャインで小笠原の人たちの踊りを見ているので
いつかは行きたいなと思っています。
90年代だったでしょうか?
横浜から小笠原へ水上機が飛ぶことになり客室乗務員も決まっていた
のに結局ダメになった事がありました。
東京湾の久里浜から金谷に渡るフェリーでさえぶつかりそうで怖いと
思っているのに水上機だったらかなり恐ろしいだろうと
思っていました。
3年前、知り合いから小笠原クルーズに誘われましたがその値段は
30数万円でした。
私はその金額なら海外に行きたいと言って断ってしまいました。
ですが貨客船「二十八共勝丸」には以前から1度は乗りたいと
思っているのですが小笠原在住者でないと乗れない船なのだとか。
残念です。
by アギラ (2014-07-23 22:17) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
>枕崎
直線距離だと丁度この辺ですね。
>はたまた
どうなんでしょうね~。
そういえばオイラはいつも船内ではゴロゴロしてることが多いのに
降りるとなんかダルいです。

■アノールさん いらっしゃいませ
父島の教習所は2004年頃まで隔年で定期的に自動車免許試験ためのコースとして使われていました。
受験生自らコースの草刈りをするのだそうです。
コメントありがとうございました。

■アギラさん
おはようございます。
>サンシャイン
そんなイベントがあるのですね。
>横浜
横浜国際航空ですね。
実現すれば面白いと思っていたんですけどね~。
計画が行き当たりばったりで、なんだかな~。と思ってました。
>クルーズ
なかなか体験できない旅行になるのでしょうね。
>共勝丸
時間はかかるけど運賃が安くて裏ルート的に思っていたのですが、
地元の方限定だったのですね。
by とり (2014-07-24 05:51) 

sionoiri

http://square.umin.ac.jp/pb165/oga06/Airport/index.html
逝ってみました、よその島
by sionoiri (2014-07-25 20:45) 

とり

■sionoiriさん
リンクありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2014-07-26 08:17) 

行った事ある人

共勝丸は2014年以降旅客運用を停止しています。したがって現在民間人が小笠原に行くにはおがまるに乗るかヨットや客船で行くしか方法がありません

by 行った事ある人 (2016-05-05 22:44) 

とり

■行った事ある人さん
いらっしゃいませ
停止してたんですね。
情報どうもありがとうございました
by とり (2016-05-06 05:03) 

2016年10月に行きました!

2016年7月から新おがさわらまる就航により少しだけ早くなりました。

所要時間は片道24時間00分。
東京11:00出港→翌日11:00父島着
父島15:30出港→翌日15:30東京着

以上、ご参考までに。
by 2016年10月に行きました! (2018-02-17 10:39) 

とり

■2016年10月に行きました!さん
おお、まったく知りませんでした。
記事更新させて頂きました。
情報ありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2018-02-18 08:45) 

2016年10月に行きました!

反映ありがとうございます。
世界自然遺産登録後は便数も増え、繁忙期には2泊3日あるいは3泊4日のツアーも可能となりました(詳細は小笠原海運の時刻表の5月・7月をご覧ください)。
ただ、2泊3日で父島に4時間半だけ滞在というのもあまりに過酷ですし、それなりの覚悟がいるのはあまり変わらないかもしれませんね!
こちらこそ新空港情報よろしくお願いします!

by 2016年10月に行きました! (2018-02-18 14:42) 

とり

■2016年10月に行きました!さん
いえいえ、こちらこそありがとうございました。
せっかく24時間かけて行って、滞在時間たったの4時間半では確かに勿体ないですね。
7月には父島に11時に着いて、翌日15:30出港という日もあるんですね~。
これなら行けるな~。
またまたありがとうございましたm(_ _)m
父島の空港建設については、これまでにない程現実味を帯びているようですが、
賛否両論様々ですね。
実際に父島を経験された方としては、
どのようなお考えをお持ちなのか、もし差し支えなければ、
ご意見聞かせて頂ければ幸いです。
by とり (2018-02-18 17:05) 

2016年10月に行きました!

ご返信ありがとうございます。
なかなか難しい問題ですので返信が遅れました(^^;
村長をはじめ役場の方々の多くもより便利かつ確実な交通手段がある方が良いと考えていると思いますし、一観光客としては訪問しやすくなりますので賛成です。
他方、都会のしがらみから逃れてきた移住者にとっては魅力が減るでしょうし、環境を重視する方々にとってはより多くの方が訪問することによる生態系への影響が気になるところではないでしょうか。

by 2016年10月に行きました! (2018-02-22 09:34) 

とり

■2016年10月に行きました!さん
悩ませてしまっていたのですね。
不躾な質問をしてしまってすみませんでした。
反対のための反対ではなく、反対したくなる尤もな理由もちゃんと存在するのですね。
空港大好きなオイラ個人としましては実現して欲しいのですが、
やはり全員が諸手を挙げて賛成という事は決してないということが分かりました。
貴重なご意見ありがとうございます。
また何かありましたら、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
by とり (2018-02-22 18:54) 

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