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旧陸軍大島飛行場(北の山陸軍飛行場)、旧大島空港跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2014年01月 訪問 

無題9.png

東京都伊豆大島にあった「大島飛行場」。

終戦間際の1944年に陸軍の飛行場として設置されました。

地元では「北の山陸軍飛行場」とも呼ばれていたようです。

上図は国土地理院の航空写真を元に作りました(下記リンク参照)。

飛行場は終戦と共に一旦閉鎖されたのですが、その後村営飛行場、そして第三種「大島空港」として使用されました。

現在はすぐ西側に建設した新滑走路を使用していますが、

空港の旧滑走路は一部を除き、両端のターニングパッドを含めてほぼ当時のまま残っています。

今は使われなくなった滑走路跡を見てきました。

 

D20_0046.jpg

・A地点

陸軍当時もこの辺りから画面奥に向かってダーッと飛行場だったはずです。

 

D20_0040.jpg

・B地点

陸軍当時の飛行場境界線がどこまでも真っ直ぐな道となり残っています。

ここで右を見てみると-

 

D20_0041.jpg

こんな感じ。

見にくいですが、奥のアスファルト部分が現在の滑走路。

手前のアスファルト部分が旧滑走路。

大きくXがペイントされているのが分かりますでしょうか?

 

D20_0005.jpg

以下展望デッキから。

上の写真には3つのエプロンが写っています。

1番手前のヘリが駐機しているエプロン、そのお隣に小型機が駐機しているエプロンがあり、さらにその奥にもう1つあります。

最も古いのが、一番奥のNR.3エプロンで、現在はヘリコプター用に使用しており、

その次に出来たのが真ん中のNR.2エプロンで、現在は小型固定翼機用に使用しており、

最も新しいのが滑走路延長に伴って設置された(ヘリが駐機している)NR.1エプロンです。

 

D20_0010.jpg

デッキからは大きくXがペイントされた旧滑走路が良く見えます。

R/W21からR/W03方向に写真を貼ってみます。

 

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D20_0125.jpg

 

空港近くの「大島町郷土資料館」に当飛行場についての資料がありました。

飛行場建設のいきさつ(全文)
・太平洋戦争4年目の昭和19年1月。軍用飛行場が北の山地区に設置されることになり、住民は強制立ちのきを命ぜられ、六カ村の16から60歳の男女住民に工事命令が出された。(3歳以下の子持ちはのぞく)
・泉津、岡田、元村、野増の4カ村の男子は、朝4時起きし、5時には北の山へ向かって出発した。差木地、波浮の男子は元村の旅館に下宿して通った。女子は朝3時に起き、電機はつかず、ロウソクもろくにない中で、朝食の支度をして、出発は5時半。満員のトラックに1時間半乗せられて通った。2000人位が1日中働いた。村毎の請負仕事となり、80歳の老人まで出役。日当は男4円50銭、女3円。
・トラクターが2台ほどとトロッコがあるだけで、もっぱら人海戦術であった。浜からの砂運び、沢からの石運び、その石をくだく。はじめは1日リンゴ箱1杯だったのが、4,5杯分になる。
・飛行場建設に目鼻がついたころ、愛宕山と風待山に陣地構築が始まった。山全体を陣地と見立て、コンクリート製のトーチカと大砲の砲座を設置し、頂上から縦坑を掘り、内部の壁はコンクリートの代わりに島中から伐ってきた杉材をあてるという代物であった。
・朝は星をいただいて出て、夕は日没手元の暗くなるまで、毎日身を寒風にさらしつつ、竹を伐り、樹を倒して、一日も早く完成させようと汗を流して働いた。
・厳寒の頃から炎暑にいたる長期間、島民の協力によって北の山開墾は順調に進み、19年8月21日現場において竣工式を兼ね、協力隊解散式を挙行した。式後、各協力隊選出の自慢の郷土演芸があり、男には冷酒、女に石鹸の特配があった。
・国のために我慢して作った飛行場であったが、戦争に使用されることはなく、むしろ空襲の目標になった。(日本の軍用機が1機不時着したことがある。)
・翌20年8月15日、わが国は、連合国に敗戦した。



もう一つ、「大島町郷土資料館」内に展示されていた航空関係の資料です。

三原山に激突(全文)
昭和27年4月9日(1952)7時33分、羽田発大阪経由福岡行きマーチン202型双発機が7時57分館山上空通過の無電を最後に消息をたった。 10日午前8時半、探索機が三原山噴火口東側1km、高さ610mの地点でバラバラに散乱したもく星号の機体を発見。期待もむなしく捜索隊は四散した遺体から乗客乗員37名全員の死亡を確認。事故調査委員会が原因を究明したが、機長が最低高度以下で飛行し、三原山に衝突したと断定された。



大島町史通史編にあった飛行場関連の記事。

こちらは関係部分だけ抜粋しました。後半は戦争手記になっているのですが、空襲に関して「恐ろしさはさほど感じなかった」とする方と、「恐ろしいと思った」と書く方がおられます。この小さな島に同時期住んでおられて、空襲という同じ出来事に関して印象が異なっているのが個人的に興味深いです。

飛行場建設  
 昭和十九年一月より、元村北の山に陸軍飛行場を建設と決定し工事に着手している。各村の十六歳から六〇歳までの男女(ただし、三歳以下の子持ちは除く)で、病人以外は全員出役して約二〇〇町歩の荒野に飛行場建設と、敷地の建設、並びに滑走路と防空壕、兵舎その他必要な施設の工事に当たった。
 元村、岡田、泉津、野増の者は通いだが、波浮及び差木地は元村に宿舎を置いた。元村旅館に波浮は約七〇名、差木地約一二〇名ぐらい下宿して、毎日四時起きし、五時出発して約四〇分歩いた。これを毎日往復したのである。女子は波浮、差木地、泉津からトラックで通勤したが、電機は重油不足で、二時間の点灯があれば良い方であった。ロウソクもない暗闇の朝三時に起きて身支度を整え、朝飯もそこそこに五時半の出発に間に合わせた。
 現場は各村ごとに協力隊長、副隊長という役を付け、その下に班長がいた。その人たちが出役隊の指揮をとっていた。各村は家業も食糧増産も捨てて飛行場建設に挺身した。ガラ空きの家同然の村の警備と火の用心の見回りはほんの四、五名の老人が当たり、火事でもあれば村内全焼、事故があれば大惨事となる危険があったのだが幸いにも事なきを得た。作業現場で、木伐り、土砂運搬等の人夫仕事に従事したが、事故も多少あった。波浮港出身者でトロッコが転覆して女子一名が足を傷め、泉津村ではトラックから飛び降り、誤ってひかれて命を落とした娘があった。この作業は戦争に勝つためということで無理があり、不満もあったが、誰もががまんせざるを得なかった。疲れて帰りに歩けない者も出て、島民は想像を絶する苦難を強いられたのであった。完成まで約八ヵ月間を要し、工事終了は二十年三月ごろで、軍事に使用されることなく終戦を迎えた。

空襲の激しくなったころには少ない男子を補うため、大島防空監視隊本部に女子隊員の参加が認められた。

毎日サイパンよりB29爆撃機が頭上を飛来し、時折グラマン戦闘機が襲って来る。

一般的に大島の空襲は、機銃掃射などが多く、或いは爆撃などであり、その恐ろしさはさほど感じなかった。

東京が空襲されている時はいつもよく見えた。空は赤く染まり、爆弾の音がずっしりと耳にこたえた。

二十年八月十三日、午後二時二十分頃、艦上機らしい米軍機約二三機が来襲して、大島最後の爆撃があった。民家がやられ、島民五人がケガをしたが、死者はなかった。その時の不発弾一発は今でもあるはずだ。

飛行場建設に動員されていた頃機銃掃射されたことがある。富士山の山頂に黒点とみえた二機がアッという間に大島上空に飛来して飛行場に機銃掃射を浴びせた時は恐ろしいと思った。大島に於ける空襲は、ほとんどが機銃掃射であり、爆撃も多少あったが、焼夷弾は全く落とされていない。だから大島の戦時下の生活はくるしくなかったというのではなしに、島民と同数程の日本軍が進駐して、島の生活は、軍を中心に動いたのである。強制疎開命令もその例だが、なによりも戦後までも、今でも回復出来ないでいるのは乳牛である。一万数千人の兵の蛋白補給源として徴用され、当時一万頭いたものが終戦時にはほとんどいなくなったのであった。現在ではそれでもようやく数千頭にまで持ち直している。また杉の木の無茶苦茶な伐採も後々まで尾を引いている。それまでは、材木は自給出来たのである。

 

旧陸軍大島飛行場、旧大島空港 map   


      東京・旧陸軍大島飛行場、旧大島空港跡地     
軍用飛行場建設のため、1日に1,500~2,000人が働いたのだそうです

旧陸軍大島飛行場、旧大島空港 データ
設置管理者:旧陸軍→東京都知事
3レター:OIM
4レター:RJTO
空港種別:軍用飛行場→第三種
所在地:東京都‎大島町‎元町‎
座 標:N34°46′52″E139°21′39″
滑走路:1,200m(旧空港当時)
着陸帯:2,200m×250m(陸軍当時)
磁方位:03/21
*座標はグーグルアースにて算出


沿革
1944年01月 軍用飛行場が北の山地区に設置されることになる
     03月 この頃完成し、引き続き愛宕山と風待山に陣地構築
     08月 陸軍飛行場として設置
1945年08月 終戦。飛行場閉鎖
1952年04月 村営飛行場として開設
         羽田発大阪経由福岡行きマーチン202型双発機が三原山に激突、乗客乗員37名全員死亡
1955年10月 日本ヘリコプター輸送(現ANA)が東京線開設。(DH.104型機)
1960年03月 第三種空港設置許可(滑走路1,200m)
     04月 第三種空港として政令指定
1964年06月 第三種空港として供用開始。全日空が東京線にDH.114型機で定期便就航
1972年07月 照明施設設置(昼間照明施設)供用開始(進入角指示灯、滑走路末端識別灯)
1974年10月 大島空港改良工事の為1975年1月31日まで供用休止
1975年02月 飛行場変更供用開始(滑走路、エプロン強度増、誘導路70mx12.5m→70mx18m)、
          照明施設変更(夜間照明施設) 供用開始
1986年11月 三原山噴火のため運用休止(11月22日~12月22日)
1988年04月 新ターミナルビル供用開始
     07月 照明施設変更供用開始(進入路指示灯設置)
1990年06月 照明施設変更供用開始(進入角指示灯 VASIS→PAPI)

関連サイト:
国土地理院
1947年9月当時の写真(USA M481 13) 陸軍飛行場当時の様子が残る  
1976年9月当時の写真(CKT765 C2 3) 旧滑走路NR.3エプロンのみ  
1999年11月当時の写真(CKT991 C7 4) 旧滑走路NR.2エプロン出現  
2004年4月当時の写真(CKT20042X C4 2) 新滑走路完成、3エプロン体勢 
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コメント 9

鹿児島のこういち

島なんだけど海軍ではなく陸軍なんですね。陸軍の本土最前線?ってことになるのでしょうか?
by 鹿児島のこういち (2014-06-16 20:39) 

me-co

昔から行ってみたい島なんですが、行ったことが無いんですよ。
戦時中は軍中心だったなんて知りませんでした。
そういえば、Q300は退役して、大島便はB737になるんですね。

by me-co (2014-06-16 23:16) 

のぶさん

こちらのブログへ初めて書きます。
昭和34年頃の日活映画で、石原裕次郎主演の「紅の翼」という映画があります。内容は、大島まで血清を運ぶパイロットと同乗した強盗犯を巡る航空アクション映画です。
飛行機は羽田を離陸した後、途中で新島の旧陸軍飛行場へ不時着した後、最後には大島へたどり着きます。新島の場面では、旧軍の掩体が出てくるので、見ものです。
by のぶさん (2014-06-18 16:16) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
島嶼防衛は海軍、本土防空は陸軍と役割分担されていたはずなので、
これはオイラも違和感があります。
建設は末期の時期で、かなりの規模の飛行場ですので、
鹿児島のこういちさん仰る通り、国体護持を睨んだ本土最前線という事なのかもしれないと思いました。

■me-coさん
>B737
それは知りませんでした!
大島は皆さん本当に親切でよくして頂きました。

■のぶさん
あの映画の新島のシーン、実は調布飛行場で撮影を行っており、
バックにでかい書割を使っていた(時間変化に合わせて何枚も作った)らしいですよ。
by とり (2014-06-18 19:07) 

のぶさん

流石、とりさん。博識です。
書割ですか?欧米の映画なら、マットペインティングで合成をします。流石、日本映画です。
by のぶさん (2014-06-19 08:21) 

ジョルノ飛曹長

伊豆大島にも軍の飛行場があったんですよね。^^
言われてみれば確かに・・・
しかし不時着機が1機だけだったとは・・ちょっともったいない感じですね。^^;
by ジョルノ飛曹長 (2014-06-19 12:50) 

とり

■のぶさん
日本映画では昭和15年からマットペイントが使われており、
書割は洋画でも古くから使用されています。
日本映画だから、欧米だから、ということではないと思いますよ。

■ジョルノ飛曹長さん
>ちょっともったいない
同感です。せっかくこれだけの規模の飛行場を作ったのに。。。
しかも空襲受けてますしね。
by とり (2014-06-20 05:13) 

an-kazu

空襲の音が聞こえたのですね・・・

噴火の時はコチラでも聞こえた(正確には振動波のような)のも昔の話
by an-kazu (2014-06-21 10:10) 

とり

■an-kazuさん
>振動波のような
そうなのですか!(@Д@)
それも凄い話だ。
by とり (2014-06-22 16:51) 

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