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都城北(志和池)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2012年11月 訪問 

無題9.png

宮崎県‎都城市にあった「都城北(志和池)飛行場」。

前記事の志布志基地の北約36kmにありました。

ほぼ東西のものがサブ、斜めのものがメインの滑走路でした。

 

2017/3/19追記:防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」

の中で、当飛行場についての非常に詳細な記述がありましたので、引用させて頂きます。

判決 自重五屯以下の飛行機の使用に堪□
飛行地区
 滑走地区 主 一五○〇x一○〇
      副 一七〇〇x一〇〇(未完成)
 舗装路 主滑走路 一二〇〇x五〇 マカダム(不十分)
     副 〃  転圧しあらず 糾草
 土質 黒土
 地表面状況 マカダム舗装は凸凹あり
       糾草(副滑走路)は着陸し得さる程凸凹あり
 周辺障碍物有無 付近-?□林?に注意を要す
付属設備
 誘導路 二〇〇〇x五〇
 宿営 三角兵舎一五(四〇○名収容)
 夜間着陸設備 なし
 動力線 なし
 電灯線 兵舎にあり
 給水 水道なし 井戸あるも水量乏し
其他
風向 北東 時に南西

D20_0178.jpg

・A地点。

ここに飛行場があった証。

この周辺は一面畑作地帯で、「森田原」と呼ばれているのだそうです。

石を敷き詰めて滑走路を固めました。

すぐ南側に大淀川が流れており、そこから何十台も馬車を使って砂利を取ったのだそうです。

滑走路だった場所は大量の砂利が敷き詰められているため、天地返しをしてもゴボウなどは作れないのだそうです。

 

D20_0184.jpg

お隣にある碑。

現地にお邪魔するまで、当時の航空写真等(下記リンク参照)を参考に滑走路の位置と、

「おおよそこの辺りに碑がある」ということが分かっていました。

実際にお邪魔して碑を探したのですが、碑の位置を地図に落してみて初めて、

2本の滑走路の交差部に近く、メインの滑走路のど真ん中に碑が建てられているのだと知りました。

碑のある場所は県道にほど近く、農道沿いで車も比較的停め易い場所です。

当時を良く知る地元の方によって意識的に「ここにしよう」と決められたのでしょうね。

 

D20_0182.jpg

碑文。とても判読できない部分が多いのですが、飛行場だった場所を戦後大変な苦労をして畑に戻したということが刻まれています。

 

D20_0187.jpg

碑の所から見たメインの滑走路西側。

 

D20_0188.jpg

同じく東側

 

都城北(志和池)飛行場跡地:map  


      宮崎県・都城北(志和池)飛行場跡地      

都城北(志和池)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:宮崎県‎都城市‎野々美谷町‎
座 標:N31°47′49″E131°04′22″
滑走路:(メイン)1,500m×100m 04/22   (サブ):1,700m×100m 09/27
(メインは1,600mx160mという資料あり)
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1943年 陸軍省、民有地を借受
1944年 飛行場着工。詳細は不明だが夏には工事が行われていた
1945年 完成。7月下旬特攻機配備されるが出撃することなく終戦

関連サイト:
国土地理院 1946年4月当時の写真(USA M57 294) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)    
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」


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コメント 7

tooshiba

宮崎ブランドの茶葉?は認識がなかったのですが、県全体では全国第4位の生産量を誇る茶どころとのことでした。
(ちなみに、埼玉県は全国第11位。小学校?の社会科の教科書中のグラフでは静岡・京都・福岡・鹿児島等は独立して描かれていたが、埼玉は描かれていなかった=その他扱いでした。幼心に「何でやねん#」って思いました。狭山茶しか知らなかった若気の至りっちゅーやつですわ。)
現在は三重や愛知、奈良の生産量も多いそうですが、30年近くも経てば順位の変動があっても不思議ではありませんね。(^_^;;
以上ウィキペディアより→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%8C%B6
by tooshiba (2013-03-09 12:01) 

an-kazu

南の地でも霜対策があるのですね・・・
by an-kazu (2013-03-09 21:07) 

Takashi

なんだか地元で良く目にするような茶畑が。。。
どこの飛行場もそうですが、畑に戻すのに大変な苦労をされているんですね。
by Takashi (2013-03-09 22:19) 

鹿児島のこういち

終戦間近の時期に、手のかかる工事を行っていたのですね。しっかりした物を造らねばという事だったのでしょうね。
by 鹿児島のこういち (2013-03-10 07:07) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■tooshibaさん
じゅ、十一位…だ…と……(@Д@)ゴクリ…
オイラ狭山茶の生産量って全国で3位か4位だと思ってました。
具体的な資料をありがとうございました。

■an-kazuさん
本当だ!
今気が付きましたΣ(゚Д゚;)

■Takashiさん
なんだか親近感湧く光景ですよね~^^
当時の方のご苦労を思うと本当に頭が下がりますね。

■鹿児島のこういちさん
そうですね~。
本土決戦を含め、やはり準備は先ず九州から。ということでしょうか。
by とり (2013-03-10 19:19) 

マー坊

 特幹の甘木生徒隊を卒業して都城教育隊に行ったと書いていたので、大刀洗飛行学校を見ていたら、都城陸軍飛行場(宮崎県都城市大字横市)とありました。
 なお、都城教育隊に行った人が、それまでは海軍の飛練が使用していたらしい?と書いていました。
 ひょつとすると都城市大字横市にも、飛行場があったのかも知れません。


by マー坊 (2013-12-13 10:52) 

 マー坊

 都城市大字横市と、書いた後で地図を見ていたら都城西は、昔からの飛行場だから四角だと思っていましたが、東の方に広げていたようです。そこの地名が南横市となっていました。 
by  マー坊 (2013-12-13 11:57) 

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