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松山東(横河原、田窪)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2014年06月 訪問 

無題6.png

愛媛県‎東温市‎志津川‎にあった「松山東(横河原、田窪)飛行場」。

地元の方はお隣の滑空場と同じく「見奈良飛行場」とも呼んでいたそうです。

前記事の大日本飛行協会の「見奈良滑空滑空訓練所」の西隣に後から造られた陸軍の秘匿飛行場です。

逓信省や民間の飛行場を軍が共用したり召し上げたりするケースはちょくちょくありますが、

こうして隣接して建設するというのは、珍しいケースではないかと思います。

 

実は当飛行場の滑走路位置がちょっとよく分かりません。

資料では陸軍の滑走路は「滑空場の西に隣接して建設」と説明され、長さは「1,000m」とか、「1キロ少々」とされています。

 

無題b.png

文字通り「西に隣接」とすると、両方の飛行場の間に境界線を引いてみたのですが、

こんな感じで滑空場(台形が引っくり返ってる方)の隣から陸軍飛行場が西に伸びる形になるはず。

ところがこれだと、滑走路の長さは550m程度にしかならず、資料にある「1,000m」にはとても足りません。

1948年の航空写真(下記リンク参照)をどう見てみても、

オイラにはこの滑走路が更に西側に伸びていたようにはとても見えません。

それではと陸軍の滑走路を東側に無理やり伸ばすと、

 

無題c.png

こうなります。

こんな感じで陸軍の滑走路滑が線路まで続いていたとすると、長さは900mになり、

なんとか資料の滑走路長さに近づきます。

でもこれだと滑空場がかなり狭いですし、「陸軍飛行場は、滑空場の西に隣接」とはちょっと違うような。。。

で、前記事にも少し書いたのですが、実は当時の写真で見ると、

滑空場は北側部分が作図よりも、もっと広くて、東温高の近くまであったようにも見えます。

 

無題d.png

こんな感じ。

仮にこうだとすると、陸軍の滑走路が滑空場を串刺ししてしまう形となり、ますます「陸軍飛行場は、滑空場の西に隣接」

という表現からかけ離れてしまうことに。。。

もーなにがなんだか(XДX)

それで全く別の可能性として、

 

無題e.png

陸軍の滑走路の角度が大きく変わってしまいますが、

当時の写真で見ると、こんな感じで滑走路があったようにも見えるのです。

これだと滑走路の長さは十分1,000mとれますし、滑空場が北側にもっと大きくても問題無しです。

「西側に隣接」という表現にもなんとか合っているような。

ただし、やっぱり当時の写真で見る限りでは、1番目の図のように滑走路があるのが最も可能性が高いと思います。

正解をご存知の方は、この作図を見て目まいを起こすんだろうなぁ。 (;´Д⊂)

一番最後の図は、線を引いていて心が折れそうでした。

情報お待ちしております m(_ _)m

 

D20_0133.jpg

・B地点

滑走路端周辺は住宅密集地になっていて、なるべく住宅が目の前に写らないように、なるべく飛行場っぽい感じで。

と考えていたら、この場所からの撮影となりました。

 

松山東(横河原、田窪)飛行場跡地 map   


      愛媛県・松山東(横河原、田窪)飛行場跡地      

松山東(横河原、田窪)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:秘匿飛行場
所在地:愛媛県‎東温市‎志津川‎
座 標:N33°47′43″E132°52′12″
滑走路:1,000m×60m?
磁方位:10/28?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1945年 02月 用地買収
       03月 着工
       06月 完成

関連サイト:
国土地理院 1948年3月当時の写真(USA R30-1 78) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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コメント 28

再生おじさん

こんばんは

(*-゙-)ウーン…
おじさんの敷地図ととりさんの敷地図が若干異なっていますね・・・
(おじさんの記事の地図も少しラフすぎた様です)

あらためて確認すると・・・・・

恐らく、滑空場は4枚目の地図の形で、滑走路は「相原氏のお宅」と思われるすぐ南にあり、滑走路西端(五角形頂点)は、 33°47'48.06"N、132°51'55.08"E で、 33°47'43.89"N、132°52'23.43"Eを通り、線路際まで線を引っ張ると長さが約1000mになりませんか?

前に「2」のコメント(2013-09-21 00:08)に書いた参考HP↓
http://www.digi-mori.com/morilog/ume05201/019-28.html
以下、ストリートビューでの確認結果
①旧重信町役場跡・・・ 33°47'46.06"N、132°52'28.27"E
②相原氏宅・・・ 33°47'44.68"N、132°52'29.52"E(アーカイブ写真にも写っていますので、このお宅かと思います。)
③石碑・・・ 33°47'43.05"N、132°52'22.67"E(何の石碑だかわかりませんが・・・)

恐らく、正解は「のぶさん」が知っている様な気がしてますけど・・・(;^ω^)
by 再生おじさん (2014-10-24 22:45) 

an-kazu

なかなか興味深い考察ですね〜
by an-kazu (2014-10-25 10:17) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■再生おじさん
こんばんわ~。
参考HPのポイントの特定、オイラは挫折したんですが、出来たんですね!(@Д@)
後日じっくりと拝見させて頂きます。
このところ超忙しくて。。。m(_ _)m

■an-kazuさん
どうもありがとうございます~m(_ _)m
by とり (2014-10-26 18:11) 

のぶさん

お久しぶりです。
米軍の記録では、滑走路は5800フィート×250フィートで、ENE、WSWと記されています。昭和20年5月16日に空中写真が撮影されていますので、それを見ないと分かりませんが、文字記録だけでは5枚目の図が正解かと思います。
by のぶさん (2015-05-22 11:58) 

再生おじさん

何と!5800フィートとは!∑(・∀・;ノ)ノ 
(医学部南口駅~牛渕駅・田窪駅中間地点位の距離に相当!)
20年5月16日の写真を見る事が出来るといいですねぇ・・・・・・


by 再生おじさん (2015-05-23 04:53) 

とり

■のぶさん、再生おじさん
情報ありがとうございますm(_ _)m
5800フィートですか!
仮にその長さだったとすると、オイラとしては位置関係が引っ掛かります
末期にこの周辺に建設された陸軍の飛行場としては、松山西、松山東、壬生川があります。
松山西から27km離れた場所に1,400mの壬生川を建設する意図は理解できるのですが、
仮に松山東が1,800mだったとすると、陸軍はたった6km離れた場所に、1,600mと1,800mという大きな滑走路をほぼ同時に建設を進めたことになります。
こんな建設の仕方をするものなのでしょうか?
建設の際は周辺住民が駆り出されるのが常でしたから、この点も気になります。
オイラとしましては、松山東はやはり1,000mの方がしっくりくるのですが…

米軍作成の飛行場資料のソースは、日本から入手した資料の英訳か、自分たちで撮った航空写真の解析があります
前者の場合、恐ろしいほど詳細で正確なレポートになるのですが、
後者の場合、情報の精度はかなり怪しいことがままありますよね。
八丈島のように、日本軍が建設候補にすら挙げていない地点を「ここも飛行場かも」と見なす例もあります。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4005285 4コマ目
米軍は松山東の写真解析の際、隣接する滑空場と混同してやしないだろうかと邪推したりします。

これまでネット上に挙げられてきた滑走路の長さと大幅に異なること、
周辺飛行場との位置関係、建設時期、撮影時期等考え合わせると、これは個人的には要注意情報という感じが致します。
オイラもその米軍撮影の写真が見てみたいです。
by とり (2015-05-24 05:50) 

のぶさん

 松山東飛行場の米軍が撮影した空中写真が決めてかと思います。
 壬生川飛行場は、戦後のものではよく分かりませんが、昭和20年8月6日に米軍が撮影した写真では、はっきりと滑走路を確認することができます。
 帝国陸軍の計画は不詳ですが、複数の史料で確認することができます。それにしても、非常に近い場所に造ったものですね。地元の小野村史誌では、2つが同一の一飛行場であるとする記述もあります。いずれにせよ、海軍史料で秘匿飛行場は「発進用」とあるように、使い捨て基地であったようです。
 米軍の記録では、昨年から度々紹介されている飛行場記録の他に、第10軍団参謀第2部定期報告書の中に、日本陸軍の将校からの情報として、四国の陸軍飛行場は高松と松山東があると記されていて、各飛行場の概要が記されています。四国については、海軍に比べて、陸軍は情報提供に非常に消極的であったように受け取れます。
by のぶさん (2015-05-25 13:07) 

のぶさん

追記 防衛研究所に所蔵されている日本陸軍側が作成した飛行場記録中にある秘匿飛行場をみると、陸軍秘匿飛行場の滑走路は、長さ約1500m、幅約90mが基準かなと勝手に考えています。とりさんが指摘されている1000mは海軍ならいざしらず、陸軍では有りえない短さかと思います。この滑走路の長さについて、小生は勝手に、海軍=三点着陸=短くて済む。陸軍=接線着陸=長いというステレオタイプ的な思い込みがあります。
by のぶさん (2015-05-25 13:24) 

とり

■のぶさん
>陸軍秘匿飛行場の滑走路は、長さ約1500m、幅約90mが基準かなと
確かによく出てくる数字ですので、そういう基準があったのかもしれないですね。
ただ、実際に四国の陸軍秘匿飛行場(松山東除く)のみ抜き出すと以下のようになります。

屋島  1,074m
国分  1,000m
丸亀  1,500m
宇和島 1,200m
壬生川 1,400m
松山西 1,600m

合計6つの陸軍秘匿飛行場のうち、1,500m級は半分しかありません。
残りの半分はそれ以下なのです。
全国規模で見ると、「1,000mの陸軍秘匿飛行場」というのは他にもまだまだありますので、
1,000mが陸軍では有りえない短かさということはないですよ。

のぶさん仰る着陸方式の違いに象徴されるステレオタイプのイメージというのもよく理解できるのですが、
陸軍戦闘機が全て非常に長い滑走路が必要かというと決してそうではなく、
陸軍で最も生産され末期まで使われた一式は、零戦との比較で、
馬力、翼面荷重はほとんど同じで、むしろ零戦後期型の翼面荷重の方がずっと高く、
離陸滑走距離は900m弱。
1,000mあれば十分離陸できます。
(末期の主力四式等、重戦闘機となると話は全く変わってきますが)

ちょっと話が違ってしまいますが一例として、鹿児島の陸軍万世飛行場は特攻機出撃に使用された知覧の補助基地で、
元々砂地で地盤が脆い点が考慮され、衝撃に強い旧型の固定式脚を付けた戦闘機が多く集められました。
滑走路の長短もそれと同様で、それぞれの飛行場の特性に応じた機体を運用すれば済む話です。
松山東は松山西の補助基地で、西から東に機体を空路若しくは陸路移動、本土決戦時に備え隠蔽温存。
とかなら両飛行場の近さも納得なのですが。。。などと妄想してしまいます。
第10軍団参謀第2部定期報告書の中で松山東の概要が出ているとのことですが、滑走路の長さ情報は記されてないのでしょうか?
by とり (2015-05-25 19:25) 

のぶさん

第10軍団参謀第2部定期報告書では、1945年10月16日付に、日本側から提供された情報として、1100m×60mと記されています。また、四国地誌報告書には、TANOKUBOという名称で、3750フィート×200フィートでWNW/ESEとあります。地誌報告書の方向は、飛行場記録とは反対です。結局、決めては空中写真かなと思います。
by のぶさん (2015-05-26 13:55) 

のぶさん

松山西は、8月15日か16日に、滋賀の八日市飛行場から、三式戦の部隊が進出する予定だったそうです。
by のぶさん (2015-05-26 13:58) 

とり

■のぶさん
資料から情報提供してくださりありがとうございましたm(_ _)m
日本側から提供された情報、四国地誌報告書の1,100mという数字を把握しておられたものの、
「1,000mは陸軍では有りえない」とのお考えから米軍情報の数字を優先されていたのですね。
しかし現に陸軍秘匿の1,000m飛行場は幾らでもあります。

改めて航空写真を見返してみました。残念ながら現在閲覧できる最古の写真は1947年~なんですよね。
見奈良駅~田窪駅の周辺に造成したような様子があり、
造成地の北側はずっと畑が続いています。オイラには、終戦から二年でこの畑地の地割を造ったようには見えません。
緩く弧を描く線路の内側、そして北側に広がる畑地に挟まれた部分に飛行場があったとすると、
滑走路の長さは最大で1,400m程度しかとれません。
しかもこれは、「見奈良駅北東の線路に沿って滑空場が」とか、
「陸軍飛行場は滑空場の西側に隣接」という点を無視しての数字です。
まあ飽くまでオイラの主観ですが。

仮に松山東が1,800mだったとして、敢えて1,100mと短く報告する意味はあるのでしょうか。
オイラには米軍の1,800mより、身内の1,100mの方がずっと信頼のおける情報のように思えるのですが。。。
by とり (2015-05-27 06:12) 

のぶさん

帝国陸軍の記録が少ないのが一つの原因ですね。
小生の見識は、とり様に比べて偏狭ですが、一つ教えて下さい。
とり様が書かれている「1000m以下の陸軍秘匿飛行場は幾らでもあります」について、それは、帝国陸軍の記録を根拠とするものですか?
by のぶさん (2015-05-27 08:47) 

とり

■のぶさん
すみません。細かいことですが一つだけ
>とり様が書かれている「1000m以下の陸軍秘匿飛行場は幾らでもあります」
オイラは1,000m「以下」とは一度も書いてないと思いますよ。
陸軍秘匿飛行場で1,000mより短いものは確認しておりません。
(秘匿でなければ陸軍飛行場で1,000m未満はいくつもありますが)

それでは本題です。
宮崎県の例ですが、「第41航空地区飛行場記録」の中に、飯野牧場記録、小林牧場記録があり、
どちらも図要として滑走路とその周辺の手書きの地図があり、滑走路には長さ(それぞれ60x1,050と60x1,000)が記されています。
特に飯野牧場は地形的に「ここにしか滑走路敷けない」というのが分かりやすいですので、
その場所に最大でどの位の長さの滑走路が造れるか、ご自身でじっくりと測ってみても面白いと思います。

尤も、第10軍団参謀第2部定期報告書と四国地誌報告書に1,100mと記されていても「あり得ない」と仰る位ですから、
オイラが一つ二つ局地的な事例を陸軍の資料から挙げたとて、それがのぶさんにとって何か意味を成すとは思えないのですが。。。
逆にお聞きしたいのですが、のぶさんがそこまで「陸軍秘匿飛行場に1,000mはあり得ない」と仰る根拠は何でしょうか?
帝国陸軍の記録に何か残っているのでしょうか?
by とり (2015-05-28 07:16) 

再生おじさん

こんばんは。
最近、地下工場跡系にハマっているおじさんです。

何か議論が凄い事になってますね・・・・・(;^ω^)

既にご存知かとも思いますが、補足(参考)資料をお知らせしておきます。

戦史叢書No97、「陸軍航空作戦基盤の建設運用」
P50
飛行場設備教育規定-飛行場の規格
(但し昭和12年11月に定められた規定)
滑走路地区は、小型機用500×100m、中型機用700×150m、大型機用1000×300m

とありますので、おじさんは飛ばす飛行機(や装備重量)に応じて、秘匿飛行場も上記長さに準じたものが作られたと考えてますよぉ~
(滑走路の長さですから、飛行場としてはもう少し長いかも。)

(;^ω^)シャシンヲミテミタイ・・・・
by 再生おじさん (2015-05-29 22:25) 

とり

■のぶさん
のぶさんには言わずもがなでしょうが、
直近のオイラのコメント、上から9行目、「図要」じゃなくて「要図」でした。
資料見ながら打ったので素で間違えてました(///∇///)
失礼しました~。
by とり (2015-05-30 19:58) 

とり

■再生おじさん
>地下工場跡系
またなんてディープな。。。(o ̄∇ ̄o)

>議論
オイラは松山東の滑走路は1,800mかも。なんて思いもしませんでした。
ここで1,800mであることを示す動かぬ証拠写真なり資料が出てくれば、
「オイラ間違えてました。すみません」でもう議論のしようもないですけど、
ハッキリしないからこそ、あーだこーだと議論できる訳で、
おかげで陸軍秘匿の長さの話に広がったりして、結構なことだと思います。
この当時のことに関して(も)無知なオイラにとっては非常に勉強になりますし、
のぶさんからオイラが夢にも思わないような情報が飛び出すかもしれないとワクワクしてます。

それから補足(参考)資料をありがとうございましたm(_ _)m
このページ、オイラもコピーとってました。
「飛ばす飛行機(や装備重量)に応じて」滑走路の長さが変わるという趣旨は完全同意なのですが、
「陸軍飛行場便覧(終戦のころ)」によれば、1,000m以下は離島以外ではもうほとんどないですね。
のぶさんご指摘の1,500m(と1,200m)が中心です。
それもそのはずで、「昭和12年」といえば、資料本文にもある通りですが、
それまでの戦闘機はパイロット頭剥き出し、複葉だったのが、
やっとキャノピー付き、単葉の九七式戦闘機が登場(それでも未だ固定脚)した頃です。
末期と比べればこの頃のヒコーキはどれもヒラヒラと軽いものばかりでした
(当時の「重爆撃機」も終戦のころには総重量は1.64倍、速度は2.3倍)。
当時と秘匿飛行場を造る頃とでは滑走路の長さが違って当然かと思います。

秘匿飛行場に長さが求められるもう一つの理由は、本土決戦の際の航空機の用法にあります。
本土決戦の際、軍用機に求められたのは、全機での特攻出撃、目標は敵航空機(大型機を最優先)、それと敵艦とされました。
敵大型機の飛ぶ高空に達するだけで一時間かかり、その高度を維持するためにエンジンはずっと高出力を強いられます
(燃料たくさん必要で重くなる)。
艦船への特攻の際は重い爆弾を抱える必要があります。
いずれも離陸の際は重くなり長い滑走路が必須です。
そんな訳で沖縄特攻の際、滑走路の長い知覧(1,900m)や鹿屋(1,700m)が使われたのは当然です。
陸軍機はいきおい滑走距離が長くなることもあり(九七式と比較して末期の主力戦闘機は速度1.4倍、重さ2.5倍)、
こうした背景を踏まえると、少しでも長い滑走路を欲するのは当然のことで、
「1,000mはあり得ない」というのもまあ分かる気がします。

話はガラっと変わりますが問題の米軍撮影の写真について、撮影時期と飛行場建設時期で並べてみると

3月 着工
5月16日撮影←
6月 完成

完成が6月の何日か不明なのですが、撮影日は完成前なんですよね。
米軍の写真解析の際、滑走路の境界がハッキリせず、隣接する滑空場と
混ざっちゃった。なんてことはないんでしょうか。
by とり (2015-05-30 19:59) 

再生おじさん

こんばんは。

当然、(計算式云々は知りませんが)総重量が重くなれば長さが必要である事は必然で、なおかつ当時の、例えば長さが足りず離陸しきれずに爆弾を抱えたまま自爆した等の事例から理解しています。

1000m以下云々の件は、おじさんにとっては別にどうでもいい事なので、話を先に進めますと、おじさん的には、隣の滑空訓練所の土地を一部接収か共用?してたのではないかと考えており、それを含めて長さ1km程度だと思います。

のぶさん情報の、①「米軍の記録では、滑走路は5800フィート×250フィートで、ENE、WSW」、②「四国地誌報告書には、TANOKUBOという名称で、3750フィート×200フィートでWNW/ESE」 に関しては、他の秘匿飛行場の事例の事を考慮すると、「TANOKUBO」という名称で登録されている方(3750フィート×200フィートでWNW/ESE)が正しいのではないかと思います。

最初の偵察情報の「ここら辺に飛行場らしき物がありサイズは####」→追加偵察で正確な長さが判明し登録されると言った具合に。

そもそも、訓練所の西隣にENE、WSW方向に1800mとなると、1947年10月のアーカイブで激藪に見える部分の事を指しているのではないかと思いますが、もし、仮にそうだとすると、滑走エリアの転圧された場所が2年であんなに草が生えてくるものなのかなぁと不思議に思っています。西南西端附近の用水路にも蓋を付ける等の処理がされた痕跡は全く見えないですし。

また、USA-R517-7-66を見ると、その激藪エリアを横に突っ切る形で長方形が見えませんか?

(※この飛行場は、とりさんの地図の上から4枚目に近い形だったのではないかと考えています。)

例の昭和20年5月16日の写真、「誰も確認ができていない」というのが非常にもどかしいですね・・・(*・゙・)ウーン…

ここはひとつ、のぶさんによる「例の写真」の確認に期待したいと思います。
by 再生おじさん (2015-05-30 23:43) 

再生おじさん

のぶさんへ

確認です。
「米軍の記録では、滑走路は5800フィート×250フィートで、ENE、WSW」の記録において、米軍での飛行場名は何となっていますでしょうか?

まさかとは思いますが、米軍名「KUME」の事ではないでしょうか?
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4009764
175コマ目

アーカイブ(USA-M220-145)の角度ズレも考慮すると、(米軍が)KUMEの事を混同している可能性があるかもと思えてしまうのですが。
by 再生おじさん (2015-05-31 00:38) 

とり

■再生おじさん
「秘匿飛行場も上記長さに準じたものが作られた」と仰るのでオイラもわざわざいろいろ調べてお答えしたつもりなのですが、
当然理解しているとか「別にどうでもいい」とは…
じゃあオイラは再生おじさんのコメントに一体何と返せばよかったのでしょうか(;´Д⊂)

それから、この記事と直接関係することなのでここでのぶさんに呼びかけるのは別に構わないのですが、
一応オイラのブログ内ですのでネチケットを守ってもらえるとありがたいです。
尤も、いつものパターンだともうここへは当分来られないと思いますので、
直接ご本人のブログに行った方が早いと思いますよ。
by とり (2015-06-01 05:27) 

再生おじさん

これは大変失礼しました。m(_ _;)m
以降、気を付けます。

by 再生おじさん (2015-06-01 20:07) 

とり

■再生おじさん
こちらこそいろいろ教えて頂いている身ですみません。
今後とも宜しくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2015-06-02 07:11) 

とり

■のぶさん
申し訳ないですけど、のぶさんのコメントは削除とさせて頂きました。
オイラはのぶさんからのご質問に真面目にお答えしたつもりです。
オイラの質問に答えたくないのならそれでも構わないです。
が、ここにコメントしたければまずは筋を通してからにして貰えませんか。
筋を通したくなければ再生おじさんご本人のブログで直にやり取りしてもらえませんか。
のぶさんが運営しておられるブログには、断りさえ入れればのぶさん無視で何書かれても気にならないですか?
生憎オイラは非常に気になります。正直申し上げて大変不愉快です。
by とり (2015-06-10 20:18) 

のぶさん

とりさんが、非常に不愉快な思いを抱いておられるので、記入をした者として、お詫びします。許して下さい。

 まず、「1,000m「以下」とは一度も書いてない」との指摘については、私の勘違いですので、訂正します。また、「陸軍秘匿飛行場に1,000mはあり得ない」という箇所については、取下げをします。お詫びします。とりさんが指摘されている機体の技術論については、私には無い知識ですので、とても勉強になりました。ありがとうございました。



by のぶさん (2015-06-11 13:44) 

のぶさん

追記として、とりさんへのご返答です。
帝国陸軍が作成した、陸軍秘匿飛行場の寸法が記載されている史料は、「飛行場記録」程度しか無いのではないかと思います。そこに記載されている秘匿飛行場は、ほんのわずかな数ですが、1200m以下のものは見当たらないように思います。それが「1000m以下の陸軍秘匿飛行場は考えられない」という極めて弱い根拠です。
工事現場での地理的対応は別として、陸軍秘匿飛行場の建設についても、海軍と同様に明確な基準は存在していたと思います。
by のぶさん (2015-06-11 14:09) 

のぶさん

史料的には、帝国陸軍の史料がほとんど無い中で、頼りにするのは米軍史料です。私が見た狭い範囲では、複数の情報があって、文章を書く場合は、それを併記して、推測するしかありません。米軍の記録も写真判読の専門家が行っているので、粗雑ではないと思いますが、それにしても、5800フィートと3750フィートは違いすぎると思います。複数の情報源があるのだと思います。結局は、空中写真を見てみるより仕方がないと思います。
by のぶさん (2015-06-11 14:24) 

のぶさん

原史料は不明ですが、「全長1500m、幅100m」という陸軍飛行場の滑走路規格は存在するようです。
by のぶさん (2015-06-11 14:30) 

とり

■のぶさん
こちらも言葉が過ぎました。
申し訳ありません。
情報もありがとうございましたm(_ _)m
by とり (2015-06-12 07:07) 

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