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松山の水上飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2014年06月 訪問 

無題4.png

愛媛県‎松山市‎にあった「松山の水上飛行場」。

大正時代、ほんの短い間だけあったレアな飛行場で、資料もほとんどないのですが、

データベース「えひめの記憶」/松山空港発展史というサイト(下記リンク参照)の中で

当水上機飛行場について扱われていました。

詳しくはそちらのサイトをご覧頂くとして、かいつまんで引用させて頂きます。

日本航空輸送研究所の井上長一は、海軍から中古水上機の払い下げと現役操縦者の割愛を受け、

大阪府堺市の海浜に基地を設け、主として貸物便、非公式郵便輸送を開始するのですが、

高松線を大正13年に今治へ、14年に松山へ、15年に大分へ、昭和2年には別府まで延ばしたのでした。

残念ながら当「松山の水上飛行場」がどこにあったのか、具体的な場所についての資料が見つからないのですが、

旅客扱いが始まった昭和4年の松山の発着場は、「温泉郡三津浜町広町の海岸だった」と説明されています。

「温泉郡三津浜町広町」は、現在の松山市三津3丁目に相当し、

そのうち海岸線に当たるのが上図L字のオレンジ線の部粉です。

L字のうち、東西方向は埋め立て地部分なので、

飛行場として使用していたのは南北方向の可能性が高いのではないかと思います。

 

D20_0117.jpg

・A地点。

ここに松山の水上飛行場の発着場があったと思うのですが。。。

 

D20_0116.jpg

 

昭和4年に旅客扱いが始まった松山の発着場でしたが、同年8月に梅津寺に移設することになるのでした。

梅津寺の飛行場については次の記事で。

 

松山の水上飛行場跡地 map   


      愛媛県・松山の水上飛行場跡地      

松山の水上飛行場 データ

設置管理者:日本航空輸送研究所?
空港種別:水上飛行場
所在地:愛媛県‎松山市‎三津‎3丁目‎
座 標:N33°51′39″E132°42′44″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1925年 定期運航開始
1929年 旅客扱い開始。8月に梅津寺に移設

関連サイト:
「えひめの記憶」/松山空港発展史    
国土地理院 1947年4月当時の写真(USA M220 136) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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コメント 2

鹿児島のこういち

海軍からパイロットを割愛しもらえるなんて、井上長一さんて方は海軍とどんな関わりがあるかたなんでしょうね?
by 鹿児島のこういち (2014-10-03 09:50) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
日本民間航空史話という昭和41年4月発行の本があります。
この本は明治以降の日本の空のパイオニアご本人に体験談を記して頂くというものなのですが、
この本の中で、井上氏自身も登場していました。
ご本人は千葉の伊藤飛行学校で訓練を受けたのですが、当時からヒコーキを実用化したいという夢を持っており、
その夢実現のために卒業後ハイヤー店を興して資金を貯めました。
いよいよ資金を元に夢を実現すべく、当時は陸軍省の一部に航空局があり、そこに出向いたのでした。
日本初の定期航空路を水上機によって開拓することと、開拓資金をハイヤー店売却資金で、ということに
航空局、特に海軍が同情してくれ、海軍から水上機十台を払い下げられました。
航空局から奨励金が出たという記述はあったのですが、パイロット割愛については特に記されていませんでした。
路線経営と同時に昭和十年からは飛行学校も開校しており、卒業生の就職先に軍も含まれていました。

ネットでは井上氏について、「タクシー会社経営からの転身」と紹介されており、成金趣味でヒコーキに手を出したのだろうか、
などと邪推していたのですが、全然違いました(汗)
by とり (2014-10-04 05:25) 

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