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川棚飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2012年11月 訪問 

無題9.png

長崎県‎東彼杵郡‎川棚町川棚駅南側に広がる工業地帯。

この一帯はかつて「日本一の水雷工場」と称された川棚海軍工廠であり、

この工廠内に「川棚飛行場」がありました。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:川棚 建設ノ年:1945-7 飛行場 長x幅 米:600x30方向E-S 主要機隊数:小型機 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 掩体:工事中 其ノ他記事:川棚工場敷地内離着一方向

D20_0165.jpg

川棚駅の北側にかつての工廠跡を見下ろす城山公園(図の←部分)があり、モニュメントが設置されています。

銘板がありました。

川棚海軍工廠施設の設立(全文) 川棚海軍工廠は、太平洋戦争開戦翌年の昭和十七年一〇月一五日佐世保海軍工廠川棚分工場として開廠され翌年五月一日独立して川棚海軍工廠となり、水雷工場としては日本一といわれた。工廠施設はこの地から眼下に見える百津塩浜(現、百津工場地帯)を中心に建てられ、その鋸(のこぎり)屋根は高い煙突と共に工廠のシンボルとなった。また鉄道をへだてて上百津の城ノ平には海軍々人の上級官舎と会議所、それに部員宿舎が建てられ、岩崎の田んぼにも(現、城山東)軍人軍属の官舎が建てられた。一般工員の住宅は百津のしめの木から百津の奥地にかけ次々に建てられ(現、新百津・若草・旭ヶ丘・山手)また白石の国道上手にも工員住宅(現、琴美ヶ丘)が建てられたが、これらの土地はそれまで大方が田や畑であった。前田の田んぼもこの時埋立てられた。(現、川高運動場)その上手(かみて)の尾山平(現、川高校舎の敷地)や、白石の馬場には、徴用工員の宿舎が建てられた。上組の川良には、ここも田んぼを埋めて女子挺身隊員と動員学徒の宿舎が建てられた。更にまた、工廠の工員養成所が開(ひらき・現、新町の地域)の田んぼに建てられ、三越の片島も、海を埋めてこれを陸続きとし、それまであった魚雷発射試験場の施設が拡張された。また昭和十九年七月、これら工廠関係者のための海軍共済病院(現、国立療養所川棚病院)が下組の田んぼを埋めて建てられた。そして敵機の空襲が激化するころには、この工廠の主要部は石木以北の山間地へ疎開し、咥えて川棚の西部(新谷・惣津・小串)には特攻艇の訓練基地が設けられるなど軍用地は一層拡大し、その総面積は終戦時には川棚町の三分の一にもあたる(約四〇〇㌶)広さとなっていた。この川棚海軍工廠も昭和二〇年(一九四五年)八月十五日終戦により閉廠となったが、今も鋸屋根と煙突の一部が残っており当時を偲ばせる。

 

D20_0170.jpg

城山公園から見た川棚工廠跡。

「工廠内に飛行場があった」ということはネットで調べると出てきますし、「川棚飛行場」もわりと多くヒットします。

が、具体的な位置を示すものはなく、不明です。

1947年当時の航空写真(下記リンク参照)と現在の地図を比較すると、

敷地中央を南北に伸びる太い道が当時も非常に目立っており、当初はこれが滑走路跡なのだろうと考えていました。

そしてこの予測の元撮ったのが上の写真。

ところがその後、滑走路の長さが600mであること、敷地の南側は戦後に埋め立てたものであることが判明しました。

冒頭の図の青線は当時の海岸線です。

大村線の線路から海岸線まで一杯に滑走路を建設したとしても、600mには足りません。

そこで当時の写真と現在の地図を比較し、東西方向で最も可能性のありそうな箇所に600mの線を引いたのが

図のオレンジ線です。

ということで、この滑走路位置は飽くまでオイラの推量ですのでご了承くださいませ。

正確な滑走路位置等ご存じの方の情報をお待ちしております。m(_ _)m

滑走路が建設された時期についても不明なのですが、

1925年生まれで医大進学後、川棚飛行場建設工事に動員された方の記録が残っています。

これからすると飛行場が建設されたのは、1943~4年頃なのではないかと考えます。

余談ですが、川棚防空監視哨(下記リンク・ブログ内関連記事参照)がA地点(のあたり)にありました。

 

川棚飛行場跡地:map  


      長崎県・川棚飛行場跡地     
「飛行場には木製の実物大飛行機が並べられていた」という記録が残っています

川棚飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
所在地:長崎県‎東彼杵郡‎川棚町‎百津郷‎
座 標:N33°04′00″E129°52′02″
滑走路:600m×30m
磁方位:08/26?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1942年10月 佐世保海軍工廠川棚分工場開廠
1945年08月 終戦により閉廠

関連サイト    
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA R159 35) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       


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コメント 2

鹿児島のこういち

滑走路の事を知ってる方がいらっしゃればいいですね。昭和18~19年に建設されたのなら、当時16歳としても、今では86歳くらいですからねぇ~。
by 鹿児島のこういち (2013-04-07 23:34) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
今お聞きしておかないといけないんですけどね。
by とり (2013-04-08 05:57) 

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