So-net無料ブログ作成

防府飛行場 [├国内の空港、飛行場]

                                2013年4月訪問、2017/9/2:更新  


無題5.png
1947年3月当時の写真(USA M122 23) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

無題7.pngSkyVector.com

山口県‎防府市にある航空自衛隊防府北基地の「防府飛行場」。

戦時中は陸軍の「防府飛行場」でした。

陸軍当時から南北と東西2本の滑走路を有しているのですが、

陸軍時代は南北の方が滑走路、誘導路共にコンクリ舗装されており、東西の方は未舗装でした。

後述しますが、昭和二十年九月十七日の「防府飛行場記録」に「要図」がありました。

この「要図」と1947年の航空写真を比較しながら上のグーグルマップを作図しました。

敷地、滑走路、誘導路(の地割)がほぼそのまま現在まで受け継がれている部分が多く、

廃止になってしまった箇所も、跡がかなり残っています。

「要図」では南北滑走路は実線、東西滑走路は破線で描かれています。

現在は逆転しており、東西方向の方が主滑走路となっています。

南北の副滑走路、R/W01側(上図A側)のところだけ基地の敷地が飛び出していますね。

他の滑走路端が敷地ギリギリまで来ていることを考えると、(飛び出さなくてもよかったんじゃ…)と思ってしまうのですが、

1947年の航空写真(下記リンク参照)を見ると、この飛び出した敷地の1/3位まで滑走路がきています。

この飛び出した敷地は滑走路が今よりもっと長かった頃の名残りということなのでしょうね。

終戦と共に英豪連合軍による接収を受けており、1947年の写真は英豪連合軍による使用時期ということになります。

防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日

に当「防府飛行場記録」がありました。

以下引用させて頂きます。

判決
自重五屯以下・小型飛行場として使用し得

飛行地区
滑走地区 東西一二〇〇x一〇〇砂壊土転圧(軟弱)
       南北一五〇〇x六〇舗装
舗装路 滑走路(除東西)誘導路上は約三〇糎セメント
土質 砂壊土
地表面の状況 排水不良にして地耐力弱水位高し
周辺障碍物の有無 昼間は概ね支障なきも夜間は周辺山頂障碍を呈す
其他 一、水位高く地下二〇糎にして湧水す
    二、降雨時溜水の為飛行機の離陸着陸共困難なることあり
    三、飛行場急速設定□為基礎工事不備にして脆弱場内周辺陥没地多し

気象 
恒風 冬季南北
    夏期秋期共に東西

付属地区
誘導路 南北一二〇〇x二〇
      東西八〇〇x二〇 六〇〇x八〇
宿営 現存現存兵舎二棟(其他は解□) 約一〇〇名 収容所
夜間着陸設備 なし
動力線 なし
電灯線 現存兵舎二棟及衛兵所に配線しあり
給水 水道なし 井戸数個あり 水量多きも水質極めて不良なり

降雨 近県に比し降雨回数比較的少し

実は同資料では、終盤の頁で当飛行場の「要図」と「飛行場記録」がコンパクトにまとめられて再登場しているのですが、

両者には細かな差異があります。

以下異なっている箇所を列挙します。

・判決:「自重510頓以下の小型飛行場として使用し得に適す 防空戦闘隊用飛行場として使用す」
・舗装路:「滑走路(除東西)誘導路上は約三〇糎セメント舗装路」→「滑走路(除東西)、誘導路共「コンクリート」舗装」
・地表面の状況:「排水不良にして地耐力弱水位高し」→「排水不良にして地耐力弱く地下水位高し」

その後返還を経て現在の空自基地になるのですが、実は民間機が就航していた時期があります。

沿革にも簡単にまとめましたが、当時の東亜航空が防府飛行場での路線開設を目指し、ヘロン機でPR飛行を計画しました。

1962年2月23日にこの飛行は実現したのですが、機は山に墜落してしまいます。

こうした大事故にもかかわらず同社は1963年8月23日に防府~広島路線開設まで漕ぎ着けることが出来ました。

当時の防府飛行場は無線施設が完備しておらず定期便の認可が下りなかったため、不定期便での認可でした。

大事故を乗り越えての就航だったのですが、利用客は急速に尻すぼみとなってしまい、

翌1964年1月の利用者数は50名、4月は防府から8名、広島からは1名のみという有様。

このため同年8月27日に運休を発表。

こうして防府飛行場の民間路線はわずか1年で幕を閉じたのでした。 

D20_0028.jpg

・A地点(副滑走路・RWY01側)

D20_0029.jpg

・A地点 

D20_0019.jpg

・B地点(副滑走路・RWY19側)

D20_0003.jpg

・C地点(主滑走路・RWY12側)

D20_0011.jpg

・C地点 

当基地でT-7初等練習機による初級操縦課程の教育が行われています。

D20_0021.jpg

・D地点(主滑走路・RWY30側)

D20_0025.jpg

・D地点 


      山口県・防府飛行場飛行場      

防府飛行場 データ

設置管理者:陸軍→防衛省
4レター:RJOF
空港種別:軍用飛行場
所在地:山口県‎防府市‎伊佐江‎
座 標:N34°02′04″E131°32′57″
標 高:2m
(陸軍当時)
東西滑走路:1,200mx100m
南北滑走路:1,500mx60m
(現在)
主滑走路:1,480m×45m(12/30)
副滑走路:1,180m×60m(01/19)
航空管制周波数
GND 133.0MHz
TWR 120.1MHz,123.1MHz,126.2MHz,133.4MHz,138.3MHz,236.8MHz,247.0MHz

沿革
1944年04月 陸軍防府飛行場開設
1945年     終戦。英豪連合軍による接収
1955年11月 第1操縦学校分校開設
1957年09月 管制分遣隊、気象分遣隊編成
1963年08月 23日 東亜航空、防府~広島間ヘロン機にて路線開設(初の国内民間機就航)
1964年08月 27日 運休を発表
1979年    T-3導入
2005年    T-3後継機としてT-7導入

関連サイト:
Wiki/防府北基地   
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「飛行場記録 第12飛行師団司令部」(陸空-本土周辺-120)昭和二十年九月十七日


コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 6

鹿児島のこういち

南北方向の副滑走路の北には華城保育園が、南にはきんこう保育園がすぐそばにありますね。副滑走路になって、距離が短くなったのは、これが原因でしょうか?( *´艸`)
by 鹿児島のこういち (2013-06-18 07:00) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
もしもそうだとしたら、ちょっといい話ですね(*´∀`*)
by とり (2013-06-19 05:40) 

鹿児島のあさあさ

はじめまして、私は鹿児島に住んでます53歳の主婦です。
飛行機事故で調べてましたら、1年ほど前、とりさんのブログに繋がりびっくりしました。1962年2月23日に東亜国内航空のヘロン機での墜落事故の副操縦士であった娘です。私は生後6ヶ月でした。
母は23才で、その後再婚してません。父は25歳で念願のパイロットになり1ヶ月だったと思います。
それで、来月広島の府中市のクリーニング店にある飛行機を主人と母と見に行ってみようかな…と思っているところです。
by 鹿児島のあさあさ (2015-04-30 10:30) 

とり

■鹿児島のあさあささん はじめまして
念願のパイロットになり、愛娘も産まれ、まさにこれからという時期の痛ましい事故だったのですね。
そんな背景があったとは知りませんでした。
広島の府中市の貴重な展示機のことも初めて知りました。
貴重なコメントを感謝致します。
お父様を偲ぶご旅行となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
by とり (2015-05-02 12:21) 

あさあさ

私はとりさんのブログで初めて事故の経緯が分かりました。訓練飛行中、霧が濃く墜落したということだけでしたので、とりさんのブログを見たときは本当に驚きました。
鹿児島空港も皆さんのコメントに嬉しく、再発見させられる思いでした。
とりさんの沢山の詳細な情報に驚きと感謝です。

by あさあさ (2015-05-05 08:32) 

とり

■鹿児島のあさあささん 
当ブログは大勢の方にいろいろ教えていただいて成り立っております。

当時は飛行機の装備も地上の支援体制もまだまだで、現在では考えられないような事故がしばしば起きていました。
現在各飛行ごとに連綿と続くチェック体制、様々な試験、機器類の拡充は、過去の尊い犠牲の上に成り立っているのだそうです。
by とり (2015-05-07 05:28) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0