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ハネダエアベース(1945~1952) [├国内の空港、飛行場]

  2016年3月 訪問 

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1946年4月当時の写真(USA M99-A-5 35) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

前記事の続きです。

前述の通り、日本飛行学校(と対岸に建設された「三本葭飛行場」)が開設された羽田の地は、

10年の空白期を経て再び日の目を見ることとなり、1931年に「東京羽田飛行場」として再スタートを切りました。

その後拡張、名称の変更を遂げるのですが、終戦と共に米軍に接収されてしまいます。

米軍は海老取川以東を強制立ち退きにしました。

大田区のサイトによれば、約3,000人が強制退去させられたのだそうです。

上の写真、終戦の翌年1946年のものですが、大規模な造成工事を行っている様子がよく分かりますね。

「東京飛行場」時代の十字型滑走路の痕跡が辛うじて残るのみで、

「東京羽田飛行場」時代の300m滑走路は、もうすっかり塗り潰されてしまいました(;´Д⊂)

それでも、格納庫等関連施設群、鴨猟場の辺りはほとんどそのまま残っています。

うんと内陸部である群馬県の帝国飛行協会所有の小さな小さな飛行場でさえ、

わざわざ飛んで行って機銃掃射で徹底的に壊滅させたのからすると、

帝都海軍飛行場の建物群がキレイな状態で終戦を迎えたのは、非常に不思議です。

初めから占領後に使用するつもりだったのでしょうか。

 

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1947年7月当時の写真(USA M376-No2 7) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

そして終戦から2年後。こんなことになっておりますΣ(゚Д゚;)

滑走路右下が見切れてますが、この年は羽田の写真が沢山撮られているものの、全体を映したものがないんですよね^^;

日本海軍の「東京飛行場」は、当時の国内の他の飛行場と比較しても特別大きなものではなかったのですが、

一気に大規模化したのもさることながら、どこまでも続く細長い滑走路、平行誘導路、

滑走路端にペイントされたランウェイナンバー等、

すっかり現代の飛行場かと見紛うばかりの変貌ぶりです。

戦勝国主導の"グローバルスタンダード"ってヤツですね。

蛇足ですが、欧米列強は戦後の航空界の覇権を握るべく、

時に協調し、時に相手を出し抜こうと極秘裏に事を進め、

既に終戦前の早い時期から、あらゆる分野で猛烈な勢いで次々手を打っていました。

 

この写真で見る限り、建物群は戦時中のものをそのまま流用しているケースが多いようですが、

三角形の鴨猟場は潰されて駐機場になってしまいました。

日本海軍当時の滑走路はもう跡形もありません。

鴨猟場の南側の地区もすっかりエアペース化してしまいましたね。

「全国空港ウォッチングガイド」によれば1946年6月にはもう工事が完了しており、

工事内容としては、2,100mと1,650mという、2本のアスファルト舗装滑走路新設、

エプロン、駐機場、管制塔、事務所、宿舎等の建設が含まれています。

一部完全に海面だった部分を埋め立てての飛行場造成ですから凄いです(@Д@)

…なんだか、まざまざと見せつけられる思いです。


「ハネダエアベース」当時の滑走路をグーグルマップに落とすとこんな感じ。

終戦と共に即接収され、大規模拡張を受けた「ハネダエアベース」は、1958年に全面返還されます。

それでも、それまでの間米軍の軍用機で飛行場が占拠されていたのかというとそんなことはなく、沿革にまとめましたが、

早くも1947年にあのパンナムが世界一周路線を開設し、コンステレーションが飛来したのを皮切りに、

ノースウエスト、フィリピン航空、カナダ太平洋航空、英国海外航空、スカンジナビア航空、タイ太平洋航空等の航空会社が、

コニーの他、DC-4、DC-6等で続々と飛来し、路線開設してゆきます。

日本も徐々に制限が解除され、1951年に日本航空がチャーター機運用を開始、

その後定期便運航路線を徐々に開設してゆき、

ついに1952年には米軍より運営移管を受け、運輸省所管の「東京国際空港」に名称変更することになります。

「東京国際空港」については、次の記事で。


      東京都・ハネダエアベース     

ハネダエアベース データ

設置管理者:米軍
空港種別:軍用
所在地:東京都大田区
座 標:N35°33′19″E139°45′43″
面 積:257.4ha
A滑走路:2,100m×45m(15/33)
B滑走路:1,650m×45m(04/22)
(座標はグーグルアースから)

沿革
1945年 9月 接収。拡張工事。
1946年 6月 工事完了。2,100m、1,650m滑走路新設、エプロン、駐機場、管制塔、事務所、宿舎等。米1307部隊駐屯
1947年 6月 パンナム、世界一周路線開設。コンステレーション到着
      7月 ノースウエスト航空、DC-4で乗り入れ
1949年 1月 フィリピン航空、DC-6で乗り入れ
      9月 カナダ太平洋航空、DC-4で乗り入れ
     10月 パンナム、サンフランシスコ線開設
     11月 英国海外航空、乗り入れ
1951年 4月 スカンジナビア航空、DC-6Bで乗り入れ
      5月 タイ太平洋航空、DC-4で乗り入れ
      8月 日本航空がフィリピン航空からチャーターしたDC-3「金星」到着
     10月 日本航空、ノースウエスト委託運航で戦後初の定期運航開始
         1番機はマーチン202。東京~大阪~福岡線就航
     11月 日本航空、札幌線、大阪線開設
     12月 KLM、コンステレーションで南回り欧州線開設。国内旅客用ターミナル完成。
         民航空運公司(台湾)、DC-4で乗り入れ
1952年 6月 カンタス航空、DC-4で乗り入れ
      7月 米軍より運営移管。滑走路2,133m、1,676m。東京国際空港に名称変更。運輸省所管となる。

 

関連サイト:
「序 調査の目的と範囲-大田区ホームページ」(pdf)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「日本民間航空史話」
「全国空港ウォッチングガイド」
「東京100km圏の戦時飛行場 関東飛行場の地歴図集」


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