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八丈島空港 [├国内の空港、飛行場]

   2013年7月 訪問 

 

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ターミナル東側にある「八丈島空港・航空路監視レーダー事務所」と、

 

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東京愛らんどシャトルターミナル」

 

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空港駐車場からもエプロンが良く見えました。

 

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ターミナル内部

 

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ターミナル内部

 

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展望デッキ入り口

 

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デッキから見た左側

 

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正面

 

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右側。

恵まれた撮影環境ですね。

 

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八丈島空港:map  


      東京都・八丈島空港      

   ビュー:☆☆☆★★  
展望デッキ無料。フェンス低く撮影の障害無し

   施設:☆☆☆★★  
こぢんまりとした分かりやすいターミナル。駐車場無料

   マニア度:☆★★★★  
空港外周に撮影に適した場所探せず。八丈富士中腹から空港全体が見下ろせる

   総合:☆☆★★★  


八丈島空港 データ
設置管理者:東京都知事
3レター:HAC
4レター:RJTH
空港種別:地方管理空港
運用時間:8:00-18:00(10時間)
所在地:東京都八丈支庁管内八丈町
標 点:N33°06′54″E139°47′09″
標 高:91.7m
面 積:76ha
滑走路:
1,200mx200m 「日本海軍航空史」(終戦時)より
現在:2,000m×45m
磁方位:08/26
エプロン(バース数)     小型ジェット用2、小型機用1
航空管制周波数
・航空路管制
 東京コントロール(関東南Bセクター) 125.90 134.15
・飛行場アドバイザリー
 八丈島レディオ 118.70 126.20

沿革
1921年 09月 陸軍と海軍との間で敵艦船及び航空機に対する航空勤務は主として海軍の負担となる
       横須賀鎮守府八丈島に海軍練習飛行場を造ることになる
       候補は坂上だったらしいが時の村長、郵便局長らの奔走で、三根村「群ヶ平(むれがだいら)」
       現富士見集落に決定
1922年 買収が終わり、測量開始
       当時はワシントン軍縮会議中だったからか、海軍中佐一行は民間人の服装で来島、
       付近住民には農場地の測量だということで、夜をかけて提灯の明かりで行ったらしい
1923年 02月 06日 午前10時頃飛行機2台がきて、午後1時頃2台とも帰路に着く
1927年 10月 04日 八丈島海軍飛行場開場式。飛行機2機と飛行艇初着陸。島民挙げて歓迎
       飛行場は三根村の無償管理下に置かれる
       以来毎年のように横須賀鎮守府管轄化の各航空隊が飛来し発着練習、哨戒演習実施
1928年 07月 07日 静岡県水産試験場魚群偵察飛行機白竜号飛来
1931年 11月 22日 飛行場拡張工事落成祝賀会
1932年 04月 19日 館山航空隊基地約100名来島。翌日雷鳴の中飛行演習敢行
       1機は着水して神湊に引き揚げ。21日演習中止
1934年 02月 22日 館山航空隊所属機、神湊沖に墜落。搭乗員3名救出
       03月 22日 横須賀機6機飛来。うち1機が三根荒地付近に墜落
1936年 01月 18日 23cmの大雪。三小では児童を飛行場に連れて行き雪合戦
       10月 18日 青ヶ島近海に海軍機墜落
1937年 飛行場は開設以来三根村の無償管理下にあったが、この年から横須賀海軍航空隊の直接管理化に
1943年 11月 この頃海軍は新飛行場の設定を急いでいた
1944年 03月 第20野戦飛行場設定隊が竹芝から船で八丈へ
       大賀村の村立病院(現七島信用組合のあたり)を本部として来島翌日から作業開始
       昼夜兼行で作業した結果、半年後には滑走路、エンタイゴウ、誘導路既成
1945年 02月 15日 三根飛行場付近に数個爆弾が投下される
1952年 朝日新聞社の飛行機朝風が軍が設けて荒れたままになっていた八丈飛行場に着陸
       三根小の児童たちが珍しさの余り見学
1954年 03月 村営場外離着陸場として開設
       04月 青木航空の東京不定期便認可
       05月 05日 朝日新聞社機飛来がきっかけとなり青木航空が正式に就航開始
1955年 04月 日ペリも就航(DH104/DH114型機)
1958年 12月 都が飛行場建設に着手。景気上昇に伴い、観光地として脚光を浴びるようになったため
1962年 05月 01日 第三種空港として供用開始(滑走路1,200m)。全日空、藤田航空東京線開設
1963年 08月 18日 藤田航空ヘロン機、八丈富士に激突。乗員3人、乗客16人全員死亡
       事故後藤田航空は全日空に吸収され、11月から東京~八丈島は全日空専用路線となる
       (青木航空→1956年、日本遊覧に社名変更→1960年、藤田航空に改名)
1967年 07月 飛行場変更(誘導路60mx12.5m、エプロン8,400㎡、飛行場347,430㎡)供用開始
1968年 10月 飛行場変更(誘導路60mx18m、エプロン10,628㎡)供用開始
1970年 05月 全日空、名古屋線開設(F-27型機)
1972年 06月 1,500m滑走路供用開始
       07月 航空灯火供用開始(進入角指示灯、滑走路末端識別灯)
1973年 09月 航空灯火供用開始(飛行場灯台、進入路指示灯、滑走路灯、滑走路末端灯、滑走路距離灯、
       過走帯灯、誘導路灯、風向灯)
1980年 03月 ILS供用開始
1982年 03月 ターミナルビル完成
       04月 1,800m滑走路供用開始(誘導路85mx23m、エプロン15,300㎡、飛行場703,778㎡)、
       航空灯火(滑走路中心線灯、誘導路中心線灯)供用開始、全日空737型機就航(ジェット化)
1985年 12月 全日空名古屋線休止
1988年 05月 全日空からエアーニッポンにYS-11便の路線移管
1989年 04月 全日空からエアーニッポンに737型機の路線移管
1990年 06月 航空灯火変更(VASIS→PAPI)供用開始
1993年 08月 東京愛らんどシャトル就航開始
2000年 エアーニッポンのボーイング737-400型機(アイランドドルフィン)が八丈島路線専用として就航
2004年 09月 2,000m滑走路供用開始(飛行場763,241㎡)
2005年 10月 条件付で料金が往復で約4,000円引き下げ
       羽田線1日4往復のうち、1往復が大島空港経由に変更
2009年 09月 30日 八丈島~大島線運休
2013年 02月 07日 管制保安業務及び事務所業務が2013年4月1日付で、羽田へ移管告示
       これに伴い、八丈島空港はレディオ空港からリモート空港へと移行
       遠隔対空通信施設(RAG)は東京飛行援助センター(FSC)の管轄

この年表の資料
「伊豆諸島東京移管百年史」
「八丈島の戦史」山田平右ェ門

関連サイト:
公式サイト    
東京都港湾局/八丈島空港   
国土交通省東京航空局/八丈島空港   
Wiki/八丈島空港   
国土地理院 1949年3月当時の写真(USA M1250 53) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
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