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藤井寺南北滑走路跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年6月 訪問 

無題1.png
1946年6月当時の写真(USA M157-A-6 173) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


 

「河内どんこう」によれば、

大正飛行場(現在の八尾空港) の南3~5km(上のマップ周辺)には、陵墓の小山、森等起伏に富んだ地形を生かし、

青山2丁目付近の三か所には2~3機の飛行機が隠されていたのをはじめ、

機材を隠匿し、臨時の機体修理場、高射機関砲陣地が分散配備されていました。

機体は大正飛行場から四輪の台車に載せて牽引して来たのだそうです。

これらの機体は空襲が過ぎれば本来は大正飛行場に戻されるはずなのですが、

末期の時期は敵の小型機によって低空で絶えず攻撃を受ける可能性があり、

長距離の機体の牽引移動は危険でした。

このため、避難待機地からすぐ発進できるように。ということで、府道を滑走路に改良することになりました。

以下、当滑走路の正式名称不明のため、便宜上の名称で話を進めます。

ご了承くださいませ。

 

この目的で大阪府藤井寺市の府道186号線(府道大阪羽曳野線)が「藤井寺代用滑走路」として設定されました。

この府道は昭和13年に開通し、昭和20年7月に「大正飛行場の予備滑走路」として改良されました。

これは藤ヶ丘2丁目を中心に北方向600m、南方向500mをそれぞれ滑走路にするというもので、

幅11mの府道周辺は大部分が農地だったのですが、南の野中方面にあった沿道住居を含め、

府道両側10mずつ離着陸に支障となる工作物が強制撤去されました。

線形は直線に変更し、重量に耐えるように地盤改良工事が施されました。

これは大正飛行場の予備滑走路として計画されたもので、大正飛行場の約3kmに位置していました。

一方、大正飛行場の約5kmには、昭和12年に開通した軍用道路があり、

こちらも「大正飛行場予備滑走路」 として設定されていました(現・府道八尾枚方線 穴太交差点~新家東口付近)。

これにより、大正飛行場は南北に予備滑走路が設定されたことになります。

 

余談なのですが、大正飛行場の北東約3.8kmも離れた所に忽然と掩体壕 があります。

「なんでこんなに離れた所に??」とずっと不思議だったのですが、

大正飛行場は温存秘匿に本気だったのですね。

以上、情報は盡忠報國さんから頂きました。盡忠報國さんありがとうございましたm(_ _)m 

DSC_0126.jpg

北滑走路

DSC_0122.jpg

南滑走路


      大阪府・藤井寺南北滑走路跡地     
現在のところ離着陸の目撃情報は確認されていないのだそうです

・藤井寺北滑走路 データ
設置管理者:陸軍
空港種別:予備滑走路
所在地:大阪府藤井寺市藤井寺2丁目、さくら町他
座 標:N34°34′01″E135°36′01″
標 高:27m
滑走路:600mx11m
方 位:17/35

・藤井寺南北滑走路 データ
設置管理者:陸軍
空港種別:予備滑走路
所在地:大阪府藤井寺市藤ケ丘3丁目、野中1丁目、野中5丁目他
座 標:N34°33′42″E135°36′02″
標 高:30m
滑走路:500mx11m
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1938年 府道大阪羽曳野線開通
1945年 7月 同府道を予備滑走路に改良

関連サイト:
盡忠報國さんのブログ:大正陸軍飛行場 予備滑走路・掩体壕  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
『河内どんこう 82~各号「戦争遺跡を訪ねて」』


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コメント 2

an-kazu

至る所に巨大墳墓が・・・
 さきたま古墳公園なんて、小さい小さいヮ(゚д゚)ォ!


by an-kazu (2016-09-16 23:08) 

とり

■an-kazuさん
an-kazuさんにとってはトラップだらけですね~(o ̄∇ ̄o)ニヤ
現地回っていると、本当にそここに古墳があるし、
日本の歴史そのものに深くかかわる場所があちこちあるし、
地元の図書館で郷土史を開くと、歴史がからっきしのオイラでも知ってる人名が普通に出てくるしで、
やっぱりかつては関西が日本の中心地だったんだな~という思いを強くします。
by とり (2016-09-17 04:57) 

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