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那覇空港・3 [├雑談]

「嘉手納ラプコン」移管の経緯

前記事でも書きましたが、「嘉手納ラプコン」移管の経緯は、本土の空移管のそれとよく似ています。

沖縄は1972年まで占領状態が続いたため、航空管制も当然ずっと米軍が担当していました。

1972年の本土復帰の際、沖縄航空管制に関する合意が締結され、

那覇空港の飛行場管制業務は早速同1972年に、

そして沖縄周辺の航空路管制業務は2年後の1974年に日本に移管されました。

本土の場合は、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を取り戻したのが1952年4月、

日本が空を取り戻したのが1959年7月。

前述の通り、これには7年強を要しています。

それと比べると、沖縄の本土復帰の際は(部分的にではありますが)、同年空を取り戻しています。

これは、日本人航空管制官の育成が進んでいたからこそ可能になったのだと思います。

ただし、「沖縄本島上空及び周辺の進入管制業務」については、

日本が実施することができるまでの暫定期間、米国が実施することとされました。

これがその後ズルズルと残ることになった「嘉手納ラプコン」です。

つまり「嘉手納ラプコン」は、「日本が出来るようになるまで、暫定的にアメリカがやってあげるから」

一応そういう性格のものだったのでした。

2000年3月、河野外務大臣・コーエン国防長官(当時)会談にて、

コーエン国防長官が「米軍の運用所要を満たすことを条件に(嘉手納ラプコンを)返還する」旨表明。

この時、「嘉手納ラプコンを日本に移管する」ということが正式に表明されました。

とは言っても即日移管という簡単な話ではなく、

コーエン氏の文言にある通り、「米軍の運用所要を満たすこと」という条件付きのものでした。

この条件である「運用所用」には、

・緊急事態における米軍機のスクランブル(緊急発進)を妨げない
・国土交通省の航空管制官が米軍方式の管制業務を訓練する

が含まれていました。

このコーエン国防長官の「嘉手納ラプコン」返還表明から9か月後の2004年12月、

日米両政府は、おおむね3年後の移管を目指し、施設整備及び管制官訓練に着手する旨合意。

早速2004年12月15日から嘉手納ラプコンに国交省の管制官5人を派遣し、訓練が始まりました。

・1人10カ月から12カ月の訓練で米空軍の管制資格を取得、管制官40人を3年かけて次々と派遣する。
・訓練開始から3年後を目途に移管を実施する。

という計画だったのですが、この訓練に手間取ってしまい、遅れが生じました。

(管制方式の違いが想像以上に大きかったらしい)

このため2008年1月、日米両政府は、2009年度末までに移管を完了すること、

運用所要が満たされることを前提に、できるだけ早期の移管に向けて努力を継続することについて改めて合意しました。

こうして当初の計画より2年以上遅れてしまいましたが、嘉手納ラプコンは2010年3月31日に日本に正式に移管され、

国交省の管制官が沖縄本島上空及び周辺の進入管制業務を担当することになったのでした。

やっと沖縄の空が日本に戻ったのです\(^o^)/ワーイ

これにて一件落着。

めでたしめでたし。


とはなりませんでした。

-このままでは、管制官がアメリカ軍人から英語をしゃべる日本人に代わるだけだ-

ラプコン返還前から関係者が抱えていた懸念が現実のものとなりました。

返還後も沖縄の空の主は相変わらず米軍機のままで、

現在でも嘉手納離着陸機とかち合ってしまう場合、那覇発着の民間機は高度300mの低空飛行を強いられています。

そもそも純粋に沖縄の空が日本に戻されるというだけなら、

日本人の管制官がわざわざ5年以上かけて米空軍基地で訓練を行い、

米空軍の管制資格を取得する必要なんて全然ない訳で、現状を見る限り、

航空管制は日本人が実施しているものの、主権は実質的に米軍がガッチリ握ったままです。

実は那覇に移管後も、「米側管制官数名が那覇空港にて業務を行う」と決まっていました。

アメリカ、首輪繫ぐ気満々ですやん(XДX)

きっと訓練期間中にあんなことやこんなことを徹底的に叩き込まれたんでしょうね~。


尤も、次の記事で少し書きますが、これはある程度やむを得ないことで、

管制権が米軍から日本に移管したということは、沖縄の空にとっては間違いなく大きな変化だったと思います。

無題1.png
Flightradar24 から画像切り出させて頂きました。

那覇空港への着陸機の画面です。

2017年11月1日 羽田空港発那覇空港行き JL919便 B777-300型機

高度を下げつつ県北部の名護辺りの上空で本島を横断して日本海から太平洋側に出て、南下。

その後、県南部糸満沖で右旋回して180°変針。

そしてファイナルアプローチ。

今回いろいろと那覇着陸機の航跡を見たのですが、これがR/W36着陸の代表的なパターンでした。

軌跡の色は高度を表しており、

20,00ft以上→濃い青
20,000~10,000ft→水色
10,000~1,000ft→黄緑
1,000ft以下→黄色
と思います。

画像一番下の赤の矢印は、ヒコーキのシンボルが位置している時点での高度です。

色の変化の通り、徐々に高度を落としているのですが、ファイナルアプローチに入っているのに、

この時点でまだ1,925ftもありますね。

この記事を作るにあたり、朝から夕方まで様々な時間帯、様々な日の那覇着陸機を見たのですが、

「高度1,000ft 以下で延々と~」というケースは見つかりませんでした。

是非見つけて貼りたかったんですが。。。

少し以前にoldman様からご指摘頂いていたのですが、

離陸機も含め、延々1,000ft以下を維持するケースはかなり少くなっているようです。

1104a.png
こちらは離陸機です。

2017年11月4日 那覇空港発福岡空港行き NH1200便 B767-300ER型機

離陸後すぐに左旋回、その後進路を北に戻し、本島西側に沿って日本海を上昇。

離陸後あっという間に1,000ft を突破して、1,850ft に達しています。

R/W36離陸の代表的なパターンです。

離陸後直ちに左旋回するのは、嘉手納にむやみに近寄らないためでしょうか。
1103a.png
一方こちらは、2017年11月3日 那覇空港発大阪伊丹空港行き NH764便 B787-8型機

離陸からここまで3分間、ずっと1,000ft 以下を維持し、この後一気に高度を上げ始めました。

ここまでは高度制限の指示が管制管から出ていたんでしょうね。

但し、こうしてしばらく1,000ft以下を保つケースはかなり少なくて、

ほとんどの機は離陸後すぐに1,000ftを突破しています。



ピーチ機の重大インシデントのこと

ちょっと余談なんですが、「ピーチ機のインシデント」について。

嘉手納ラプコン時代から引き継がれた「民間機が高度300mの低空飛行を強いられる危険性」については、

2014年4月28日に発生した「石垣発那覇行きピーチ機の重大インシデント」が引き合いに出されることがあります。

このピーチ機は、那覇空港に着陸しようとしていたのですが、

那覇空港のずっと手前から延々高度1,000ft(300m)以下を指示されていました。

そして、まだ高度1,000ft(300m)を維持しているべき地点で異常降下(高度72mまで下がった)してしまい、

対地接近警報装置が作動して緊急に機首を上げる回避操作を取り、着陸をやり直したというものです。

・ピーチ機が異常に高度を下げてしまった
・那覇空港は元々低空飛行を強いられている

この二点を結び付けてしまうのは無理からぬことかもしれず、

→だから沖縄の空を取り戻せ!

という論調のサイトが散見されます。

沖縄の空が本当の意味で日本に戻り、民間機が低空飛行を強いられる状態が解消されて欲しい。

というのがオイラ個人の願いであることをまずハッキリ述べた上で、この論調は微妙と思います。

運輸安全委員会から当インシデントについての調査報告書が出ており、

重大インシデントに至る経緯、原因、再発防止策が出されています(下記リンク参照)。

この異常降下の原因は、オートパイロットで高度1,000ftにて那覇空港に向け飛行中、

機長が降下開始には早過ぎるタイミング(通常、接地目標点の5.6km手前から降下開始するところ、10.5km手前)

でオートパイロットに「毎分900ftの降下率で降下せよ」という指示をしてしまった。

というものでした。

1,000ftで飛行中、「毎分900ftの降下率」ですから、計算上では66.7秒で海面です。

オートパイロットで昇降の操作をする具体的な方法については、メーカーや機種によって違いがあるのかないのか、

マニアとは無縁の健全な一般人のオイラは知らないのですが、インシデントを起こしたA320の場合、

報告書によれば、まず「VSノブ」というつまみを回して昇降率をブリセット(前もってセットしておくこと)します。

次いでこのノブを引っ張ると、ブリセットした昇降率に従ってヒコーキは昇降を開始します。

ピーチ機の機長はこのVSノブを「毎分900ftの降下率で降下」にプリセットし、

次いでこのノブを早過ぎるタイミングで引っ張りました。

この操作が重大インシデントを引き起こした直接の原因な訳ですが、

なぜこんなことをしてしまったのかについて機長はこう証言しています。

「操作した記憶はないが同機が降下したことを考えると、PF(操縦担当)である自分が操作したことは間違いなく、なぜこのようなことをしたのかわからない」

操作をした当の本人が「わからない」と述べているのですが、

なぜこの操作をしてしまったか、その理由について、報告書はこう推測しています。

「那覇空港の着陸に使用するレーダー誘導はPARという特殊なもので、

機長にとっては久々のPAR(この時乗務したA320型機では初めて)であり、PARの方に余りにも注意が向き過ぎたため、

降下開始の意図なくVSノブを引いた可能性が考えられる」

そして機長の操作通りヒコーキは降下を開始したのですが、一連の操作の際機長はコールアウトをしなかったため、

副操縦士も機長の操作に気が付くことができませんでした。

機長自身が「なぜこのよのようなことをしたのかわからない」と述べており、

報告書の推測通りなら、機長はハッキリ意図せずに操作してますから、コールアウトはなくて当然ですよね。

また、たとえハッキリ意図して操作したとしても、当時のピーチの社内規定では、

この操作の際にコールアウトの義務はありませんでした。

そして二人とも着陸前の慌ただしさに忙殺され、高度はオートパイロットで1,000ftを維持していると思い込み、

管制官からの注意喚起もなく、やっと副操縦士がそれに気が付き、警報も発動し、

最終的に72mまで下がったところで上昇に転じました。

非常に忙しくて余裕をなくしている時に、ついうっかりポカミス。

なんてのは、そそっかしいオイラもよくやっちゃうので気持ちはよく分かります。

幸いなことに今回はインシデントに留まり、海面に突入してしまうという最悪には至りませんでしたが、

始まりは小さなほころびで、それを修正するチャンスはその後何度もあったのに、修正には至らず、

ついには回避不能の事態に陥ってしまう。というのは、航空機事故の典型例です。

再発防止策として、ピーチ社はパイロットにコールアウト、タスク処理の優先順位の徹底を決めました。

そして報告書は那覇空港管制官に対し、こうした事態が起こり得ることを念頭に置き、

レーダーから外れる管制機に対しては、注意喚起を徹底することを勧告しました。

要するに、「ピーチのパイロットと管制官は次から気をつけましょうね」。というもので、

「ラプコン時代の~」とか「米軍ガ~」とか「低空飛行を強いられるから~」的なことは、

全96pの報告書では一言も出てきません。

まあ、「米軍優先の現状ではこれは仕方ない。これは構造問題だ」的なことを書いても何の解決にもなりませんしね。

ただ、「オートパイロットの不適切な操作」及び、「危険な状態にあること(なりつつあること)への気付きの遅れ」

という原因だけ切り出してみると、これはラプコン云々は関係のない話で、那覇空港でなくても起こり得ることです。

低空飛行により余分な負荷を強いられるという状況がこのインシデントの遠因になっている可能性は否定しませんし、

延々低空飛行を強いられる状況のせいで、たちまた危うい状況になってしまうのですから、

やっぱりこういう現状は解消して欲しいです。

(続きます)


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那覇空港・2 [├雑談]

無題3.png

SkyVector.com

前記事の続きです。

那覇空港の第二滑走路が供用開始しても発着枠が微増に留まる「3つの制約」の1番目、

「那覇空港の北側に米軍嘉手納飛行場への進入経路が重なる空域の問題でオープンパラレルが採用できない」

とはどういうことなのか、関係するところを色々と書いてみます。

で、前記事でも書きましたが、オイラは全容を未だ理解していませんので、

このシリーズ記事を最後まで読んでも、

結局のところ「よく分からない」感じで終わりますのでご了承くださいませm(_ _)m

今回の記事では、件の「嘉手納ラプコン」について、そのスジの方には分かり切った話をグダグダと。

一応確認しつつ記事作ったつもりですが、オイラ航空管制のこと(も)詳しくないので、

話半分程度に読んで頂けるとありがたいです。ツッコミ大歓迎!



「ラプコン」とは

国交省のサイトによりますと、「ラプコン」(RAPCON:RADAR APPROACH CONTROL)とは、

「レーダー進入管制所の呼称で、離陸後の上昇飛行、又は着陸のための降下飛行を行う航空機に対して、レーダーを使用して行う管制業務。」

と説明されています。

例外もあり、大雑把になってしまうんですが、一例として那覇空港から羽田空港に向かう旅客機があったとして、

那覇空港のスポットを離れ、離陸後羽田のスポットに到着するまでの間、

パイロットはずっと航空管制官のお世話になるのですが、それぞれの管制官が担当する空域が決まっています。

スポットを離れ、離陸するまではその空港の管制官が担当(那覇空港の場合、担当管制空域は那覇空港の半径8km)。

離陸後、上昇し、航空路に乗るまでは「嘉手納ラプコン」の管制官が担当。

航空路に乗ったら、航空路専門の管制官が担当。

という感じです。

交信を傍受聞いているとしばしば、

「〇〇と交信してください。周波数は△△です」というお定まりのフレーズがよく出てきます。

パイロットは次々周波数を切り替えてゆき、

現在飛行している空域を担当する管制官と交信しながら目的の空港を目指します。

「航空路」とは、上空に定められたヒコーキの通り道のことで、管制官はしばしばこれを「空の高速道路」に例えます。

自宅を出発して高速道に乗るまでには、下道をごちゃごちゃ走りますよね?

え? 自宅前の国道にすぐインターがある?

そうですか…。

(無視して)で、冒頭の国交省の説明にある通り、ラプコンは「離陸後上昇し、航空路に乗るまでの管制を担当する」

ので、車に例えるならば、自宅出発後、高速道路に乗るまでの案内役に当たると思います。



「嘉手納ラプコン」とは

「嘉手納ラプコン」の担当範囲は、嘉手納基地(嘉手納飛行場)を中心に、

半径50海里(92.6km)以内で高度20,000ft(6,096km)以下、

及び久米島空港を中心に半径30海里(55.5km)以内で高度5,000ft(1.5km)以下の空域です。

こうやって文字だけではイメージし辛いですが、大きな円筒と小さな円筒がくっついたような形です(ググればいくらでも分かりやすい図がヒットします)。

「嘉手納ラプコン」は、嘉手納基地から半径92.6kmの空域を担当していますが、

サンゴのように細長い沖縄本島は、端から端まで約107kmなので、

沖縄本島をすっぽりと覆う広さがあります。

このエリア内にある飛行場から離陸/着陸するヒコーキを管制するのが「嘉手納ラプコン」の役割です。

冒頭でご紹介しましたが、「ラプコン」とは、「レーダー進入管制所の呼称」です。

オイラは漠然と、「特定の空域の名称」だと思っていたのですが、「管制所の呼称」なんですね。

「嘉手納ラプコン」の場合はその名の通り、米軍嘉手納基地の中に航空管制をするための施設があり、

当然のことながら米国軍人の管制官が管制を担当していました。

後述しますが、「嘉手納ラプコン」の管制業務は2010年に日本に移管されました。

空域の設定範囲はそのままで、施設は嘉手納基地内から那覇空港内に移り、

管制官もアメリカ軍人から、国交省の日本人に代わりました。

また、元々「ラプコン」はアメリカの航空管制用語なので、

移管に合わせて名称も「嘉手納ラプコン」から、「那覇進入管制空域」(通称・那覇アプローチ)に変更されました。

というわけで、今はもう「嘉手納ラプコン」はありません。




「嘉手納ラプコン」がないと危険

上のグーグルマップのヒコーキマーカーは、上から順に嘉手納飛行場、普天間飛行場、那覇空港です。

嘉手納飛行場から那覇空港までは直線距離で約20kmしかなく、この狭い範囲に3つも飛行場があります。

しかも滑走路の向きが問題で、上のグーグルマップの赤線、青線は、それぞれの飛行場の滑走路延長軸を示しています。

これを見るだけでいかにも危ない感じですよね。

例として那覇空港主観で話を進めますが、滑走路北端から僅か6,400mで嘉手納の滑走路延長線と交錯します。

ANAのサイト によりますと、一般に旅客機の離陸速度は200~240km/h、

上昇速度は高度3,000mまでは500km/h程度なのだそうで、

ざっくり400km/hとすると、那覇空港R/W36から離陸(嘉手納に向かって離陸・風向き的にこの方向が多い)した旅客機は、

滑走路北端通過後、57.6秒後に嘉手納飛行場の延長線と交錯する計算に。

そして普天間飛行場に至っては、その延長線は那覇空港の上を通っています(@Д@)

那覇空港から離陸した旅客機は、一路航空路を目指して上昇したい(安全面でも燃費的にもさっさと高度上げたい)ですし、

逆に那覇空港に着陸する旅客機は、都合の良いポイントで航空路から外れて降下したいです(安全面でも燃費的にも、ココ!といういい感じのタイミングがある)。

一方、嘉手納飛行場や普天間飛行場から離陸するヒコーキがどんな動きをするのか、調べられなかったのですが、

周辺には米軍の訓練空域がたくさんあります。

きっと訓練空域に行って、いろいろ訓練してるんじゃないでしょうか(適当)。

ひたすら航空路と滑走路を行き来する旅客機と軍用機とでは、性能も飛行目的もかなり異なっているはずで、

こんなに飛行場が密集し、滑走路延長線が交錯している状況で、

それぞれの飛行場から離陸したヒコーキが各々の都合で自分の行きたい場所に飛んでしまうと、

1日に何度重大事故が起きても不思議ではありません。

以前瀬長島で航空無線聞いていた時は、いろんな旅客機と共に、ヘリとの交信も随分入ってました。

そこで、こんなゴチャゴチャな状況で危険な状態に陥らないように、

「嘉手納ラプコン」が担当すると定められている空域(嘉手納基地を中心に半径50海里~)

の巨大な円筒の範囲に含まれる飛行場(本島の嘉手納、普天間、那覇、本島西に位置する久米島、粟国)

に離着陸する飛行機を、嘉手納基地内の施設からのレーダー管制で一元管理することにしました。

これなら全体の動きを把握してメタ管制ができますから、安全です。



「嘉手納ラプコン」があると危険

「近接する複数の飛行場の航空管制を一元管理する」

これは安全な航空交通のため理にかなった管制方式と思うのですが、

嘉手納ラプコンの場合問題だったのは、その運用があまりにも米軍優先であること。

那覇空港発着機が延々1,000ft(300m)での低空飛行を強いられるのはコレのせいです。

そしてこの問題はこれまで国会でもたびたび取り上げられてきました。

衆議院の質問本文情報がネット上に公開されており、「嘉手納ラプコン」問題が幾つもヒットします。

その中の1つ(ラプコン返還前のもの)には一部こうあります。

「那覇空港の進入管制業務が米軍によって行われているために、これまでもニアミス等が発生しており、しかも、民間の航空機は、米軍機の飛行経路を避けるために、同空港の離発着の際に、海上約五、六〇キロを、高度三〇〇メートルの低空で飛行しなければならない。このために乱気流などが発生した場合には、大惨事につながる可能性もあるとして、嘉手納ラプコンの米軍優先の航空管制が、国会で何度となく議論がなされてきたところである。今日もなお、沖縄の空は、実質的に米軍の「管轄」下にあり、空の主権が侵害されていると言わざるを得ない。」

ニアミス、低空飛行を強いられることによる危険性が挙げられていますね。

米軍優先の管制のため、例えば嘉手納で戦闘機が次々離陸する場合、

那覇ではせっかくいい感じで離陸できるタイミングなのに、延々離陸を見合わせたりします。

また、「嘉手納ラプコン」で使用しているレーダーは古くて度々故障し、予備レーダーもないため(国内空港では考えられない)、

電源装置が故障してレーダーがダウンする等の事例が報告されるなど、ハード面の信頼性にも問題がありました。

「嘉手納ラプコン」施設の不備で管制ができなくなり、那覇空港発着の定期便が遅延したり、欠航したりということは、

これまで実際に生じてきました。

そんなこんなで「沖縄の空を我々の手に!」という強い要望がずっと続いていたのですが、

2010年、やっと「嘉手納ラプコン」は返還されたのでした。




日本の空移管の経緯

「嘉手納ラプコン」返還の経緯について書こうと思ったんですが、

その前に日本本土の空返還の経緯を大雑把ですが書いてみたいと思います。

両者のケースは非常に似ており、日本本土の空の管制移管の際の様子は、

嘉手納問題がどうして未だに引きずっているかのヒントになっていると個人的には思っています。


世界の民間機運航の法規をどう構築していくかという話し合いは連合国陣営内で第二次大戦中から既に進められており、

敵国である日本は当然蚊帳の外でした。

敗戦国となった日本に「航空禁止令」が課され、手も足も出せない中、

世界の航空運航に関する様々な法規、秩序造りは戦勝国主導であっという間に構築され、

それが地球規模で空の理として運用されたのでした。

1950年6月、GHQは「航空禁止令」の一部を解除し、これを受けて同年11月に日本人パイロット3名が

管制官になる訓練を受けるため、オクラホマ市にあるCAA研修訓練センターに送られました。

「日本の空を日本の手に取り返す」とは、もはや単に占領軍が出て行けば済むという問題ではなくなっていました。

それは、連合国間で構築された「航空管制」という概念を習得し、それに従うということでした。

この3名は翌1951年4月に資格を取得し、日本人初の航空交通管制業務資格取得者となりました。

同年9月、サンフランシスコ講和条約調印。

1952年7月、「航空交通管制に関する日本国と在日米軍との間の取り決め」(ATC合意)発効。

この取り決めでは、真っ先にこう謳われています。

「日本国は、日本領空において完全かつ排他的な主権をもちかつそれを行使する。」

それでも、「現状ではまだ日本人に航空管制業務を引き継ぐ能力がない」という理由で、

当時は依然として米軍が日本の航空管制を担当していました。

米軍の管制官から直接訓練を受け、管制移管の際実際に管制官として携わっておられた方の回想録でも、

残念ながら「一面においてそれは確かな事実であった」とあります。

アメリカ側がなかなか日本の航空管制を手放したがらないのは、一つには朝鮮戦争のことが念頭にあり、

在日米軍基地から安全確実に半島方面に航空機を飛ばすためには、日本の空の実権を握ったままでいたい。

という本音もあったようです。


米軍に支配された日本の空を取り返し、日本人が管制する-

当時の関係者にとってそれは宿願であり、願望を口にするだけなら簡単だったのですが、

実際にそれを実現するには、それが十分できるだけの日本人管制官を質、量共十分育成することが不可欠でした。

1955年7月14日付の米軍機関紙には、日本本土の航空管制についての記事が載りました。

オクラホマのCAA研修所に倣い、運輸省の下に航空局を設置し、局内に26週間のコース研修所を設置したこと、

現在航空管制コースを了えたのは92名、日本人管制官に全ての業務を引き継ぐには、341名が必要であること、

等記されていました。


こうして日本人航空管制官を育成し、国内各地の米軍基地にて実地訓練を重ね、質と量を増していったのですが、

当時訓練を受けた方の手記を見ると、教官役の米軍の管制官には心ある人物もいる一方で、

戦後日本に駐留し、航空管制を担当した米軍内でさえ、

黒人兵、日系人兵に対するあからさまな人種差別が横行しているという状況でした。

ましてや敗戦国の日本人管制官の見習が相手となると、訓練所では様々な差別問題が発生しました。

航空管制管になるためには、担当空域の地勢図、その地域ごとの細かな安全高度、空港ごとの管制方法、特例措置等々、

覚えなければならない項目が数多くあるのですが、米軍の日本に対する機密保持は尋常でなく、

これら絶対必要な資料は持ち出しはおろか、書き写しも厳禁とされ、辞書の持ち込みすら許可されませんでした。

そのため、業務の合間を縫ってひたすら暗記するしかなく、

分からない単語があると、米軍管制官の目をかすめるように手のひらに書き込むという有様でした。

それでもなんとか必要なことを覚え込み、筆記試験にパスすると、管制官の資格を得るために今度は、

レーダーを相手にした実践をひたすら重ねて腕を磨く必要があります。

航空管制は、たった10日現場を離れただけで勘が鈍ってしまい、致命的なミスを犯しそうになる職人的な世界なんだとか。

羽田等忙しい空港でバリバリ管制業務をこなすような管制官でさえ、

しばらく現場を離れると、「今の俺にはムリだ」と身がすくむ思いなのだそうです。

一人前の管制官でさえそうなのですから管制管の卵にとっては尚更で、現場での実地を積み重ねることが絶対必要です。

ところが、一人前になるためには不可欠であり、「一日も早く」と求められているというのに、

その実地訓練が必ずできるという保証がありませんでした。

訓練を担当する米軍管制官のその日の気分や感情で実践の機会が与えられるかどうかが決まるからです。

実地訓練をさせてもらえず、本来交代制であるトイレ掃除等雑用ばかり押し付けられる管制官、

神経を張り詰めて管制業務に携わっている最中、執拗に繰り返されるいやがらせ、

アメリカに批判的な雑誌を持ち込んだせいで追放されてしまった先輩格の管制官、

勤務地は当然米軍基地内となるのですが、夜間通行禁止の場所であることを知らずにそこを通ってしまったため、

憲兵隊本部に引きずり込まれ、大男たちに取り囲まれる中、真っ裸にされて荒々しい取り調べを受けた管制官。

日々彼らに向けられる横柄な態度、激しい差別、満足に仕事をさせてもらえない焦燥感、

空が日本に戻る日は本当に来るのだろうかという絶望感。

連日続く余りに理不尽な現実に耐えかねて、多くの管制官の卵が去ってしまいました。

一方で、「この空を取り返せ」の一念で耐え続けた管制官もいました。

           -「管制移管」-

日本が管制を担当することになった際しばしば用いられるその言葉は、

非常に簡潔且つスマートな印象を与えるのですが、その実態は当事者たちにとって、

耐え難きを耐え涙なしには語れぬ生々しいものであり、アメリカから空を「奪い返す」ということでした。

1956年、経済白書に「もはや戦後ではない」という言葉が躍り、流行語にまでなりましたが、

航空管制管の卵が惨めな思いをグッと堪え、闘い続けていたのはまさにその頃でした。

我々が普段当たり前のように享受しているものが、よくよく調べてみると実は先人達の大変な苦労の上に成り立っている。

というものは多々ありますが、航空管制の分野は間違いなくその中の一つです。


1957年4月、日米合同委員会航空分科会にて、2年後の1959年7月を目標期日とし、

管制権を日本側へ移管することが決まりました。

管制権全体の移管に先立つ1957年10月、大阪空港の管制権がアメリカから日本に移管されました。

管制塔が日本側に返還され、これが米軍からの初めての管制権移管でした。

1958年7月、羽田空港移管。

こうして徐々に移管が進む中、最大の難関は航空路の移管でした。

現在は所沢に「東京航空交通管制部」がありますが、

当時は、ジョンソン基地(現・埼玉県入間基地)に航空路管制を行う東京センターがありました。

この東京センターの管轄空域は、北は岩手県から南は鹿児島県と沖縄県の県境付近まで。

加えて洋上管轄区域があり、東は東京とハワイの中間付近、北はソ連、韓国、中国との間で決められた堺まで、

南はグアムとの境までという、非常に広範囲に及んでいました。

そのため、覚えなければならない量はそれまでとは桁違いであり、

ここでも日本人管制官が米軍管制官の指導の下、必死で業務を覚えていました。

1958年4月時点で、東京センターには米兵86人、日本人の航空局職員40人(このうち資格取得者は20人)

という状態でした。

管制移管の目標期日まで残りあと1年3カ月しかない中、必死で質と量を増していたのですが、

こうした時間の無い状況下でさえ、現場の米軍管制官からのいやがらせは続いており、

こうしたさ中、件の先輩格の管制官の追放がありました。

目標としていた管制移管の期日が迫る中、日本人管制官はニアミスを頻発しており、

米軍側の心ある管制官の中では、このまま引き継がせてよいものかどうか心配しており、

日本人管制官との話し合いが行われ、

当の日本人管制官の訓練生の間でも、なんとかなるさという楽観論と、

もうしばらく面倒を見て貰わないと、大変な事故が起きてしまうという悲観論に分かれていたのでした。

ニアミスはちっともなくならず、懸念を抱えたまま、その日が来ました。


1959年7月1日、日本の航空路管制を日本に移管。

サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日、日本の領土は日本に戻りましたが、

足の裏が日本の領土から離れた瞬間、空のすべては依然としてアメリカのものでした。

領土が戻ってから7年余のこの日(一部例外はあるものの)、

晴れて日本の空が日本に戻ったのでした(前夜までの雨が上がり、当日の東京センター上空は本当に晴れだった)。

日本の領土でジャンプして、足が地面から離れても、その空間もちゃんの日本のものになったのでした。

あれほど頻発し、果たしてこのまま米軍管制官が居なくなっても大丈夫だろうかと心配の種だったニアミスは、

管制移管と共に消えてしまったのだそうです。

しかし、この時依然として沖縄は米軍に占領されたままなので、当然沖縄の空はアメリカのものなのでした。

(続きます)


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那覇空港・1 [├雑談]



那覇空港は、2020年3月末の第二滑走路供用開始に向け、現在工事を進めている訳ですが、

琉球新報 2017年9月18日 06:00(Web版) 「新旅客ビルと施設一体整備 促進連盟が那覇空港拡張案」 によりますと、

両方の滑走路の間を埋立て、そこにターミナルビル、駐車場を建設、

更にはホテルや商業施設、コンベンション施設などの機能を一体的に集積し、

「世界最高水準の国際リゾート・ビジネス空港」とするという計画案を立てています。

県内36団体でつくる「那覇空港拡張整備促進連盟」がまとめたなんとも壮大な計画であり、

今後案として提示していく予定なのだそうです。

瀬長島大好きなオイラと致しましては、この大規模な埋め立てにより、

島が飲み込まれてしまわないだろうかと心配だったんですが、

構想図では瀬長島はそのまま島として残ります。

気の早過ぎる心配ですけど。


ところで少し前に那覇空港第二滑走路の記事を書きました  

要約しますと、「二本目の滑走路が完成しても、種々の制約から発着枠は微増に留まる(2015年度実績比+17.8%)」

という内容でした。

第二滑走路が供用開始しても発着枠が微増に留まる「種々の制約」とは、

(1)那覇空港の北側に米軍嘉手納飛行場への進入経路が重なる空域の問題でオープンパラレルが採用できない
(2)旅客ターミナルと第2滑走路を行き来するには、陸側滑走路の離着陸を止めて横断しなければならない
(3)自衛隊機の使用が増えている

でした。

(1)の制約についてはいろいろ調べてみたんですが、結局今のところ問題の全容も解決方法もよく分かりません。

一応調べたことを次回以降の記事で書く予定ですが、

この(1)の問題を解決するためには、アメリカとの(きっと相当タフな)交渉が不可欠となります。

(2)については、「新旅客ビルと施設一体整備」計画について取り上げた琉球新報の中で、

「現状では第二滑走路が供用開始しても発着枠が微増に留まる制約」として唯一触れられています。

現状では、今ある滑走路を横断しないと新しい滑走路が使えないですが、

「ターミナルビルの両側に滑走路」という形にすれば、この問題は解消しますからね。

同紙では加えてこのまま利用客が増えても、現行ではこれ以上施設を建設する用地がない。という問題に焦点を当て、

滑走路間を埋立てればこの問題を解消できるという内容になっています。

(3)についてですが、1本滑走路運用の福岡空港が航空自衛隊、海上保安庁、米軍も使用しており、

しかも、那覇空港の上をいく発着数をこなしています。

この大規模埋め立てが実現すれば空港用地が格段に広くなり、諸施設配置の自由度が増しますから、

これでなんとかなるのではないかと(希望的観測ですけど)。


那覇空港の第二滑走路は、海を埋立てての海上滑走路で、

完成には6年余の歳月と、約2,000億円という莫大な費用を要する計画です。

沖縄県諸団体のぶち上げた「新旅客ビルと施設一体整備」計画は、

この海上滑走路建設より遥かに大きな話で、ほとんど新規に巨大海上空港新設を推進するようなものです。

(1)の米側との問題を解消しないまま、その上更に海上空港プロジェクトというのはどうなんでしょうか。

まずは二本の滑走路の性能をフルに使える環境を整えるのが先決と思うんですが。。。

それとも、既成事実を作ってからアメリカとの交渉に入るつもりなのかしらん。


大規模開発により生まれ変わり、東アジアの玄関口として各国のヒコーキが盛んに飛び交う那覇空港-

個人的にはそんな那覇空港を是非見てみたいのですが、

立派過ぎるハコは作ったのに、それがほとんど活かされず、お寒い状況。というのは見たくないです。

…オキナワだけに。

でも今の日米両首脳の(気味が悪い程の)仲良しっぷりを見ていると、

首相が「お願い[黒ハート]」と言えば、大統領が二つ返事で「オッケー♪[わーい(嬉しい顔)]」なんて言ってくれないかしらん。


(来週月曜日に続きます)

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■ヒコーキの雑談・リスト■  [├雑談]

2005年
空港がいっぱい (全国に空港、飛行場はいっぱいあるという話)
飛行場の跡地  (オイラの地元の飛行場跡地の話)
ボーイング王国日本(今後日本がボーイング王国になってしまうという話)
太平洋無着陸横断への挑戦(挑戦の様子を年表形式でまとめたような話)
岩手県・花巻空港(旧ターミナル運用当時
)(国道のすぐわきに空港があった話)    
3レターコード
  (3レターについての話)
飛行機の燃費節約(ヒコーキ流燃料節約術の話)
さようなら YS-11(YSについての話)

2006年
エコノミー席での背もたれ倒し(エコノミーで背もたれを倒すのはやめませんか?という話)
災害とヒコーキ (新潟中越地震とヒコーキの話)
一ヒコーキ好きの嘆き(ヒコーキマニアの自虐ネタの話)
日航機ニアミス判決(判決についての話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・1(空気はスゲー重いという話)
ヒコーキはなぜ飛ぶか・2(ヒコーキはスゲー軽いという話)
あなたもパイロットになれますか?(人を陥れる話)
ベルヌーイvsニュートン・1(ベルヌーイで世界中が納得しているかと思ったら大間違いという話)
ベルヌーイvsニュートン・2(ベルヌーイの疑問点の話)
ベルヌーイvsニュートン・3(それぞれの言い分の話)
乗客が全員力士だったら(それでもヒコーキは飛ぶか?という話)
大西飛行場のその後(大西さんの夢はまだまだ続いているという話)
戦闘妖精雪風・DVD(雪風カッコイイイイイ!という話)
「機長、コーヒーです」(自衛隊関係者の皆様、ゴメンなさいという話)
気をつけなくっちゃ(マスメディアのヒコーキ話には結構ツッコミどころが多いという話)
本当の幸せとは(パイロットもいろいろ大変。という話)
YS-11企画展@所沢航空発祥記念館(YSイベントの話)
鳥人間コンテスト(同コンテストについての妄想記事)
UFO(UFOの正体にするどく迫った記事・笑)
A380の翼面荷重(A380の翼面荷重を他機といろいろ比較してみた話)
ヒコーキ雲(ヒコーキ雲ができる条件の話)
羽田空港の駐車場(P1,P2)(P1,P2の利用法の話)

2007年 
ぼくは航空管制官(について熱く語った話)
ぼくは航空管制官2(同上)
空港ランキング(ビューベスト5)(今まで見た中で、眺めのよい空港の話)
空港ランキング(マニア度 ベスト5)(今まで見た中でマニアックだった空港の話)
空港ランキング(家族でドライブ ベスト5)(今まで見た中でドライブにお勧めな空港の話)
ボン社事故(Q400胴体着陸関連の妄想記事)
ヒコーキ好きにとって魅力的な空港(オイラ的魅力的な空港)      
新石垣空港建設計画
(建設決定 という話)      
ホンダエアポート/飛行船
(ホンダエアポートで飛行船を見学した話)      
石垣空港の跡地利用
(地元の方の懸念の話)      
PAN AM Tシャツ
(もらって嬉しかった話)
新潟空港阿賀野川側からの撮影情報
(解放して欲しい話)     
B787・1 開発開始までの迷走
(開発までを時系列で並べてみた話)      
B787・2 開発開始
(ロールアウトまでを時系列で並べてみた話)       
4レターコードの ”とり説”(改訂版)・1
(4レターの法則についての妄想話)
4レターコードの”とり説”(改訂版)・2(4レターの法則についての妄想話・2)
那覇~下地島 運休(エアトランセがコケてしまった話)     
ブログ紹介
(すごいお方のブログ紹介の話)     
波照間路線の今後
(エアードルフィンさん、引き継いでくれるの? という話)
名古屋空港事故(F-2事故の話)      
いわて花巻空港の展示物
(気になっていたものを確認した話)       
波照間路線の今後・2
(エアードルフィンさん、ありがとう!!という話)
妄想ドライバーの日々(運転中、パイロットになりきってる人の話)
波照間路線の今後・3(RAC波照間便廃止、という話)

2008年
交通機関とエコ その1(三乗の法則のちょっとおさらいの話)
交通機関とエコ その2(まずは船にダメ出しする話)
交通機関とエコ その3(列車にダメ出しする話)
交通機関とエコ その4(ヒコーキにダメ出しする話)
交通機関とエコ その5(鉄道活用の話)
岐阜県・各務原(各務原すげー!という話)
静岡空港(開港前)
(開港前に見に行った話)
羽田空港
(鶴丸ゲットした話)
ぼくは航空管制官3(ぼく菅3 出たよ!という話)
運休、廃止(福島空港、佐渡便の話)
ふくスカ桃祭り 2008・1(カンクリさんに会った話)
ふくスカ桃祭り 2008・2(室屋さんを見た話)
新サービス?(ここはドコ?という話)
ふくスカ・1(リンゴ祭り・午前の話)
ふくスカ・2(リンゴ祭り・午後の話)
旭伸航空(見納めの話)
映画 ハッピーフライト(珍しく映画の話)

2009年
空港探索について・1(ブログの路線変更の話)
空港探索について・2(優先順位の話)
バードストライク、FOD・1(用語の薀蓄話)
バードストライク、FOD・2(エンジンに金網張れない話)
バードストライク、FOD・3(鳥を追い払う苦労話)
バードストライク、FOD・4(エンジンの話)
バードストライク、FOD・5(またエンジンの話)
バードストライク、FOD・6(安心させる話)
787情報(787進捗情報の話) 
B787・3 ロールアウト以降のつまずき (ロールアウト以降の時系列の話)
787関連 衝撃の人事発表(恒例のお騒がせ話)
B787・4 概要(787スペックなどの話) 
Hotelicopter(壮大なスケールのエイプリルフール話) 
続・Hotelicopter(なんでこんなに壮大なことしたかの話)
羽田おきてん(羽田空港の変遷の話)       
アンケートのお願い
(メーカー、機種の人気投票の話)    
B787 6月にテストフライト  か?
(見事に裏切られた話)   
アンケートの結果です
(そのまんま結果発表の話)  
戦争遺構(なんで跡地を回っているのか、の話)     
ファーストクラスの世界・1
(行きの話)    
ファーストクラスの世界・2(戻りの話)   
ファーストクラスの世界・3(38,000円!!!! の話) 
787 エンジンテスト(787のエンジンの話) 
787 中間ガントレットテスト終了(初飛行の期待が高まっていた話)    
羽田D滑走路工事
(D滑走路を見学した話)  
羽田再拡張
(あちこち工事してる話) 
787初飛行延期
(トラブル発生!!! の話)  
東武小泉線物語
(小泉線変遷の話) 
東武小泉線西小泉駅
(西小泉駅周辺の話)      
熊谷~大幡・前編
(熊谷駅から歩いてみた話)  
熊谷~大幡・後編
(続きの話)   
787 いつになったら飛ぶの?
(豚よりは速く飛んで欲しい話)      
787 新スケジュール発表される
(今度は大丈夫??? という話)      
JALのこと・1
(コストをLCCと比較してみる話)     
JALのこと・2 安全確保
(整備費以外を削って欲しい話)    
JALのこと・3 日本の空にLCC
(LCCの運賃にビックリの話)    
Amazing Jumbo Landing!
(ヒコーキ動画の話)       
北方領土の飛行場
(上から丸見えの話)       
九州へ行った話
(社長に謁見した話)    
室谷さん@会津塩川バルーンフェスティバル2009
(ご家族の会話が面白かった話)      
それがマニア・1
(マニアの心理に鋭く迫った話 かな??)    
沈まぬ太陽
(JALに頑張って欲しい話)      
それがマニア・2
(自己診断の話)    
ヒコーキ版・今年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(そのまんま今年の重大ニュースの話)    
ヒコーキ版・来年の重大ニュース(アンケートのお願い)
(来年に何に興味ある?? の話)     
787ファーストフライト スケジュール発表
(予定通り飛んでおくれ~ という話)   
787ファーストフライト
(やっと飛んだ話)    
B787・5 初飛行までの経緯
(初飛行までを時系列に並べた話)     
ヒコーキ版・今年の重大ニュース 結果発表
(投票ありがとうございました という話)    

2010年    
ヒコーキ版・今年気になるランキング(こちらもご協力ありがとうございました という話)   
佐賀空港のYS-11再び!! (またワイエスが見られるようになる。という話)    
羽田・1
(羽田空港を見学して来た話)       
羽田・2(続きの話)      
787は今年中にデリバリーできるのか?
(についてアンケートお願いの話)       
どの路線にデビューする? 787
(についてアンケートお願いの話)       
航空自由化と離島路線
(小難しい話)
鴨池飛行場(鹿児島のこういちさんからいただいた当時の貴重な情報とお写真の話)
モヒカンジェット(やっとモヒカンをゲットできた話)
ツェッペリンNT号 事業停止(飛行船の話)  
ヒコーキ二題(ヒコーキの話ふたつ)
717の話(そのまんま717の話)
787デリバリー またまた遅延(また遅れてしまった話)
LCCの話(そのまんまLCCの話)
成田空港の運用時間は何時間?(成田の運用時間は短い。という話)
羽田見学(国際線ターミナル見学の話)
ハブ空港・1 国内線ここまでの話(国内線のここまで話)
ハブ空港・2 「ハブ空港」=「大空港」?(ハブ空港の話)
「ハブ空港」・3 日本と「ハブ空港」(ハブでいろいろ妄想する話)

2011年    
787デリバリー 新スケジュール発表
(2011年第3四半期(7~9月)だそうですよという話
ハブとメーカー
(787と380の話)
「オペレーション・スターシップ」(エイプリル・フールネタ)
Q:どの位燃やされる?(久々の三択クイズ)
6周年(どうもありがとうございます)
A:どの位燃やされる?(三択クイズの続き)
B787、日本初飛来決定!(そのまんまの話)
二宮忠八とライト兄弟・1(思いつくままにいろいろ書いた話)
二宮忠八とライト兄弟・2(上に同じ)
ビードル号記念飛行(帰ってきたビードル号の話)    
787とウインドウォッシャー
(ついた話)
B787・6 デリバリー開始までの経緯(シリーズ完結の話)
787就航
(おろ・おろしさんおめでとうございます。という話)
日本とダグラス旅客機(ダグラス大好き~という話)

2012年     
ヒコーキの前後バランスの話
(ウエバラの話)
エンジン位置の話(意外といろいろ差が出る。という話)
HondaJet・1 年表(実は先の二つの記事は前フリだった話)
HondaJet・2 MH02(元祖HondaJetの話)
飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m(他力本願な話)
日本のジェットエンジン開発(エンジン開発の皆さん、頑張ってください!という話)
HondaJet・3 エンジン開発(実は前記事は前フリだった話)
翼の取り付け位置の話(いろんな事情の話)
HondaJet・4 OTWEM(「主翼上面エンジン配置」の話)
HondaJet・5 翼型(「自然層流翼型」の話)
沖縄の飛行場の変遷(沖縄にはたくさん飛行場があった話)
787の近況(大急ぎで作らないといけない話)
米国にエアバスの工場(受注競争に与える影響を心配する話)
秘匿飛行場
(本当にここだったのかしらん。という話)
HondaJet・6 機体の特徴など(シリーズ完結。という話)
787デリバリー1周年(次の1年で何機デリバリーできるかという話)
岩国錦帯橋空港(べっ、別に偶然開港前にたまたま前を通りかかっただけなんだからねっ! という話)

201     
787運行停止
(今のうちに膿を出し切って欲しい話)
787運行停止・その2(トラブルまとめの話)
787運行停止・その3(バッテリーの話)
787運行停止・その4(大人の事情の話)
A350XWB の近況(後発の利点を最大限活かしてる話)
枕崎空港廃止(寂しい話)
神風号亜欧連絡飛行・1(出発までの話)
神風号亜欧連絡飛行・2(その後の話)
787運行再開(やっと再開した話)
"重い"787(実は重かった。という話)
飛行の中の非日常(ヒコーキが怖くなる話)
八丈島の飛行場・補足(米軍もよくやるよ。。。という話)
787デリバリー2周年(OILMANさんおめどうございます。という話)
「君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」(防空識別圏の話)

201   
福島空港とウルトラマン(福島空港を応援する話)
とり日記(ムック本に載った話)
広島ヘリポートのレターコード(ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。という話)
ANAの787(データ拾うのにすんごい苦労した割に地味な話)
桶川飛行場の「弾薬庫」のこと(奉安殿?? という話)
内閣中央航空研究所のこと(どんな研究所?? という話)
福岡第一飛行場
(離陸待機の話)
787デリバリー 3周年(いろいろ妄想が広がった話)
MRJ・1(祝・MRJロールアウト という話)
MRJ・2(続きの話)

2015年   
ヒコーキネタ(ヒコーキネタいろいろの話)
HondaJet ワールドツアー@岡南飛行場
(おろ・おろしさん ありがとうございます!! という話)
伊良部大橋開通(やっと開通したけれど…という話)
オバーの歌(不思議な歌の話)
御宿と銚子のVOR廃止(コース変更の話)  
祝! MRJ 初飛行(この先も頑張って欲しい話)   
根岸氏と水産試験場のこと(疑惑の話)   
Honda Jet デリバリー開始(\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/)   
続・根岸氏と水産試験場のこと(やっぱりそうだったっぽい話)   

2016年   
ANA、A380発注正式発表(ANAは別にA380の運航がしたい訳じゃないような気がする話)
セントレア二題(順調にすすむのかしらん。という話)  
磯子埋立地 1,500mのナゾ(いろいろ妄想した話)   
ボーイングのデリバリー数(もうすぐ500!という話)  

2017年   
国交省、完全自動化旅客機導入の方針(エイプリルフールネタ)
ボーイング、自動操縦ジェット旅客機の関連技術試験実施へ(うわの空)
朝鮮強化月間開催(しますよ!という話)
韓国、北朝鮮の飛行場(済州島に行きたくなった話)
朝鮮強化月間終了(終わりましたよ!という話)
那覇空港第二滑走路(何のために造ったのか分からなくなる話)  
松本空港展望デッキ(見学には辛い時代の話)  
せとうちホールディングス(ノウハウを国内に持ち込むつもりなのかしらん。という話)  
那覇空港・1(アップまで2カ月かかったけど、結局どうすればいいか分からない話の始まり)  
那覇空港・2(更によく分からなくなる話)
那覇空港・3(ますますよく分からなくなる話)


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せとうちホールディングス [├雑談]

ちょっと前の記事 でご紹介しましたが、

広島県の尾道市で水上機事業を行っている「せとうちSEAPLANES」という会社があります。

この会社の親会社である「せとうちホールディングス」(広島県尾道市)は11月7日、

モルディブで水上飛行機の運航を行う合弁会社を設立すると発表しました。

なんでいきなりモルディブ?? と非常に突拍子もない話に聞こえたのですが、

インド洋に浮かぶモルディブは約1,200のサンゴ礁の島々から成っており、

年間約120万人の観光客が訪れる世界的な高級リゾート地なんだそうですね。

ヴェラナ国際空港に到着した旅行者は、各リゾート地へ水上飛行機で移動するのが一般的なんだそうです。

2018年初頭から運航を始める計画なんだそうです。

どうなりますか。

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