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長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート [├場所]

   2018年5月 訪問  



 


長野県の諏訪湖北岸にある赤砂崎公園。

前記事では、「赤砂飛行場跡地の南半分は、現在赤砂崎公園になっている」旨書きましたが、

この公園は元々防災機能を備えた公園として整備されました。

そして園内には「下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート」があります。

ヘリポート条例がネットで閲覧可能になっております(下記リンク参照)。

「日本一高い空港」を謳う松本空港は標高657mですが、

当ヘリポートの標高はそれより100m以上も高く、なんと762mです(☆Д☆)

条例の第9条は、「ヘリポートの使用料は、無料とする。」とあります。

あらステキ!

これは是非一度オイラも下りてみようか。と思ったんですが、

その第2条によりますと、

「緊急医療活動、消防活動、警察活動若しくは災害対策等(訓練を含む。)又は公共・公益施設の維持管理の用に供するため、ヘリポートを設置する。」

とあり、第6条では、「原則としてこれ以外の使用は許可しない」とあります。

残念。

はっ!

オイラそもそもヘリ持ってなかったや。d( ̄∇ ̄*)☆\(--


DSC_0015.jpg


DSC_0021.jpg


DSC_0023.jpg
これ見よがしに標高が高いことをアピールするペイント(違)。

国内にこれより高いヘリポートってあるのかしらん。




     長野県・下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート         
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート データ
設置管理者:下諏訪町長
空港種別:防災ヘリポート
所在地:長野県下諏訪町10944番地 赤砂崎公園内
座 標:N36°03′35″E138°04′45″
標 高:762m
方 位:09/27
全長31メートル以下かつ最大離陸重量23トン未満とする
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
下諏訪町赤砂崎公園防災ヘリポート条例  
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滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置) [├場所]

   2018年5月 訪問  



無題4.png
1947年11月(USA M661-1 37) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


滋賀県甲賀市に戦争末期の時期、「柏木航空基地」の建設計画がありました。

防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 

に当航空基地についての情報がありました。

最寄駅よりの方位距離:八幡線三雲駅E4
建設年:1945
滑走路の向き:WNW
主要機:小型
主任務:退避

先頭のグーグルマップ青マーカーは三雲駅の東4km地点です。

ググってみると、ここは未着工で痕跡もないとのことなので、滑走路跡が発見できなくても安心です。

ちょうどこの辺り、ポッカリと開けたスペースになっていますね。

航空写真は終戦から2年後のものですが、

北側が山間部になっていて、集落、そして集落と神社を結ぶ道路等、

いかにも戦前からずっとあったように見えるものを避け、

離陸、着陸の延長線上に山間部がかからないように…

いろいろ考えると、多分こんな感じだろう。

という部分に滑走路の線を引いてみました。

滑走路については、方向のみで長さの記載がないため、

「小型・退避」であることから一応800mx80mにしてあります。

実際に建設したとしたら、こんな感じだったのではないかと。


DSC_0162.jpg
滑走路方向。

西を向くとこんな感じ。

同じ場所で180°回頭すると-


DSC_0164.jpg
こんな感じ。

資料にある滑走路方向と、当時からある道路、地割の方向が同じなんですよね~。

というか、ここの地形、地割から滑走路方向を計画したのかも。




     滋賀県・柏木航空基地(未着工・推定位置)         
柏木航空基地(未着工・推定位置) データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:退避用飛行場
所在地:滋賀県甲賀市水口町名坂他
座 標:N34°58′48″E136°09′39″
標 高:171m
滑走路:800mx80m
方 位:11/29
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調) 


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富山県・富山県立高岡工芸高等学校 [├場所]

   2018年5月 訪問  



無題k.png
撮影年月日1946/11/16(USA M320-A-10 39)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある、

「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

高岡市中川富山縣立高岡中學校に「高岡中學校滑空部」があり、「高岡中學校運動場」を使用していたとありました。

この情報はアギラさんからいただきました。

アギラさんありがとうございましたm(_ _)m


で、肝心の「富山縣立高岡中學校」の場所なんですが、

(ここがそうだろう)と考えて、「富山県立高岡高校」にお邪魔して撮ったのが、2015年7月。

ところがです。

自宅に戻ってから念のため高校に問い合わせのメールをしたところ、

富山県立高岡高校の教頭先生から直々に非常に丁寧なメールを頂きました(ノ><)ノヒイィィ

いただいたメールによりますと、

「本校(富山県立高岡高校)は昭和63年に現地に移転しており、

昭和15年当時のグラウンドは、現在の高岡工芸高校のグラウンドの場所にありました」

とのことでした。

つまりオイラの撮った場所はまったくの誤りで、

現在の高岡工芸高校のグラウンドこそ、当時滑空訓練をしていた場所だったのですΣ(゚Д゚;)ガーン

ということで、今回3年ぶりに現地にお邪魔したのでした。

1946年当時の航空写真で見ると、グラウンドは2面あるように見えます(写真のAとB)。

広さはおおよそですがそれぞれ、A:100mx110m  B:175mx90m で、訓練用としてはどちらも十分です。

ということで、両方を撮ったのでした。


DSC_0079.jpg

A地点

適当な撮影場所を見つけられなかったのでちょっと遠いんですが、

画面中央のゴールポストよりちょい手前から奥が当時のグラウンド。


DSC_0078.jpg

B地点

昭和15年当時、AとBのどちらか、もしくは両方でグライダーが飛んでいたと思うのですが。。。



     富山県・富山県立高岡工芸高等学校         
高岡中學校(当時) データ
空港種別:滑空訓練場
所在地:富山県高岡市中川町1
A:
座 標:N36°45′07″E137°01′28″
標 高:8m
広 さ:100mx110m
B:
座 標:N36°45′06″E137°01′35″
標 高:13m
広 さ:175mx90m
(座標、標高、広さはグーグルアースから)

沿革
1940年10月 当時グラウンドにて滑空訓練実施

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)

謝意:
高岡高校K教頭先生


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長野県・上田市 仁古田飛行機製造地下工場跡 [├場所]

   2018年5月 訪問  



長野県上田市に「仁古田飛行機製造地下工場」跡があります。

上田飛行場の南西約6.2km。


DSC_0077.jpg
・A地点

ここまでは車で簡単に走れます。

変則的な丁字路になっていて、突き当りを左右どちらかに進みます。

画面向かって左折すると、墓地。

地下工場跡に行くには右折。



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A地点を右折して少し進んでいくと、左折の脇道が現れます。


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標柱に従い脇道を入って行きます。


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100m進むとこんな説明版が。

仁古田飛行機製造地下工場跡(全文)
 太平洋戦争の末期(昭和二十年六月)、日本軍部は、東南海地震と空襲によって壊滅した名古屋の三菱重工業第五製作所
(航空機工場)を移転させるべく、上田地区(仁古田・八木沢・東塩田・川辺)に地下壕などの建設を始めました。この航空機工場建設の工事は公式には「上田付近三菱重工業株式会社第五製作所分散防護工事」と称されたもので、軍は、機密保持のため「上田地下倉庫工事」略して「ウ工事」と呼びました。地下壕の建設には、上田・小県地域の勤労報国隊の人たちのほかに、強制連行された人を含めて朝鮮の人たち四四〇〇人(推定)が、過酷な労働に従事しました。建設工事は、八月十五日の終戦の日まで続けられ、仁古田地域には二十数本の壕が五〇~一〇〇メートル掘られましたが、現在、壕のほとんどは潰れて凹地となっています。この仁古田地区に残る地下壕跡は、その当時を物語るものです。上田市教育委員会


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中はこんな感じ。

雨の後だからなのか、結構滴ってました。




     長野県・仁古田飛行機製造地下工場跡         
仁古田飛行機製造地下工場 データ
所在地:長野県上田市仁古田
座 標:N36°22′09″E138°10′13″
標 高:530m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1945年6月 建設開始

関連サイト:
ブログ内関連記事   

この記事の資料:
現地の説明版


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長野県・上田市 松脂採取痕跡松 [├場所]

   2018年5月 訪問  



「戦時中燃料不足から松脂を採った」という話は聞いていたんですが、

長野県上田市に松脂を採取した木が実際に残っていると知り、お邪魔したのでした。

木があるのは山の中なんですが、上田市の「戦争遺跡」というサイトに

現場までの詳しい地図があり(下記リンク参照)、プリントアウトして向かいました。

「上田飛行場跡地」の南南東約4.2kmと、南西約12.4kmの二か所です。



DSC_0030.jpg


■下之郷

遊歩道の手前で車を停めて山道を歩いて行くと、程なく道沿いに説明版がありました。

戦争を伝える松(全文)
 ここ下之郷東山の里山には、幹に矢羽根のような傷をつけて「松脂」を採った跡のある木が、数十本あります。第二次世界大戦末期、日本は戦闘機などの燃料(ガソリン)が不足していました。そのため軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと考えました。そして、松脂をとることを全国民にすすめ、下之郷でも松脂採取組合をつくって大々的に集めました。混ぜ合わせて使用したという証言もありますが、航空機用燃料としては質が悪く、使われないまま、昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦を迎えました。上田市内では、このような松の木が、この東山山林や鴻の巣、浦野地区、丸子の西内地区、武石の下武石地区などでも見ることができます。これらの傷をつけられた松は、大戦中の燃料不足を物語る「戦争遺跡」として、今も生きているのです。平成二十四年(二〇一二年)八月六日 上田市教育委員会



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説明版によりますと、「ここに数十本ある」とのことだったんですが、

説明版周辺でオイラが探した範囲では3本ありました。


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こんなに痕がクッキリと残っているものなんですね!


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2本目


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1本目も2本目も、戦後70年以上経ちますが、ちゃんと生きてました。


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2本目の木の裏側。

松脂取りは1本の木から一面だけだったんでしょうか。



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3本目。

こちらは枯れてしまっており、筋状の痕が残っていません。



DSC_0044.jpg 


 


■西内地区


DSC_0048.jpg
こちらは西内小学校内に説明版がありました。

背後の山林に件の松があるそうです。



DSC_0045.jpg
戦争を伝える松(全文)
 ここ西内小学校裏山の山頂西側付近には、幹に矢羽根のような傷をつけて「松脂」を採った跡のある木が、百本以上あります。第二次世界大戦末期、日本は戦闘機などの燃料(ガソリン)が不足していました。そのため軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと考えました。そして、松脂をとることを全国民にすすめ、大々的に集めました。混ぜ合わせて使用したという証言もありますが、航空機用燃料としては質が悪く、使われないまま、昭和二十年(一九四五年)八月十五日、終戦を迎えました。上田市内では、このような松の木が、この西内地区の山林や上田地域の下之郷東山の山林、鴻の巣、浦野地区、武石地域の下武石地区などでも見ることができます。これらの傷をつけられた松は、大戦中の燃料不足を物語る「戦争遺跡」として、今も生きているのです。平成二十五年(二〇一三年)七月二十三日 上田市教育委員会

こちらには百本以上あるとのことですが、上田市のサイトによりますと、

松脂を採取した松のある地点として示されているのは、ここから道なき山の結構先だったので、

オイラは説明版の写真だけ撮って引上げました。




     長野県・上田市 松脂採取痕跡松         
上田市 松脂採取痕跡松 データ
所在地:長野県上田市下之郷

関連サイト:
上田市の「戦争遺跡」  
ブログ内関連記事   


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