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■ヒコーキ関係の場所・リスト■ [├場所]

(オイラがお邪魔した)ヒコーキにまつわる場所を北から順にまとめてみました。

  北海道 
祈りの塔  
上春別 RB29のプロペラ   
リンドバーグの壁画   
豊頃(MICとよころ)飛行場跡地   
計根別掩体壕   
能取水上基地跡地?    
あかびらスカイスポーツ振興センター専用空港   
たきかわスカイパーク   
新千歳空港国際線ターミナル   
新琴似四番通り   
京都合資会社   
月寒練兵場跡地   
国土交通省札幌航空交通管制部  
千歳市空港公園    
北海道・帯広第一飛行場掩体壕  

 東 北 
青森県・みちのく北方漁船博物館     
青森県・青森県立三沢航空科学館   
青森県・浜子海岸   
青森県・夜越山原野   
青森県・弘前練兵場跡地  
岩手県・雫石     
岩手県・燕航空部隊発祥地碑    
岩手県・岩手県立一関第一高校  
岩手県・花巻防空監視哨跡地  
山形県・楯山防空監視哨跡   
山形県・城南練兵場跡地  
宮城県・石巻防空監視隊第四監視哨跡  
福島県・会津塩川バルーンフェスタ   
福島県・ウルトラマン空港   
福島県・千咲原飛行場候補地  
福島県・郡山歴史資料館  
福島県・野沢秘匿飛行場候補地  
福島県・千咲原飛行場候補地  

 関 東 
栃木県・男鹿高原駅前広場緊急ヘリポート      
栃木県・栃木国際ハブ空港(構想)    
栃木県・ツインリンクもてぎ     
栃木県・烏山防空監視哨跡     
栃木県・栃木国際ハブ空港(構想)    
栃木県・金丸原飛行場掩体壕  
栃木県・東武今市飛行場(計画)  
栃木県・口粟野防空監視哨跡  
茨城県・つくばヘリポート      
茨城県・霞ヶ浦海軍航空隊の遺跡   
茨城県・県立水戸工高/練兵場    
千葉県・銚子ボルタック   
千葉県・さくらの山公園        
千葉県・航空科学博物館   
千葉県・船橋無線塔記念碑   
千葉県・山縣飛行士殉空の地碑     
千葉県・大慶園ヘリポート    
千葉県・稲毛民間航空記念館      
千葉県・下滝田基地跡地    
千葉県・館山海軍航空隊宮城掩体壕   
千葉県・館山海軍航空隊香掩体壕     
千葉県・赤山地下壕跡   
千葉県・千葉県立佐倉高等学校   
千葉県・御宿VORTAC  
千葉県・鳥居崎埋立地  
千葉県・千葉県立千葉中学校・高等学校  
千葉県・松戸駐屯地のC-1   
千葉県・県営千葉県魚群探見飛行場跡地  
千葉県・習志野演習場の不時着場跡地  
千葉県・根形(第二木更津)飛行場候補地  
群馬県・群馬ヘリポート   
群馬県・高崎ヘリポート   
群馬県・向井千秋記念子ども科学館      
群馬県・邑楽町 B29墜落地点   
群馬県・御巣鷹の尾根      
群馬県・東村花輪防空監視哨跡     
群馬県・長野原防空監視哨跡     
群馬県・新田荘歴史資料館    
群馬県・伊勢崎市の防空監視哨跡  
群馬県・中島新邸 
群馬県・尾島RCスカイポート   
群馬県・西小泉駅周辺   
群馬県・熊谷線の橋脚  
埼玉県・熊谷の防空監視哨跡地   
埼玉県・妻沼駅跡以南   
埼玉県・東武熊谷線物語・1,2     
埼玉県・吉見百穴地下軍需工場跡    
埼玉県・川島ヘリポート     
埼玉県・桶川飛行学校跡地      
埼玉県・東武東上線物語・1~3
埼玉県・国土交通省 坂戸航空無線通信所     
埼玉県・土屋公園の碑   
埼玉県・三澤建設ヘリポート     
埼玉県・所沢航空記念公園     
埼玉県・越谷防災基地    
埼玉県・秋ヶ瀬ヘリポート    
埼玉県・陸上自衛隊朝霞訓練場の観閲道  
東京都・東京ヘリポート     
東京都・東京大空襲・戦災資料センター    
東京都・東京シティエアターミナル    
東京都・旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕    
東京都・旧日立航空機株式会社立川工場変電所      
東京都・成増陸軍飛行場の掩体壕
東京都・京浜島つばさ公園      
東京都・三宅村ヘリポート    
東京都・第二/三八丈島航空基地候補地   
東京都・第四八丈島航空基地候補地  
東京都・東京市飛行場(計画)  
神奈川県・野島掩体壕 
神奈川県・厚木飛行場臨時滑走路跡  
神奈川県・県立商工実習学校  
神奈川県・船越の防空監視哨跡  
神奈川県・磯子町の市電埋立地  

 中 部 
新潟県・阿賀野川河口付近  
新潟県・新潟県立柏崎高等学校  
新潟県・山本五十六記念館     
新潟県・高田公園  
新潟県・新潟市海岸線、新潟市學校町濱滑空場跡地  
長野県・大町防空監視哨跡      
長野県・陸軍松本飛行場跡地    
長野県・富草防空監視哨跡  
長野県・航空資料館    
長野県・飯沼飛行士記念館    
山梨県・大月防空監視哨跡   
静岡県・中島飛行機三島製作所跡地     
静岡県・静岡ヘリポート     
静岡県・エアーパーク 航空自衛隊 浜松広報館    
静岡県・一色海岸  
静岡県・静岡県立磐田南高校  
静岡県・中島飛行機原谷地下工場跡地  
静岡県・三方原飛行場の掩体壕  
富山県・立野ヶ原不時着場跡地   
石 川県・航空プラザ    
石川県・石川県立大聖寺高校  
石川県・野村練兵場  
石川県・粟ヶ崎砂丘   
石川県・東善作氏誕生之地碑  
石川県・松波飛行場跡地   
福井県・鯖江不時着場跡地  
福井県・敦賀練兵場跡地  
岐阜県・道の駅クレール平田のヘリポート    
岐阜県・ かかみがはら航空宇宙博物館     
愛知県・航空館boon    
愛知県・エアポートウオーク     
愛知県・名古屋城北練兵場着陸場跡地  
愛知県・伊良湖附近不時着場跡地   

 関 西 
滋賀県・比叡山桜花特攻基地跡地 
滋賀県・虎姫高校  
滋賀県・野洲川滑空場計画地  
滋賀県・滋賀県平和祈念館  
京都府・舞鶴の防空監視哨跡  
京都府・二十連隊練兵場跡地  
京都府・JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場  
奈良県・奈良県立畝傍高等学校  
奈良県・美吉野運動場跡地  
和歌山県・和歌山県立星林高等学校   
和歌山県・和歌山陸軍練兵場跡地  
和歌山県・和歌山県立桐蔭高校  
和歌山県・和歌山県立向陽高校   
和歌山県・紀南ヘリポート  
和歌山県・王子ヶ浜   
大阪府・大正飛行場掩体壕  
大阪府・桃山学院中学校・高等学校   
大阪府・大阪府立住吉高等学校  
大阪府・府立生野高等学校跡地  
大阪府・津守神社南方地区   
大阪府・大阪府立高津高等学校  
大阪府・常翔学園高等学校、中学校  
大阪府・池田市立池田中学校  
大阪府・大阪府立鳳高等学校  
大阪府・陸軍航空廠跡地  
大阪府・藤井寺の無蓋掩体壕群跡地  
兵庫県・千里川土手      
兵庫県・神戸高等工業学校跡地  
兵庫県・西武庫公園  
兵庫県・尼崎北高等学校  
兵庫県・甲南大学岡本キャンパス  
兵庫県・城北練兵場跡地   

 中 国 
鳥取県・酒井片桐飛行殉難碑     
鳥取県・美保基地掩体壕     
鳥取県・皆生海岸臨時飛行場跡地  
鳥取県・美保飛行場の掩体壕その2   
鳥取県・鳥取県立博物館  
鳥取県・鳥取第四十連隊練兵場跡地  
岡山県・廃川地  
広島県・甲山防空監視硝跡地   
広島県・豊栄飛行場   
広島県・広島ヘリポート  
広島県・広島県立尾道北高等学校  
島根県・大峯山偽装飛行場跡地  
山口県・岩国錦帯橋空港   
山口県・大平山   
山口県・山口宇部空港「ふれあい公園」   
山口県・関門医療センターヘリポート   
山口県・防石鉄道新橋停車場予定地  
山口県・菊ヶ浜海岸  
山口県・山口駐屯地訓練場  
山口県・藤曲の飛行場(計画)  

 四  国 
香川県・さぬきこどもの国       
香川県・二宮忠八飛行館     
高知県・高知空港周辺の掩体壕       
高知県・第四十四連隊練兵場跡地  
高知県・日章飛行場の防空監視哨跡  
愛媛県・松山空港周辺の掩体壕  
愛媛県・松山城北練兵場跡地  
徳島県・徳島空港   
徳島県・民間航空発祥の地碑  

 九  州 
福岡県・新行橋病院ヘリポート   
福岡県・小倉北区魚町の防空監視哨     
福岡県・旧小倉陸軍造兵廠の防空監視哨     
福岡県・航空交通管理センター、福岡航空交通管制部    
福岡県・大刀洗飛行場の掩体壕   
福岡県・大刀洗平和祈念館    
福岡県・大牟田市役所の防空監視硝  
福岡県・久留米練兵場着陸場跡地  
福岡県・福岡県立福岡高校  
佐賀県・海軍飛行場候補地 仮屋湾   
佐賀県・佐志海岸   
佐賀県・西ノ浜   
佐賀県・陸軍唐津飛行場候補地(大土井)   
佐賀県・松浦川岸   
佐賀県・虹の松原   
佐賀県・ジャピー氏遭難碑   
佐賀県・佐賀インターナショナルバルーンフェスタ      
佐賀県・佐賀空港のYS-11  
長崎県・川棚防空監視哨跡    
長崎県・長崎空港A滑走路地区(大村航空基地)   
熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地  
熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地  
大分県・佐伯海軍航空隊の掩体壕   
大分県・宇佐市平和資料館  
大分県・大神回天基地跡地(水上機)  
大分県・大分練兵場不時着場跡地  
宮崎県・・都城東飛行場跡地   
宮崎県・唐瀬原飛行場の滑走路跡地     
宮崎県・宮崎空港の周辺探索     
宮崎県・茶屋平特攻基地予定地     
鹿児島県・ 知覧特攻平和会館     
鹿児島県・知覧飛行場跡地      
鹿児島県・鹿屋航空基地資料館   
鹿児島県・出水飛行場の掩体壕  
鹿児島県・笠野原飛行場の川東掩体壕  
鹿児島県・伊敷練兵場跡地  
鹿児島県・ニシムタ スカイマーケット鴨池店  
鹿児島県・枕崎ヘリポート  

 沖  縄 
沖縄県・伊平屋ヘリポート     
沖縄県・伊平屋空港予定地     
沖縄県・本部監視哨跡      
沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地      
沖縄県・瀬長島        
沖縄県・那覇空港国際線ターミナル   
沖縄県・糸満防空監視哨跡     


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千葉県・習志野演習場の不時着場跡地 [├場所]

   2017年11月 訪問  



無題1.png
1947年11月(USA M636-A-No2 222) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

千葉県‎船橋市‎習志野台にある陸自の「習志野演習場」。

第一空挺団の降下訓練が行われる場所です。

ここは元「習志野陸軍演習場」で、演習場内に不時着場が設定されていました。

防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」

の地図に不時着場エリアが示されており、その通りに作図したのが先頭のグーグルマップの濃い紫部分です。

これは他の不時着場でもよくあることですが、1947年の航空写真で確認すると、

不時着場として設定されていた場所には特に地割等設けていなかったようです。

航空写真中央で一番目立っている長方形のものは、同水路部資料に「射撃場」と記されていました。

また、拙記事「習志野離着陸場」(下記リンク参照)に2014年8月、

アギラさんからこんな気になるコメントを頂いていました。

この間、戦前の古い飛行場を調査中に昔の習志野演習場関係者からも
話が聞けました。
その人が言うには縦横短い滑走路が2つあり(地図で大雑把な場所は
聞いたのですが、、)
米軍の小型機もあったと言っていましたがいつ造られたかまではわか
らないそうです。
昭和40年ごろ(うろ覚えだそうです)に無くなったとも言っていま
した。

習志野演習場に2つあったとされる飛行場ですが
地図では分かりづらかったものが俯瞰写真を見たら縦の滑走路の場所
は分かったような気がしました。
教えてもらった滑走路の縦は地図では演習場内の道に沿っているよう
に見えましたが俯瞰写真では成田街道に近いヘリパッドの横に広い滑
走路のようにあるのが当時、縦側にあった滑走路の場所の様です。
見た感じでは今もソフトフィールドのランウエイとして使用している
かもしれません。
これに対して横の滑走路がL字型かト字型のようにあったと教わりま
したが俯瞰写真でも確認できませんでした。(本人もそこまで詳しく
は覚えてなかったようですし訊かれるとも思っていなかったようです)

昭和40年位まであった「縦と横の短い滑走路」とはどれだろうと探してみたものの、

残念ながらオイラも「これかなあ」というものは縦のものしか見つけられませんでした。

上の航空写真西側の白矢印のところにうっすら映っているものがその「縦の滑走路」なのではないかと思います。

この滑走路らしきもの、ターニングパッドも含めて450mしかなくて、本当に短いです。

アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


DSC_0020.jpg
撮影地点。

現在はフェンスの向こう側が演習場、こちら側は宅地なんですが、

陸軍当時はフェンスのこちら側も含めてこの辺りが不時着場でした。



     千葉県・習志野演習場の不時着場跡地           
習志野演習場の不時着場 データ
設置管理者:陸軍
空港種別:不時着場
所在地:千葉県習志野市東習志野8丁目他。習志野演習場内
座 標:N35°42′26″E140°04′54″
標 高:28m
着陸帯:610mx310m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事    

この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」


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東京都・東京市飛行場(計画) [├場所]

   2017年11月 訪問  



無題.png
1944年11月(8922 C4 65) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


浚渫土でできた埋立地

東京湾は早くも江戸時代から大規模な埋め立てが始まっており、

明治期には、大きな船が入れるよう浚渫も行われていました。

大正時代に入り、経済界はより大型船の航行を可能にしたいと考えていたのですが、

東京湾は遠浅のため、大規模な浚渫が必須であり、

そのためには莫大な費用がかかることから計画はなかなか進みませんでした。

そんな頃に関東大震災があり、陸路が寸断されたため、

2,000tクラスの船が東京湾から支援物資を運んだことがあります。

この出来事は、「満潮時の間隙をついて東京湾に進入した冒険的な陸揚げ」的な表現で語られています。

当時の東京湾は、2,000tクラスの船を航行させることさえ、そのくらい大変だったのでした。

そしてこの一件が停滞を打開する契機となり、1931年「東京港修築事業計画」が策定されました。


一方で、東京湾は古くから豊かな漁場であり、沿岸漁村では江戸前漁業が盛んに行われていました。

このため、「浚渫して港湾施設を整え、大型船を受け入れ可能にしよう」とする開発推進派と、

「漁場が台無しになり死活問題だ」とする地元漁民がぶつかることになります。

紆余曲折があった後、最終的に1万トンクラスの船の運用を目指して東京湾の浚渫が始まり、

浚渫土を埋め立て材とした埋立地が造成され、

こうして竹芝桟橋背面・芝浦艀溜背面・豊洲物揚場背面、9号地・8号地の一部が終戦までに完成しました。

現在「夢の島」として知られている「砂町地先の埋め立て地」も同様の経緯を経てできたものです。

「夢の島」は個人的に「ゴミの島」というイメージが強く、

てっきり海にザバザバとゴミを投棄してできたんだとずっと思っていたんですが、

浚渫事業でできた島だったんですね(///∇///)

ところで夢の島は江東区にありまして、

後述しますがこの夢の島の少し西側の港区から横浜に至る「京浜運河計画」というものがあり、

これもやはり浚渫により大型船の航行、停泊を可能とすることを目指したのですが、

同時に浚渫土を利用して埋立て地を造成し、

その埋め立て地を臨海工業地帯として活用することがセットになっていました。

一方で、夢の島のある江東区はこの計画に含まれておらず、

せっかくできたこの砂町地先の埋め立て地をどう活用しようか、という話になったのでした。


 
飛行場を造ろう!

ここで話は一旦埋め立て事業とは離れるのですが、

当時は「都市計画地方委員会」という委員会(戦前の旧内務省出先機関)が全国の都道府県に設置されており、

都市計画業務を担当していました。

東京にも「東京地方委員会」があり、同委員会が入手した「ニュー ヨークの地方計画(1929年)」によれば、

ニューヨーク地方計画区域内にはなんと16もの飛行場があり、更に16を加える計画であるとのことでしたΣ(゚Д゚;)

それまで同委員会では、「一都市一飛行場で十分」との考えだったようですが、

ニューヨークの計画に倣い、飛行場計画が促進されることになりました。

余談ですが実は羽田飛行場も、「各国は国都に飛行場を完備しているのに、我が国にそれがないのは遺憾である」

とする当時の帝国飛行協会副会長の嘆願が1923年に国会に提出されたのが建設のきっかけでした。

東京とその周辺の飛行場建設には、各国の動きを強く意識していた様子がうかがえます。





このマップは1931年当時の東京周辺にあった飛行場の分布を示したもので、

「首都圏における飛行場と都市計画 - 土木学会」を参考にさせて頂きました(下記リンク参照)。

いずれも東京駅からの距離ですが、東京都の羽田飛行場(13.5km)、同立川飛行場(33km)、

埼玉県の所沢飛行場(29km)、神奈川県の追浜飛行場(41km)、

千葉県の木更津飛行場(34km)、同下志津飛行場(35km)となっています。

当時の「東京に近い飛行場」は、羽田以外だとどこも約30~40km離れていたのですね。


東京地方委員会の立てた案は、「都心から20km付近に6飛行場」というものだったのですが、

その候補地選定の過程で、冒頭の「浚渫で生まれた砂町地先の埋め立て地活用法」として、

真っ先に挙がったのが飛行場でした。

ということで、ここでやっと出だしの浚渫計画と話が繋がるのですが、

現在我々が「夢の島」として知る埋立地には飛行場が建設されることになったのでした。




青→1931年当時の既存飛行場
赤→選定された6候補地

余談ですが、このマップは同委員会の「都心から20km付近に6飛行場」という構想に従い、

選定された候補地を示したものです。

当砂町、東京羽田(現・羽田空港)拡張、調布、浦和付近、朝霞付近、船橋付近の全6力所でした。

その後船橋は逓信省により「松戸飛行場」が建設され、

東京羽田飛行場は1939年、隣接地を買収して拡張。十字型2本の滑走路を新設し、

1938年に東京(砂町)、調布、浦和の3飛行場案が承認されました。

調布飛行場は陸軍の防空拠点として建設が推進され、1941年に竣工。

浦和飛行場は首都北方の防空上の役割を期待されていたのですが、結局実現しませんでした。

そして朝霞は不急であるとの理由で除外されました。

朝霞市にある朝霞駐屯地には、「ここは元日本陸軍の飛行場だった」というまことしやかなウワサがあるのですが、

こうして実際に建設計画の候補地になったことも、もしかしたら関係しているのかもしれません。

周辺には陸軍の飛行場が多いですしおすし。

ということで6飛行場が全て建設されたら、東京周辺には軍民合わせて11の飛行場ということだったのですが、

埼玉の2飛行場計画が白紙となったため、9飛行場になったのでした。


東京市飛行場建設計画



赤→東京市飛行場
紫→羽田飛行場

浚渫事業でできた砂町地先の埋立地を飛行場にしよう。という計画は、

1938年(昭和13年)に正式決定しました。

飛行場の名称は「東京市飛行場」で、東京羽田飛行場(現・羽田空港)と同じく水陸両用の飛行場とする計画でした。

計画によれば総面積は約251haで、3本の滑走路を建設することになっていました。

ちなみに当時の東京羽田飛行場は53haで、滑走路も1本でした。

また、飛行場新設にあたっては各国の飛行場を比較検討しており、

当時世界最大級といわれたドイツ・ベルリンのテンペルホーフ空港が140haでしたから、

それよりずっと大きいです。

この飛行場計画がいかに野心的なものか、そして委員会の本気度がうかがえます。


東京羽田飛行場は1931年に開場したのですが、

東京市飛行場建設が決定された1938年当時の羽田飛行場は逓信省管理の民間用飛行場で、

国内定期路線の他、朝鮮、中国への路線を開設していました。

東京羽田飛行場と東京市飛行場の距離は12km。

東京地方委員会の「東京にとにかくたくさん飛行場を!」という意図は分かるとしても、

既に当時立派な国際空港になっていた東京羽田飛行場がありながら、

そこから12kmの場所に敢えてもう一つ新規飛行場を建設したのでした。



「京浜運河計画」により拡張に制限のついていた東京羽田飛行場

敢えてこの場所に新規飛行場を建設するのには、ちゃんとそれなりの理由がありました。

まずは都心部からの距離です。

東京羽田飛行場は東京駅から13.5km離れているのに対し、東京市飛行場建設予定地は東京駅から6.5kmです。

東京モノレールはまだ開業しておらず、

京急は今でこそ羽田空港への便利な路線ですが、

当時は「京浜電気鉄道穴守線」の名称で飛行場すぐ近くまで開業していたものの、

まだ東京からのアクセス便利な路線にはなっていませんでした。

そんな当時、「東京駅からたったの6.5km」という差は大きなものだったようです。


加えて、「京浜運河計画」の存在があります。

「京浜運河計画」とは、前述の通り大型船を航行させるための運河開削計画のことでした。

「京浜運河計画」は羽田飛行場開場よりずっと早い1911年に内務省から認可を受けており、

紆余曲折を経たのち、1939年東京府は総工費4,500万円をもって、

京浜運河開削と892haの臨海工業地帯用の埋め立て造成を着工しました。

この「京浜運河」は、当時本当に小さかった羽田飛行場をまるでグルリと取り囲むように設定されていました。

つまり、羽田はこれ以上の埋め立てによる拡張の余地はほとんどなかったのです。

前述の通り羽田飛行場は1939年に用地買収により拡張するのですが、

敷地いっぱいに800m余の滑走路を2本とるのがせいぜいという状況でした。

航空機の高速化、大型化に伴い、今後ますますより長い滑走路、より広大な用地が求められることは目に見えており、

これ以上拡張の難しい羽田では、帝都の空の玄関として十分機能させることは早晩困難になります。

ということで、より都心部に近く、しかも面積で羽田の約5倍、3本の滑走路を備えた東京市飛行場は、

羽田近傍に敢えて新規建設する意味のある建設計画なのでした。

着工が決まった当時は恐らく、「羽田ではなくこちらが今後の東京の空を担う大本命」と目されていたはずです。


首都の既存国際空港の拡張を阻害する形で設定され、正式に着工された運河、

そして大型船が通行できるよう浚渫した副産物として生まれた埋立地-

工業の発展が強く求められた当時の時代背景が垣間見えてきますね。



計画中止と終戦

1938年に建設が正式決定した東京市飛行場は、1939年7月いよいよ起工式の運びとなり、

1941年の完成予定を目指して埋め立てが始まりました。

ところが1937年の日中戦争勃発後、物資が不足し始めると、建設工事は滞ってしまいます。

計画はずるずると遅れてゆき、とうとう中止に追い込まれてしまいました。

「東京港史」によれば、全区域の50%が干潮時に1~3メートルほど露出する段階で工事は終了し、

そのまま終戦を迎えます。

申し遅れましたが先頭のグーグルマップの濃い紫は、1944年当時の写真で確認できる夢の島で、

薄い紫は、「東京都市計画 東京市飛行場平面図」から作りました。

この場所にこんな感じで飛行場を造ろうとしていたんですね~。

前述の通り、東京市飛行場の総面積は251haと各文献にあるのですが、

「東京都市計画 東京市飛行場平面図」の通りに作図してみると、面積は310haとなり、数字が合いません。

「東京都市計画 東京市飛行場平面図」では埋立地の外周にかなり太い縁取りが描かれていて、

もしかしてこれは護岸的なもので、「飛行場の有効面積には含まない」ということなのかもしれません。


一方東京羽田飛行場は1940年に用地買収による拡張、滑走路新設を経て、

日本海軍の「東京飛行場」として使用されるようになります。

羽田飛行場は運河計画のせいで埋立拡張ができないのは先に書いた通りなんですが、

海軍が権力を発動すれば、なんとかなったような気もします。

東京飛行場の埋立て拡張については、海軍がその必要を認めなかったのか、

物資が窮乏してそれどころではなかったのか、はたまた海軍より運河計画の方が強かったのか不明ですが、

結局羽田が埋立てて拡張されることはなく、終戦を迎えます。


戦後「夢の島」と名付けられたいきさつ

戦前から戦後にかけての都市計画の第一人者、石川栄耀が1946年に著した「都復興改造試案」の中で、

「将来の航空を考えれば、進駐軍が整備しつつある羽田の他に、砂町地先の海岸を埋め立てて飛行場を作り、

高速道路で都心と結ぶ必要がある」

と記しており、中止となった東京市飛行場計画の復活とも受け取れるのですが、

結局この島が飛行場となることはありませんでした。

そして「東京市飛行場」となるはずだった埋立地は、1947年の夏、海水浴場としてオープンします。

東京湾に、それも最奥の江東区に海水浴場があったなんてビックリなんですが、

高度経済成長期の前だからこそのアイデアなんでしょうね~。

「江東区南砂町地先」という味もそっけもない仮称しかついていなかったその島の海水浴場には、

「目指すはハワイのような夢のあるリゾート」として、「夢の島海水浴場」というステキな名称が与えられました。

戦後の窮乏期であったにもかかわらず、海水浴場は賑わいを見せていたそうですが、

度重なる台風被害と財政難から、わずか3年で閉鎖されてしまいます。

こうして東京湾に残っていた最後の本格的海水浴場は、「夢の島」という名前だけ残し、文字通り夢と消えました。

しばらく放置されていた夢の島でしたが、1957年にゴミの処分場となることが決定しました。

それまでの処分場だった8号埋め立て地(現・江東区潮見)が満杯になり、新たな処分場とされたものです。


戦後の羽田

余談ですが、戦後の羽田について。

前述の通り、「京浜運河計画」が羽田飛行場の拡張を阻んでいたのですが、

現在は埋立が進んでますよね。

沖合展開後の現在の羽田空港ABCの3滑走路は全て運河計画の範囲内になっており、

D滑走路はちょっと範囲にかかってるけどギリオッケーという感じです。

つまりこんな大規模空港、本来であれば造れっこなかったのです。

終戦と共に羽田飛行場は接収を受けるのですが、

この接収こそ、今日我々の知る巨大な羽田空港を形成する契機となりました。

連合軍の占領、接収はこの「京浜運河計画」という制限をいとも簡単にとりはらい、

もの凄い勢いで埋め立てを開始したかと思うと、終戦から10か月後には2,100mと1,650m、

2本のアスファルト舗装滑走路を新設したのでした。

余談ですが、「東京市飛行場」の総面積は約251haと計画されていたのは前述の通りなのですが、

連合国により埋立てられたハネダエアベースの飛行場面積は一挙に3.5倍に拡張してしまいましたΣ(゚Д゚;)

その面積は257.4haで、「東京市飛行場」の面積を上回っています。

当初の「京浜運河計画」では、横浜から始まった運河は、

(拡張させず小さいままの)羽田飛行場沖をかすめる様に通り越して、更に東に伸びていく予定だったのですが、

米軍による飛行場の大規模な埋め立て拡張により、横浜から伸びてきた運河は、

ハネダエアベースでぶつかって行き止まりみたいな格好になってしまいました。

こうして、羽田飛行場沖を取り囲む運河計画はなし崩しになってしまい、

1980年代に始まった羽田沖合展開事業を経て現在の姿に至ります。

「これ以上の拡張ができないから」と、近くに巨大飛行場の建設が始まり、それが完成すれば、

羽田飛行場は海軍の小規模飛行場として脇役になっていたはずです。

そして戦後は東京市飛行場より遠く、見劣りのする羽田飛行場は、もしかしたら閉鎖されていたかも。

ところがその巨大飛行場予定地は海水浴場を経てゴミの島となり、

羽田は制限が解かれ、利用者数、人気共に、世界屈指の巨大国際空港へと変貌を遂げることとなりました。

まさに塞翁が馬ですね。

(ワールドベストエアポート2017年:世界第2位、利用者数2016年:世界第5位)



DSC_0009.jpg

撮影地点・A


DSC_0017.jpg

撮影地点・B


一時は当時世界最大級のドイツの空港より1.8倍もの大きさを誇る飛行場が計画されていた夢の島。

日中戦争勃発とその後の物資窮乏から埋め立ては中止されてしまいましたが、

仮に着工があと1、2年早ければ、ひょっとすると今もここでヒコーキが飛び交っていたかもしれません。

都心から近く、アクセス抜群ですが、羽田でさえ騒音被害で地元と揉めましたから、

飛行場になったとしても、大規模な活用ではなく、調布飛行場的な位置付けになったかも。




     東京都・東京市飛行場(計画)      


東京市飛行場 データ
所在地:東京都江東区南砂町地先(現・江東区夢の島)
座 標:N35°38′58″E139°49′43″
標 高:10m
面 積:251ha(2,005mx1,770m・最大値)
滑走路:3本(敷地の広さからすると、最大2,500m可)
(座標、標高、長さはグーグルアースから)

沿革
1938年 建設決定
1939年 7月起工式。1941年完成予定の予定だったが、その後中止
1947年 「夢の島海水浴場」オープン
1957年 ゴミ処分場化決定

関連サイト:
ブログ内関連記事     
「首都圏における飛行場と都市計画 - 土木学会」  
羽田空港 D 滑走路建設に込め られた 地盤工学の知恵と技術  
<参考20>  京浜運河構想から内湾漁業の終焉へ  
東京都臨海域における埋立地造成の歴史  
東京・夢の島、名前の由来は海水浴場 空港計画も  

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広島県・広島県立尾道北高等学校 [├場所]

  2017年5月 訪問 




無題2.png
1948年3月(USA R32-2 4) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

広島県尾道市にある「広島県立尾道北高等学校」。

かわぐちかいじ氏の母校なんだそうです。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

尾道中學校(当時)に校友會滑空機部があり、本校運動場を滑空場として使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

Wikiによれば、1941年にグライダー部発足とあります。


DSC_0267.jpg




     広島県・広島県立尾道北高等学校      


広島県立尾道北高等学校 データ
所在地:広島県尾道市長江3丁目7−1
座 標:N34°25′11″E133°11′36″
標 高:58m
着陸帯:130mx60m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1941年 校友會滑空機部発足

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)

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山口県・藤曲の飛行場(計画) [├場所]

  2017年5月 訪問 



無題5.png
(リスト番号120-13-1-5 図名 宇部 測量年 1947) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


山口県宇部市を流れる厚東川の河口近くには、「昭和十五年度版宇部市全圖」の中で、

山口県による埋め立て工事中の箇所がありました。

地図ではそこだけ点線になっていて、凡例欄の説明には「宇部ゴルフコース兼飛行場」と書いて有ります。

次の記事で登場しますが、ここの東南東約5.3kmのところに「宇部航空輸送研究所」(現在の「山口宇部空港」の辺り)

がありました。

「宇部航空輸送研究所」は昭和13年に閉鎖しているため、

もしかしたら山口市の新たな飛行場計画ということなのかもしれません。

この情報はアギラさんから頂きました。

アギラさんありがとうございましたm(_ _)m    
 

ということで、遅くとも昭和十五年(1940年)にはあった飛行場埋立計画なのですが、

上の地図の通りで、1947年の地図ではまだ埋め立て地は形になっていません。

実はこの年の航空写真を見ると、うっすらと埋め立て地の輪郭が出来上がっており、

着工はしていたようです。

その後年を追ってこの位置を見ても、なかなか埋め立て工事が完了しません。


無題4.png(図葉番号3-RB-58 図名   測量年1974(昭49)) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


1974年の地図でようやっと現れました。

それでも埋め立て地の北側の一部で宇部製鋼等が建設されたのみで、南側の大部分は未だ「埋立中」のままです。

埋め立て工事そのものは当初の計画通りの形に進んでいますが、

埋立地を「宇部ゴルフコース兼飛行場」とする。という計画は終戦の5年前の地図に出ています。

ところが終戦から約30年を経て工事は完了しておらず、飛行場どころか工場が建設されている-

はっきりしたことは不明ですが、埋め立て地の用途が途中で変更になり、

「ここに飛行場を!」という計画は幻と消えてしまったように思います。

情報お待ちしておりますm(_ _)m


DSC_0235.jpg




     山口県・藤曲の飛行場(計画)      


藤曲の飛行場(計画) データ
設置管理者:山口市?
空港種別:陸上飛行場
所在地:山口県宇部市藤曲
座 標:N33°57′14″E131°13′17″
標 高:6m
着陸帯:1,300mx580m?
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
昭和十五年度版宇部市全圖

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