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関西、中国、四国・5 [■旅行記]

Ⓐ高梁SA→Ⓑ鳥取第四十連隊練兵場跡地→Ⓒ鳥取県立博物館→Ⓓ鳥取砂丘滑空場→Ⓔ湖山飛行場跡地→Ⓕ豊岡(円山川)滑空場跡地→Ⓖ二十連隊練兵場跡地→Ⓗ舞鶴の防空監視哨跡→Ⓘ敦賀練兵場跡地→Ⓐ賤ヶ岳SA→Ⓑ長篠設楽原PA(車中泊)

五日目

4:50 起床

5:25 高梁SA出発

7:30 鳥取のファミマで幕の内弁当

その後鳥取県内の見学をして回ったのでした。

上の地図だと、鳥取県内ではさも最後に湖山飛行場に行ったようになっているのですが、

移動距離の効率的な意味で、実は最初に湖山飛行場に行きました。

ここには水上機用桟橋の跡が残っているのです。

湖山池駐車場に車を停め、(この辺かも)と思っていた周辺を歩き回るも見つからず(;´Д⊂)

すぐ近くに「湖山池情報プラザ」があり、ここで聞けば分かるかも。

と思ったのですが、開館前だったため、他から回ることにしたのでした。

10:20 他の見学を終え、再び「湖山池情報プラザ」に戻ってきました。

中に入ってみると…ありました! しかも水上機のの情報がすごい充実してる!

ということで、無事鳥取県内の見学ポイントを全て回ることができました。

次のポイントである兵庫県豊岡市へ移動。

12:00 余部で昼食の天丼。

。。。美味しいんだけど、疲労してるオイラの胃には重過ぎた。うえぇ。

DSC_0100.jpg

京都某所にて。

なんかやけに見慣れたマークを発見しすかさず撮る(o ̄∇ ̄o)

夕方になるにつれて予報通り雲行きが怪しくなってきて、やがてかなりの勢いで降り始めました。

敦賀市内で本日最後の撮影終了。

18:45 敦賀のファミマで冷やし中華

断続的に雨が降り続いています。

自宅方面で見学ポイントの残っている箇所の明日の天気を調べたのですが、

明日はどこも結構な雨足のようです。

中部地方が結構残ってしまっているけど、今回の旅行の見学はもう終わりにすることに。

高速使って埼玉へ。

19:30 賤ヶ岳SAで給油。35.0l

ここからだと南下せずに済む分、中央道経由の方が近い感じなのですが、

夜の豪雨で中央道は怖いので、新東名ルートで戻ることに。

…と思ったけど、後から地図を見返したら、山間部区間に入るはるか手前で寝てしまったので、

中央道でも帰っても良かったかも。

21:25 長篠設楽原PA着

22:00 寝る

おやすみなさい

(続きます)

本日の走行距離:658.2km


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愛媛県・松山城北練兵場跡地 [├場所]

  2016年6月 訪問 

無題3.png
1947年4月当時の写真(USA M220 141) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



愛媛県松山市にあった「松山城北練兵場」。

 「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

 縣立松山中學校滑空部、縣立松山商業學校グライダー部、愛媛縣師範學校滑空部が「松山市城北練兵場」

を滑空場として使用していた」とありました。

また、松山高等商業學校が松山練兵場を使用していたとあり、松山城北練兵場とは記されていないのですが、

松山高等商業學校は現在の松山大学で、練兵場の西隣にあったと思われます。

それでここも「松山市城北練兵場」を使用していたのではないかと思いました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

DSC_0028.jpg

現在は学校、病院になっている練兵場跡地。


      愛媛県・松山城北練兵場跡地     

松山城北練兵場 データ

設置管理者:陸軍
所在地:愛媛県松山市文京町
座 標:N33°50′58″E132°46′21″
標 高:32m
着陸帯:520mx280m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1940年10月現在 縣立松山中學校、縣立松山商業學校、愛媛縣師範學校、松山高等商業學校が滑空場として使用

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新居飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年6月 訪問 

無題2.png
1947年10月当時の写真(USA M553-A-2 102) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



高知県土佐市仁淀川河口付近にあった「新居飛行場」。

上のマップの撮影地点のマーカーの辺りに

「大日本飛行協会・地方滑空訓練所 新居飛行場」のグライダー格納庫があったはずです。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

「高知縣立高知工業學校(当時)にグライダー部があり、高知郡新居村新居滑空場を使用していた」とありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

DSC_0016.jpg

この方向に飛行場があったはずです。

DSC_0018.jpg

上から見下ろすとこんな感じ。

画面左側の広場の先に格納庫、そしてその先にグライダー発射場があったはずです。 


      高知県・新居飛行場跡地    

新居飛行場 データ

設置管理者:大日本飛行協会?
空港種別:滑空場
所在地:高知県土佐市新居
座 標:N33°27′23″E133°28′15″
標 高:7m
着陸帯:800m?
方 位:07/25
(座標、標高、着陸帯長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1940年10月現在 高知縣立高知工業學校が使用

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仁淀川原飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年6月 訪問 

高知県を流れる仁淀川の川原に「仁淀川原飛行場」がありました。

「高知空港史」28pの中で当飛行場について触れられていて、大正11年10月21日付土陽新聞記事が紹介されています。

「仁淀川原飛行場、県より許可 鬼頭良之助経営に係る仁淀川中島川原飛行練習場は、長さ一千五百メートル、幅三百メートルの地域を県当局に使用方出願中であったが、去月27日付を以て知事より許可された。」

「高知空港史」では続けて鬼頭氏について、航空に関心があり、フランク・チャンピオンを招いたり、

安岡駒好を伊藤飛行機研究所へ紹介したり、郷土訪問飛行を援助したりした人物として紹介しています。

実はこの鬼頭良之助についてググってみたところ、土佐随一の大親分だったのですね。

「大親分が県に許可をとった飛行場」なんてあるんですね~(@Д@)

 

「高知空港史」の中で当飛行場についての記述はこれだけで、場所についてハッキリしているのは、

「仁淀川の川原にあった」。ということだけなのですが、

「仁淀川中島川原飛行練習場」とあるので、「高知県 中島」でググってみたところ、

ちょうど土佐市の仁淀川沿いに(非常に狭い範囲なのですが)、「中島」という地名がありました。

無題1.png
1933年測量(リスト番号111-12-1-1 図名 土佐髙岡) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

1933年の地図で中島のあった場所。

「仁淀川中島川原飛行練習場」という記述から、土佐市中島に飛行場があったということを前提に以下話を進めます。

飛行場開設は大正11年(1922年)なのですが、

土佐市中島周辺の地図は現在のところ1933年~閲覧可能になっています。

この最古の地図で、①中島周辺、②仁淀川原、③1,500mx300mという条件で、

飛行場っぽい場所を探してみました。

無題1a.png
1933年測量(リスト番号111-12-1-1 図名 土佐髙岡) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

上の地図の赤線はどちらも長さ1,500mです。

一応AとB、二か所に1,500mx300mの線が引けるのですが、いずれも一長一短あります。

A:
○長さも幅もあり、飛行場としてはBより適している
×中島の対岸にあり、住所が土佐市ではなく高知市である

B:
○中島ではないが、土佐市内にある
×両端(特に南側)の幅が極端に狭く、滑走路の実質有効長が短い

飛行場適地は圧倒的にAだと思うのですが、 鬼頭氏が土佐の大親分であることを考えると、Bなのかもしれません。



一応Aで線を引いてみました。

DSC_0004.jpg

A:仁淀川大橋より。


      高知県・仁淀川原飛行場跡地    

仁淀川原飛行場(A) データ

設置管理者:
空港種別:陸上飛行場
所在地:高知県高知市春野町森山
座 標:N33°29′32″E133°27′27″
標 高:7m
滑走路:1,500mx300m
方 位:13/31
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1922年9月27日 知事より使用許可

関連サイト:
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この記事の資料:
「高知空港史」


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高知県・第四十四連隊練兵場跡地 [├場所]

  2016年6月 訪問 

無題0.png
1947年10月当時の写真(USA R518-4 25) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



高知県高知市にあった「第四十四連隊練兵場」。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

「高知縣立高知工業學校(当時)にグライダー部があり、第四十四聯隊練兵場を滑空場として使用していた」とありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m
 

DSC_0003.jpg

現在はすっかり住宅、店舗が立ち並んでいます。

      高知県・第四十四連隊練兵場跡地     

第四十四連隊練兵場 データ

設置管理者:陸軍
所在地:高知県高知市若草町
座 標:N33°32′36″E133°29′17″
標 高:9m
着陸帯:480mx340m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1940年10月現在 滑空練習場として使用

関連サイト:
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高知県・日章飛行場の防空監視哨跡 [├場所]

  2016年6月 訪問 

 
高知空港R/W32エンド東側の土手沿いの田んぼのところにポツンとある防空監視哨跡(トーチカという説もあり)。

DSC_0175.jpg
DSC_0181.jpg
DSC_0184.jpg

 


      高知県・日章飛行場の防空監視哨跡     

日章飛行場の防空監視哨 データ

所在地:高知県南国市久枝乙
座 標:N33°32′43″E133°40′56″
標 高:7m
(座標、標高はグーグルアースから)

関連サイト:
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関西、中国、四国・4 [■旅行記]

ⒼFさん宅→Ⓑ日章飛行場の防空監視哨跡→Ⓒ第四十四連隊練兵場跡地→Ⓓ仁淀川原飛行場跡地→Ⓔ新居飛行場跡地→Ⓕ松山城北練兵場跡地→ⒼFさん宅→Ⓗ高梁SA(車中泊)

四日目

5:40 起床

DSC_0161.jpg

6:00 Fさん宅発

本日はFさんと日帰りで四国に行くのでした。

「朝食は途中で」ということで即出発。

広島の三原から高知空港を目指しました。

ルートはてっきりすぐに南下するしまなみ海道ルートだろうと思っていたのですが、倉敷経由の方が若干安くて速いです。

DSCN0016.jpg

8:30 与島SAで朝食

エッジが立ってます。流石本場。

一気に高知まで行きあちこち一緒に周ったのですが、時間が経つのが早い早い。

すっかりおしゃべりに夢中になっていて、「あ、もう目的地ついたΣ(゚Д゚;)」ということを繰り返したのでした。

はー喉痛い。 

12:30 高知県内でお昼になり、「何か高知らしいものを食べたいね」などと話しながら、良さげなお店に入りました。

DSCN0020.jpg

DSCN0019.jpg

このお皿が高知。

DSCN0025.jpg

普段独りで周ってるのと比べて食環境が劇的に変化しました。

なんとデザート付。

16:40 松山練兵場で撮影終わったところで、本日の見学終了。

見学ポイントが市街地なことが多く、Fさんに車内で待っていてもらうパターンを多用しました。

広島に戻る事に。

戻りはしまなみ海道ルート。

17:00 給油 38.58l

DSCN0029.jpg

なんか広島ならではの良さげな店を探したのですが、結局Fさん宅近くの行きつけの店に入りました。

土曜日の夜ということで店内はごった返しておりました。

21:20 シャワーを貸してもらい、Fさん宅出発

明日以降の動き方をいろいろ考えていたのですが、

広島~兵庫まで、瀬戸内海沿いに見学ポイントがポツンポツンと4つ残っています。

その4つを周っても良かったのですが、それが終わると太平洋側はもう1カ所も見学ポイントがなくて中途半端なため、

明日は日本海側を周りつつ自宅方向に向かうことに。

最寄りのICから鳥取を目指しました。

22:50  高梁SA着

23:15 寝る

おやすみなさい

(続きます)

本日の走行距離:724.0km


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京都府・JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場 [├場所]

  2016年6月 訪問 

 
京都府のけいはんな学研都市 ATRにある「JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場」。

電動マルチコプター(いわゆるドローン)の試験飛行、操縦訓練用飛行場です。

利用時間帯は、9:00-12:00、13:00-16:00で、

利用料金はそれぞれ、Juida会員:30,000円、一般:40,000円となっております(税別・アカデミック価格は半額)。


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      京都府・JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場     

JUIDA・ATR けいはんな試験飛行場 データ

管理者:JUIDA、ブルーイノベーション、ATR
空港種別:電動マルチコプター用飛行場
所在地:京都府相楽郡精華町光台二丁目2番地2(けいはんな学研都市)
座 標:N34°44′34″E135°46′02″
標 高:98m
着陸帯:120mx45m
方 位:09/27
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
公式サイト    
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大阪府・藤井寺の無蓋掩体壕群跡地 [├場所]

  2016年6月 訪問 

無題2.png
1946年6月当時の写真(USA M157-A-6 171) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



大阪府藤井寺市古室2丁目にある大鳥山古墳。

この古墳を掘削し、無蓋掩体壕が3基造られました。

後円部頂部には機関砲陣地もありました。

前記事の通り、大正飛行場の南3~5kmには機体、機体関連を秘匿する諸施設があり、

後にここから直接機体の運用が可能なようにと、予備滑走路が設定されました。

ここに機体と施設を秘匿しておき、その傍に後から滑走路ができたわけです。

当記事の3つの無蓋掩体壕については完成時期が不明なため、他の諸施設同様にこちらが先にあり、

後から滑走路ができたのか、はたまた滑走路完成後に掩体壕を造ったのか不明です。

先頭の航空写真、古墳から西の伸びる道は、そのまま南北予備滑走路の真ん中に続いています。

以下、西側から時計回りに3つの掩体壕跡地の写真です。

上図に撮れてなくて様子が伝わりません。申し訳ないです(汗)


DSC_0130.jpg

DSC_0129.jpg

DSC_0128.jpg


      大阪府・藤井寺の無蓋掩体壕群跡地     

藤井寺の無蓋掩体壕群 データ

所在地:大阪府藤井寺市古室2丁目
座 標:N34°34′00″E135°36′32″
標 高:24m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1941年 大正飛行場、軍用飛行場となる
1945年 7月 藤井寺の府道が予備滑走路となる

関連サイト:
盡忠報國さんのブログ/大正陸軍飛行場 予備滑走路・掩体壕    
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この記事の資料:
「河内どんこう」


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藤井寺南北滑走路跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年6月 訪問 

無題1.png
1946年6月当時の写真(USA M157-A-6 173) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


 

「河内どんこう」によれば、

大正飛行場(現在の八尾空港) の南3~5km(上のマップ周辺)には、陵墓の小山、森等起伏に富んだ地形を生かし、

青山2丁目付近の三か所には2~3機の飛行機が隠されていたのをはじめ、

機材を隠匿し、臨時の機体修理場、高射機関砲陣地が分散配備されていました。

機体は大正飛行場から四輪の台車に載せて牽引して来たのだそうです。

これらの機体は空襲が過ぎれば本来は大正飛行場に戻されるはずなのですが、

末期の時期は敵の小型機によって低空で絶えず攻撃を受ける可能性があり、

長距離の機体の牽引移動は危険でした。

このため、避難待機地からすぐ発進できるように。ということで、府道を滑走路に改良することになりました。

以下、当滑走路の正式名称不明のため、便宜上の名称で話を進めます。

ご了承くださいませ。

 

この目的で大阪府藤井寺市の府道186号線(府道大阪羽曳野線)が「藤井寺代用滑走路」として設定されました。

この府道は昭和13年に開通し、昭和20年7月に「大正飛行場の予備滑走路」として改良されました。

これは藤ヶ丘2丁目を中心に北方向600m、南方向500mをそれぞれ滑走路にするというもので、

幅11mの府道周辺は大部分が農地だったのですが、南の野中方面にあった沿道住居を含め、

府道両側10mずつ離着陸に支障となる工作物が強制撤去されました。

線形は直線に変更し、重量に耐えるように地盤改良工事が施されました。

これは大正飛行場の予備滑走路として計画されたもので、大正飛行場の約3kmに位置していました。

一方、大正飛行場の約5kmには、昭和12年に開通した軍用道路があり、

こちらも「大正飛行場予備滑走路」 として設定されていました(現・府道八尾枚方線 穴太交差点~新家東口付近)。

これにより、大正飛行場は南北に予備滑走路が設定されたことになります。

 

余談なのですが、大正飛行場の北東約3.8kmも離れた所に忽然と掩体壕 があります。

「なんでこんなに離れた所に??」とずっと不思議だったのですが、

大正飛行場は温存秘匿に本気だったのですね。

以上、情報は盡忠報國さんから頂きました。盡忠報國さんありがとうございましたm(_ _)m 

DSC_0126.jpg

北滑走路

DSC_0122.jpg

南滑走路


      大阪府・藤井寺南北滑走路跡地     
現在のところ離着陸の目撃情報は確認されていないのだそうです

・藤井寺北滑走路 データ
設置管理者:陸軍
空港種別:予備滑走路
所在地:大阪府藤井寺市藤井寺2丁目、さくら町他
座 標:N34°34′01″E135°36′01″
標 高:27m
滑走路:600mx11m
方 位:17/35

・藤井寺南北滑走路 データ
設置管理者:陸軍
空港種別:予備滑走路
所在地:大阪府藤井寺市藤ケ丘3丁目、野中1丁目、野中5丁目他
座 標:N34°33′42″E135°36′02″
標 高:30m
滑走路:500mx11m
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1938年 府道大阪羽曳野線開通
1945年 7月 同府道を予備滑走路に改良

関連サイト:
盡忠報國さんのブログ:大正陸軍飛行場 予備滑走路・掩体壕  
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この記事の資料:
『河内どんこう 82~各号「戦争遺跡を訪ねて」』


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