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大分県・大神回天基地跡地(水上機) [├場所]

  2016年5月 訪問 

DSC_0034.jpg

大分県日出町大神にある「大神回天基地跡地」。

回天の実物大模型が展示してあります。

(現地のパンフレットより)

■基地構築
 当基地は元々、大型戦艦、空母が建造可能な「大神海軍工廠」の建設予定地として、昭和16年~17年にかけて建設予算が成立し、100ヘクタール以上の広大な土地が強制買収されていたのですが、戦局の悪化から建設中止となりました。
 この建設予定地の一部に昭和20年に開設されたのが、大神回天基地でした。

■歴史的背景と回天
 日本海軍が劣勢に立たされる中、兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷を改造して自らが操縦して体当たりする魚雷が提唱されました。「必死を前提とする兵器は採用できない」と一度は却下されましたが、二人(の提唱者)の熱意によ、り脱出装置のないまま正式な兵器として採用され、「天を回らし戦局を逆転させる」という意味で「回天」と名づけられたのです。
 この回天作戦での戦没者は104名とされ、戦死した回天搭乗員の平均年齢は20.8歳であり、多くの若い命を失いました。

DSC_0036.jpg

頭部には1,550kgの炸薬が充填され、突入の際に搭乗員がスイッチを握り、

命中時の衝撃により体が前方に傾くと自然にスイッチが入るようになっていたのだそうです。

人間が起爆装置の一部でもあったのですね。

DSC_0039.jpg

DSC_0040.jpg

DSC_0043.jpg

DSC_0038.jpg
ここは飛行機と無縁だと思っていたのですが、現地の案内板を見たら、「飛行機」の文字が。

戻ってから調べてみたら、詳細は不明なのですが、小規模ながら水上機の運用がなされていたのだそうです。

DSC_0045.jpg

「格納所」があった辺り。

「飛行機運搬車」と記されているのみでまったくの憶測になってしまうのですが、水上機も一緒に格納されていたのでしょうか。

DSC_0046.jpg

案内板で「辷」(すべり)があった辺り。

無題4.png
1947年11月当時の写真(USA M664-1 69) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

1947年の航空写真。

「辷」と説明がある辺りにスロープっぽいものが映っています。

頂いたパンフによれば、「回天を海に浮上させるためのスロープ」と説明されていました。

水上機もここから運用していたのではないかと思うのですが。。。

 

 


      大分県・大神回天基地跡地(水上機)     

大神回天基地(水上機) データ

設置管理者:海軍
空港種別:水上機施設
所在地: 大分県速見郡日出町大神
座 標:N33°20′57″E131°35′19″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1945年
4月25日 「大神突撃隊」開隊
5月23日 別府湾を訓練海域にして訓練開始
8月03日 当基地から唯一の出撃。8名の隊員、8名の整備員が回天8基と共に、愛媛県宿毛湾麦が浦へ向け出港
8月12日 出撃待機命令
8月15日 出撃しないまま終戦
8月25日 大神突撃隊解隊
8月31日 米軍に引き渡し。その後残された回天は海洋投棄

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別府の水上機飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年5月 訪問 

無題3.png
1939年12月当時の写真(B25 C2 15) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

大正から昭和初期にかけて、大分県別府市に水上機飛行場がありました。

当時の鳥瞰図等で確認すると、上の航空写真のの辺りに飛行場格納庫があったようです。

水上機はクレーンで海上に降ろされていました。



格納庫があったのは、上のグーグルマップの紫○の辺り。

 

DSC_0027.jpg

格納庫があったと思われる前からみるとこんな感じ。

現在はビーチとして整備されていますが、当時はここまで海面で、この辺りに水上機を降ろして運用していたはず。

大正12年頃、当時の日本航空株式会社によりここから水上機で大阪や福岡と空路で結ばれていました。

また定期航空路の他に、別府市上空の遊覧飛行も行われていたのだそうです。

DSC_0030.jpg 飛行場があった埋め立て地の反対側から。

奥の矢印を付した建物のあたりに飛行場格納庫があったと思われます。

現地にお邪魔した当時、きちんと飛行場の場所をつめることができておらず、微妙な距離感の写真になっております。

先頭の航空写真で見れば一目瞭然ですが、当時は格納庫のあった埋立地が海に方形に突き出す形で目立っており、

「鶴水園」と呼ばれる別荘地だったのだそうです。

現在は旅館街に変貌しています。


      大分県・別府の水上機飛行場跡地     

別府の水上機飛行場 データ

設置管理者:日本航空株式会社
空港種別:水上機飛行場
所在地:大分県別府市北浜3丁目
座 標:N33°16′56″E131°30′21″
(座標はグーグルアースから)

沿革
1923年 飛行場開設。定期便運航

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大分県・大分練兵場不時着場跡地 [├場所]

  2016年5月 訪問 

無題2.png
1948年1月当時の写真(USA R216 183) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


大分県大分市にあった「大分練兵場」。

この練兵場内に不時着場が設定されていました。

「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」の中に当不時着場の地図があり、

その通りに線を引いたのが上図です。

先頭の航空写真は1948年のもので、練兵場がハッキリ残っていて現在とは地割が大きく異なっているのですが、

この写真のあたりに不時着場がありしまた。

 

DSC_0017.jpg

資料では南北方向の滑走路を(1)としています。

その北端部分。

現在滑走路跡地の大部分は、大分市総合運動公園として整備されています。

 

DSC_0021.jpg

資料で(2)とされている斜めの滑走路。

その北端部分。

現在(2)の滑走路北側は大分県立大分西高校になっています。


      大分県・大分練兵場不時着場跡地     

大分練兵場不時着場 データ

設置管理者:陸軍
空港種別:不時着場
所在地:大分県大分市新春日町
座 標:N33°14′00″E131°35′34″
標 高:6m
滑走路:(1)420m×60m(18/36)、 (2)440m×50m(15/33)
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:
航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場


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広瀬橋下流大中滑空場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年5月 訪問 

無題02.png
1947年4月当時の写真(USA M267 71) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


大分県大分市、大分川に架かる「広瀬橋」。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

「大分市上野縣立大分中學校に航空部があり、大分川廣瀨橋下流大中滑空場(假稱)を滑空場として使用していた」とありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

で、「広瀬橋下流に滑空場があった」ということまでは分かっているのですが、

右岸なのか左岸なのか、今のところそれ以上の情報がありません。

この件で牧ラジオ店さんからコメント頂きました。

滑空場を使用した「大分中学校(現 大分上野丘高校)」は、橋から北北西約500mの丘の上に所在するため、

学校に近い左岸側(西側)の河川敷が跡地である可能性が高いのでは。

とのことでした。

それからオイラは航空写真、グーグルマップで広瀬橋の位置を間違えていたのも、

牧ラジオ店さんからご指摘頂いて差し替えました。

牧ラジオ店さんどうもありがとうございましたm(_ _)m 

 

DSC_0012.jpg

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      大分県・広瀬橋下流大中滑空場跡地     

広瀬橋下流大中滑空場 データ

空港種別:滑空場
所在地:大分県大分市岩田町
座 標:N33°13′55″E131°37′26″
標 高:1m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1940年10月現在 大分川廣瀨橋下流大中滑空場を使用

関連サイト:
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宮地飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年5月 訪問 

無題.png
1947年3月当時の写真(USA M100 101) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)



熊本県阿蘇市にあった「宮地飛行場」。

上図は、「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」の「宮地飛行場」から作図しました。

「熊本の戦争遺跡 戦後65年」の中で当飛行場について詳しく扱われており、以下一部抜粋させていただきました。

「宮崎県国富町新田原飛行場と同時期、陸軍大刀洗飛行場の機能を補完するために、在郷軍人会等の奉仕工事等で飛行訓練飛行場として完成しました。完成直前には、地盤固めのため阿蘇高等女学校生徒等500人が協力しています。飛行場は東端を現仙酔峡登山道路、西端を泉側に区切られた東西500m、南北800mの草原であり、現在はオムロン阿蘇工場、県農業試験場阿蘇分場等が所在しています。1925年11月飛行場開設時には乙式1型偵察機(サルムソン2A2の国産機)駐機写真が、1931(昭和6)年陸軍特別大演習では大刀洗北飛行場の北軍に対し、宮地飛行場は南軍飛行場として使用された際の甲式四型戦闘機(ニューポール29c1の国産機)駐機・飛行の演習写真が残されています。その後、飛行訓練は年数回程度行われる以外は、草原として小学校等の運動会等に利用。昭和6年頃より飛行訓練の回数が増え、1941年以降は飛行場内でグライダー訓練を継続して実施していたが、部隊は常駐していませんでした。」

1925年開設ですから、非常に歴史のある飛行場だったのですね。

「東西500m、南北800m」と記されていますが、「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」の通りに

線を引くと、おおよそ360mx70mで、かなり小さくなっています。

DSC_0001.jpg

宮地飛行場は阿蘇山のカルデラ内にあり、阿蘇内輪山に向かって滑走路が伸びていました。

現在滑走路跡地には水田が広がり民家が点在する美しい場所になっています。


      熊本県・宮地飛行場跡地     

宮地飛行場 データ

設置管理者:陸軍
空港種別:訓練用飛行場
所在地:熊本県阿蘇市一の宮町宮地
座 標:N32°56′04″E131°06′36″
標 高:539m
滑走路:360m×70m
着陸帯:800m×500m
方 位:01/19
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1925年 11月2日 完成
1931年 陸軍特別大演習で南軍飛行場として使用される。この頃から飛行訓練の回数が増える
1941年 この年以降グライダー訓練を継続して実施

関連サイト:
航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場    
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この記事の資料:
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」


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九州・4 [■旅行記]

Ⓐ熊本県・道の駅阿蘇→Ⓑ熊本県・宮地飛行場跡地→Ⓒ大分県・広瀬橋下流滑空場跡地→Ⓓ大分県・大分練兵場不時着場跡地→Ⓔ大分県・別府水上機飛行場跡地→Ⓕ大分県・大神回天基地跡地→Ⓖ(大分県・草地飛行場跡地)→Ⓗ大分県・宇佐飛行場掩体壕→Ⓘ大分県・宇佐市平和資料館→Ⓙ大分県・笠置原飛行場跡地→Ⓑ大分県千間原飛行場跡地→Ⓒ大分県・千町無田飛行場跡地→Ⓓ福岡県・道の駅うきは(車中泊)

 

四日目

4:55 起床。

阿蘇山中の道の駅なので、どんだけ気温下がるかとヒヤヒヤだったのですが、13℃までしか下がらず、

ウインドブレーカーを着込んだだけで、エンジン掛けずに済みました。

どうなるか分からないもんですね。

5:45 出発

DSC_0189.jpg

 6:00 昨日見た列車脱線が気になって、10km程戻ることになるのですが、見に行きました。

昨日警官の眼前で白昼堂々と一時停止義務違反した踏切。

DSC_0188.jpg

DSC_0196.jpg

DSC_0200.jpg

踏切の反対側はこう。

DSC_0192.jpg 車両が脱線してしまっていました。

DSC_0006.jpg その後、昨日取り損なってしまった宮地飛行場跡地に向かったのでした。

これがとてもキレイな風景で、やっぱし明るい状態で撮って良かったです。

この後は、お隣の大分県に入ります。

その前に昨夜の夕食でも利用したファミマで朝食。

こうして車中泊をしていて、(変わったなあ)と感じるのは、ごみ箱の減少です。

道の駅ではもうとっくに自販機のカンピンのゴミ箱がせいぜいで、それすらない場合もあり、

旅行中のゴミ捨てはもっぱらコンビニ頼みとなります。

ところがコンビニもこのところゴミ箱が撤去されることが増えてきましたよね。

車中泊の際は食事等コンビニのお世話になる事がとても多いのですが、

ごみ箱を置いているコンビニを探して利用することになります。

今回も、高速で鹿児島に到着して以降の二日目、三日目のゴミを捨てる機会がなくて、

今回こちらのファミマ様のゴミ箱には随分お世話になったのですが、

それでも全部捨てることはできず(この店で貰ったレジ袋に詰める以上は申し訳ないので)、

9:45 某所でゴミ箱設置のセブン様を見掛けたため、

すかさずここで昼食のオニギリ弁当を購入ついでにゴミを捨てさせて頂きましたm(_ _)m

ゴミ箱を店内に移している例もありますが、やっぱり気が引けるんですよね~。

途中、25分仮眠。

13:10 草地飛行場跡地着。

ここは以前にお邪魔していた場所だったのですが、「案内板が設置された」という情報を某所でキャッチしたため、

また行ってみたのですが、探し回ったものの案内板は見つかりませんでした。残念。

その後「笠置原」、「千間原」という隣接する二か所の跡地見学をしたのですが、どちらも自衛隊演習場内にあり、

車で近づける所まで行ってみようと考えていました。

ゆっくりと詰所前を通過し、更に滑走路のあった場所に進んで行ったのですが、

なんか気が付くと道の両側に「民家への影響を考えて発砲せよ」的な、どう見ても自衛隊内部の表示が!Σ(゚Д゚;)

ナビ画面を見ると、完全に演習場内部に侵入してしまってます。

慌ててUターンして、さっきの詰所に戻り、「すみません、この先入っちゃ駄目だったんですね?」

と訊ねると、小さな詰所には若い隊員と地元らしきおばあさんという不思議が組み合わせで、

「先にいってしまったから『しもうたね』って話してた」とのことでした。すすすすいませんすいません。

すぐに出ますので~と失礼して敷地から出たのでした====(ノ><)ノヒイィィ

隣接するもう一つの飛行場跡地でも撮っていたら、スクーターのおばあさんから、

「あの~、これからココ牛の行列が通るから。牛にクルマ蹴られるといけんから」

と言われ、ここでも即撤退したのでした====(ノ><)ノヒイィィ

 

昨日は、鹿児島、宮崎、熊本と、3県にまたがる8ヵ所の見学をすることができました。

本日は朝一で熊本の1ヵ所済ませた後はすぐ大分に入ったのですが、

大分県はわりとまとまって9ヵ所(結局走行距離も昨日より約100km短くて済みました)。

なので昼過ぎにはもう大分県内は全部終わってしまい、次の福岡県に取り掛かれるかも。と思っていたのですが、

宇佐での掩体壕、資料館の見学に予想以上に時間がかかってしまい、大分県内の9ヵ所を終えた時点で時間切れ。

次の福岡県の見学ポイントの手前の道の駅で車中泊することに。

19:05 道の駅うきは着。ナビに明日の見学ポイントの打ち込み。

九州内の見学ができるのは明日の午後2時まで。

今回の九州旅行で残っているのは、福岡県と佐賀県の6ヵ所なのですが、

博多とか都市部を通ることになるし、全部回れるのか微妙になってきました。

昨日の段階では「時間余っちゃうな~。困ったな~。」とか余裕だったのに。。。

やっぱり実際その場になってみないと全然分からないです。

20:05 寝る

おやすみなさい

 

(続きます)

本日の走行距離:345.7km


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植木(木原野)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年5月 訪問 

無題5.png
1947年4月当時の写真(USA M247 45) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県合志市にあった「植木(木原野)飛行場」。

東南東約3kmのところに「熊本地方航空機乗員養成場」がありました。

「熊本の戦争遺跡」に詳しい説明と地図があり、一部抜粋させて頂きました。

当飛行場建設は、合志川から川原石を運び、天地返しで埋め込み、表面はブルドーザー2台で削平転圧。

完成後は、滑走路を「ツツジ植栽の移動式木箱」でカモフラージュし偽装して封鎖していました。

1945年4月2日陸軍設営隊である「睦第7057部隊」が野々島集落の教法寺・浄蓮寺他の民家に駐屯し直営工事し、

6月6日に完成。

その後敗戦まで「靖部隊:第239飛行場大隊」が野々島集落に駐屯し、本土決戦に備え本秘匿飛行場を管理し、

敗戦まで駐屯します。

1945年7月、第30戦闘飛行集団の配当飛行場となり、複葉練習機が完成時に1機着陸しますが、

中練特攻機の常駐配置はありません。

本飛行場には、木製有蓋掩体壕が2ヵ所に3基(石川山裾部2基、二塚地区1基)造成され、

二塚の1基は基礎部が良好に現存しています。

 

DSC_0178.jpg

現在跡地はこんな感じ。

畑が広がっています。 


      熊本県・植木(木原野)飛行場跡地     

植木(木原野)飛行場 データ

設置管理者:陸軍
空港種別:秘匿飛行場
所在地:熊本県合志市野々島
座 標:N32°53′18″E130°43′45″
標 高:90m
滑走路:1,400m×100m
方 位:18/36
(座標、標高、滑走路長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年4月2日 睦第7057部隊駐屯
     6月6日完成
     7月 第30戦闘飛行集団の配当飛行場となる

関連サイト:
ブログ内関連記事       
この記事の資料:「熊本の戦争遺跡」


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熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地 [├場所]

  2016年5月 訪問 

無題4.png
1947年11月当時の写真(USA R153 123) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県熊本市にあった「熊本帯山練兵場」。

ここに不時着場が設定されていました。

前記事の渡鹿練兵場跡地から東南東約1.5kmにあり、ここから北東約0.5kmに旧熊本空港がありました。

この不時着場の資料は、「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」(下記リンク参照)から頂きました。

また、「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、
熊本高等工業學校のグライダー倶樂部、熊本中學校のグライダー部、熊本縣立商業學校の學友會滑空部が、
当練兵場を滑空場として使用していたとありました。
恐らくこの不時着場を使っていたのではないかと。
この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m  

DSC_0172.jpg 不時着場があった辺りは、現在西端は熊本市立帯山小学校、後は住宅地になっています。


      熊本県・熊本帯山練兵場不時着場跡地     

熊本帯山練兵場不時着場 データ

設置管理者:陸軍
空港種別:不時着場
所在地:熊本県熊本市中央区帯山5丁目
座 標:N32°48′05″E130°45′06″
標 高:37m
着陸帯:600m×145m
方 位:08/26
(座標、標高、着陸帯長さ、方位はグーグルアースから)

沿革
1945年 10月現在 滑空訓練実施
       (熊本高等工業學校グライダー倶樂部、熊本中學校グライダー部、熊本縣立商業學校學友會滑空部)

関連サイト:
「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」  
ブログ内関連記事
       


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熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地 [├場所]

  2016年5月 訪問 

無題3.png
1947年11月当時の写真(USA R153 124) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

熊本県熊本市にあった「熊本渡鹿練兵場」。

「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」の中でこの練兵場内の不時着場が扱われています。

先頭の1947年の航空写真はその練兵場敷地の一部拡大したものなのですが、

画面中央の広場に不時着場が設定されていました。

DSC_0164.jpg

不時着場北端。現在は産業道路になっています。

近隣に罹災家屋があったため、この写真は不時着場方向を向けて撮っていません。

ご了承くださいませ。


      熊本県・熊本渡鹿練兵場不時着場跡地     

熊本渡鹿練兵場不時着場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:不時着場
所在地:熊本県熊本市中央区渡鹿1丁目
座 標:N32°48′17″E130°43′51″
標 高:25m
着陸帯:500m×95m
方 位:15/33
(座標、標高、着陸帯長さ、方位はグーグルアースから)

関連サイト:
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この記事の資料:「航空路資料 第7 昭11-8 九州地方飛行場及不時著陸場」


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鹿児島県・出水飛行場の掩体壕 [├場所]

  2016年5月 訪問 

無題2.png

無題1.png
1948年5月当時の写真・2枚とも(USA R50-2 34) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鹿児島県出水市にあった「出水飛行場」。

その掩体壕が3基現存しています。

出水市では戦争遺跡を未来の市民に伝えるため様々な取り組みをしており、その一つとして掩体壕整備があります。

その掩体壕整備に先立つ確認発掘調査が実施され、その非常に詳細な調査報告は、

「旧海軍出水航空基地掩体壕 発掘調査報告書 -掩体壕1・2の埋蔵文化財確認発掘調査報告書-」

として、2014年3月に出水市教育委員会から出され、ネット上でも公開されています。 

で、この報告書を頼りに見てきました。

(当記事内で各掩体壕に割り振った数字は報告書に拠ります)

 

以下掩体壕1(3枚)

DSC_0136.jpg

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DSC_0139.jpg

 

以下掩体壕2(2枚)

DSC_0142.jpg

DSC_0145.jpg

 

以下掩体壕3(3枚)

DSC_0151.jpg

DSC_0153.jpg

この掩体壕、開口部の前にこんな大きな構造物があり、

DSC_0154.jpg

たまたま話をお聞きすることの出来た方によると、県道沿いの2基より遥かに大きかったのだそうです。

想像で線を引いてみました。

掩体壕は、農作業しておられる方、近隣住民の方に快諾頂き撮影させて頂きました。

どうもありがとうございましたm(_ _)m 


      鹿児島県・出水飛行場の掩体壕     

出水飛行場の掩体壕 データ

所在地:鹿児島県出水市平和町
掩体壕1:座標:N32°04′56″E130°19′19″
掩体壕2:座標:N32°04′54″E130°19′16″
掩体壕3:座標:N32°04′46″E130°19′29″
(座標データ 1と2は報告書から。3はグーグルアースから)

沿革
2013年6月3日~7月1日まで、掩体壕1.2の発掘調査
2014年3月付で報告書

関連サイト:
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