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三瓶滑空場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

島根県の三瓶山。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

松江商業學校(当時)に學友會グライダー部があり、安濃郡佐比賣村三瓶滑空場を使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

また、「昭和14年 三瓶高原でグライダー滑空訓練が行われる」という地元情報もあります。

少なくとも2年間当地が滑空場として使用されていたことになります。

現在のところ、滑空場としてどこを使用していたのか、具体的な場所が不明です。

情報お待ちしておりますm(_ _)m 

 

D20_0140.jpg

学生の滑空訓練ですから広々とした場所だと思うのですが、「高原」というだけあってわりとおあつらえ向きな場所がありました。

 

D20_0143.jpg

正確な場所が不明なのですが、山の北側のどこか。


      島根県・三瓶滑空場跡地     

三瓶滑空場 データ

空港種別:滑空訓練場
所在地:島根県大田市三瓶町
座 標:N35°08′23″E132°37′15″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1939年 三瓶高原でグライダー滑空訓練
1940年 松江商業學校グライダー、三瓶滑空場にて滑空訓練

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山口県・菊ヶ浜海岸 [├場所]

  2015年10月 訪問 

無題8.png
1947年10月当時の写真(USA R517-6 38) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

山口県萩市にある「菊ヶ浜海岸」。

「ここで飛行大会が行われた」という記録が残っているのですが、いつ、誰が等それ以外のことは不明です。

情報お待ちしておりますm(_ _)m

 

D20_0134.jpg

 

D20_0136.jpg


      山口県・菊ヶ浜海岸     

菊ヶ浜海岸 データ

所在地:山口県萩市堀内
座 標:N34°25′00″E131°23′23″
*座標はグーグルアースにて算出

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山口県・山口駐屯地訓練場 [├場所]

  2015年10月 訪問 

無題7.png
1947年9月当時の写真(USA R507-3 51) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

山口県山口市にある「山口駐屯地訓練場」。

前記事の「小鯖秘匿飛行場跡地」は国道262号線に沿ってあったと書きましたが、

その262号線で約10km北上したところにあります。

かつてはここが「陸軍桜畠練兵場」でした。

「陸軍桜畠練兵場」の敷地の資料が見つからなかったため、上図はかなり大雑把です。

ご了承くださいませ。

大正5年、ここで5万人の観客でごった返す中、岸式Ⅰつるぎ号が30分の飛行を行いました。

航空思想普及のため、国民飛行会(後の帝国飛行協会)会長となった長岡外史氏により実施したものです。

 

D20_0132.jpg


      山口県・山口駐屯地訓練場     

山口駐屯地訓練場 データ

設置管理者:旧陸軍→防衛省
所在地:山口県山口市宮野下
座 標:N34°11′27″E131°29′26″
標 高:42m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1916年9月17日 飛行会実施

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小鯖秘匿飛行場跡地

  2015年10月 訪問 

無題6.png
1947年3月当時の写真(USA M124 8) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

山口県防府市から北上して山口市宮野駅へと伸びる国道262号線。

その真っ直ぐに走る国道に沿うようにして、山口市下小鯖にあった旧海軍の「小鯖秘匿飛行場」。

上の航空写真にうっっすらと滑走路の地割が写っています(赤の矢印のあたり)。

その通りに引いてみたのが上図です。

様々な資料で滑走路の長さは600mとなっており、作図して長さを測ってみたところ、586mでした。

資料通りだとすると、南北どちらかがもう少し長かったのだと思います。

来るべき本土決戦の際、練習機を使用した特攻作戦を実行するために計画した飛行場の1つでした。

付属の廠舎、塹壕、随道の掩体、滑走路は学徒を動員し突貫工事で造られたのだそうです。

滑走路は完成しましたが、ここから特攻機が飛び立つことはありませんでした。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:小鯖 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:600x30砂利敷 主要機隊数:小型 主任務:発進 隧道竝ニ地下施設:工事中 其ノ他記事:離着陸概ネ一方向

D20_0129.jpg

・A地点

この道路は滑走路の地割が残っているっぽいです。

 

D20_0121.jpg

・B地点

恐らくここから真っ直ぐの国道からほんの少し西に逸れながら滑走路があったはず。


      山口県・小鯖秘匿飛行場跡地     

小鯖秘匿飛行場 データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:秘匿飛行場
所在地:山口県山口市下小鯖
座 標:N34°06′39″E131°32′04″
標 高:69m
滑走路:600m×30m? 砂利敷
磁方位:16/34
*座標、標高、滑走路長さ、磁方位はグーグルアースにて算出

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中国・3 [■旅行記]

Ⓐ道の駅仁保の郷→Ⓑ小鯖秘匿飛行場跡地→Ⓒ山口駐屯地訓練場→Ⓓ菊ヶ浜海岸→Ⓔ三瓶滑空場跡地→Ⓕ直江(新川第二)基地跡地Ⓐ→Ⓑ玉造基地跡地→Ⓒ道の駅湯の川(車中泊)

3日目

3:45 起床

4:10 仁保の郷道の駅発

 

DSCN0148.jpg

4:50 防府駅前のジョイフルで朝食。七種和朝食

本日最初の見学ポイントは15km先。

ここでゆっくり日の出待ち。

 

D20_0125.jpg

6:40 「天保大一揆発祥之地」碑

防府市から山口県の宮野駅へと北上する国道262号線沿いに小鯖秘匿飛行場があったのですが、

その近くにありました。

説明版によれば、この一揆が明治維新に発展するきっかけとなったのだそうですね。

オイラ知らなかったよ!Σ(゚Д゚;) 

 

D20_0134.jpg

8:00 山口県萩市菊ヶ浜海岸。

日本海側に出ました。

ここから次の目的地である島根県の三瓶高原までは、177km、下道で14:10 到着と出ました。

日中の時間帯を長く移動だけに使うことになり勿体ないのですが、

明日の朝一で島根県松江市の七類港からフェリーで隠岐に渡るため、

どんなに頑張っても本日はその手前までしか進めず、その間の見学ポイントは、三瓶高原を含めて3つのみ。

ということで、中国地方の日本海側の景色を楽しみながら下道を進みました。

 

12:20 三瓶高原で自宅から持ってきたお弁当。これで持ってきた弁当全部食べた。

14:05 給油。その後携帯充電

16:15 本日の見学ポイント全部終了。

これで明日までやることがなくなりました。

いろいろ下調べをしようと地元図書館に向うと…休館でした。トホホ。

 

DSCN0152.jpg

16:50 ジョイフルでサーモン丼と豚汁定食。ちょっと早いけど夕食。

後から考えたら、出雲空港がすぐそこなんだから、空港に寄ればよかった。

その後、道の駅湯の川へ。

道の駅の標識に温泉マークが付いていたので、ここで入浴もできるのかと思ったら、ここは足湯のみでした。

道の駅からちょっと奥に進んだ温泉旅館に行ってみたら、入浴は16:30 までですた(;´Д⊂)

更にこの奥にある温泉を教えて頂き、移動。

ひかわ美人の湯へ。

すっかり美人になって出てきたら、18:40でした。

道の駅湯の川に戻り、ヨーグルトなど食べつつ施設内を俳諧。

ここは立派な施設で大きなレストランもあり、駐車場も結構混み合っているのですが、

奥の方にトラックなど入ってきそうにない目立たない駐車場があったので、ここで車中泊することに。

「日本一周中」というサインを掲げた自転車が立て掛けてありました。

運転中こういう自転車はたまに見掛けるのですが、こんなに間近に遭遇するのは初めて。

施設内で資料など眺めて過ごしました。

この道の駅はツアーバスの集合場所として利用され、ここにマイカーを長時間駐車しての利用客が多いらしく、

そういう使い方は止めて欲しいという貼り紙が。

20:05 寝る

おやすみなさい。

 

本日の走行距離:376km

(続きます)


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山口第三地方滑空訓練場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

無題.png
1947年10月当時の写真(USA R517-6 70) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

山口県山陽小野田市にあった「山口第三地方滑空訓練場」。

「野球場(上図の赤丸のすぐ西側)の上の西善寺住宅団地が元滑空場である」という情報以外、

滑空場の明確な敷地についての資料が見つからないのですが、1947年の航空写真、グーグルアースの標高情報から、

滑空場であった可能性の高いと思われる部分を囲いました。

これでおおよそ300mx300mです。

恐らくこんな感じだったのではないかと。

 

航空兵の早期養成を目的に、軍からの要請で大日本飛行協会が基礎教育のために設けました。

「第三」という名の通り、防府市に第一、東部に第二、そして西部の厚峡に第三の滑空場開設が計画されたのは、

昭和18年のことでした。

当時の様子をよくご存じの地元の方に取材する様子がネット上で閲覧することが出来、 それによりますと、

「グライダーがとんでいるのをしょっちゅう見ていました」

「(飛行場のあった場所は)野球場の上の住宅が建っている所」

「旧制中学校の生徒がグライダーの練習をしていましたね」

「あそこの一番東に、そこに杭を打って、一人が持って回して、

それで左右に10人ずつ位が引っ張って、あがったら20メートル位飛ぶ」

とありました。

戦後、滑空場は山口県営厚狭林業苗圃を経て西善寺住宅団地となりました。

 

D20_0115.jpg

この写真を撮った後方に話にでてきた野球場があるのですが、当団地とは3~4メートルの高低差があり、

一段高い所に滑空場があったことが分かります。

滑空場のあった場所を「野球場の上の」と説明するのがよく分かります。


      山口県・山口第三地方滑空訓練場跡地     

山口第三地方滑空訓練場 データ
設置管理者:大日本飛行協会
空港種別:滑空場
所在地:山口県山陽小野田市厚狭
座 標:N34°03′18″E131°10′36″
標 高:27m
着陸帯:300m×300m?
*座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースにて算出

沿革
1943年 大日本飛行協会、防府市に第一、東部に第二、西部の厚峡に第三滑空場開設計画
1945年 終戦
1953年 山口県営厚狭林業苗圃設置決定
1954年 1月 町有地約3,700坪、私有地約1,800坪を買収して県に貸す
       4月 山口県営厚狭林業苗圃開設
1957年 庭園や生け垣用の苗木も生産するようになる
1965年 3月、苗圃廃止
1968年 山口県住宅供給公社が買収、分譲住宅建設

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山口県・防石鉄道新橋停車場予定地 [├場所]

  2015年10月 訪問 

山口県防府市新橋町にあった「防石鉄道新橋停車場予定地」。

防石鉄道は、防府駅(開業当時は三田尻駅)を起点とし、堀駅に至る18.8km の路線です。

1912年に開業申請が出され、1919年開業したのですが、1964年廃止してしまいました。

上図紫の線は、起点防府駅からのおおよその路線を示したものです。

途中で途切れてしまっていますが、これは埋め込みの都合上のもので、実際はずっと続いております。

で、この線路と県道54号線が交差する辺りに「防石鉄道新橋停車場」予定地がありました。

ここで高左右隆之操縦士による飛行が行われました。

1915年ですから、開業の4年前に当たり、これが山口県の初飛行だったのだそうです。

 

D20_0106.jpg


      山口県・防石鉄道新橋停車場予定地     

防石鉄道新橋停車場予定地 データ

所在地:山口県防府市新橋町
座 標:N34°03′44″E131°33′31″
標 高:6m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1915年3月14日 新橋停車場予定地にて県下初飛行

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宮島飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

無題8.png
1947年3月当時の写真(USA M184 3) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

広島県廿日市にあった「宮島飛行場」。

水上機の飛行場で、当時はこの場所に格納庫がありました。

ネットで当時の様子を写した写真を検索することができ、

格納庫には、「宮島航空研究所格納庫」と大書きしてあり、ウインドソックス、クレーンも見えます。

鼓ヶ浜飛行学校を併設して、年間5人前後が入校しました。

後に中国新聞社航空部嘱託ともなっています。

遊覧飛行も行っており、宮島1周15分、飛行時間30分、料金は1人5円でした。

 

また、1936年8月20日の報知新聞によれば、逓信省航空局は、

船舶の遭難時、航空機による遭難地点の発見、速やかな救助を目的として、

民間の航空業者と協定を結ぶことを意図していることが載せられており、

当時水上機を所有する主な民間航空会社(東京航空株式会社・東京、安藤飛行機研究所・名古屋、

日本航空輸送研究所・大阪、日本海航空株式会社・兵庫)と共に、

城崎宮島航空研究所・宮島の五社が大乗り気であることが記されています。

料金は、現在の遊覧飛行が大体10分10円程度で、遭難船の場合は必然的に危険性が伴うので幾分高くなるとみられる。

とも述べられています。

 

D20_0079.jpg

飛行場があった当時は、この線路の右側奥の方に飛行場の格納庫を望むことが出来たのですが、

現在は競艇場の大きな建物に視界が遮られてます。

 

D20_0100.jpg

宮島飛行場跡地現在の様子


      広島県・宮島飛行場跡地     

宮島飛行場 データ

空港種別:水上飛行場
所在地:広島県廿日市市阿品3丁目
座 標:N34°19′04″E132°18′37″
*座標、標高、滑走路長さ、着陸帯長さ、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1933年 10月 宮島航空研究所設立。鼓ヶ浜飛行学校併設
1936年 中国新聞社航空部嘱託。
1941年 養成所はこの頃廃止

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広島県・広島ヘリポート [├場所]

  2015年10月 訪問 

広島県広島市西区にある「広島ヘリポート」。

1961年、広島県の空の玄関口として開港したここ「広島空港」でしたが、

1993年、新広島空港が三原市に開港したのを期にここは「広島西飛行場」となり、

2012年には「広島ヘリポート」となりました。

現在広島県警察、広島県ドクターヘリ、広島市消防航空隊、第一航空、朝日航洋等が使用しています。

広島市では、1,800m滑走路を擁する当広島ヘリポートの敷地を段階的に縮小していきました。

上図は広島市のサイトを参考にヘリポートとして活用する「最終形態」を囲ったものです。

 

D20_0063.jpg

プレートが「広島西飛行場」から替えられてました。

 

D20_0065.jpg

広島県ドクターヘリと、広島市消防航空隊

 

D20_0075.jpg

R/W22エンド

ブラストパッド部分まで完全に残っています。

今のところ滑走路を削ったりはしてないみたいですね。

それでも広島市には今後様々な跡地活用プランがあり、2013年3月には検討委員会による最終会合で素案がまとまり、

エリアごとに広域防災、スポーツ・レクリエーション用地、大型商業施設やテーマパーク等の建設を計画しています。

実際に開発が始まれば、あっという間に滑走路の舗装は削られてしまうのでしょうね。

こうして完全な形の滑走路が見られるのもきっと今のうち。

滑走路のカケラ、オイラにちょっとちょーだい!

画面左奥、滑走路上にフェンスが設置してあり、「もう飛行場ではない」感が漂っています。

市のサイトに示されている図では、この滑走路中心線のところまでヘリポートの敷地。

理由は不明ですが、図の敷地とフェンスの位置にはズレがあるようです。

どっちが正しいんだろう。どっちも正しいのかしらん。

 

D20_0068.jpg

ドクターヘリが駐機してました。

ヘリポートの磁方位は滑走路と同じで04/22です。

 

D20_0070.jpg

画面左側にあるのが「広島南道路(広島高速3号線)」。

 

「広島ヘリポート」の位置関係

紫で囲ったのが「吉島飛行場」跡地。

(かつて「広島飛行場」とも呼ばれた)「吉島飛行場」はこんなに近くにあったんですね。

知り合い、お得意先に広島出身の方が居られるのですが、皆さん口をそろえて仰るのが、「旧広島空港」の如何に便利だったか。

右上に広島駅もありますし、ホントに市街地ですよね。

「旧広島空港」は滑走路が1,800m しか確保できず、無理やり767を使うのがやっとで、747の就航が出来ません。

滑走路を延長しようにも、北側はびっしりと市街地になっています。

このため北側での用地確保はおろか、空港、飛行場時代には近隣住民による騒音問題に非常に根強いものがあり、

行政は対応に苦慮していたのだそうです。

このため、「ここの飛行場は地元市民から追い出されてしまったのだ」という見方もあるのだとか。

伊丹空港等のように、もしかしたら現在ならここに飛行場があることについての地元の方の感覚は当時と異なるのかもしれません。

 

一方、反対の南側河口付近は軟弱地盤のため、埋め立てには巨額の費用が必要になるのだそうです。

このように、滑走路の延長が難しいというのが大きなネックとされていたのですが、

羽田の発着枠が(若干)拡大し、機体のダウンサイジング、運航多頻度化が進んだ現在ならこれは乗り越えられるはず。

…なのですが、上図を見ての通りで、旧飛行場敷地は太田川放水路と天満川に挟まれた細長い地形であり、

更にその半分は三菱の敷地ですから、飛行場は文字通り鰻の寝床のような、ものすごく細長い敷地になっており、

平行誘導路も設置できず、エプロン、ターミナル、駐車場の拡張も難しいです。

運用可能な機材が限定される上に、拡張が難しいため処理能力を増やすことが出来ず、多頻度化も難しい。

そして決定的となったのが滑走路をかすめるように計画された件の「広島南道路」。

広島南道路の建設方法を巡って、飛行場の機能維持を求めてトンネル方式を主張する広島市と、

工費縮減の観点から橋梁方式を主張する広島県との間で対立があったのですが、

2004年5月のトップ会談で結局橋梁方式での建設が決まり、

「短い短い」言われていた滑走路は、高度制限から更に340 m短くなりました。

広島市街に近く、滑走路、周辺施設の用地を十分に確保でき、騒音問題も起こさない-

そんな理想的な空港を造ろうとしたら、もう広島ヘリポートの沖合に海上空港を建設するしかないんじゃないでしょうか。

建設費がすんごいでしょうけど。

 

以下余談となりますが。

以前、拙記事:広島西飛行場(運用当時)のコメント欄で、

「幼少時近辺に住み、10代後半から学・職・県外を経て親世話で県内戻りの男」さんから様々貴重な情報、提言を頂き、

議論したのですが、「飛鳥」のようなSTOL機こそ、こういう制約だらけの都市部飛行場に相応しいのではないかと思います。

大勢の乗客を乗せ、通常機より短い滑走路で運用可能。

しかも離陸上昇、着陸進入、いずれも通常機より急角度にすることができますから、騒音の範囲を狭く抑えることも可能。

ただし、STOL性に特化した機体はどうしても様々なネガが出てしまいます。

興味のある方は拙記事:広島西飛行場(運用当時) のコメント欄をご覧いただきたいのですが、

極低速での急上昇、急降下のために、エンジンパワーで機体を吊る状態となりますから、エンジン停止はかなりヤバいです。

安全性とSTOL性能を確保するために重いエンジンをたくさん積み、主翼も巡航にはあまり向かない形状となります。

STOL機は、短距離離着陸というその名が示す性能と引き換えに経済性と安全性に難アリの機体となってしまいます。

それでもSTOL旅客機を開発し、滑走路上のフェンスを撤去し、STOL機用の支援設備を設ければ、

羽田~広島西便は実現するはずです。

ただしチケット代は確実に数割は高くなるはずで、

羽田ではなく調布を使えば、着陸料の節約で多少安くはなると思いますが、果たして利用客はどの程度集まるでしょうか。

 

無題b.png
1975年1月当時の写真(CCG747 C13 24) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

おまけ:「広島空港」だった頃の写真。

磁方位が、03/21→04/22 に途中で変更になったんですね! 知らなかった(@Д@)


      広島県・広島ヘリポート     
飛行場時代の収支ですが、長いこと5億~6億の赤字が続いていました。 県の関連サイトによりますと、2010年度(広島西飛行場当時)の収支が5.1億円の赤字だったのに対し、ヘリポートに移行してからは徐々に赤字額が減少し、2014年度は3.1億円の赤字となっています

広島ヘリポート データ
設置管理者:広島県/広島市
運用時間:8:30~19:00(有事の際は知事の許可により時間外でも使用可)
所在地:広島県広島市西区観音新町
座 標:N34°22′17″E132°25′03″
標 高:2m
面 積:8ha
着陸帯:35m×30m
磁方位:04/22
誘導路: 28m×9m
エプロン:20,580平方メートル、スポット数14
*座標、標高はグーグルアースにて算出

航空管制周波数
・飛行場アドバイザリー
  フライトサービス 130.65 HIROSHIMA FLIGHT SERVICE

沿革
1961年09月 広島空港供用開始
1993年10月 新広島空港供用開始、広島空港は「広島西飛行場」に変更
2004年05月 31日 知事と市長のトップ会談で「南道路は橋梁方式で建設」に決定
2012年11月 広島西飛行場廃港、「広島ヘリポート」に変更
2013年05月 1日、広島県ドクターヘリ本格運行開始
2014年03月 23日 広島南道路旧飛行場部分開通
2015年03月 13日、広島ヘリポート格納庫竣工

関連サイト:
広島市/広島西飛行場跡地活用ビジョン    

ブログ内関連記事  
広島西飛行場(運用当時)       
広島ヘリポート(2013年4月訪問)   


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広島市東練兵場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

無題a.png
1945年7月当時の写真(USA 5M335 9534) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 

出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

広島県広島市東区、広島駅北側に広がっていた「広島市東練兵場」。

上図は、1945年の航空写真、米軍作成の地図(下記リンク参照)を元に、

練兵場のうち飛行場になりそうな、おおよその範囲を囲いました。

当練兵場で軍用、興業等の目的で、萱場式オートジャイロ、グライダーや軽飛行機等が飛んでいました。

ここは広島県内での初飛行の地でもあるのだそうです。

また「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

廣島高等工業學校(当時)に滑空部があり、「廣島市東練兵場」を滑空場として使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

県立広島商業でも、毎週日曜日に滑空部の訓練をしていたという記録も残っています。

「広島市練兵場」があるということは、当然西練兵場もあります。

西練兵場は約2km西にあり、広島城と原爆ドームの間に位置していたのですが、

東西の練兵場が両方とも飛行場として使用されていたとするサイト様と、

東の方が広いので、もっぱら東が飛行場に使用されたとするサイト様があります。

もしかすると、時代による違いもあったのかもしれません。

現在のところ、西練兵場でヒコーキが飛んでいたとハッキリ確認することができておりません。

米軍作成の地図:JAPAN CITY PLANS 1:12,500 の HIROSHIMA(下記リンク参照)では、

上図囲った部分がおおよそ「東練兵場と軍用飛行場」と記されています。

 

D20_0046.jpg

東練兵場に騎兵隊の敷地が隣接しており、碑がまとまって設置してありました。

 

D20_0044.jpg

碑の近くから練兵場方向

現在このエリアは大規模再開発事業の真最中。


      広島県・広島市東練兵場跡地     

広島市東練兵場 データ

設置管理者:陸軍
所在地:広島県広島市東区光町他
座 標:N34°23′56″E132°28′49″
標 高:2m
着陸帯:1,000m×700m
(座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースから)

沿革
1945年10月現在 滑空訓練実施

関連サイト:
JAPAN CITY PLANS 1:12,500/HIROSHIMA    
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