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業務連絡~旅する野良猫さんへ~ [■ブログ]

旅する野良猫さんへ

2月か3月に尾島飛行場、中島邸に行こうと思っております。

もしタイミングが合いましたらご一緒したいのですが、ご都合いかがでしょうか?

もし都合がつきましたら、コメント欄にご連絡お待ちしておりますm(_ _)m 

とり。


和歌山県・王子ヶ浜 [├場所]

  2015年10月 訪問 

無題4.png

和歌山県新宮市の王子ヶ浜。

昭和16年、新宮商業学校(現・新翔高校)が当地で滑空訓練を行いました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

 

D20_0060.jpg

・A地点

1946年の航空写真(下記リンク参照)で見ても、幅は広くないのですが、長い砂浜が続いています。

 

王子ヶ浜 map   


      和歌山県・王子ヶ浜     

王子ヶ浜 データ

空港種別:滑空訓練場
所在地:和歌山県新宮市王子町
座 標:N33°43′06″E136°00′24″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1941年1月17日 滑空訓練実施

関連サイト:
国土地理院 1946年5月当時の写真(USA M147-A-7 12) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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志摩水上機飛行場跡地(日東航空) [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

無題3.png

前記事では「中日本航空が的矢湾(の恐らく渡鹿野島)に水上機を発着させていた」と書きましたが、

そこから直線距離でたった8km南西の賢島付近に、日東航空も水上機を発着させていました。

両社の運航時期は重なっています。

 

無題2.png

ここも情報が非常に少ないのですが、愛媛県総合科学博物館から「新居浜の航空路回顧」(下記リンク参照)という論文が出ています。

これは日本航空より元日東航空の資料提供も受けて作成されたものなのですが、それによれば、

大阪-白浜-串本-志摩-名古屋    昭和35年6月17日~昭和39年10月30日    日東航空

とありました。

また、「(日東航空の)昭和38年1月現在における支社・営業所・基地の所在地を示す」として「志摩」を含めています。 

 

D20_0059.jpg

・A地点

運航当時の航空写真(下記リンク参照)で確認すると、島の周辺は養殖用のイカダだらけで、

賢島駅方向の細長い部分に桟橋がいくつかあります。

この前を水上機が行き来していたのではないかと思うのですが。。。

 

志摩水上機飛行場跡地(日東航空) map   


      三重県・志摩水上機飛行場跡地(日東航空)     

志摩水上機飛行場(日東航空) データ

設置管理者:日東航空
空港種別:水上飛行場
運用期間:1960年6月~1964年10月
所在地:三重県志摩市阿児町神明
座 標:N34°18′19″E136°49′06″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1960年6月17日~1964年10月30日 日東航空 大阪-白浜-串本-志摩-名古屋線運航

関連サイト:
新居浜の航空路回顧(pdf)    
国土地理院 1963年11月当時の写真(KK6313X C5 21) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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志摩水上機飛行場跡地(中日本航空) [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月、2016年6月 訪問 


三重県志摩市の的矢湾に1961年、中日本航空が名古屋-当「志摩水上機飛行場」-串本を結ぶ便を開設しました。

三重県立図書館に問い合わせをしたところ、返答を頂きましたので、抜粋して記させて頂きます。

『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会/編集・発行1963 「第十一篇 交通通信 第三章 航路」p332-333「6 航空路の開設」中日本航空による航空路の開設について、認可や実施曜日、旅客運賃などが記載されていますが、航路は「名古屋‐志摩(渡鹿野)‐串本」と表記され、それ以上の詳しい記載がありませんでした。しかし「(7)集合場所-渡鹿野桟橋志摩営業所」とあり、発着場は渡鹿野島にある桟橋周辺であったことがうかがえます。この桟橋については『ゼンリンの住宅地図鳥羽市志摩郡』善隣出版社1972 の渡鹿野島の部分を確認しましたが、場所を特定できませんでした。

『渡鹿野郷土誌』渡鹿野郷土誌編纂委員会/編集 渡鹿野区2010
「交通編 第二章 海上交通」
p252「航空路」昭和36年1月から名古屋・渡鹿野・和歌山県串本間で運航開始した旨。

『阿児町史』阿児町役場企画環境課/編集 阿児町役場企画環境課1977L3
p716「阿児町年表」の中に「昭和35(1960)6 中日本航空、賢島‐木本間定期航空就航」とありますが本文中には記述がありませんでした。

 

以上の点から、中日本航空の志摩での発着場所は、渡鹿野島の桟橋である可能性が高いようです。

その桟橋の具体的な場所は不明なのですが、1963年の航空写真(下記リンク参照)で見ると、

渡鹿野島の北、西側は養殖用の筏が取り囲んでおり、島の南東側には幾つも桟橋があり、養殖用筏もないことから、

ここのどこかに水上機が発着していたのではないかと思います。

余談ですが、ここ的矢湾で獲れる養殖カキは「的矢かき」というブランドなんだそうですね。

三重県立図書館様には、ここには挙げていないだけで、他にも様々な文献を丁寧に当たって頂いたのですが、

これ以上の具体的な情報は出てきませんでした。

DSC_0102.jpg

渡鹿野島の桟橋付近。

ここに水上機が来ていたと思うのですが。。。


      三重県・志摩水上機飛行場跡地(中日本航空)     

志摩水上機飛行場(中日本航空) データ

設置管理者:中日本航空
空港種別:水上飛行場
所在地:三重県志摩市磯部町渡鹿野
座 標:N34°21′49″E136°52′47″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1960年 中日本航空、賢島‐木本便開設
1961年 1月 中日本航空、名古屋-渡鹿野-和歌山県串本便開設

関連サイト:
国土地理院 1963年11月当時の写真(KK6313X C3 23) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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三重県・三重県立上野高校 [├国内の空港、飛行場]

  2015年10月 訪問 

無題.png

三重県伊賀市にある「三重県立上野高校」。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

上野中學校(当時の)に滑空部があり、本校第二運動場を滑空場として使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

尚、隣接する伊賀上野城は見学しておりません(ワンポイント情報)。

 

D20_0054.jpg

・A地点

前述の通り、「上野中學校(当時)に滑空部があり、本校第二運動場を滑空場としてした」訳です。

で、A地点の校庭が上野高校の現在の第二運動場であることは事前に確認できていたのですが、

昭和15年当時の中学校時代もそうであったかは確認がとれていませんでした。

それでも1946年の航空写真(下記リンク参照)で見る限り、ここがこの周辺で最も大きな更地だったため、

ここではないかと考えていたのですが、現地にお邪魔したら、ちゃんと碑が建っていました。

見難いですが、「上野中学校第二運動場 昭和四年拾月竣工」と刻まれてます。

当時ここでグライダーが飛び回っていたということですね。

 

D20_0055.jpg

 

三重県立上野高校 map   


      三重県・三重県立上野高校     

三重県立上野高校 データ

空港種別:滑空訓練場
所在地:三重県伊賀市上野丸之内
座 標:N34°46′10″E136°07′29″
標 高:157m
着陸帯:115m×120m?
*座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースにて算出

沿革
1945年10月現在 校庭にて滑空訓練実施

関連サイト: 
国土地理院 1946年5月当時の写真(USA M143-A-6 159) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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滋賀県・野洲川滑空場計画地 [├場所]

  2015年10月 訪問 

無題0.png

滋賀県守山市、野洲市を流れる野洲川右岸に「野洲川滑空場」の建設計画がありました。

計画当時、日本学生航空連盟関西支部には17大学、約300名の加盟がありましたが、関西地区には滑空場がなく、

東海支部の滑空場(最も近いのは岐阜県)や福井空港まで行く必要があるため、

是非とも野洲川河川敷に滑空場を! という計画が持ち上がったのでした。

1999年から地元と交渉を始めたのですが、

グライダー事故の続発もあり周辺住民の不安が募り、結局同意を得る事が出来ませんでした。

このため野洲川保全利用委員会は、占用を認めない意見書を国交省に提出、関西支部は占用の申請を見送ったことが、

日本学生航空連盟の2007年度事業報告に載せられていました。

上図は滑走路の計画図を参考に作図しました。

北側に短めの滑走路が交差していますが、南風時と北風時の2面が計画されていました。

 

D20_0052.jpg

・A地点

申請が通っていればここから滑走路が続いていたはずなのですが。。。

 

野洲川滑空場計画地 map   


      滋賀県・野洲川滑空場計画地     

野洲川滑空場計画地 データ
申請者:財団法人 日本学生航空連盟
空港種別:滑空訓練場
所在地:滋賀県守山市田町中柳島地先~野洲市三宅地先
座 標:N35°04′36″E136°00′36″
標 高:94m
面 積:6.6122ha
滑走路:900m×20m(18/36)、400m×20m(16/34)
*座標、標高、滑走路長さ、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1999年 地元との交渉開始
2007年度の事業報告で申請見送り

関連サイト:
申請概要:グライダー操縦訓練場(pdf)    
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東海、近畿・2 [■旅行記]

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①道の駅竜王かがみの里→②野洲川滑空場計画地→③三重県立上野高校→④志摩水上機飛行場跡地(中日本航空、日東航空)→⑤王子ヶ浜、紀南ヘリポート→印南SA(車中泊)

 

2日目

10月になりました。

3:45 起床

4:25 出発

5:00 見学ポイントのすぐ近くまで来たんですが、まだまだ暗いので24時間営業の西友でハンバーグ弁当と野菜ジュースの朝食

急速に発達した低気圧のせいで、九州から大雨の範囲が北上中。とのことで、

この時はまだ曇りだったのですが、7:30頃からほとんど小雨、時々激しく降る1日になってしまいました。

今日は見学ポイントも少なく、ひたすら走ってばかりの時間帯が大半だったので、ぐずついた空模様が今日で良かったです。

Fさんから電話があり、面会予定日の日曜日は無菌室に入っているかもしれない。

どうなるかは明日分かるとのこと。

せっかく広島まで行くからには(ガラス越しではなくて)直接会いたいので、広島到着日変るかも。

 

10:50 三重県の志摩スペイン村近くで給油。

昼食はサークルKサンクスでたわらむすび弁当。

15:40 和歌山県新宮市で砂浜とヘリポート見学。

次のポイントは同じ和歌山県の和歌山市。

160km先で、有料道路を使っても今日明るいうちに着くのは無理なので、下道でのんびり向かうことに。

16:05 Fさんから連絡が入り、日曜日は無菌室なので明日の午後でどう?とのことだったので、

明日の午後広島に着けるように予定変更することにしました。

明朝和歌山市内に固まっている5ヵ所のポイントを回って後、高速を使って昼に広島に着くことに。

広島に向かう途中に幾つもある見学ポイントのうち、和歌山市内のポイントは他の見学ポイントからちょっと離れているので、

ここの見学を済ませておくと後々楽なのです。

オートバックスでフロントガラスの日除け購入。

ふぅ。これで全面隠せる。

16:40 新宮市から山の一本道の国道に入ったところで大渋滞。車列がちっとも動かなくなってしまいました(;´Д⊂)

対向車線には全然車が来ない。

地元ナンバーの車が1台、また1台とUターンするのですが、オイラはこの先の山の向こうに行きたいのに、

他の道を使おうとすると、すんごい距離が延びてしまいます。

しばらく待っていると、地元ナンバーの対向車が1台オイラの前方で止まり、顔見知りと思しき車に話をしてました。

ウインドウを開けて聞き耳を立てると、この先のナントカバス停で正面衝突が発生したらしいことが分かりました。

その後、パトカーが何台か行ったり戻ったりする中、

17:10 前が大きく潰れた車がレッカー車で相次いで運ばれていきました。

17: 35 対向車が続々とやって来た

17:37 車列が動き始めました。程なくクラッシュ現場通過。まだ何台ものパトカーがいました。

結局1時間のロス。

撮影に影響のないロスだったのが幸いでした。

しかしお腹がすいた。。。

延々山道が続き、コンビニとか全然ありません。

本当は和歌山市まで下道で行くつもりだったのですが、事故で時間をロスしてしまい、

睡眠時間が確保できなさそうなので、阪和道を利用する事に。

19:30 ようやく阪和道手前で某店を発見して夕食となったのですが、

麺はドロドロ、米は糊みたい。空腹にもかかわらず、ビックリするほど不味い(XДX)

オイラ、大概のものは美味しく頂くんだけどなあ。。。

食の関西でもこんなことあるのか。。。

南紀田辺ICから阪和道に入りました。

20:15 印南SA着 

20:40 寝る。

今日は走行距離は長いものの、見学ポイントが少ないので、和歌山県を全部終わらせて、奈良県に取り掛かれないものだろうか。

などと考えていたのですが、結局和歌山県の途中で終わってしまいました。

やっぱり紀伊半島はデカいや。。。

おやすみなさい

 

本日の走行距離:471km

(続きます)


とり日記・呑んだ日 [■ブログ]

今年は年末年始が1つの週に収まっていたので、仕事のスケジュールを組むのが非常に楽だったのですが、

慌ただしい正月休みになってしまいました。

29日までビッシリ仕事して、12月30日、31日は実家でひねもす正月の準備。

大晦日の夜9時、どうにかこうにか作業が一段落して、名古屋から帰省した妹と弟と呑みに行ったのでした。

 

DSCN0186.jpg

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飲み屋は暗くて写真がほとんど撮れなかったので、その後寄った某ファミレスにて。

正月三が日もなんだかんだ忙しく、そして4日からもう仕事。 =(⊃゜Д゜)⊃

 

悪性リンパ腫になって入院中のFさんのことですが、経過は非常に順調で、

2月以降通院になるかもしれない。とのことです。

ブログ内でも温かいお言葉を頂き、本当にありがとうございました。

本人に成り代わりまして心より御礼申し上げます。

ということで、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

とり。


舘山寺水上飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年9月 訪問 

無題4.png

静岡県浜松市にあった「舘山寺水上飛行場」。

今回の情報はアギラさんから頂きました。

アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

「航空年鑑昭和10年」の中に、舘山寺飛行場(水上) 靜岡縣濱名郡南庄内村(滑走区域:長二二〇〇米・幅一一〇〇米)

という記述があります。

南庄内村とは、上図の所(青太字)に位置していました。

南庄内村は半島のように突き出していて、上図の通り西側は浜名湖、東側は庄内湖に挟まれています。

西の浜名湖と、東の庄内湖、どちらかの水域が滑走区域として設定されていたはずなのですが、

どちら側にあったのか、残念ながら確認することが出来ません。

滑走路区域として設定されている2,200mx1,100m(上図オレンジの長方形)は、村の東側の水域には収まりきれません。

ということで、滑走区域は上図のように浜名湖側に設定されていたのではないかと思います。

 

D20_0046.jpg

・A地点

この先の辺りに水上機が飛んでいたと思うのですが。。。

 

無題3.png

先程の情報は、「航空年鑑昭和10年」のもので、

「舘山寺飛行場(水上) 靜岡縣濱名郡南庄内村(滑走区域:長二二〇〇米・幅一一〇〇米)

という内容でした。

続けてアギラさんから「航空年鑑昭和13年」の情報を頂きました。

そこでは、「濱名湖水面 長二二〇〇米 幅一一〇〇米 内浦水面 長一二四〇米 幅四〇〇米」と記されています。

昭和10年の情報では滑走区域の位置情報が「南庄内村」とだけ記されていたのですが、

今回は同じ2,200mx1,100mが「浜名湖水面」と示されています。

やっぱり浜名湖側でいいみたいですね。

また、新たに舘山寺飛行場の滑走区域に内浦が加わっており、1,240mx400mとなっています。 

その内浦水面に距離を加えてみたのが上図です。

 

D20_0044.jpg

・A地点

この方向に内浦の水面を東西に一杯使っていたはずです。

「週刊浜松おもしろのおと」というサイト様の「浜松は飛行機と縁が深い」という記事内(下記リンク参照)には、

内浦から水上機で伊勢参りができたこと、

複葉機で二人乗りの機体に参宮、東海空路研究所と書かれていること等記されています。

こんな使い方だったのですね~。

 

無題5.png

実際に内浦から伊勢に行こうとすると、現代ならこうなります。

渥美湾、知多湾、伊勢湾を迂回するルートだと、名古屋も通過することになり、物凄く混みそうです。

内浦から伊勢まで、直線距離だと89kmで、やっぱりグッと近くなるのですが、

伊勢神宮は伊勢湾から7.5km内陸に位置しています。

伊勢湾のどこかに桟橋を設け、そこからは陸路向かったのでしょうか。

それとも水上機であることを生かして、五十鈴川を遡ったのでしょうか。

 

舘山寺水上飛行場跡地 map   


      静岡県・舘山寺水上飛行場跡地     

舘山寺水上飛行場 データ

設置管理者:東海空路研究所?
空港種別:水上飛行場
所在地:静岡県浜松市西区浜名湖水域、同内浦水域
座 標:N34°45′23″E137°35′53″ N34°45′58″E137°37′16″
着陸帯:浜名湖 2,200m×1,100m、内浦:1,240m×400m
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1932年 当時伊勢まで5円
1935年 当時南庄内村滑走区域:2,200mx1,100m
1938年 当時浜名湖滑走区域:2,200mx1,100m、内浦滑走区域:1,240mx400m

関連サイト:
週刊浜松おもしろのおと/浜松は飛行機と縁が深い    
国土地理院 1946年7月当時の写真(USA M197-A-3No1 3) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       


天竜分教所跡地 [├国内の空港、飛行場]

無題2.png

静岡県磐田市の「天竜分教所」には2010年11月にお邪魔していたのですが、

2015年7月に清水市の図書館で資料探しをしていて、

偶然「明野陸軍飛行場 天竜分教所 天竜町郷土研究会」という本の29pに滑走路を明示した地図が載せられているのを発見し、

今回改めてお邪魔したのでした。

資料によりますと、滑走路といっても舗装はしておらず、土を転圧して多少高めた程度であったのだそうです。

夜間訓練のために目標灯等が敷設されていました。

薄い線は、第二次買い上げ地です。

今回の内容は全て、「天竜分教場跡地」 に含めてありますので、興味のある方はご覧くださいませ。

 

D20_0036.jpg

・A地点

第一滑走路はここから伸びていたはずです。

 

D20_0039.jpg

・B地点

第二滑走路。

ここは工業団地で滑走路端はどちらも「一面の壁」という絵になってしまうため、途中から撮りました。