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ごあいさつ [■ブログ]

今年もお越しいただきましてありがとうございましたm(_ _)m

毎年恒例の「空港探索」の12/31現在の進捗状況を(今後アップ予定の場所含みます)。

今年新たにお邪魔した飛行場/跡地:35
これまでにお邪魔した飛行場/跡地計:706
飛行場/跡地残り:67
これまでに特定した飛行場/跡地計:773(前年同月比+21)

 

今年は、日帰り茨城群馬千葉にお邪魔した他、

中部、近畿中国地方に車中泊で3回出掛けました。

随分頑張ったつもりなのですが、新たにお邪魔した飛行場/跡地はたった35でした。

感覚としては正直、(アレ? 少ないなあ)という感じなのですが、

飛行場/跡地以外の場所に56お邪魔しました。

この中には、以前アギラさんから教えて頂いた、戦時中学生が滑空訓練をしていた校庭、練兵場跡がたくさん含まれています。

実はつい最近戦時中のドエライ資料を見つけたため、今後は再訪の機会が増えるかもしれません。

お邪魔した飛行場/跡地の合計がついに700を超え、特定した箇所が800に近付きつつあります。

800を超えることはあるんでしょうか。

 

それから今年も2月いっぱいまでコメント、nice! を閉じます。

そんな感じですが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

とり。


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続・根岸氏と水産試験場のこと [├雑談]

少し前に「根岸氏と水産試験場のこと」という長々とした記事を書きました  

繰り返しになりますが、静岡県立水産試験場は根岸氏の魚探飛行を頑として認めようとせず、

実際に飛行が始まってからも執拗に妨害を繰り返したと根岸氏の手記に出てきます。

ところが後年水産試験場は広報誌「碧水」で数回この魚探飛行について取り上げた際、

根岸氏を極力表に出さず、手柄だけ横取りするような書き方をしました。

オイラはこの「碧水」の取り上げ方に疑問を感じたのでした。

そしてもう一つ、拙記事に長々と書き連ねて疑問を呈したのは、

魚探を実施した場所と期間について、根岸氏の手記と「碧水」の内容が食い違っているように見える。ということでした。

 

「碧水」の中では、魚探飛行の期間と場所について、

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年と4年の半ばまでは、八丈島の飛行場を基地としていましたが、 昭和4年以降、三保を基地に調査が行われました」。

と記しています。

一方、根岸氏は自身の手記の中で、魚群探査を行った期間と場所について端的にこう記しています。

「2年、3年、4年と駿河湾はもちろん、八丈島を基地として伊豆七島の漁場で」

 

一見同じことを言っているように思えるのですが、いろいろ調べてみると、「碧水」の書き方は不自然に見えます。

例えば、根岸氏は「魚探のために」と三保に「根岸飛行場」を建設し、5年の粘り強い交渉期間を経て、

やっと魚探事業開始の運びとなりました。

ところが仮に「碧水」の通りだとすると、根岸氏は昭和3年の実用飛行開始の際、なぜか根岸飛行場ではなく、

八丈島の既存の飛行場を基地にして、魚探事業を始めるのです。

昭和4年いっぱいで根岸氏はこの魚探事業の主体から外され、その後は東京航空輸送社と水上機による事業となります。

漁期、残された活動記録からすると、根岸氏が「根岸飛行場」で魚探事業を実施したのは、

最大でも昭和4年7月途中~10月までのたった数ヶ月だけということになってしまいます。

長くなるので中身は割愛しますが、運用機、魚群探査の実態、それぞれの飛行場の位置関係から考えると、

三保と八丈島は気軽に行き来する距離ではなく、このことからも八丈島を基地にしている間は、

伊豆諸島近海の魚探に専念したと考えられ、根岸氏の手記とは異なる気がします。

 

結局のところ、「根岸氏と水産試験場のこと」でオイラが最も言いたかったことを一行にまとめると、

「『碧水』に書かれている魚探の場所、時期についての記述は不自然に見える」

ということです。

ただし、オイラの説を証明する明確な証拠はありません。

飽くまでオイラが「碧水」と根岸氏の手記をいろいろ見比べてみて、

「根岸飛行場」をたった数ヶ月しか使用しないとする「碧水」は不自然に「感じる」ということです。

 

で、ここからが本題なのですが、タカアシガニ1号さんという方から、「平木国男(1983)空駆けた人たち-静岡民間航空史」

という参考文献を挙げていただきまして、ポチッてみました。

この本に問題部分に関する非常に興味深い情報がありましたので、その点を記してみます。

先ず、「空駆けた人たち」の著者の平木国男氏について、かの木村秀政氏のオビ文で次のように紹介しています。

「著者は…航空大学校で民間航空史を講義している人だけに、正確無比といっていい内容を興味深く読ませてあきさせない」

同書文末の資料・写真・談話提供者には、根岸氏ご本人の名前が挙げられており、

「主な参考文献」には、「根岸錦蔵『錦蔵・思い出の空』(日本婦人航空協会の機関誌に連載中)が挙げられていました。

また発行者の石川浅雄氏については、NHK「静岡の昭和史・航空編」に根岸氏と共に出演、

静岡県民間航空研究家として紹介されたという人物です。

憶測のみで仮説を立てるオイラのヘッポコ記事など比較にならない信憑性がある本ですね。

 

この「空駆けた人たち」の中では、根岸氏の魚探への取り組みについて非常に詳しく記されており、

今まで不明だった時期についても様々情報が記されていました。

一例として、魚探事業の許可が下りた時期。

これまでは、単に「昭和2年」に許可が下り、この年は試験飛行を実施した。としか分からなかったので、

試験飛行に丸々1年も使ったのかしらん。と考えていました。

「空駆けた人たち」によれば、航空局、農林省、静岡県から魚探飛行の予算が計上された際のことをこう書いています。

「いよいよ魚群探査飛行開始のメドがついたのだ。昭和二年十月であった。もっとも試験飛行もあり、実際に開始されたのは翌三年六月からで(以下省略)」

と記されています。

昭和2年もかなり後になって動けるようになったのですね。

明けて昭和3年。「碧水」によれば、根岸氏はこの年から八丈島を基地にしたと繰り返し記述しているのですが、

「空駆けた人たち」には昭和3年の根岸氏の活動の様子について、一部要約ですがこう記しています。

 

「魚探飛行の効果で俄然漁獲高が上がり、三保飛行場のところは急に海が深いので海岸すれすれに大漁旗を掲げた船が

大声に有難度うと言っては魚を岸に投げて行く。私は嬉しかった。

伊豆や焼津へ帰る船もあるだろうが皆が喜んでくれている事がよく分かった。

漁の休みの日に一升持って礼に来る義理堅い漁師もあった。」

 

この短い記述で昭和3年、根岸氏がどこで魚探飛行をしていたかは明白です。

「碧水」によれば八丈島を基地としていたとありますが、

「空駆けた人たち」では、根岸飛行場を基地として駿河湾で魚探飛行を行っています。

因みに「空駆けた人たち」66p~67pの間に写真の頁が挟まれていて、

その中の一枚は魚探に使用した「白龍号」と根岸氏他数人の写真が掲載されており、

「昭和3年6月ごろ、根岸飛行場で」というキャプションがついています。

「碧水第98号」ではこの年八丈島を基地にしたとあり、示されているデータによれば、

この年の魚探飛行の期間は6月~8月までとなっているのですが。。。

 

「空駆けた人たち」90pで、根岸氏は昭和4年5月に八丈島に渡り、この年は八丈島を基地にして魚群探査飛行を続けたとあります。

またこの時の八丈島への飛行について、根岸飛行場から八丈島まで250kmの距離があり、

最大時速190kmの三菱式R1-2だから、無風時で2時間弱の飛行であること、

陸上機による2時間の洋上飛行というものは、

慣れない人にとってはいい気持ちのしない、特殊なものであることにも触れています。

 

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年と4年の半ばまでは、八丈島の飛行場を基地としていましたが、 昭和4年以降、三保を基地に調査が行われました」。

とする「碧水」

「2年に試験飛行、3年から実用飛行に移行し、3年は根岸飛行場で、4年は八丈島の飛行場を基地とした」

とする「空駆けた人たち」

両者は、昭和3年に根岸氏がどこで魚探飛行を行ったかで食い違っています。

根岸氏の手記にある「2年、3年、4年と駿河湾はもちろん、八丈島を基地として伊豆七島の漁場で」

という表現にピッタリフィットするのは、「空駆けた人たち」の方だとオイラは思います。

水産試験場は広報誌で「昭和3年から八丈島を基地とした」と繰り返すことで、

根岸氏と根岸飛行場の活動を闇に葬り去ろうとしているようにオイラは思います。


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Honda Jet デリバリー開始 [├雑談]

12月8日にFAAから型式証明を取得していたHonda Jet が23日にいよいよデリバリーを開始しましたね。

創業者本田宗一郎氏の夢がついに結実しました。

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/


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中部・5 [■旅行記]

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①道の駅新潟ふるさとむら→②新潟市海岸線、新潟市學校町濱滑空場跡地→①新潟南秘匿飛行場跡地→③八色原飛行場跡地

5日目

4:05 起床

4:40 出発

5:20 新潟市海岸線、新潟市學校町濱滑空場跡地

5:40  新潟南秘匿飛行場跡地

これで新潟市の見学は終わり。南魚沼へ。

 

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6:30 途中にあった「たわらや」でから揚げ定食 520円

7:15 給油

 

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7:25 途中の田んぼ

9:10 今回の最後の見学地、八色原飛行場跡地見学終了。

埼玉の自宅に戻るのですが、途中群馬県を通過するためFさんに電話してみたところ、OKとのことだったので、

17号をひたすら走って高崎に向かう事に。

13:00 Fさん宅着

 

DSCN0125.jpg

いきつけの超健康的な食放題へ。

これが当分の食べ納めになろうとは。。。

16:15  Fさん宅発

18:40 給油

18:50 自宅着

ということで、今回の旅行記はおしまいです。

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

総走行距離:1,795km(佐渡島のレンタカー含まず)

(もう続かない)


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佐渡島空港 [├国内の空港、飛行場]

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新日本航空の新潟~佐渡便が2014年3月いっぱいで運休し、佐渡島空港は現在再び定期便の無い状態になってしまっています。

2003年8月にお邪魔していた のですが、12年ぶりに再訪問しました。

 

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前回お邪魔した際、ターミナル内の手作り感溢れる展示物をうっかり撮り損ねていたため、

また見るのを楽しみにしていたのですが、なくなってました。残念。

 

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拡張に向けた動きがあるのですね。

パンフがあればじっくり見てみたかったのですが、空港職員さんに尋ねてみたところ、「そういうものは特にない」とのこと。

その代りにちゃんと立派なサイトがありました  

 

佐渡島へのアクセス

佐渡島へのアクセスは、「新潟~両津航路」(カーフェリー5往復/1日、ジェットフォイル5~7往復/1日)がメインなのですが、

他にも「直江津~小木航路」、「寺泊~赤泊航路」と、全部で3つのルートが佐渡汽船により運航されています。

「直江津~小木航路」はそれまでは1.5往復/1日という変則運航でジリ貧の赤字航路だったのですが、

2015年4月にあのナッチャンReraの妹分の超カッコイイ新造高速カーフェリー「あかね」を導入して2往復/1日になり、

社長曰く、「もっと大きな船にすればよかった」という絶好調航路になりました。

「寺泊~赤泊航路」は3月~11月の9ヶ月運航(2016年からは、4月末~10月初旬までの5ヶ月運航・2往復/1日を計画)

となっています。

 

就航率

ところで海上ルートと言えば、冬季は海が荒れ、欠航が多くなるのがネックとなります。

以前の記事で伊豆諸島航路の就航率を書きました   

三宅島、八丈島といった名の通った島でも冬季の悪い月は70%台後半まで就航率が落ち込んでしまい、

御蔵島に至っては、1月の平均就航率は、なんと32.3%!

沖縄の離島でも事情は似たようなもので、冬季の波浪に加えてこちらは台風が発生すると、

時化がなかなか静まらず、何日も続けて欠航してしまいます。

一方の佐渡航路の場合はというと、H23年~26年の12月~3月平均就航率のデータが新潟県から出ており

それによれば、カーフェリー:97.14% 、ジェットフォイル:88.08% となっていました。

最も厳しい時期でもこんな高い就航率を誇っているのです。

本土まで直線距離でたったの32km、3つのルート合計で1日最大16往復の航路があり、アクセス抜群の"離島"。

冬季でもカーフェリーとジェットフォイルでそれぞれ、100%、90%近い就航率が維持できるというのは、

「年間通じていつでも渡れる」と言っても過言ではないのではないでしょうか。

余談ですが、以前佐渡にカーフェリーで渡った際、JKが(学校の)制服で船内の売店で働いてました。

確実に日帰り可能だからこそのバイト光景です。

 

日本でもっとも大きな離島

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一口に「離島」と言ってもその定義は様々で、国交省では、北海道、本州、四国、九州、沖縄本島以外は全て「離島」なんだとか。

なので、佐渡島を「離島」と称すること自体間違いではないのですが、実は佐渡島、東京23区の1.38倍の面積があります。

意外と大きいんですね。

一方、辞書、百科事典で「離島」とは、「本土から遠く離れ、隔絶した離れ小島」的なものを指します。

一般に「離島」といえば後者のイメージではないでしょうか。

・本土のすぐ側にあり、アクセス抜群の巨大な島
・本土から数百キロ離れていて、船だと半日、丸1日要するような、文字通り隔絶した小島

この二者を同列に並べ、

「日本で最も大きな離島なのに、他の島と比べて滑走路が非常に短過ぎる→だからもっと大型化すべし」

という論じ方は、オイラにはちょっと違和感あります。

 

佐渡空港~新潟空港定期便時代の頃

佐渡空港に定期便があった平成23年度の数字ですが、

新潟空港と佐渡空港は1日4往復(冬季3往復):25分 で結ばれており、 

料金は6,500円。搭乗率は、41.7%(採算ライン50%)  でした。

 

これを海上ルートと比較してみると-

新潟と佐渡を結ぶ佐渡航路のターミナルは、新潟駅から直線距離で2kmという立地で、前述の通り、

カーフェリー5往復/1日:2時間30分、 2,170円 
ジェットフォイル5~7往復/1日:65分、6,390円

と頻度も高いです(2015年12月現在)。

一方、新潟空港はというと、新潟駅から6.3km離れています。

「中心部から6.3km」というのは、他空港と比較すれば十分近い空港なのですが、これも比較対象との相対関係で、

僅か2kmというライバルと比較して新潟中心部から離れた空港から日に数便程度では、ちょっと厳しいです。

ジェットフェリーと比較して、ヒコーキの所要時間は40分早いのですが、空港は中心部から離れた場所にあるため、

この速さのメリットが十分活かされません。

そして航空路は昭和34年の富士航空以来、開設と廃止を七度繰り返してきました。

 

羽田便

佐渡島~新潟の航空路がなかなか定着しないのは、船と比較しての利便性の悪さから利用客が低迷するのが原因と思うのですが、

空港を大型化して大型機が飛べば、新潟空港を飛び越えて一気に大都市空港から大型需要が見込めるかもしれません。

佐渡島~羽田まで飛べるだけのアシのある小型機は国内にたくさん飛び回っていますので、

まずはそれで試してみてはどうだろう。と思うのですが、現在羽田は発着枠がまったく足りていないため、

座席数60席以下の小型機の乗り入れは早朝深夜時間帯を除き許可しない政策なんですよね。

国は、新興航空会社には優先的に発着枠を割り当てる方針であり、

新潟県、佐渡市が航空会社を立ち上げるという構想もあるそうなので、

もし本当に実現すれば最低限の発着枠は得られ可能性が高いと思います。

が、羽田は小型機乗り入れ不可→大型機で乗り入れなければならない→大型機乗り入れ可能な空港を造らねばならない!

こういう、「まず大型空港ありき」の考え方では、需要予測が大甘になり、

イザ蓋を開けてみたら…というのはこれまで散々繰り返してきたことです。 

 

調布飛行場~佐渡空港の路線開設をするというのはどうでしょうか。

調布飛行場から伊豆諸島に定期便を飛ばしている新中央航空の運用機は、ドルニエ228-212NG。

乗客19人乗りで、航続距離は2,485km、巡航速度355km/h。

佐渡空港の滑走路は890mに対し、調布飛行場の滑走路はそれよりも短い800m。

佐渡空港~羽田空港の直線距離は303kmなので、航続距離的には余裕です。

機材も空港規模もそのままで、今すぐにでも実現可能です。

佐渡汽船全航路合計の数字ですが、2014年には158万人の利用がありました。

このうち、4割弱の60万人は観光客。

実際、佐渡島のレンタカー利用客は関東からの観光客がとても多いのだそうで、

そういう関東からの利用客は航空路が出来れば、調布からヒコーキで一気に佐渡島まで行くようになるのかもしれません。

観光客がメインとすれば、着陸料の安いセカンダリー空港からのLCC的運用で充分なんじゃないでしょうか。

どうしても羽田便を開設したいにしても、先ずは調布からドルニエを飛ばしてみて、

本当に通年需要があるのか確かめてみるというのはどうかと思うのですが。

調布が日本海と太平洋の架け橋飛行場になったらステキやん。

セントレアや伊丹なら需要あるのかしらん。

 

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加茂湖水上機基地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年7月 訪問 

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A:加茂湖水上機基地 B:原黒畑飛行場 C:38-00 138-19 D:38-00 138-20 E:河原田

 

アジ歴の中に米軍作成の佐渡島飛行場について記した資料があります(下記リンク参照)。

この情報は再生おじさんから頂きましたm(_ _)m

資料の中の佐渡島に関係する部分を全文打ち出してみました。

 

2. Sado Island civil airport(about 38-00N 138-20E). Emergency landing.(ONI 49)

SWPA places this at 38-00N 138-19E,states that Naval air base with drome and seaplane station is located here.

Naval air station at Kawaharada(38-00 138-20)-OAF,issued by SWPA

 

訳すと多分こんな感じ。

2.佐渡島民間飛行場(38-00N 138-20Eの辺・上図D地点り)。緊急着陸場。

SWPA(注1)は、38-00N 138-19E(上図C地点) に、ある程度の規模の飛行場と水上機基地を備えた海軍航空基地があると見なしていると述べた。

SWPA発:河原田(注2)(38-00 138-20・上図D地点)に海軍の小規模飛行場がある

(注1) SWPAとは、連合国南西太平洋地域(軍)(Southwest Pacific Area)のことで、フィリピン、ニューギニア、オーストラリア等、南西太平洋が管轄なのですが、その任務内容には、「日本軍等の文書の翻訳と日本人捕虜・民間人被抑留者の取調報告を編集した資料の配付」が含まれていました。
(注2)
Kawaharadaが佐渡市河原田のことだとすると、1948年の航空写真(下記リンク参照)には、当地に桟橋が映っており、現在もこの場所には桟橋があります。

米軍は上図D地点の辺りに民間飛行場、緊急着陸場があると見なしていたことになります。

また、三番目の文では、同じくこの場所に海軍の小規模飛行場があるとしています。

また、米軍は上図C地点の辺りにある程度の規模の飛行場と水上機基地を備えた海軍航空基地があると見なしていたことになります。

 

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・E地点にある橋脚

サビサビで年季入ってますね。

SWPAは、上図C地点に「ある程度の規模の飛行場と水上機基地を備えた海軍航空基地があると見なしている」

とのことなのですが、ここには少なくとも1948年には桟橋があったのですが、それ以前の写真を閲覧することが出来ないため、

戦中にもここに桟橋があったかどうかは不明です。

米軍はこれを水上機基地と思ったのかしらん。

 

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・A地点 加茂湖。

両津市史417pは、昭和20年前半の市の様子について記しているのですが、

この中で、「鷺崎(佐渡島北端)には航空監視所があって海軍が駐留、日夜敵機の来襲を監視」とあります。

また、「加茂湖は水上飛行機の基地となり」とあり、短い一文ながら、加茂湖に水上機の基地があったことが分かります。

加茂湖は全長4.6kmもある大きな湖で、考えてみれば波も塩害も(それほど)ありません。

わざわざ海岸に水上機基地を造らずとも、こうしてここに大きな湖があるのですから、

ここに水上機の基地を造るのは自然なのではないかと思われます。

 

「続市誌余話」223p以降には、加茂湖についてヒコーキにまつわるもう一つのエピソードが紹介されています。

昭和九年七月十五日、午後十時四十分頃、横須賀海軍航空隊所属のヨ-五三号機は新潟県下の防空演習に参加中、

加茂湖への着水に失敗、死者、重軽傷者を出してしまいました。

新聞は事故原因を、気圧の関係から高度計に百メートルの誤差を生じたためとしているのですが、

当日は防空演習ということで燈下管制が敷かれていたため、闇夜の着水と思われるのだそうです。

転覆地点は秋津寄りの所とされており、地元青年団が救出活動に当たり、その後機体は両津の町裏の湖岸寄りに移され、

起重機を備えた作業船で吊り上げ作業が行われました。

作業が行われたのは、現在のホテル東宝前方の湖岸寄りと思われるのだそうです。

 

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加茂湖、ホテル東宝前。

搭乗員6名のうち、1人が死亡、重傷3名、軽傷2名という大惨事となってしまいました。

事故から三か月後、海軍航空隊司令官が海路両津港にやってきて、遭難時の支援に対し、関係当局に謝意を伝えたのだそうです。

妙見山の頂には、この事故の時の受難碑があります。

平成に入ってからのこと、当事故での唯一の死者となってしまった方の娘(当時2歳)が訪ねて来られたのだそうです。

オイラが佐渡島にお邪魔して調べた市史は、当時の両津市のみで、残念ながらC~E に戦時中何かあったのかについて、

地元郷土史で確認できておりません。

加茂湖のどこに基地があったのか、米軍の示した場所に飛行場は本当にあったのか、情報お待ちしておりますm(_ _)m

 

加茂湖 map   


      新潟県・加茂湖水上機基地     

加茂湖水上機基地 データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:水上機飛行場
所在地:新潟県佐渡市
座 標:N38°03′54″E138°26′03″
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
アジ歴(51コマ)  
国土地理院 1948年8月当時の写真(USAwide R370 90) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
両津市史
続市誌余話


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原黒畑の飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年7月 訪問 

無題.png

佐渡島にあった「原黒畑の飛行場」。

実はこの飛行場については、現在閲覧できる最古の航空写真(1952年・下記リンク参照)で見ても、

怪しい箇所はあるのですが滑走路位置がハッキリ特定できておりません。

PUTINさん、再生おじさんから当飛行場に関して情報を頂きましたm(_ _)m

工藤洋三『米軍の偵察写真と日本空襲』(私家版、2011年)の150~151ページに

米軍が1945年8月5日付で作成した「飛行場報告第144号」に登場する秘匿飛行場の一部が写真付きで記載されていて、

「佐渡・原黒畑の飛行場 佐渡島の加茂湖と両津湾に挟まれた場所にあった.米軍は佐渡島(Sadoshima Airfield)と呼んだ.」

また、アジ歴で閲覧できる飛行場情報(下記リンク参照)として、

滑走路の長さ:640mx76m  滑走路方向:北北西/南南東

とのことです。

 

更に現地図書館の郷土史の中では、昭和20年7月に突如飛行場にすると指定を受けた事、突貫工事が始められ、

陸軍機が離着陸を始めたことが記されていました。

両津市史417pには、「原黒の台地では飛行場の建設工事が進められ」

という短い一文があるのですが、実際に現地に行ってみると、確かにここは「台地」でした。

原黒畑は、標高僅か数メートルから一気に標高10m以上になる台地部分にあります。

一見広々としているのですが、台地の勾配のことを考慮し、前述の滑走路の長さ、方向の当てはまる場所を探そうとすると、

その位置はおのずと絞られます。

上図はオイラが最も「ここかなあ」と思う場所に640mx76mの滑走路を置いてみました。

いろいろ条件を加味すると、「ここに押し込めた」。という感じです。

実はこの飛行場に関しては、正式名称も不明です。

次の記事で書きますが、佐渡島には海軍の水上機基地がありました。

島だから当陸上飛行場も海軍のものかと思いきや、前出の両津市史の417pには、

「両津の町には陸軍の舟艇部隊である暁部隊」が駐留していたと記されていました。

佐渡島に陸軍もいたのですね。

郷土史では当飛行場で「陸軍機が離着陸を始めた」とありますし、ここは陸軍の飛行場なのではないかと思います。

 

D20_0047.jpg

・A地点

この辺りから奥に向かって飛行場だったと思うのですが。。。

 

原黒畑の飛行場 map   


      新潟県・原黒畑の飛行場     

原黒畑の飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍?
空港種別:軍用飛行場
所在地:新潟県佐渡市原黒
座 標:N38°04′04″E138°26′35″
標 高:12m
滑走路:640m×76m?
磁方位:15/33
*座標、標高、滑走路長さ、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1945年7月 飛行場指定。突貫工事を実施し、陸軍機飛行
      8月 終戦。土地は元の地主に

関連サイト:
アジ歴(299コマ)    
国土地理院 1952年10月当時の写真(USA M179-2 218) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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新潟県・新潟県立柏崎高等学校 [├場所]

  2015年7月 訪問 

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新潟県柏崎市にある「新潟県立柏崎高等学校」。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

新潟県立柏崎高等学校(当時の新潟縣立柏崎中學校)に滑空部があり、校庭を滑空場として使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

1946年の航空写真(下記リンク参照)で確認すると、校庭の位置は当時と変わらないようです。

 

新潟県立柏崎高等学校 map   


      新潟県・新潟県立柏崎高等学校     

新潟県立柏崎高等学校 データ

所在地:新潟県柏崎市学校町4−1
座 標:N37°22′23″E138°33′24″
標 高:11m
着陸帯:150m×120m?
*座標、標高、着陸帯長さはグーグルアースにて算出

沿革
1945年10月現在 校庭にて滑空訓練実施

関連サイト:
国土地理院 1946年10月当時の写真(USA M283-A-7 198) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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新潟県・高田公園 [├場所]

  2015年7月 訪問 

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新潟県上越市にある高田公園。

ここは元々高田城址(1614年築城-1871年廃城)だったところに旧陸軍第十三師団が入り、

その後同師団が廃止となったことから跡地となりました。

「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、

新潟県立高田高等学校(当時の縣立高田中學校)にグライダー部があり、

市内舊騎兵聯隊跡を滑空場として使用していたとありました。

この情報はアギラさんから頂きました。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m 

具体的に跡地のどの部分を滑空訓練場に使用していたかは不明なのですが、

1946年の航空写真(下記リンク参照)で確認すると、上の写真のトラック部分がまとまった平坦な場所になっていました。

 

高田公園 map   


      新潟県・高田公園     

高田公園 データ

所在地:新潟県上越市本城町
座 標:N37°06′28″E138°15′14″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1945年10月現在 市内舊騎兵聯隊跡にて滑空訓練実施

関連サイト:
国土地理院 1946年10月当時の写真(USA M283-A-7 46) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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中部・4 [■旅行記]

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①道の駅のとじま→②(七尾水上機基地跡地)→③高田公園→④柏崎高校→⑤新潟港→⑥佐渡島→⑤新潟港→⑦道の駅新潟ふるさとむら(車中泊)

 

四日目

3:30 起

3:55 出

本日最初の目的地に近付いたのですが、撮影にはまだ少し暗いので途中でナビに目的地の打ち込み。

これが間違いの元になるのでした。。。

 

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4:40 石川県七尾市

ここに水上機の基地があったのですが、資料をよく確認せず思い込みで明後日方向を撮ってしまったことに

自宅に戻ってから気が付いたのでした

     シクシク
  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 

 

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その後新潟県に向かいました。

 

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6:50 途中のジョイフルで朝食 

朝食をとりながら、パラパラ資料眺め。

この後は新潟市内に向かう予定だったのですが、途中日本海沿いに二ヵ所見学ポイントがあるだけです。

新潟市内まではおおよそ350km位なので、このままのんびり下道を走り、夕方新潟市内に着いて、

明日佐渡島に渡る。というのもアリだったのですが、高速使いまくれば、今日佐渡島行って帰って来れるかも。

と考えました。

早速高速ICへ。

 

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9:30 新潟県 高田公園着

実はここのすぐ近くに行きたい箇所がもう一つあったのですが、全く気が付かず、そのままスルーしてしまいました。

暗い場所でポイントの打ち込みをしたせいで間違えてしまいました(;´Д⊂)

10:30 柏崎高校

途中妹に連絡して、新潟~佐渡島のフェリー、ジェットフォイルの時間を調べてもらいました。

12:50 発の佐渡行きジェットフォイルになんとか間に合いそう。

…と思っていたのですが、新潟市内で思っていた以上に時間がとられ、時間をロス。

それでもなんとか無事に新潟港佐渡汽船乗り場前の駐車場到着。

先ずは窓口で船の座席があるのを確認して、それから佐渡島のレンタカー予約。

ジェットフォイル 6,390円也。

戻りのフェリーのチケットもここで購入。2,380円でした。 

12:35 ジェットフォイル乗船待合所着

12:40 改札開始。本当にギリギリでした。

 

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無事座席についてホッと一安心。

12:50 出港。

 

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13:55 両津港着。

戻りの最終便フェリーは19:30出港なので、佐渡島滞在時間はあと5時間35分。

港前でレンタカーを借りて、まずは図書館へ。 

その後あちこち周りました。

 

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オイラが佐渡島に来た目的は、戦時中の陸上飛行場、水上機基地について図書館で調べ、現地の写真を撮り、

時間があったら佐渡島空港に寄ることでした。

ところが図書館で調べものをしていて、それから空港ターミナル内にお邪魔して、待合室内の展示から、

妙見山の山頂には加茂湖に墜落した飛行艇の殉難碑があったり、

高千小前の海岸にコンベア救助の碑があったりと、これまで知らなかった箇所を新たに発見しました。

残念ながら佐渡島はとても大きくて、どちらも戻りのフェリーまでには周れません。

また来よう。

レンタカーを返却して、港の前で地元のおばあさんに銭湯の場所をお聞きして、近くのホテルで入浴。

 

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18:50 ターミナル内で甘海老かき揚げソバ 600円

19:30 両津港出港


22:00 新潟港入港

下船してターミナルの通路をぞろぞろと歩いていたら、前方になんだか見覚えのある人物が。

よくよく考えたら、佐渡島空港で話を伺った職員さんでした(o ̄∇ ̄o)

22:45 道の駅新潟ふるさと村着

既に真っ暗になってから着いたのですが、非常に広々とした施設でした。

23:05 寝る

おやすみなさい。

(続きます)

 

本日の走行距離:381km(佐渡島でのレンタカー含まず)


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