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takkunさんJR東日本完乗記念特別号 [■ブログ]

オイラの友人のtakkunさんが先日JR東日本全線完乗しました。 \(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
以前Tさんとして「ファーストクラスの世界」 を垣間見せて頂いた方です。 
寄稿していただいたものを以下アップしましたので、興味のある方はご覧くださいませ。
takkunさんおめでとうございました。 <(`・ω・´)
 

 
鉄道線の乗りつぶし
私が日本全国の鉄道線に乗ってやろう、と思ったのは、中学2~3年生頃だと思います。
テツに目ざめ、当時愛読していた「旅と鉄道」という本の企画で、乗りつぶしを特集していて面白そうだったのと、
長い人生コツコツやっていればいずれは出来るかも、という安易な気持ちで始めました。
付録に「JR全線全駅乗りつぶしマップ」がついていたのも、きっかけの一つです。
当時は鉄ヲタへの理解は薄く、家族からも学校でも変人キワモノ扱いでした。
それで、この際だから色々極めて、豊かな人生を送ろう、と人生の方向性がある程度定まったのかもしれません。
(その時極めようと思ったのは、旅行業務取扱主任資格取得と乗りつぶし。何とも偏っています。
↑旅行業務取扱主任資格は20歳の時に一発発起して通信教育で一般旅行業務取扱主任資格を取得しました。
これでただのヲタ、と呼ばれずに済む、と思いましたが、やっぱり扱いはヲタのままでした…
そしてその後極めたものの中に、ゴールドカード取得、大陸横断鉄道乗車、国際線ファーストクラス搭乗、
豪華客船クルージングetc)
JR線乗りつぶしの第一歩は、盛岡へ遊びに行くのに、主流の高速バスではなく、
花輪線で行く、という所から始めました。
父親からは猛反対されましたが、母親が理解を示してくれ、少しずつ、
日帰り圏内での乗りつぶし人生が始まりました。
方法としては、
①どこかへ行くときに、少し時間を掛けて回り道をする手法
②この線を乗りに行く、とターゲットを定め、主に青春18きっぷを活用して乗りつぶす手法
③この地方を乗りつぶす、とターゲットを定め、乗り降り自由のフリー切符を活用して乗りつぶす手法
④大都市近郊区間の大回り乗車で乗りつぶす手法
大きく分けてこの4つの手法をとってきました

①例えば、東京から仙台へ行くときに東北新幹線で往復するのではなく、
  東京⇔大宮
  大宮→大宮
  経路:大宮→上越新幹線→(新潟)→白新線・羽越本線→(坂町)→米坂線→(米沢)
  →奥羽本線→(山形)→仙山線→(仙台)→東北新幹線→大宮
  という乗車券を買い、大回りして乗りつぶす方法です。
  18きっぷのない時期にこの方法で旅行しました。
②例として直近の乗りつぶしのスケジュールを記します。
8月某日 東海道線新垂井経由と舞鶴線、小浜線巡り
静岡県内某駅始発→551静岡553→703浜松706→743豊橋750→(新快速)
→918大垣920→(しらさぎ3号・新垂井回り)→948米原950→1043京都(朝食兼昼食)1107
→(快速)→1143園部1146→1250綾部1305→(快速)→1333東舞鶴1336
→1531敦賀(おやつタイム)1604→1654長浜1657→(新快速)→1710米原1730
→1803大垣1812→(新快速)→1947豊橋1951→2025浜松(夕食)2119→
(ホームライナー静岡8号)→2219静岡2242→静岡県内某駅 乗車距離約900キロ
ポイント①いかに18きっぷ日帰りで舞鶴線、小浜線を乗るか
     ②新垂井回りのしらさぎを、安上がりに収まる大垣~米原間に抑えるか
     ③いかに行程を楽にするか(浜松706→743豊橋は特急型車両の373系が充当。
同じく浜松2119→(ホームライナー静岡8号)→2219静岡も特急型車両の373系が充当
されているのでうまく活用してロングシート長時間乗車のダメージを出来るだけ軽減する)
8月10日 東京上野ラインと伊東線巡り
静岡県内某駅→719小田原741→(おはようライナー新宿26号)→902新宿907
→(快速)→1023小山1037→1221勝田1250→1343土浦1400→(特別快速)
→1513品川1622→(快速伊東按針祭花火大会号)→1817伊東1844→1908熱海1911
→静岡県内某駅
ポイント:普通列車用グリーン券をいかに効果的に使うか
       静岡県内某駅→小山間をグリーン車で移動。おはようライナー新宿26号はスーパービュー
       踊り子の送り込み回送も兼ねているので、逆展望グリーン車を満喫。
       土浦→品川間もグリーン車移動。品川→伊東間のグリーン車移動も可能だったが、
       ここは臨時列車を選択。

③かつてあった北海道フリーきっぷ(グリーン車用)を使って、
1週間、グリーン車と寝台車をフル活用して北海道の大部分を乗りつぶしました。
JR東日本にかつてあったお年玉フリーきっぷで、長野、新潟方面を日帰りで乗りつぶしました。
また、昨年秋、バースデイきっぷを使って、四国を3日間、グリーン車を乗りまくり、
JR四国全線と土佐くろしお鉄道全線を完乗しました。
④例えば、大阪大都市近郊区間であれば
新大阪→山科→近江塩津→米原→草津→柘植→木津→奈良→桜井→高田
和歌山→天王寺→大阪
と、途中下車しなければ¥160で乗りつぶせます。翌日は
新大阪→大阪→尼崎→谷川→加古川→西宮
西宮→(JR東西線)→京橋→天王寺→放出→京都→新大阪
など、何度か細切れにして乗りつぶしていきます。
大阪、東京、福岡の近郊区間はこの方法で乗りつぶしています。
大まかなルールも自分で決めています
①出来る限り、日中の景色を見れる時間に乗るが、暗くなってから乗っても乗りつぶしと認める
②バス代行は乗りつぶしとは認めない。鉄道線に乗る
③短絡線、貨物線など、定期旅客列車が通らない区間は除外。しかし山手貨物線や東海道貨物線など、
 定期旅客列車が走る区間は、乗る
④まず、JR線を優先して乗りつぶす。可能な限り私鉄線も乗るが、努力義務に留める

こんな具合にコツコツと乗りつぶしを楽しんで約20年、これまで、JR北海道、東日本、
四国の全線を乗りつぶす事が出来ました。
最近の事として、JR東日本を先日、8/10に伊東線で完乗することが出来、
大きな節目を迎える事が出来ました。
ちょうど伊東が花火大会の日で、新婚旅行で乗った飛鳥Ⅱが伊東沖に錨泊しており、
自分のJR東日本全線完乗を祝福してくれたかのような勝手な自己満足に浸ることが出来ました。
これで今後の私の主戦場は、主に中国地方と九州地方になります。
これまで以上に持久戦、時間と費用をいかに捻出するかの戦いになりますが、
幸いなことに妻の理解と温かな放置プレイもあり、引き続きじっくり楽しみたいと思っています。
ただ、今まで乗りつぶしてきた路線の魅力も多々あり、
引き続き未知の路線との出会いを楽しみたい反面、
この時期はこの路線がいいんだよなあ、という再訪の楽しみもあり、
捻出した時間と費用をどこに振り向けるか、という事にもなってきています。
これまで印象的だった路線は
札沼線 浦臼→新十津川間(1日3本しか列車がなく、
乗客もまばら。車窓より鉄道線としての経営が成り立つのか気になりました)
今はなき岩泉線 営業当時から、JR東日本で唯一東京から日帰りできない路線でした。
友人と夜中に高速を飛ばして途中で降ろしてもらい、
自分だけ岩泉線を乗ってから龍泉洞に行きました。 
車なしでは乗りつぶしが難しいという、何とも矛盾した乗り鉄でした。
あとは個人的に海の見える電化路線(テンポよく快適に走ってくれるので)が好きなので、
羽越本線・信越線柏崎~北陸線泊付近・東海道線小田原~熱海間、でしょうか? 

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高崎飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

   2015年5月 訪問 

2015/9/12追記:旅する野良猫さんから情報頂き、記事を大幅に追加しました。旅する野良猫さんありがとうございましたm(_ _)m

2017/1/29追記:旅する野良猫さんから情報頂きました。昭和9年辺りの高崎市の絵図によれば、飛行場は乗付練兵場の南側に位置し、片岡小学校より北側で利根川の堤防の西側とのことです。旅する野良猫さんありがとうございましたm(_ _)m

無題2.png

群馬県高崎市。烏川右岸にあった「高崎飛行場」。

以前記事にした高崎ヘリポート のすぐ南側ですね。

後述しますが、上図のオレンジで囲った部分が「乗附練兵場」で、この一部を借り受けて飛行場としました。

「新編高崎市史 資料編10」の添付資料?の1,2pに「飛行場のあるまち高崎」という記事がありましたので、

以下抜粋して引用させて頂きます。

 

1932年、高崎商工会議所議員総会にて、「高崎に飛行場を設置し、定期航空路も開設したい」という要望が可決されました。

日本海と太平洋の中間に位置する高崎は、人・物・情報・文化の結節点にあり、その役割は大きい。

旅客郵便貨物の輸送に飛行機が利用され、まさに航空時代となる時勢を予測し、

交通の要衝にある高崎がさらに時代に飛躍するために、との想いからの要望でした。

要望可決を受け、直ちに調査研究が始められたのでした。

軍部に対しては飛行機の払い下げ交渉が重ねられると共に、

国防並びに産業上の見地から、飛行場の設置、パイロットの養成などを図るために「航空普及会」を組織し、

広く市民有志に賛同と協力を求めていくことになりました。

 

翌1933年4月、飛行場設置調査委員会が組織されました。

商工会議所の議員山田徳蔵氏が委員長に選ばれ、具体的な調査研究が進められました。

他方、航空思想の啓蒙活動を推進するため、高崎航空普及会の設置が具体化され、

発会式は高崎商工会議所で行われ、会長に土谷全次高崎市長が選出されました。

乗附町にあった練兵場の一部を飛行場として借り受けることができ、造成を行い、格納庫も建設されました。

その年の11月14日、高崎航空普及会専属の上田善吉飛行士の操縦するヒコーキは、

山田副会長同乗で、立川飛行場を午前7時45分に離陸。

同8時30分、高崎飛行場上空に飛来し、高崎市内上空を数回旋回し、空中から5万枚のビラを撒きました。

新編高崎市史 資料編10 337pには、高崎号初飛行の際の挨拶の記録があるのですが、

その中に非常に気になる一文があります。

「今後本会として其目標たる飛行場設置、飛行士養成に向かって関係者一同粉骨努力する覚悟であります」

飛行士の養成は分かるのですが、飛行場の設置という目標に向けて頑張る。と述べています。

ここにちゃんと飛行場あるじゃん。と思ったのですが、高崎飛行場は飽くまで軍用地の一部借り受け。間借り状態です。

日本海と太平洋の中間に位置するここ高崎を、人、物、あらゆる流れの要衝とすべく、定期航空路開設が目標ですから、

ちゃんとした自前の立派な飛行場を別に造るつもりだったのかもしれません。

現状を見れば結果は明らかなのですが、初飛行の際ぶち上げたこの壮大なプランはその後どんな曲折を辿ったのでしょうか。

「高崎空港」なんてあったら、どうなってたんでしょう。

 

18日には、浜松飛行場からもう1機が飛来。

19、20日は高崎名物の恵比寿講市で賑わい、終日祝賀宣伝飛行が行われました。

第一高崎号(サルムソン式二A型)、第二高崎号(三菱式二二型)の命名式は数千人の観衆で賑わいました。

高崎商工会議所会頭は、祝辞の中で、

「地方市街地にして飛行場を有し、飛行機を所有し、以て航空会に貢献せるもの全国にその類を聞かず…

将来本市が航空都市として産業交通上、将来国防上枢要なる地位を占める」と挨拶しました。

また「高崎商工会議所月報」の年頭の辞で「明日の交通機関の主力たるべき航空事業の芽生え等、

新時代産業の寵児とも案じせらるる事業がいずれも本市において起業計画せられたことは真に欣快に堪えない」

と、飛行場設置の意義を述べています。

1935年、群馬県下は大水害により甚大な被害を被ったのですが、この大水害に際して、高崎航空普及会は、

いち早く高崎号を出動させ、利根川、烏川、碓氷川、吾妻川流域の被害状況を調査すると共に救援活動に当たらせました。

また、商都高崎らしく航空思想の普及を掲げながら、観光遊覧飛行も計画し、

市民を誘って楽しんでもらうという強かさも持っていました。

 

ネットで検索すると、「乗附町にあった練兵場が飛行場になった」。という点は出てくるのですが、

乗附練兵場の正確な場所についてはヒットしません。

高崎ヘリポートから烏川を渡ってすぐ東側にある高崎中央図書館に、

「昭和6年(1931年)高崎市全図」という地図があり、そこに「練兵場」の敷地が描かれていました。

上の図はその練兵場の敷地を囲んだものです。

練兵場敷地は全面草地の表示でした。

当飛行場は、烏川を渡って東側わずか1.5km先に高崎駅があるという非常に便利な立地で、

現在河川敷の外側はぎっしりと住宅地が広がっています。

ところがここが飛行場になった当時、練兵場敷地東側には烏川が迫っていて、

それ以外の三方は広く田、草地に囲まれるという、今では考えられないほど長閑な場所でした。

 

これはアギラさん情報ですが、1940年時点で、「群馬縣立高崎中學校」が当飛行場を滑空場として使用していた。

という記録があります。

当時の中学の滑空機訓練は、「戦時下における航空要員大量養成」という時局に適った運用ですから、

終戦近くまで飛行場/滑空場として使用していたのではないかと思うのですが、

当飛行場がどの程度、そしていつ頃まで使用されていたのか等、これ以上の詳しいことは不明です。

 

また、こうした一連の商工会議所の飛行場化計画よりずっと前のことですが、

大正3年(1914年)3月3日付の上毛新聞には、「乗附練兵場に初めて所沢飛行隊の2機が来高」という記事が載っていたことが、

新編高崎市史の年表に出てきます(実際に飛来したのは記事になる前日の3月2日)。

代々木練兵場での国内初飛行が1910年、国内初の所沢飛行場開設が1911年。

当練兵場は随分古くからヒコーキとの係わりがあったのですね。

 

こうして、民間主体であるにもかかわらず驚くほどの早さで開設され、ヒコーキも入手して運用された「高崎飛行場」。

いくつかのサイトでは、これを「群馬県人気質」と結びつけて考察していました。

群馬県民の気質。オイラは知らなかったので調べてみたところ、

「熱しやすく冷めやすい、義理人情に富む。気性が荒い。陽気で裏表がない」

など挙げられていました。

無から飛行場を作り、ヒコーキを入手し、運営する。

場面場面でどの気質も必要になりそうです。

 

D20_0005.jpg

・A地点

ここにずっと草地が広がっていて(今もあまり変わらないけど)、ヒコーキが飛んでいた時代があったのですね。

 

余談ですが、上の地図で烏川のすぐ東側にお堀で囲った地割があります。

ここには元々高崎城(1597年築城、1871年廃城)があり、その後、歩兵第十五連隊兵営として使用(1884~1945年)され、

現在は図書館等公共施設が並んでいます。

「新編高崎市史 通史編4」120pには、 第十五連隊と乗附練兵場について記されていました。

一五連隊は片岡村乗附に射爆場を持っていたのですが、1908年(明治41年)、公園に接する作業地と交換に市から

乗附に練兵場用地を取得、射爆場と一体化しました。

さらに1910年、片岡村農民から練兵場用地約12haを買収し、広闊な乗附練兵場を完成させました。

しかし、乗附射爆場は付近農家に危険が及ぶ恐れがあり、1916年、同村城山付近に約9haの土地を得て、城山射爆場としました。

更に1910年、箕輪村が地主より買収した土地を寄付する形で、20haの一五連隊分営地となり、

後に皇室御料地を合わせて1,320haの相馬ヶ原演習地となり、

一五連隊以下十四師団や近衛師団等の砲兵実弾射撃の大演習場となりました。

 

とあります。

乗附練兵場に絞って見ると、元々乗附には十五連隊の射爆場があり、

そこに市の土地、農民の土地を次々取得して大きな練兵場、射爆場としたのですが、

周辺農民への危険を理由に、他所を使うようになっていった。ということのようですね。

烏川を挟んで本拠地の目の前ですからロケーションとしては申し分なかったのでしょうが…

そんな訳で、広大な土地は確保したけれど、(射爆場としては)危なくて使えない。ということで、飛行場用地として貸し出した。

ということなのだと思います。

 

その後終戦を迎え、乗附練兵場も軍施設として接収を受けますが、後に返還され、農耕地として利用することになります。

ここで問題が生じました。

上述の通り、乗附練兵場敷地のうち、12haは片岡村農民から買収したものです。

しかもこの買収は、強制買上でした。

土地の開墾、耕作権を巡り、復員軍人側と、 無理やり土地を奪われた旧地主との間で紛争が起こりました。

結局これは裁判沙汰にまでなってしまい、1947年11月12日、県係官立会いの下、県の提示した案を了解し決着を見る事になります。

こうして乗附練兵場に誕生した高崎飛行場は、接収後農地となり幕を閉じたのでした。

 

上毛新聞2015年9月10日付「三山春秋」に当飛行場のことが載りました(旅する野良猫さんに教えてもらった)。

以下、既出と重ならない部分を抜粋させて頂きました。

▼今夏、居住地の高崎市から渋川市の実家に帰省し、同飛行場をめぐって85歳の父と初めて話した。父は44年8月に旧群馬郡内で選抜された13、14歳の子どもたち約40人と同飛行場でグライダー訓練に参加させられていた。白郷井村(現渋川市子持地区)の親元を離れ、飛行場に比較的近い小学校に寝泊まりしながら1カ月にわたって訓練を重ねたという▼戦時下のパイロット養成教育の一環だったのだろうが、厳しい教官と粗末な食事にげっそり痩せたといい「あんな経験はもうしたくないし、若い世代にも絶対させたくない」と唇をかみしめた▼戦時中のことをこれまであまり語ってこなかった父。戦後70年の節目の年に不戦の誓いを新たにする一日となった。 

 

高崎飛行場跡地 map   


      群馬県・高崎飛行場跡地     

高崎飛行場 データ
設置管理者:高崎航空普及会?
空港種別:陸上飛行場
所在地:群馬県高崎市片岡町
座 標:N36°19′14″E138°59′47″
標 高:87m
着陸帯:730m×270m(最大)
磁方位:14/32
*座標、磁方位、標高、着陸帯長さはグーグルアースにて算出

沿革
1914年 3月3日 乗附練兵場に所沢より初飛来機
1932年 高崎商工会議所、「飛行場設置、定期航空路開設」の要望可決
1933年 4月「飛行場設置調査委員会」発会。軍に飛行機払下げ交渉、乗附練兵場を飛行場として借り受け
       11月14日 立川飛行場から複葉機飛来。市上空に5万枚のビラを撒き、高崎飛行場に着陸
       18日 浜松飛行場からも1機飛来。
       27日 「第一高崎号」、「第二高崎号」命名式
1935年 大水害時、調査救難実施
1940年 「群馬縣立高崎中學校」が当飛行場を滑空場として使用していた
1945年 終戦。接収後農地に

関連サイト:
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R256-No1 29) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
上毛新聞2015年9月10日付「三山春秋」
新編高崎市史 通史編4 336p,年表
新編高崎市史 資料編10 337,338p 添付資料?1,2p
新編高崎市史 通史編4 120p


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群馬県・群馬ヘリポート [├場所]

  2015年4月 訪問 

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群馬県前橋市、利根川と端気川の合流地点にある「群馬ヘリポート」。

当ヘリポートは、旅する野良猫さんに教えて頂きお邪魔しました。 旅する野良猫さんありがとうございましたm(_ _)m 

 

充実した公式サイト(下記リンク参照)があり、それによりますと、

「警察活動」、「救難活動」、「消火活動」の他、民間利用も積極的に受け入れているのだそうです。

また設置者である群馬県の関連サイト内(下記リンク参照)でも当ヘリポートが紹介されていて、

群馬県のヘリコプターネットワークの中心で、警察ヘリコプター「あかぎ」・防災ヘリコプター「はるな」の活動拠点としても

大きな役割を果たしているのだそうです。
 

 

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内部はこんな感じ。

 

D20_0006.jpg

正門入って右側にはこんなステキ館が(無料)。

 

D20_0003.jpg

内部にはヘリが1機と、展示資料、濃いィ図書が閲覧できるようになってました。

実はこの時カメラ振りまわすのが憚られる状況で、小心者のオイラには内部の撮影が出来ませんでした。

内部が気になる方は実際にお邪魔すると良いと思います(酷)。

9時~16時30分まで。年中無休、だそうです。

 

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エンジン音がして行ってみると、ちょうどヘリが離陸するところΣ(゚Д゚;)ガーン 

 

D20_0026.jpg

 

D20_0031.jpg

 

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ドクターヘリが駐機していてシーンと長閑な雰囲気だったのですが、エンジンが始動し周囲がにわかに慌ただしくなって参りました。

 

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D20_0061.jpg

上の写真に映っているコ・パイ席の(うつむいている)方は、何か本のようなものを広げて見ているようでした。

地図見てるのかしらん。

 

群馬ヘリポート map   


      群馬県・群馬ヘリポート     

群馬ヘリポート データ

設置者:群馬県
管理者:日本空港コンサルタンツ・大成有楽不動産連合体
種 別:公共用ヘリポート
運用時間:7:00~19:00(日没が19時前のときは日没時刻)
所在地:群馬県前橋市下阿内町377-2
標 点:N36°19′04″E139°06′25″
標 高:74.1m
面 積:4.2ha
滑走路:25m×20m
着陸帯:55m×30m
バース数:7
磁方位:12/30

航空管制周波数
 群馬フライトサービス 130.775MHz

沿革
1988年 8月25日 開設
1999年 ヘリコプター学習館併設
2007年 11月1日 「日本空港コンサルタンツ・大成有楽不動産連合体」が管理運営に当たる

関連サイト:
公式サイト    
群馬県/群馬ヘリポート     
ブログ内関連記事       


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とり日記 [■ブログ]

夏い話二題

 

お得意先に、いつも何か一言ある要注意の五十代男性客がおられます。

連日非常に暑い日の続く最中、そのお客様に「毎日暑いですね~」と言ったら、

オイラのその不用意な一言のせいで、お客様のやる気スイッチが入ってしまい、

「心頭滅却~」から始まって、「この程度で弱音を吐くとは何事か!」といろいろと説教が始まってしまいました\(^o^)/

「熱中症でお年寄りの死者が出たってニュースでやるけど、アレは違う! 単に寿命!」とまでΣ(゚Д゚;)

(そういえば接客の勉強会で、「あまり消極的な事を言わないこと」って習ったな~)

などと考えながら拝聴し、10分程で釈放されたのでした。

「暑が夏いッスね~」とかチャラいノリだったら、「ちょっとソコになおれ!」的なことになってもおかしくない位の勢いでした。

ふう。アブナイところだった(〃´o`)=3

 

それから一ヵ月。

気温はますます上がり夏本番。

埼玉は連日猛暑日が続き、

車についている外気温計は日中40℃近くまで上がり、

朝起きると室温はもう30℃とかだったりします。

そんなステキな陽気の中、再び件のお宅を訪問する日がやって参りました。

(今日は「暑い」の「あ」も言わないように注意しないと) (-"-;)

胸のトキメキ動悸を感じつつ呼び鈴を押したのです。

すると、出てきたお客様から開口一番、思いもよらぬ言葉が飛び出しました。


「いやあ、暑いね~」

 

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

なんでもこのところの暑さですっかり体調を崩してしまい、

眠れず、食欲もなく、本当にツライんだ、暑過ぎるんだと、

窪んだ目をしばたたかせながら盛んに「この暑さのせいで(x20回)」と窮状を訴えておられました。

「毎日暑いですからね~。体調も崩しますよね~」と言うと、

うんうん。そうそう。と。

そして最後に「とりさんも暑いからね、気をつけてね」という、

普段からは思いもよらぬ優しいお言葉を頂き、お宅を後にしたのでした。

 

 


もう一つ。

これも仕事先の話です。

年配のご夫婦のお宅にお邪魔したところ、いつも応対に出てくださるおばあ様は不在で、

「明日ゴルフがあるんで、パットの練習をしてたんだ」と、

裏庭からおじいさんが汗を拭き拭き出てこられたのでした。

聞けば暑気払いに毎年この時期に仲間とゴルフ会があり、年々参加者は減ってきているものの、

今年も三十人以上が集まるのだとか。

参加資格は、「男性は七十代から。女性は六十代から」。それと、「あまり上手でないこと」。

八十代、九十代の方も毎年来られるのだそうです(@Д@)

 

オイラは暑いの大キライで、休みの日は極力自宅に引きこもり、

一日中エアコンつけっぱという体たらくだというのに、

この暑い最中、敢えて屋外でゴルフとは、ただただ驚きだったのですが、

「終わった後に飲む冷えたビールが格別でねえ」と、

まるで目の前にはもうその状況が出現しているかのように、

それはそれは嬉しそうに話しておられました。

「暑気払い」といえば、アイスとビールしか浮かばないオイラなのですが、

こんなに超前向きな「暑気払い」もあるのですね~。

オイラも見習わねば。と背筋の伸びる思いだったのでした。


まだまだ暑い日が続きます。

皆様どうぞ体調お気をつけくださいませ。

とり。


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群馬に行った話 [■旅行記]

2015年4月某日

7:05 自宅出発。まずは「群馬ヘリポート」に向かったのでした。

運転中、なんか助手席に茶色いひも状の物体が視界に入る。

なんとデカいミミズでした。二度見しちゃったよ…。(ノ><)ノヒイィィ

停車して草むらに。

一体ドコから入って来た??(゚Д゚;≡;゚Д゚)

 

9:25 群馬ヘリポート着。

外周からヘリ撮ろうとしたら、額にトリのフンが! (ノ><)ノヒイィィ

ミミズ、トリのフンときて、次は一体どんな動物受難シリーズかとげんなりだったのですが、その後はなんとか大丈夫でした。

10:20 ヘリポート発。

その後、高崎市内の図書館で「高崎飛行場」の資料集め。

飛行場跡地のあった場所は国土地理院で検索しても出てこず、確定できなかったのですが、

図書館に当時の地図があり、場所を確定することが出来ました。

そして飛行場跡地で撮影

その後高崎市在住のFさんと食事したのでした。

「臨時収入が入ったし、今日はオイラが出しますよ」と言ったら、すかさずアルコール飲み放題を注文するFさん。

ヒドイ人です。

 

おしまい。


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