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安納飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2016年5月 訪問 

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1967年10月当時の写真(KU6711Y(1) C5 9) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

鹿児島県種子島の北部太平洋側にあった西之表町の「安納飛行場」。

昭和30年代から40年代初めにかけて存在した西之表町営の飛行場です。

「西之表百年史」の「航空」という項目の中で、

西之表町安納に飛行場を建設するに至ったいきさつから実際に開港して以降の様子について記されていました。

話はライバルとなる隣町中種子での空港建設計画から始まります。

離島振興法の施行を見た昭和二十九年、中種子町は第三種空港の設置を考え、 県企画調査室と計画書を作り、経済企画庁に申請した。企画庁は現地調査の結果、地理的その他の条件から合格の線が出、中種子町は隣接の西之表町とも話し合いを進め、愈々第三種空港誘致案を具体化して整備事業に入った。

町営空港として高峰に建設の計画工事を変更して、新たに野間に、町有地百四十町歩を切り開き、長さ千メートル巾四十メートルの滑走路を作り、三十三年度は民間飛行機ビーチクラフトを不定時ながら就航させた。

一方それまで第三種空港誘致に消極的であった西之表町は、中種子町に実現可能と見るや、急に飛行場要望の声がわき上がった。議会は満場一致で、町独自の予算で飛行場を建設する事を可決した。

敷地も三ヶ所をあげて検討したが、結局地価問題が決め手となって東海岸の安納に決定した。

計画では、五百七十五万円で、巾四十メートル、長さ九百メートルの滑走路を九月末までに竣工させるべく、六月五日起工式を行った。この滑走路は三百七十メートルが公有水面に触れるため、護岸工事を行う必要があり、滑走路の方向が南北という、年間平均風位が西風百五十日といわれる種子島としては、かなり不利な条件であった。

しかも、町営空港建設に踏み切った理由は、西之表町は種子島の経済文化の中心地であり、近い将来市制を施行する計画を持って居り、種子島における重要な都市的存在にある、として空港の必要性を唱えた。

此の年、八月五日付の新聞には次のような記事がある。

「(中略)いまのところ中種子と西之表の飛行機利用者は半々だが、将来西之表に飛行場を作れば、西之表町からの利用者が圧倒的に多くなり、飛行場の重要性はむしろ西之表町側にあると主張している。このような観点から、西之表町では、安納飛行場を第三種空港の補助飛行場として建設する態度をとっている。

この為、西之表町としては、中種子の第三種空港の建設について了解の線を出さず、安納飛行場の建設について、県は何らかの補助をすべきであるとして、承認の調印から逃げているのが真相である。

しかし県の考え方としては、今のところ西之表町の飛行場建設に対して補助を行う意思を持って居らず、西之表町の承認拒否は、種子島に於ける第三種空港建設にブレーキをかけている。

既に運輸省は中種子の第三種空港指定を前提として千七百万円の予算措置を行っているが、西之表町との問題で予算の執行は行き悩みの状態で、今後どのような解決策が打ち出されるか注目されている。(新聞記事引用はここまで)」

此の安納空港建設は予定期限には竣工せず、更に予算をつけてブルドーザーを購入、三台をフルに動かして、同年十二月二十五日、漸く試験飛行にこぎつけた。

試験飛行には東亜航空のセスナ機を使用したが、専門家の意見では、離着陸時に横風を受けること、上空の気流が非常に悪いなど、かなり憂慮されるものであった。

先に九月、政務次官、知事、代議士、航空局長によって調整された覚書によって、西之表町は安納飛行場の滑走路を、一月中旬までに百米延長し、付属設備を完備して場外飛行場の指定を受ける段取りであったがこの覚書には「一定の条件のもとに」という但し書きがあり、更に多くの出費を余儀なくされた。

昭和三十四年から、三十九年四月まで富士航空が不定期の運航を続けたが、此の間、西之表市がつぎ込んだ経費は三十三年度に千四百四十参万八千円。三十四年に二百四十三万六千円、その後、三十七年と三十八年に、失業対策辞儀用で、延べ三千二百人の人手で補修を行った。

昭和四十二年、西之表市は市議会に空港対策特別委員会を設けたまま今日に至っている。

 

「安納に飛行場を作ろう!」という機運が高まったのは、島中央に位置する中種子町の第三種空港計画が大きいようですね。

次にご紹介する書籍にも出てくるのですが、「一つの島に一つの空港」という県の方針があり、

中種子町に第三種空港が設置されると、ここが未来永劫「種子島の空の表玄関」と化す可能性が大です。

西之表町としては、「我々こそ種子島の経済文化の中心地である」という自負があり、

中種子町が空の拠点となるのをよしとしませんでした。

このため西之表町としては中種子町の第三種空港計画を承認せず、

先ずは安納に飛行場を作り、将来的には西之表町に第三種空港を建設し、

その際は安納を西之表の第三種空港の補助飛行場とするつもりだったようです。

(安納を中種子の第三種空港の補助飛行場とするつもりなら、中種子の建設計画を承認拒否なんてしないはず)

結局は中種子町の第三種空港計画がそのまま進み、「旧種子島空港」となります。

引用されている新聞記事は、中種子の空港計画を阻止せんがための、

西之表の一部ゴリ押しとも受け取れるような内容なのですが、

この新聞記事が「西之表百年史」に引用され、記事について特に否定したりせずに補足の記事が続き、

特に何の注釈もなく次の「道路」の項目に移っていますから、単なる"でっち上げ記事"という訳ではないようです。

旧種子島空港に続き、現行の種子島空港も中種子町に建設されました(西之表にかなり隣接しているけど)。

-種子島の空の玄関口として確固とした地位を確立した中種子町と、7年余で町営飛行場を閉じた西之表-

表面的に見れば、安納は短い期間しか存続できなかった本当に小さな飛行場と映るのですが、

実は、「安納を足掛かりに第三種空港を中種子からこちらに持って来る!」

という西之表町のすごい野望を含んだ飛行場だったのですね。

 

「種子島今むかし」という書籍の「安納飛行場-エビ養殖場と野球場」という項目の中でも、

安納飛行場の建設から廃港後の跡地利用について(こちらは内容の要約ですが)、次のように記されていました。

それによれば、中種子町には飛行場があって定期運航が行われているので、

是非西之表にも飛行場を! という強い声が主に商工会方面から上がったのでした。

当時の県の方針は「一つの島に一つの空港」ということだったので、既に飛行場があるのに、更に2つ目ということで、

町議会でも賛否あり、もみにもんだあげく、「飛行場対策特別委員会」を設けて検討することになりました。

ところがこの委員会ができるや否や、反対派議員が賛成派に鞍替えしたため、建設一本槍で進むことになり、

県と国に陳情を行ったのですが、その時既に「中種子空港」が決定していたのでした。

結局西之表はどこからの補助もなしに独力で飛行場を建設することになりました。

900mx40mの滑走路で東亜国内航空の4人乗りのセスナ機か、10人前後乗りのヘロン等が飛んだのですが、

採算割れによる会社の引き上げに伴い、昭和41年6月、僅か7年余で廃港してしまいました。

跡地利用について様々検討されたのですが、結局砂利採取地としてその権利が某氏に売却されることになりました。

ところがこの権利が次々に転売され、砂利はどんどん採取されて、ついには最初の契約範囲を越えるまでになったのですが、

責任者不明で、「採取終了後は埋め戻す事」という契約も履行されず、あとには大きな凹地と水溜りが残りました。

しかもなお盗掘は絶えず水溜りはますます大きくなってゆきます。

これを埋め戻すには約八千万から一億円もかかるとのことで、コンサルタントからは、

「この凹地をそのまま利用するような事業-養魚、畜魚の他あるまい」とのことでした。

昭和56年10月、車エビの養殖をしたいという申し入れがあり、北半分を貸すことに。

南半分の残地は、市青少年センターを建設し、ゲートボール場、運動場などとして利用していたのですが、

勤労者体育施設として野球場建設可能とのことで、本格的な球場が誕生したのでした。

この球場に夜間照明施設を付けたかったのですが、養殖場側から、

「あたりが暗いのに突然電灯が点いて明るくなると、海老がびっくりして跳び上がり、

腰を折ることが多いから避けてもらいたい」とのことで、照明施設の設置ができないという事情があるのだそうです。

 

DSC_0039.jpg

飛行場跡地が凹地となってしまったため造られた養殖場。

「種子島今むかし」ではエビの養殖場と記されていますが、検索するとあちこちのサイトで「養鰻場」として出ています。

画面奥に2本のビロウの木があります。

飛行場があった当時の写真にこの2本の木が映っており、「これがココに飛行場があった唯一の名残」と

偶然通りかかった地元の方に教えて頂きました。

 

DSC_0042.jpg

養鰻場と海に挟まれた道路。

道路の方向といい位置といい、滑走路跡か、滑走路に沿ったものなのではないかと思います。

少なくとも画面左側から奥は滑走路だったはず。

 

DSC_0030.jpg

滑走路南側に建設された野球場。

後ろはすぐ海。

こんなところで野球やったら気持ちいいでしょうね~。

 

DSC_0031.jpg

滑走路南端部分。

当初は画面右奥の段々になっている曲線部分が滑走路南端ではないかと思っていたのですが、

飛行場があった当時の航空写真と現在の地図を比較すると、段々部分ではなくてこちら側が滑走路エンドのようです。


      鹿児島県・安納飛行場跡地     
石原裕次郎主演の映画で使用された飛行場でもあります

安納飛行場 データ
設置管理者:西之表町
空港種別:町営飛行場
所在地:鹿児島県西之表市
座 標:N30°43′30″E131°04′22″
標 高:5m
滑走路:900mx40m
方 位:18/36
(座標、標高、方位はグーグルアースから)

沿革
1956年 中種子町の飛行場計画を受け、この頃「西之表にも飛行場を」との声が高まる
1958?年 6月5日 安納飛行場起工式
      9月 「1月中旬までに滑走路100m延長、付属設備を完備して場外飛行場に指定」の覚書
      12月25日 試験飛行開始
1959年 富士航空が不定期運航開始
      東亜国内航空の4人乗りセスナ機、10人前後乗りのヘロンによる運航
1964年 4月 富士航空、不定期運航終了
1966年 6月 廃港。その後跡地は砂利採取場となり、大きな凹地となる。
1981年 10月 跡地北半分でエビ養殖事業の申し入れ。南半分は市青少年センター建設
1985年 4月 南半分の跡地に野球場完成

関連サイト:
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この記事の資料:
「西之表百年史」
「種子島今むかし」


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