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天草海軍航空隊(佐伊津、御領)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2012年11月 訪問 

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熊本県‎天草市‎佐伊津町‎にあった「天草海軍航空隊(佐伊津、御領)飛行場」。

金ヶ丘交差点付近の隅田川沿いに隊門があり、A地点に碑の案内看板があます。

B地点付近に格納庫、スリップがあり、C地点には練兵場がありました。

また、天草病院のところに兵舎があったのだそうです。

A地点から案内に従って細道を上っていくと、程なく左手に黒い鉄柵で囲われた碑が見えてきます。 

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案内板と碑文がありました。

ご案内(全文) 太平洋戦争中、この地一帯に天草海軍航空隊がありました。天草海軍航空隊は練習航空隊で、水上機の操縦員を訓練養成しておりましたが、日本の敗色が濃厚となった昭和二十年三月、練習航空隊の指定を解除され、爆弾を固縛した愛機もろとも敵艦に体当たりする神風特別攻撃隊の発進基地になりました。三名の殉職者を出す激しい特攻訓練数ヶ月ののち、昭和二十年五月下旬に第一次、六月下旬に第二次攻撃隊が発進し、月明を頼りに沖縄に向かい、八機十六名の若人が敵艦に突入玉砕しました。その神風特別攻撃隊員ならびに天草海軍航空隊にゆかりのある戦没殉職者の御霊を祀る慰霊碑を、ここ有明海を見下ろす丘に建立しております。天空会 本渡観光協会

天草海軍航空隊(全文) 神風特別攻撃隊慰霊の碑
 第二次大戦中 この地一帯に天草海軍航空隊があった 天草海軍航空隊は 水上機の練習航空隊であったが 大戦末期戦局の逼迫とともに 第五航空艦隊第十二航空戦隊に編入され 攻撃部隊として活動することとなった 攻撃方法は 爆弾を抱いた愛機諸共敵艦に突入する体当たり攻撃である このことを聞くや搭乗員一同は 進んで攻撃隊員を志願して国に殉ぜんと誓った 三名の殉職者をだす激しい訓練数箇月ののち 攻撃の機は熟して 昭和二十年五月下旬第一次 六月下旬第二次攻撃隊が発進し 月明を利用して沖縄に向い 八機十六名が敵艦に突入玉砕した 八月十六日頃を目途とする 残存全機による第三次攻撃の準備中 突如終戦となったのである 昭和四十六年 当会が結成されるや 期せずして右の十九柱の御霊を祀る慰霊碑を建立すべしとの議が起り 地元本渡市ならびに一般有志のご協力のもとに 今日この碑の除幕を見るに至った 星霜すでに二十八年 瞑目すれば紅顔の英姿今なお眼窩に鮮やかなり 在天の霊 希くば吾等が微衷を汲みて 水明のこの地に安らかに眠り給わんことを 昭和四十八年八月 天空会

 

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防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 佐世保鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:天草水上基地 建設ノ年:1944 飛行場 長x幅 米:100x80コンクリート 主要機隊数:小型3.0 主任務:教育 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 掩体:分散 其ノ他記事:旧航空局乗員養成所

天草海軍航空隊(佐伊津、御領)飛行場跡地:map 


      熊本県・天草海軍航空隊(佐伊津、御領)飛行場跡地     
現在碑のある場所に航空本部、下士官兵舎があったのだそうです

天草海軍航空隊(佐伊津、御領)飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:水上飛行場
滑走台:100mx80m
所在地:熊本県‎天草市‎佐伊津町‎
座 標:N32°29′54″E130°11′35″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1943年 この年の末頃から近隣住民を動員して造営工事開始。逓信省天草地方航空乗員養成所として開所準備
1944年 03月 詫間空の分遣隊として設置。第37期生~41期生150人を訓練
      08月 第12連合航空隊博多海軍航空隊天草分遣隊に移管
1945年 02月 特攻隊編成命令
      03月 練習航空隊指定を解除。第5航空艦隊第12航空戦隊に編入。天草海軍航空隊として独立。攻撃部隊となる
      05月 24日、第一次特攻2機
      06月 24日、第二次特攻6機 水上機による沖縄特攻
      08月 終戦
1973年 08月 碑建立

関連サイト:
国土地理院 1947年3月当時の写真(USA M194-2 9) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)  
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この記事の資料:
現地の碑文
「熊本の戦争遺跡 戦後65年」


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