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朝鮮・京城第2(汝矣島、京城)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2017年7月 作成 



ソウル特別市汝矣島。

政治、経済の中心であり、諸施設が整然と並び、大規模な公園が整備されたこの島は、

かつてはポプラやアカシヤといった樹林地帯で、度々水害に悩まされる場所で、

大戦前にはここに「京城第2飛行場」がありました。

汝矣島にあることから「汝矣島飛行場」とも呼ばれました。

「第2」の名の通り「第1」もあるのですが、当飛行場が元祖「京城飛行場」であり、後述しますが、

後に京城の別の場所に完成した「東洋一」とも謳われる規模の飛行場が「京城第1飛行場」となり、

当飛行場は「京城第2飛行場」となりました。

戦後は国際空港、空軍基地となったのですが、1971年には飛行場が閉鎖され、開発が始まりました。

いろいろ当時の島の画像を検索すると、島を東西に方向に大きく滑走路が横たわっており、その南側に誘導路、

諸施設のエリアが見えます。

韓国語版Wiki:「汝矣島空港」によりますと、飛行場跡地開発の際、

「既存の滑走路の位置に5・16広場(ヨイド広場)を作ったのは、

有事の際に滑走路に書き込むことができようにするためだったという」

とありました。

加えて概要の項目では、「汝矣島は、元の不毛の地であり、軍事訓練場で使われたりもした。

日本は表面上、民間航路開設に使用するという名分を掲げたが、実際には中国大陸侵略の橋頭堡として、

韓半島に有事の際に使用飛行場が必要だったので、汝矣島に飛行場を作った。」のだそうです(Google翻訳)。

島の中央を貫く公園には「空軍創軍60年記念塔」があり、

グーグルアースで見ると、滑走路のミニチュアと共にC-47が展示してあるのが見えます

(2018年6月16日までの展示らしい)。

韓国のサイトを見てみると、「歴史の中に消えた空港」とか、「韓国初の空港は、なんと汝矣島にあったのです!!」

的なサイトが散見されました。

島から飛行場としての機能がなくなって50年近い歳月が流れ、

冒頭にも記しましたが現在は国の政治、経済の中心地として大きく変貌を遂げましたから、

地元の方にとってもそんな感覚なんですね。

「実は丸の内にはかつて国際空港があった」。みたいな感じなんでしょうか。

 

この飛行場については、ここまでしばしば引用させて頂いているサイト「京城飛行場」(下記リンク参照)の中で、

非常に詳細な資料がありますので、興味のある方はそちらをご覧くださいませ。

以下、同サイト様にある内容を抜粋させていただきます。

元々汝矣島は陸軍の練兵場として使用されており、1916年からその一画を簡易着陸場として使い始めました。
そして1929年、京城飛行場が開場。

日本航空輸送株式会社が週3往復の定期郵便輸送を開始しました。

当時の雑誌、新聞が盛大な開場式の様子を伝えています。

こうして定期路線の運用が始まったのですが、

汝矣島は漢江の氾濫によって年に数回の水害が発生し、漢江にかかる鉄道橋が離発着の障害となりました。

この障害物のせいで滑走路の延長もできないため、

朝鮮総督府は京城付近に将来の拡張も可能な飛行場を新たに建設することにしました。

こうして1938年に金浦の地が選定され、この頃から金浦飛行場を「第一京城飛行場」、

汝矣島飛行場を「第二京城飛行場」とも呼ぶようになりました。

当初の計画では、1,500m滑走路2本、1,200m滑走路2本、1,000m滑走路2本の、計6本を予定していおり、

民間用飛行場としては、東洋一の規模で、当時の関係者は「夢の金浦飛行場」と呼んでいたのだそうです。

1943年金浦飛行場開場。

陸軍、大日本航空は金浦飛行場に移り、朝鮮航空事業社は汝矣島飛行場に留まりました。

そして終戦。

GHQによって飛行が一切禁止されたのは日本国内だけの話かと思っていたのですが、朝鮮もそうでした。

ところがこのGHQの命令を知らなかったらしく、朝鮮航空事業社の整備士が練習機の胴体に赤と青の大極旗を描き入れ、

祖国解放を祝福する意味で永登浦の上空を一周しました。

直後に駆け付けた米軍のMPから散々怒られた挙句、練習機の焼却を命られてしまったのですが、

同サイト内の「京城飛行場小史」は次のように結ばれています。

それでも、大極旗が朝鮮の空に飛び立ったことには違いはない。
朝鮮の航空は1913年から始まった。日本が朝鮮を併合してからの出来事である。
しかしこの時を以って、朝鮮の空は朝鮮の人々の手に戻ったと言えるのかも知れない。

Wikiによれば、戦後の1953年、当飛行場は国際空港となりました。

1958年に民間便は金浦国際空港に移転し、

1971年にソウル空軍基地が設置されるまで空軍基地として利用されたのだそうです。


防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」の中で、

当飛行場についての詳細な資料と図がありました。

先頭のグーグルマップは、同資料の図を元に作成したものですが、明確な起点となるものがほとんどなくて、

「こんな感じかなあ」という程度のものです。

ご了承くださいませ。

サイト「京城飛行場」には、昭和十二年四月の同飛行場の地図が添付されているのですが、

滑走路は同じに見えるのですが、飛行場敷地は滑走路ギリギリまで迫っており、ほぼ正方形です。

昭和18年の水路部の地図では正方形からいろいろはみ出ていますから、

元々正方形だった敷地がその後拡張していったようです。

以下水路部資料を一部引用させて頂きます。



第6 京城第2飛行場(昭和18年4月調)
管理者 朝鮮総督府逓信局。
位置 朝鮮京畿道京城府汝矣島町。
   (京城府の南西方7粁、北緯37°31′0、東経126°55′0)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約10米。
広さ及形状
 本場は長さ東西900米、幅北東-南西730米の略四辺形地域なり
 着陸地域は概ね図示の東西及北東-南西方向の滑走路を適当と認むるも風向等に依りては
 場端より内方50米以内の全地域を使用するも支障なし(付図参照)。
地表の土質
 泥及粘土を混ずる砂礫。
地面の状況
 滑走路は「コンクリート」舗装にして長さ東西540米及北東-南西400米、幅各15米の2條あり・
 両滑走路の交会部に羅針儀修正盤あり・
 東西方向滑走路の西端より格納庫前に至る誘導滑走路(「コンクリート」舗装)あり・
 滑走路以外の地域は殆ど全面に芝及雑草密生す・
 排水概ね良好にして乾燥速なるも降雨直後又は解氷期には地表稍軟弱と為る・
 漢江氾濫の際は河水侵入し地表泥濘と為り且処々に不整地を生ず。
場内の障碍物
 なし。
適当なる離着陸方向
 東又は西及北東又は南西。
施設
格納庫
(1)大日本航空株式会社所属3(間口30米、奥行35米、高さ6米、間口30米、奥行25米、
 高さ6米及間口40米、奥行50米、高さ8米各1)あるも逐次取設第1飛行場に移動中なり。
(2)朝鮮航空事業社所属2(間口18米、奥行26米、高さ4米及間口18米、奥行15米、高さ4米各1)。
(3)大日本飛行協会所属1(間口15米、奥行15米、高さ5米)
 朝鮮航空事業社事務所・油庫・発動機試運転場・修理工場、羅針盤修正台及飛行機計量機等あり。
昼間標識 吹流信号柱1・境界標識等あり。
夜間標識 着陸照明燈1あり。

周囲の状況
高地
 本場の所在地たる汝矣島は京城府の南西部即ち漢江南岸の沖積土にして地貌概ね広濶なるも
 北西方約1.2粁に場面よりの高さ約30米の丘陵性高地(汝矣山)あり。
樹林
 北方約600米に高さ10米、東方700米に高さ10米の「ポプラ」樹林地帯あり・
 旧飛行場事務所北方一帯は高さ約6-10米の「アカシヤ」樹林地帯なり。
(中略)
其の他
本場は昭和4年朝鮮総督府の設置に係る公共用飛行場にして
爾來大日本航空株式会社経営の定期航空路(東京-大連及新京線)の寄航地として使用し来れる
も昭和17年9月本場の北西方約12粁に京城第1飛行場新設後は同場を定期航
空路の発着場として使用し本場は其の補助施設として使用せられつつあり。




     朝鮮・京城第2(汝矣島、京城)飛行場跡地     
京城第2(汝矣島、京城)飛行場 データ
設置管理者:朝鮮総督府逓信局
空港種別:公共用陸上飛行場
所在地:ソウル特別市 永登浦区 汝矣島洞
座 標:N37°31′21″E126°55′24″(Wiki:汝矣島空港によれば、北緯37°31 '33 "東経126°55' 19")
標 高:38m
滑走路:540mx15m(09/27)、400mx15m(04/22)
     (Wiki:汝矣島空港によれば、1,969mx600m)
(座標、標高、方位はグーグルアースから)


沿革
1916年3月 陸軍練兵場一画を簡易着陸場として使用し始める
1917年5月 アート・スミスによる曲芸飛行。ソウル市民20万人のうち約5万人が汝矣島飛行場に集まる
1922年12月 10日 韓国初の飛行士安昌男が試験飛行
1927年6月 内地・朝鮮・台湾を同一法域とする航空法施行
1929年4月 1日 京城飛行場開場。定期輸送開始
     9月 10日 東京・大連間、週3往復の定期旅客輸送開始
1931年    夜間照明、無線電信設備、滑走路構築、連絡道路改築、航空気象観測所等整備
1931年    日本航空輸送株式会社と朝日新聞社、京城-龍井村間の試験飛行
1936年3月 7日 格納庫、海軍機6機、日本航空輸送会社所有2機焼失
        同年、慎鏞瑣(後の慎航空事業社)、京城-裡里郵便連絡飛行
1937年    日本航空輸送株式会社、京城-大連間開設
1938年夏  金浦が京城の新たな飛行場適地として選定される
       同年慎航空事業社、京城-裡里-光州間定期飛行開設
1939年  満州航空会社、京城-新京間開設
1940年   工事着手。1941年完成の予定だったが、対米開戦により資材が不足し計画が遅れる
1941年   民間航空機の座席が軍に借り上げられ、一般乗客向けには休航となる
1943年10月 金浦飛行場開場
1945年8月 15日 終戦。25日、GHQによる飛行禁止令
     9月 25日 胴体に赤と青の大極旗を描き入れた練習機が永登浦の上空を飛ぶ
19535年 国際空港となる
1958年 1月 民間便は金浦国際空港に移転。空軍基地として利用
1971年 2月 空軍は新設のソウル空軍基地に移管。飛行場閉鎖


関連サイト:
京城飛行場  
Wiki/여의도공항  


この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:「水路部 航空路資料第9 朝鮮地方飛行場及不時着陸場 昭和18年9月刊行」 


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コメント 2

takkun

実は私、韓国大好きなんです。
合理的ながら、ホスピタリティ溢れる人情味という人々のギャップに惹かれ4回ほど足を運んでおります。(毎週末行かれる方もおられるようなので、そういう方からすれば、たった4回ですが。)
汝矣島のど真ん中に空港があったとは!!
とても驚きです!
漢江の氾濫が金浦への移転のきっかけになったのですね。
いやいやとても興味深い。
by takkun (2017-07-31 13:14) 

とり

■takkunさん
そんなに韓国好きとは知りませんでした
そう言われてみれば、気質が似ているような気がします
(良い意味で)
by とり (2017-08-01 20:05) 

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