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清水海軍航空隊(と水上機基地)跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年7月 訪問 

この記事は、2011年2月にアップした「清水海軍航空隊跡地」 の追加記事です。

 

静岡県の「清水海軍航空隊」についてWikiの中では、

「教育訓練部隊のため、航空機の配属はない」と記されています。

実際、座学のみの基地もあり、オイラも長いこと当基地には滑走路もヒコーキも無かったのだと考え、

記事にもそのように書いていました。

で、今回5年ぶりに当地に行き、地元の図書館にお邪魔して、当基地関連の資料を調べたのですが、

中村英雄著:「清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史」という本の3pには、

清水航空隊が開隊し、当基地への配属が始まった頃の様子が記されています。

その中に、「飛行機のない航空隊にはビックリした。」という一文があります。

Wiki/清水海軍航空隊→「航空機の配属はない」
「清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史」→「飛行機のない航空隊」

やっぱりここにヒコーキは無かったのだと、どちらも同じ意味に見えます。

ところでこの「清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史」という本は、

実際に当航空基地におられた方でないと書けない非常に具体的で生々しい内容が記されているのですが、

「飛行機のない航空隊」と記された同じページでは続けて、

開隊から1か月後の10月3日に、滑空訓練が始まったことが記されているのですΣ(゚Д゚;)

滑空機はゴム索を引っ張って飛ばしたこと、続く4pには、

「最初から上手く滑空する者、下手な者、様々だが回数を重ねる事で上手くなる」とあり、また

「格納庫に滑空機が2機格納されていた」とも記されていますから、これは正真正銘本物のグライダーのようです。

オイラは2011年2月に当基地の記事をアップして以来、何年もの間、「当基地には飛行場も飛行機もない」と書いていたのですが、

本当は滑空場とグライダーがあったのでしたm(_ _)m 

どこでどう間違ってしまったのか、ネットで検索すると現在でも、旧日本軍に在籍しておられた方のサイトをはじめ、

非常に格調高いサイトでも、「清水海軍航空隊には滑走路も航空機もない」としている記述をいくつも見かけます。

どこかで間違いが載り、孫引きが広がってしまった典型ですね(オイラが言うのもアレなんですけど)。

 

話を戻します。

ともかく「清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史」の中では、滑空訓練のことをが記されているのです。

「飛行機のない航空隊」と書きつつ、すぐに滑空訓練のことを記すというのは、なんかおかしくありませんか?

一見すると、なんだか矛盾しているように見えます。

開隊当初は飛行機はなかったけど、それから1か月後の滑空訓練開始までにグライダーが配備されたのかもしれない。

という解釈も出来るのですが、この件に関してはこれ以上資料が見当たらないので、

以下別の解釈が可能な「航空機」と「飛行機」の定義についてのウンチク話を。

 

「航空機」と「飛行機」、厳密には意味が異なっており、「航空機」の方が意味が非常に広くて、

宇宙船とミサイル以外は大抵「航空機」に含まれます(もちろん飛行機もグライダーも)。

宇宙船とミサイル以外の空を飛ぶもの全般が「航空機」で先ず大きくくくられます。

そしてこの「航空機」が、空気より軽い「軽航空機(気球、飛行船)」と、

空気より重い「重航空機(翼で揚力を発生させるもの)」に二分割されます。

二分割された一方である「重航空機」は、さらにエンジンなし(グライダー)か、エンジンありに分割されます。

そしてエンジンありの方は更に「固定翼機(飛行機)」、「回転翼機(ヘリコプター)」、「その他(羽ばたき機等)」の3つに分類されます。

つまり「飛行機」とは、厳密には「エンジンありの固定翼機」のことを指しており、

「グライダー」はエンジンなしですから、分類上飛行機とは全くの別物で、「グライダー≠飛行機」なのです。

ですから、「飛行機のない航空隊で滑空訓練をやった」というのは、

こうして航空機の分類法を頭に入れておくなら、

「(エンジンありの)飛行機はないけど、グライダーで訓練やった」と解釈出来ます。これなら矛盾してません。

ややこしいですけど。

実際にどちらの解釈が正しいのか、それ以外の解釈があるのかはともかく、当基地には間違いなくグライダーがありましたから、

書籍の「飛行機のない航空隊」という表現は正しく、

Wikiの「航空機の配属はない」という表現は正確ではない。ということになります(グライダーは航空機に含まれるので)。

実はここまでのややこしい説明は、航空機の構造上の分類で、航空法ではまたちょっと分類が異なるのですが、

航空法上の分類に照らしてもこの話の趣旨(滑空機≠飛行機)は変わりません。

これは清水空の記事ですから、航空機の分類についてのウンチク話はこの程度にして基地に話を戻したいと思います。

 

資料には当基地での様子を様々記しており、その中にこんなものがありました。

「清水空から補充要員として空母天城に転出者がいたが、艦隊に転勤してビックリ。乗員は、赤城、蒼龍、翔鶴の歴戦のつわものばかり。清水空では班の次席3席が最下級兵になった」

「下士官練習生の募集があったが、天国清水空よりは応募者なし」

「清水空から木更津空に転勤、艦爆流星の整備をしたが、清水空で怠けていたのでサッパリだった」

こんなのんびりした一面もあったのですね~ (o ̄∇ ̄o)

かと思えば別の資料では、「連日の激しい訓練に、美しい砂浜は汗を吸った」とか、

「毎土曜日の棒倒しは、戦闘ラッパを合図に乱闘乱戦が始まる。時に死亡者を出す程激しいもので、軍医立会いの下行われた」。

「夜尿症の練習生の毛布を黙々と処理する上官の姿に深い感銘を受けた」という記述もありました。



無題7.png

上図は、「清水海軍航空隊(予科練)について」 の中の「33分隊大岡氏の記憶による清水空略図」と、「清水三保青春の雄叫び」57p「清水海軍航空隊略図」を参考に作りました。

A地点:滑空場 B地点:格納庫 C地点:水上機基地格納庫 D地点:震洋艇格納庫

 

C:の「水上機基地/格納庫」についてはまったく知らず、ビックリだったのですが、

参考にさせて頂いた二冊の略図は、いずれもこの部分を清水空の略図の範囲に収めており、「水上機基地」、「水上機格納庫」

として明記しています。

検索してみたのですが、清水空以外の別隊がここに水上機基地を開設したという記録も見当たらないため、

今のところ、「清水海軍航空隊の水上機基地」としておきます。

情報お待ちしておりますm(_ _)m 

D:の「震洋艇格納庫」についてですが、これもどちらの略図にも三つの印が載っています。

現在は埋め立てが進んで海岸線が変わっているのですが、当時のD地点は海岸にとても近いです。

 

D20_0079.jpg

A地点。

滑空場があった辺り。すぐ東隣に「三保飛行場」があります。 

 

D20_0076.jpg

B地点。

格納庫があったと思われる辺り。

実は参考にさせて頂いた二つの略図は、それぞれ詳しい部分とそうでない部分があり、互いに補完し合っている感じです。

格納庫の位置については、両者でちょっと違っていました。

 

D20_0086.jpg

C地点。

ちょうど水上機格納庫のあったあたりに建物があります。

 

D20_0089.jpg

同じくC地点のすぐ近くにある震洋艇掩体。

開口部が海の方向を向いています。 

清水空の予科練生が建設したのだそうです。

 

2017/3/17追記:防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」の中で、

当飛行場についての非常に詳細な記述がありましたので、一部引用させて頂きます。


第3 三保根岸飛行場(昭和17年10月調)
管理者 三保根岸飛行場長根岸錦蔵。
位置 静岡県清水市大字三保
(吹合岬付近海岸、35°0′5N,138°32′0E)
種別 地方公認陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面約2.5米。
広さ及形状
 飛行場として使用を許可せられある地域は海岸に沿う長さ1,000米、
幅120-200米の湾曲せる砂浜なり。着陸地域は概ね図示の清水灯台(航海用)を中心とし、長さ北西-南東400米及北東-南西420米、幅各約100米の楕圓形地区を最適とす(付図参照)。
地表の土質
 細砂。
地面の状況
 着陸地域及付近一帯の海岸は概ね平坦なるも波打際付近は5/100の傾斜を成す。地表は細粒の砂浜にして西側寄りに雑草等疎性す。地表面は柔軟なるも5,6寸以下は極めて堅硬なり。排水良好なり、降雨後は細砂引締り硬度を増し好結果なりと言う。
場内の障害物
 格納庫の北東方海岸に地方人の漁船を引揚ぐることあるも発見次第他に移さしむ。
適当なる離着陸方向
 恒風の関係上午前は南西、午後は北西を可とす。
離着陸上注意すべき点
 付近一帯は名勝地なるを以て四季遊覧者絶えず従つて着陸の際は充分なる地上偵察の要あり。地表柔軟なれば着陸は特に速度を減じ巧妙に定着するの要あり。

其の他
本場は一等飛行士根岸錦蔵の経営に係り現在飛行機2機を有し専ら中央気象台航空気象観測所業務を委託せられ飛行機に依る航空気象観測に従事中なり。

清水海軍航空隊が開隊したのは、昭和14年9月。

上述の水路部資料:三保根岸飛行場は、昭和17年10月調べ。

開隊から3年余が経過していましたが、

海軍としては、「当飛行場は根岸錦蔵氏所有である」とキチンと認識していたんですね。

清水海軍航空隊 map   


      静岡県・清水海軍航空隊跡地     


沿革
1919年 4月17日 清水市日出町に横須賀海軍運輸部清水出張所を開設
       5月1日 清水市三保に横須賀施設部清水事務所を開設し、清水海軍航空隊の建設開始
       8月1日 開隊準備のため、各地の航空基地、練習航空隊より入隊始まる
       9月1日 清水海軍航空隊開隊
        10月3日 滑空訓練開始
1944年 11月5日 B29初飛来。防空壕戦備作業、三保灯台での見張り始まる
       12月7日 東南海大地震。訓練中の滑空機が津波に流され、引き揚げ作業
       静岡にB29による初空襲。清水港から高射砲を撃つが、射程が短く、B29はゆうゆうと飛び去る
       13日 清水高等商船学校に零戦が不時着し、救援隊派遣
       27日 清水港、三保具島に爆弾投下される
1945年 1月27日 清水空襲
       2月15日 清水空襲
       3月4日 清水空襲。下宿で焼け出され、浴衣で帰隊する者あり
       5日 3,4月中予科練教務一時中止
       6日 清水空襲
       11日 兵舎迷彩作業。黒ペンキを塗る
       13日 4月28日まで、本土決戦のため戦備作業実施。特攻基地作業、横穴掘り
       15日 大日本航空旅客機光号、灯台前の海岸に着陸
      3月下旬、大井特攻飛行分隊の夜間攻撃訓練(白菊)始まる
       清水港の在泊船舶に対する攻撃訓練に於いて、久能山に激突や折戸湾に不時着の大井空の記事あるも、
       清水空には報告なし。大井空清水救難隊が常駐していた
      4月1日 相模湾、駿河湾に敵上陸に備え、小田原で共同作戦会議があり、清水空から少尉出席
       3日 甲飛16期、840名入隊式
       4日 静岡、清水空襲(港町、元追分、村松)
       7日 静岡空襲
       12日 静岡の三菱発動機、B29に爆弾投下される
       24日 静岡の住友製作所、空襲される
       27日 第一特攻戦隊、15突撃隊(沼津江ノ浦)隊長来隊。震洋艇配備
      5月16日 清水空襲
       19日 静岡、清水空襲(大曲、三保沖、久能沖)
       24日 静岡空襲
       29日 陸戦隊編成
      6月1日 甲16期、戦備作業のため33,34分隊熱海十国峠へ
       3日 清水海軍航空隊解散。名古屋空、香取空、郡山空、熱海、木更津空に転出
       10日 三保工場地帯爆撃される(日軽、日本鋼管)
       19日 B29 124機による静岡大空襲。市内全域に焼夷弾。焼失家屋30,045戸、死者1,652人、重軽傷者6,654人
      7月3日 清水、日軽空襲
       7日 B29 133機による静岡大空襲。焼失家屋8,013戸、死者151人、重軽傷者276人
       31日 駿河湾内に侵入した敵潜水艦(3~6隻)により、清水艦砲射撃受ける(相生、松原)
       焼失家屋5戸、死者44人、重軽傷者100人
      8月1日 清水空襲(宮代、日出町)
        2日 清水空襲(三保、具島)
        15日 終戦
        清水空跡地(土地16万5,000坪、建物2万坪)を農地、三保園ホテル、東海大学に払い下げ解散する
1946年 5月 東海大学設立。清水空跡地は、東海大学工学部になる
1948年 7月 三保園ホテル再開
1950年 4月 東海大学泰一高等学校設立(清水空跡地)
1958年 4月 東海大学、東京に移転。同大海洋学部残る(旧清水高等商船学校跡)。
1988年 2月 清水海軍航空隊跡地に航空隊記念碑建立を企画る。
       甲14,15,16期定員分隊に建立を呼び掛ける
      5月 記念碑建設実行委員会が三保園ホテルで開かれる
      8月 記念碑建立除幕式

 

ブログ内関連記事       

この記事の資料:
清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史
清水海軍航空隊(予科練)について
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」


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コメント 6

鹿児島のこういち

飛行機と航空機ですか、なるほど〆(._.)メモメモ
by 鹿児島のこういち (2015-11-25 09:49) 

再生おじさん

こんばんは

ちょっとちょっと!!
とりさん・・・・
もしかして忘れてる??

C地点の格納庫は、かなり前にコメント(2014-07-20 22:21)した米軍地図にも載ってますってば~(T□T)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4010876
by 再生おじさん (2015-11-25 22:32) 

me-co

「航空機」の定義で思い出した話なんですが、餃子タウンにある例の会社の「航空宇宙カンパニー」ってのが、「ん?」と思ってまして、例の会社の人に、「宇宙関連やってました?」と名称の由来についてお尋ねしたところ、
「え~そういうお仕事も是非いただきないな!と・・・」
なるほどねぇ(-。-;)<本文に関係ないコメントですいません。

by me-co (2015-11-26 00:40) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
滑空場で「あ、飛行機だ~!」と言う人にピクリと反応し、
何か言いたげにその人をジッと見つめる人がいたら、それはマニアです(o ̄∇ ̄o)ニヤ

■再生おじさん
ハイ、完全に忘れておりました^^;
再生おじさんからこの地図を教えて頂いた時のやりとりでは、
「seaplane ramp=水上飛行機の進水路のこと」とか、
「漁港の所にあるから米軍が漁船用のランプを飛行機用と誤認しているのかも」
とかいうところで話が終わってるんですよね。
ハンガーの存在は当時認識してましたが、「漁船用のランプ」からビミョーに離れてるし、
オイラの中で「ココはナイな」ということで、訪問時のファイルに含めてませんでした。
(で、完全に忘れちゃう)

■me-coさん
今の今まで宇宙関連事業もやってるんだと思ってました!Σ(゚Д゚;)
看板掲げてるだけだったとは。。。
そういえば「エアロスペース」って付けてる会社はたくさんありますけど、
用心しないとダメですね。

それから日産工場の件、ありがとうございましたm(_ _)m
「早速の調査報告ありがとうございます」
とのことでした。
by とり (2015-11-26 05:52) 

kan

御世話になっております、kanレポート管理人です。
先日、現地に行ったのですが、図D付近で倒れている門柱を見つけました。
こちらが正門だったのでしょうか?
まずはご報告までに。
by kan (2016-03-09 21:47) 

とり

■kanさん
こちらこそ、先日は神奈川県の遺構情報をどうもありがとうございましたm(_ _)m
図D付近に門柱がありましたか!
正門の位置についてですが、手持ちの資料で確認してみました。
清水三保青春の雄叫び-清水海軍航空隊史
清水海軍航空隊(予科練)について
の中に地図がありました。
・33分隊O氏の記憶による清水空略図
・清水海軍航空隊略図
この二点を見比べてみますと、「隊門」、「正門」と記されている位置は、
(略図とグーグルマップが完全に適合しないため、オイラの主観なのですが)
上図の「灯台入口交差点」~三保園ホテルを結ぶ東西の道路と、
「静岡市清水三保体育館」の「岡」の字と重なる南北の直線道路が交わる部分と思います。
どちらの略図にも、D付近の門については触れていません。

余談ですが、どちらの略図も水上機基地を記していますので、
こちらはこちらで門があったのかもしれないですね。
もしくは「倒れている」とのことですので、
kanさんのブログに紹介されている中津飛行場のように、
単に移動させただけだったり。。。
貴重な情報をありがとうございました。
by とり (2016-03-10 05:14) 

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