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三保(根岸)飛行場跡地 [├国内の空港、飛行場]

  2015年7月 訪問 

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根岸錦蔵氏

日本新三景の1つ、静岡県静岡市「三保の松原」。

この地に陸上飛行場を作った根岸錦蔵氏(1902-1983)についてご紹介します。

「日本民間航空史話」という本(1966年発行)の中に、根岸氏ご本人が生い立ちからの手記を載せておられましたので、

以下その中から抜粋させて頂きました。

 

根岸氏は小学生の頃から1人で列車に乗り、所沢の飛行場でヒコーキを眺め、

徳川大尉、長沢中尉から「小僧また来ているな」と顔を覚えられる程のヒコーキ大好き少年でした。

余談ですが、この時期所沢飛行場にいた「徳川大尉」といえば、恐らく代々木練兵場で国内公式初飛行を記録し、

翌年には所沢で国内公式飛行場における初飛行を記録した人物ではないかと思われます。

(所沢飛行場は1911年開設なので時期は合ってる)

 

1917年(大正6年)、赤羽飛行機製作所の助手を経て、福長飛行機研究所に練習生として入所。

その後、三保の地に飛行場を建設し、魚群探査を行おうとしました。

ところが、「天下の名勝地だから」と、県は頑として飛行場開設を許可しません。

それでも粘り強い交渉の結果、個人使用、毎年更新が必要な臨時飛行機離着陸場としてようやく許可を得ることが出来ました。

「あんな砂地に降りられるはずがない」と言われ、

「それならば」と警察に許可も取らず強引にヒコーキを着陸させたりもしたのだそうです。

これを根岸氏は手記の中で、「三保の松原に天女に次いで二番目に舞い降り」た。と自ら表現しておられます(o ̄∇ ̄o)

 

飛行場開設、魚群探査開始

三保(根岸)飛行場の開設は1923年(大正12年)。

弱冠21歳の若者が県と交渉を繰り返し、飛行場を造ってしまうのだから凄いです(@Д@)

三保の地に飛行場開設の念願叶い、早速魚群探査を開始したのかというと、残念ながら事はそう上手く運びませんでした。

あらゆる機会に県の有力者、漁業関係者に働きかけたのですが、ノレンに腕押し状態で、

後援者からの援助によりやっと話を取り付け、航空局から年額4千円、農林省から2千円、県費2,260円を受け、

正式に県の仕事として魚群探査を開始することができたのは、1927年(昭和2年)。

飛行場開設から、なんと5年の歳月が流れていました。

早速1927年~1929年(昭和2年~4年)にかけて、払下げの十年式陸上機で、駿河湾はもちろん、

八丈島を基地として伊豆七島の漁場でカツオ、マグロを発見したのでした。

 

暗転

この航空機による魚群探査事業は、県の水産試験場、水産課が危険を理由に取り上げなかったものを、

根岸氏が強引に実施したという経緯があったため、陰から妨害を受ける事も少なからずあったのだそうです。

例えば、魚群探査のための県費2,260円が突如切られたことを県会の前日に知り、夜中官舎に行って知事と話をつけ、

予算書に赤付箋を付けてもらい、辛くも継続になるという出来事があったのだとか。

 

その後伊豆諸島のカツオが南方に移って少なくなったため、サイパンを根拠として大型飛行艇による魚群探査を行おうと考え、

ドルニエ・ワール機を海防議会から静岡県に寄付してもらうこととし、海防議会の伊藤中将と川崎飛行機に行くため

(川崎はドルニエ・ワール機を所有しており、また改修依頼を受ける事があった)、航空局技術課長を呼びに行ったところ、

航空局の斡旋を経ずに直接海防議会に交渉し、それに成功したことが航空局の忌憚に触れたらしく、驚くべき決定が下りました。

航空局から突き付けられた沙汰は以下の通りでした。

・静岡県の魚群探査に根岸を使うならば補助金を打ち切り
・今後魚群探査事業は東京航空輸送会社に任せる
・ドルニエ・ワールは中止し、中島十五式水上偵察機二機とする
・サイパン飛行は中止して伊豆諸島、駿河湾のみとし、一機は東京航空輸送が清水~東京間の定期航空に使用する

航空局からの補助金が打ち切られると、補助金全体のほぼ半分を失うことになります。

県も試験場もなんとか根岸氏を辞めさせたいと思っていましたから、根岸氏としてはこれを呑まざるを得ません。

ということで、なんと根岸氏はクビになってしまいました。

こうして根岸氏が始めた魚群探査事業は、東京航空に移ることになります。

 

ネット上では根岸氏が魚群探査から手を引いた件について、様々に表現されているのですが、

このことについて当のご本人は手記の中でこう記しています。

「当時の航空会では、東京航空の相羽氏が根岸から(魚群探査事業を)横取りしたとうわさされたが、そうではない。航空局が取り上げて東京航空にやらせたのだ。」

そんな訳で、直接取り上げたのは、航空局だと少なくとも根岸氏本人は思っています。

尤も、水産試験場だって直接引導を渡すことはありませんでしたが、県費カットまでしようとしました。

次の記事でも書きますが、根岸氏の後援者には地元の錚々たる顔ぶれが名を連ねており、こうした後援者の手前もあって、

県や試験場の妨害は間接的な「影から」のものに留まっていたのかもしれません。

魚群探査事業そのものは、漁獲が飛躍的に向上し、大きな成果を挙げていました。

県、水産試験場にしてみれば、航空局のこの「根岸氏切り捨て」という決定は、

自ら手を下すこともなく根岸氏を事業から追放し、事業そのものは継続となった訳で、まさに渡りに船だったはずです。

事業が東京航空に移り、クビになってしまった根岸氏は、その後東京航空の実施する魚群探査飛行に、

魚見役として同乗していたのですが、これも県から禁じられてしまい、

本人曰く「生涯の仕事としてとりかかった」魚群探査と完全に縁を切らざるを得なくなり、

その後は、高層気象観測飛行、旧女満別空港を建設させての流氷観測飛行等に従事したのでした。

特に流氷観測飛行では、氏の特出した能力がいかんなく発揮され、流氷観測のみならず貴重なデータを後世に残すことになります。

 

「三保(根岸)飛行場」の位置

ということで、大正12年から、少なくとも根岸氏が魚群探査を行っていた昭和4年まで、ここ三保の松原には、

根岸氏が苦心の末に開設した「三保(根岸)飛行場」が確かにあったはずなのですが、

某サイト様で「根岸飛行場格納庫」と地図上に示すものがあるのみで、

飛行場の具体的な場所をハッキリ示している資料が未だ見つかりません。

一口に「三保」と言っても結構広くて、「ここかなあ」という場所が幾つもあります。

それでも、2つ先にアップ予定の記事「清水海軍航空隊跡地」作成に大いに役立った書籍の中に、

まったく思いがけず「三保(根岸)飛行場」を匂わせる記述がありましたのでご紹介致します。

中村英雄著「清水三保青春の雄叫び:清水海軍航空隊史」という本の4pに、たった一文なのですが、

「清水三保海軍航空隊」の滑空機による練習風景について触れた記述に続き、こんな一文があります。



「根岸飛行場格納庫には、魚探機1機と滑空機が2機格納されていた」



この一文の後は、すぐに別の話に移ってしまいます。

飛行場名には大抵、地名か、設立者(企業)名が付される訳ですが、三保に根岸という地名は検索しても出てきません。

それで、この「根岸飛行場」の「根岸」とは、設立者の「根岸氏」のことと思われます。

この書籍:「清水三保青春の雄叫び:清水海軍航空隊史」は、その題名の通り、

三保の地に開隊した清水海軍航空隊について扱ったもので、この航空隊では滑空機の訓練を行っていました。

この本の57pにある略図には、現在の「三保飛行場」の辺りに滑空場があったことが示されており、

「清水海軍航空隊(予科練)について」という、もう一冊別の本にも基地の略図が載せられているのですが、

どちらも滑空場のすぐ前に「滑空機格納庫」が一棟あったことが明示されています。

双方の略図の中で、「陸上機の格納庫」の記載はこの一棟が全てであり、他に陸上機用格納庫は記されていません。

つまり、書籍に出てくる「根岸飛行場格納庫」とは、この略図に示されている「滑空機格納庫」のことで、

清水海軍航空隊が「根岸飛行場格納庫」を借用していたという可能性が高いと思います。

通常、滑走路のすぐ前に格納庫を設置するのが常だったことも相まって、

  清水海軍航空隊の「滑空機格納庫」=「根岸飛行場格納庫」
∴清水海軍航空隊の「滑空場」=「根岸飛行場」 

という連立方程式が成り立つ可能性が高いのではないか。というのがオイラの考えです。

「根岸飛行場格納庫」には、魚探機と滑空機が仲よく同居していたという記述もありますし。

 

根岸氏が魚群探査飛行のために「根岸飛行場」を使用していたのは、昭和4年まで。

また、根岸氏の跡を継ぐ形で、水上機による魚群探査は昭和18年頃までは続けられたと考えられています。

清水海軍航空隊がここに開隊したのは、昭和19年ですから、

格納庫には、根岸氏が使用していた陸上機か、後を継いだ水上機の魚群探査機が眠っていてもおかしくないことになります。

根岸氏の後を継いだ水上機による魚群探査事業は、三保の真崎(三保半島の突端)に基地が新たに設けられ、

ここに水上機用の離着水エリアが設定され、格納庫も設けられたことがアジ歴の地図で確認することができます。

そのため、「根岸飛行場格納庫」に滑空機と仲よく翼を並べていたのは、根岸氏の陸上機であったかもしれません。

(検索すると、「三保(根岸)飛行場」=「清水海軍航空隊滑空場」=「三保飛行場」と記しているサイト様が1つだけ見つかります)

 

ということで、1923年(大正12年)に開設した「三保(根岸)飛行場」は、

1927年~1929年:「三保(根岸)飛行場」→魚群探査のための飛行場として使用

1944年~1945年:「清水海軍航空隊 滑空場」→三保空の練習用滑空場として使用

1968年~現在:「三保飛行場」→赤十字飛行隊の飛行場として使用

こんな感じなのではないかと。

清水海軍航空隊についての書籍の中で、「根岸飛行場格納庫」という言葉が出てくる訳ですが、

仮に当時の航空隊隊員の間で日常的にこの言葉が使われていたのだとしたら、

隊員たちにも当飛行場開設のいきさつは伝わっていて、

当時から、「ここは元々根岸氏の飛行場と格納庫」という認識があったのかもしれません。

 

実際には清水海軍航空隊が滑空場として使用していた時は、

現代の我々が想像するような舗装された細長い「滑走路」があったのではなく、

海岸線に沿った平坦な場所を「着陸帯」として使用していたので、厳密には、両者はピッタリ重なっているわけではありません。

それでも、根岸氏が開設した飛行場がこの場所で間違いないとすると、

大正時代、約百年近く前に1人の若者が「魚群探査のために」と飛行場適地として苦心の末に開拓した場所が、

その後数度の空白期を経て、使用者を変え、運用機を変え、今日まで飛行場として存続していることになります。

 

D20_0076.jpg

・A地点

「根岸飛行場格納庫」推定位置

 

D20_0079.jpg

・B地点

飛行場があったと思われる辺り

 

三保(根岸)飛行場跡地 map   


      静岡県・三保(根岸)飛行場跡地     
国交省の清水港のサイト・清水港のあゆみの中で、「昭和4年(1929年)水産試験場で開発されたマグロ油漬け缶詰の輸出が始まる。アメリカで大人気」とあるのですが、これは根岸氏の魚探事業で漁獲高が飛躍的に伸びたためとされています

三保(根岸)飛行場 データ
設置管理者:根岸錦蔵
空港種別:臨時飛行機離着陸場
所在地:静岡県静岡市清水区三保

沿革
1923年 三保飛行場開設
1927年 三保飛行場にて魚群探査飛行開始
1930年  魚群探査に三保真崎の水上飛行場が使用されるようになる

関連サイト:
国土地理院 1948年9月当時の写真(USA R1807 2) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       

この記事の資料:日本民間航空史話


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コメント 6

guchi

「 三保の松原に天女に次いで二番目に舞い降りた 」
・・・この根岸さん手記のお言葉、なかなかお洒落ですね。
書籍やサイトを、たくさん研究した成果、ありがとうございました。
今度三保に行くときは、今までと違う気持ちで景色を眺められそうです。
by guchi (2015-11-20 07:54) 

U3

いつの世でも新しいことをやろうとすると必ず妨害をするものが現れるのですね。
悲しいことです。
しかし根岸氏はそれにくじけない人物であったようですね。
by U3 (2015-11-20 08:20) 

鹿児島のこういち

1948年の写真を見ると、B地点のそばの防風林が邪魔なようにも思えますが(^O^)どちらかというと、北側の防風林と防風林に挟まれている場所が素人目にはよかろそうに思えます(^O^)なんか良い目印が残っていればいいんですけどね~(*゚▽゚*)
by 鹿児島のこういち (2015-11-20 14:17) 

an-kazu

"国岡鐵造"のような人物は、アチコチにいたのですね〜


by an-kazu (2015-11-20 20:19) 

me-co

三保を美保と間違えました(--;)
ちなみに、この辺りも行った事があります。「なーんか、だだっぴろいところがあるもんだなぁ。」と思ったのを思い出しました(汗)
by me-co (2015-11-20 21:44) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございますm(_ _)m

■guchiさん
この度は貴重な情報を本当にありがとうございましたm(_ _)m
guchiさんから頂いた情報は予定通り11/27の記事に使わせて頂きます。
>天女に次いで
洒落てますよね^^
この位の豪胆さがないとこんなことはとても成し遂げられないのでしょうね~。
その場所のいわれが知れると、心証が変わりますよね。

■U3さん
仰る通りですね~。
ヒコーキに限っても、計画を潰された幻の飛行場が全国には沢山あるのかもしれません。

■鹿児島のこういちさん
確かに防風林が気になりますね。
一応B地点が「清水海軍航空隊略図」で「滑空場」と記されていた部分です。

■an-kazuさん
ググってみました。
偉人をたくさんご存じですね~(@Д@)

■me-coさん
ここも行かれましたか!
>三保を美保
鳥取の美保飛行場のことを「三保飛行場」と記事に書いて、
元自衛官の方からご指摘頂いたことがあります(o ̄∇ ̄o)フフ
me-coさんのコメント拝見してこの記事をチェックしてみたら、
一か所だけ「美保」と間違えておりましたので、しれっと修正致しました^^;
by とり (2015-11-21 08:28) 

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